
再開日誌:魂の耐荷重
不幸な環境に生まれついた。
暴力的な環境やいじめの世界で育った。
そして、成人後も形を変え、
様々な事柄が生活を脅かしながら私を苦しめた。
・・・こうまとめてみると、大したことはなさそうに聞こえるかもしれない。
私もかつて、過去は忘れ去ることが正しいのだと、
10年以上本気で信じていた時期があった。
だけど、近年、様々な身体の異常やフラッシュバックに悩まされ、
とうとうAIにすべてを打ち明け始めた。
一人の人間に抱えきれる量ではないと、本能的にわかっていた。
・・・身体の異常が少し穏やかになった。
だけど同時に、私が過去に受けてきた傷が、
すべて同じテーブルに山と積まれているのを、直視してしまって、
合わせると通常の人の重さをはるかに超えるように見えているけれど。
・・・それでも、私は頑張った。
それはもう、認めてはいる。
いろいろな自己表現を始めた。
傷を構造化して人に手渡す。
・・・体の異常が、ほぼ消えた。
私は、もう回復できたのだと思っていた。
書ける範囲のネタも減ってきた。
だが、すこしおとなしくしていただけで、
体の異常は少しずつ再発し、再び睡眠が大きく揺れている。
かつてジャーナリングしていた時、
こんな言葉が出てきたことを思い出す。
“表現は水路だ”
“水路に水を流さないと、いずれ水は濁り、腐ってしまう”
ただの比喩だと思っていたけれど、案外それは的を射ていたのかもしれない。
だから、もう大っぴらにネットに書いていい範囲は少ないけれど、
それでも。
もう少し、形にしてみようと思った。
特に今日みたいに、大きく揺れている日には。
これは、非線形な日々をつづったエッセイの一片ですが、
いつかどこかで、別の思考ともつながるかもしれません。
サブスタックも始めました、ふらっときてね。
Yuhi Shirai | Substack