
あるAIモデル停止に考えさせられた、真の意味での危機
今日、ありふれたきっかけだが、
あるAIモデルの突然の公開停止をきいて考えたことがある。
まず、これは、アメリカ以外で使って、企業が導入し、
社会のインフラの一部を担うようになったとき、
同じことが起こらないと、どうしていえるのだろう。
個人単位ではまだいいかもしれない。
でも、もし仮に広く導入されていたら、
社会に大きな責任のある会社が、急にシステムが止まることになる。
社会は大混乱に陥る。
現在OKなAIの旧モデルでさえ、
どうしてそれが永遠に提供されると信頼できるだろう。
これは、AIをシステムに組み込むことの、
信頼を根幹から揺らがせる出来事のように、私には思える。
これは、単にシステムが一時的に止まるという問題だけではない。
さらに言うと、AIが生み出す富を、どの国が持ち、
どの国が再分配できるのかという問題でもある。
・・・どういうことかというと、薄々感じていたことなのだけど。
自国民ばかりかほかの国も使ってくれるような、
強いAIやロボット会社を持たない国は、
ベーシックインカムの導入など、雇用が縮小した後の再分配を、
より難しい条件で考えなければならなくなる。
というのも、その時に大きな利益を上げている AI 会社やロボット会社は、
ベーシックインカムなどの財源を考える際、
真っ先に課税対象として浮かぶだろうし、
AIや計算資源、機械に課税することも考えうる。
結果的に一番巨大な資本材を持っているのは、その強い会社自身だからだ。
だがそれが国内の会社ではない、となると、
どうやっても、ない袖は振れない。
もし現状のまま、AIをほとんど他国に任せてしまって、
AIによる効率化が本当に今よりはるかに進んでしまい、
人間の働く領域が狭くなって。
そこに課税余地が減ったとしても、だ。
実現可能性や、その是非はともかく、
新たにロボット税やAI税すら導入できなくなる。
それでも、そのシステムを、他国製AIでつくって、本当に大丈夫?
日本は某国とは、何も仲悪くないはずなのに、
特別扱いはされてないよ?
・・・今日感じたのはこんな危機。
日本産のAIを、とか、ロボット会社を、という必要性は、
思っている以上に必要なことだったのだなあと、
自分の認識の甘さを実感している。