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食べたい 食べたくない 食べられない    

    迷える大羊

    つい、買ってしまった。

    このパキッとした鮮やかな黄色のかんきつの名前は、「はるか」。
    まるで小学校の時の絵の具のような黄色。さてはお前が本当の“レモンイエロー”だろ、みたいな。
    酸っぱそうな見た目を裏切り、甘い果肉は蜂蜜のようとも評される。
    全国での認知度がどれほどかは不明だが、広島では一般的なスーパーでも買うことができる。

    1個¥98(税抜)也。

    「今日、何食べたい?」

    訊くのが怖かった。
    私の父は、がんの終末期ケアで在宅医療を選択。急激に体力も落ち、ほとんどを横になって過ごすことが増えていた頃は、当然のように口に出来るものも減った。
    食べたくても食べられない。
    それが終末期の自然な流れだと理解しているつもりだった。
    でも、減らないお皿の中身を前に固まっている父を見るのがつらい。見守るしかない私の心のどこかが拒否反応を示してしまう。

    ────ご本人の食べたいものを食べさせてあげてください。なんでもかまいません。────

    …とか、医療関係者は言ってたけど。
    そもそも“食べられるもの”なんて、もう既にほとんど無いのだ。その直前まで「カリウム」の値が高いだのなんだの言ってたくせに。高血圧だからと意識して野菜をとっとったんじゃ、そんなこともあろうよ。どうしてかな、と言われても体のことはそっちが専門じゃろうが。
    知るか。

    となると「食べる」って、何なんだろう。
    健康なときは食べたいものを「食べたい」と思えるけれど、“健康”が失われたときの「食べたい」は「食べたい」ではなくなることがある。
    「食べられる」かどうかが判断基準になってしまうと食事の愉しさは無いに等しい。
    家族のそんな姿は本当に痛々しい。
    それに、

    「大羊ちゃん、しっかり食べた?」

    …いい歳して“ちゃん”付けですんませんね。
    こんなんでもかわいいひとり娘なんでしょうよ。ここはスルーしていただけるとありがたい。

    自分がしんどいくせに、私や母がちゃんと食事をとれているかどうかを心配する。
    いつも気にしていた。
    父のその愛情が地味につらい。

    今ではそれが間違いだったと思う。
    しかし、当時の私は父の前で食事をとることに罪悪感しか無かった。何が正解かは何を目的としているかによるだろうから、本当のところ正しさはわからないけれど、家族で普段通りに過ごすことが正解なのであれば、私の看護(と言えるかどうか)や態度は間違いだった。
    父の食欲と比例するようにしぼんでゆく私や母の食欲を、少なくとも父に見せてはいけなかったのではないだろうか。
    あぁ、今思い出しても泣けてくる。
    食事ってこんなしんどかったっけ。

    で、冒頭に戻る。

    「はるか」

    「今日何食べようか?」
    例によって拷問のような問いかけに、父が珍しく即答してくれたのがこれ。
    まあるいレモンみたいな”はるか“を、最後の退院の時二人で立ち寄った果物店で買い求めたのを覚えていたのだろう、うれしそうに「はるか」と。

    …好きな女の名前みたいにうれしそうに言ってんじゃねーよ、まったく。

    しかしまあ、タネが多く、みかんみたいに手軽に手でむけない”はるか“はホント手のかかる女みたい。
    いや、男もいるか、“はるか”(ごめんね、全国の“はるか”さん)。
    でも、コツさえつかめばどのかんきつとも違う美味しさに出合える。
    正しい“はるかの剝き方”は、広島果実連参照でございます。


    透き通ったレモネードを閉じ込めたみたいな果肉。
    少しだけ元気だった頃に食べたのを思い出したのか。

    必死に探したけれど、季節が過ぎていたのが悪かった。もうとっくに夏だったからなあ。
    いや、探し方が悪かったのかも。
    どちらにせよ結局口にすることなく、父は逝ってしまった。
    「はるか」と嬉しそうに言った笑顔だけを残して。

    …実は昔の恋人の名前だったんかな💢


    「あー、これおいしそう!」
    「○○食べたい!」

    食への純粋な欲求を見失って2年目の春、私は未だにただ「死なない」ために押し込んで食べているような気がする。
    「生きる」ためでは無い。

    「食べる」は「生きる」

    シンプル。
    今更ながら思い知る。
    いつか心の底からの「食べたい」を取り戻せる日が来るのだろうか?

    つい買ってしまった“はるか”。
    刃を入れると食べなくてはならない。
    そう思うと、剝けずにいる。
    「食べたい」と願った父が食べられないのに、どうして私が、と思うと皮を剝けずにいる。


    皆さんはどうですか?
    「食べたい」「食べたくない」「食べられない」

    一緒に食べたいと思う相手のいない今、つい買ってはしまったものの、こんなにも持て余すなんて。

    せっかく手に入れたのにね。














     
     
     
    グリーフケアと迷いと疑問で構成されたエッセイ(という名のあれこれ)中心 とある理由から「作りたくない」と抵抗しながらのごはん、好きなものへの偏愛語り たまに広島弁で喚き散らす傾向あり スキもフォローも無理にお気遣いなく フォローバック目的の方は…悪しからず ご期待には添えません

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