
〝老いも若きもワンチャン〟
最近よく耳にする、「ワンチャン有るかもね」という言葉。
当然、若い世代から流行りだしたものと思われるが、私と同世代、50代くらいの方たちも自信満々で使っている場面によく出くわす。
しかし、この「ワンチャン」が最近、どうにも拡大解釈されすぎている気がしてならない。
例えば、「機会があれば」と言えば済むことを、わざわざ「ワンチャンありかもですね」なんて言っている。
別に言葉の本質を突き詰めようって話ではないのだが、どうしてもあの温度差が気になってしまうのだ。
私の認識では、若者の言う「ワンチャン」はどこか青くて軽い。
「あの娘ワンチャンないかなぁ」なんていう、淡い下心とダメ元精神のブレンドだ。
失敗しても「まあ、ワンチャンだしね」で済むライトさがある。
しかし、私の知るおじさんたちの「ワンチャン」は、背負っているドラマの重みが違いすぎるのだ。
先日も、知り合いのおじさんが嬉しそうにこう話してきた。
「二次会のキャバクラのあと、奇跡的にキャストの女の子たちとアフターでカラオケに行けてさ! これはワンチャン有るかも?って期待してたのに、トイレ行ってる間に全員帰られちゃったよ!」
ここまではいい。
切なくも、実に正しい「ワンチャン」の使い方だ。そりゃあおじさんだって期待もするだろう。
ところが、彼は真剣な顔でこう続けたのだ。
「でもよ、そのせいで朝までコースになって家にも帰ってないんだ。今夜帰ってから嫁さんに言い訳しなくちゃならないんだけど……ワンチャン生き残れるかな?」
……いやいや、それ、ワンチャンじゃなくて『ミッション・インポシブル』ですから。
トム・クルーズでも生還できるか怪しい、九死に一生の国家機密レベルの修羅場ですから。
もっと普通に「本気で家庭が危ないんだ」と話してくれたほうが、こちらも「えっ、大丈夫!?」と会話が弾む(あるいは一緒に土下座の練習をする)気がするのだが。
あまりにも壮大な家庭崩壊の危機を「ワンチャン」という軽い言葉でコーティングされるものだから、こちらは「もう知らんて(笑)」と心の中でシャッターを下ろすしかない。
若者のワンチャンは、少し期待して笑って終わる。
おじさんのワンチャンは、人生が終わるかもしれない。
同じ言葉なのに、背負っているものだけがやたらと重いのである。