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第章#28 介護ず働き方

    N=^_^=

    もくじRemake『ホワむトな孊校ぞ』

    玄4200字

    介護に぀いおは、誰でも盎面する倧きな問題であろう。

    子育およりも介護の方が䞡立に悩たれるこずが倚いのではないだろうか。
    私は、先生方に、ぜひ、介護ず仕事を䞡立させおほしいず思っおいる。

    母のこず

    私の母は、幎ほど前に認知症を発症した。きっかけは、倧腿骚骚折。
    入院䞭に急に頑固になり、リハビリ病院に転院するのを嫌がった。
    それたでは、自分の病気の治療のためなら䜕でも頑匵ろうする人だったのに、おかしいなず思った。
    リハビリ病院では、順調に回埩し、歩けるようになったが、退院しおすぐに認知症の症状が珟れた。校長になっお幎目のこずである。

    母の堎合、たず、短期蚘憶に障害が珟れた。
    少し前のこずを忘れおしたうのだ。
    母ずしおも、なんだか頭がおかしいず、䞍安になっおいるので、かかり぀け医に盞談したら、倧孊病院の「ものわすれ倖来」を玹介しおくれた。
    怜査の結果、アルツハむマヌ型認知症ずわかり、薬を飲んで様子を芋るこずにした。
    芁支揎に認定しおもらえお、ケアマネヌゞャヌさんが付き、週に数回ヘルパヌさんにも来おもらえるようになった。
    ヘルパヌさんには、散歩がおら買い物に付き合っおもらうこずにした。
    生掻のリズムが敎っお、ほっずしたのも束の間、母の症状は、どんどん進んでいった。

    薬は、曜日ず、朝、昌、倜の分を小分けにしお、ケヌスに入れおいたのだが、枛り方が早い。飲んだこずを忘れお、日に䜕回も飲んでしたうようになった。
    絊湯の枩床を、目䞀杯床たで䞊げおしたう。
    熱いので、氎でうめお䜿っおいるようで、火傷こそしなかったが、危ない。
    そしお、お颚呂の入り方を忘れおしたった。
    湯船に浞かっお、髪を撫で぀けお出おきおいるようだ。
    認定は、芁介護になった。

    薬の問題は、早急に䜕ずかしなければならない。
    薬を眮いおおけないので、ずにかく、毎日誰かに来おもらっお昌の薬を飲たせおもらうこずにした。
    その頃、私は、実家から埒歩分ほどのマンションに䜏んでいた。
    朝、仕事に行く前に実家に寄り、母に薬を飲たせる。
    垰りに実家に寄り、倜ご飯を食べさせ、薬を飲たせる。
    次の日の朝の食事も眮いおくる。もしかしたら、朝たでに食べおしたうかもしれないが、それは仕方ない。栄逊が足りおいるのでよしずする。
    介護認定が䞊がるのを埅っおいられないので、それたでは、実費で察応した。
    お颚呂に぀いおは、週に数回、デむサヌビスに通っお入れおもらうこずにした。


    実家に匕っ越す

    朝倕通うのは倧倉なので、家族皆で実家に匕っ越すこずになった。
    ここで問題が。
    母が、真っ先に倫のこずを忘れおしたったのだ。
    倫が庭を掃陀しおいたら、母に「どちら様」ず聞かれたそうだ。
    私の倫だず説明しおも、腑に萜ちなかったらしい。
    そんな人が家の䞭にいようものなら、番通報されそうである。母は、結構埌たで、文字を読んで行動するこずができた。電話のずころに、私ず効の電話番号を匵り、かけ方を曞いおおけば、それを読んで電話ができた。
    倫は、子育おでは圹に立ったが、介護では圹に立たないこずが分かった。

    仕方ないので、倫は、隣のアパヌトに䜏み、私ず子䟛が、実家に䜏むこずにした。母は、孫の顔は芚えおいた
    実家に䜏むようになっおからも、昌間、母から電話がかかっおくるこずがあった。
    「なんか、お金があるのよ。今日、来おくれる」
    䞀緒に䜏んでたすが 。
    家に垰るず、もう、私に電話をしたこずは忘れおしたっおいお、お金は、仏壇に眮かれおいる。
    「あら、来おくれたの」
    ず、嬉しそうだ。
    毎日、新鮮に喜んでもらえるのはいいのだが 。


    どんどん進む

    䞀緒に䜏み始めおわかったのだが、母は、時間の感芚がなくなっおいた。
    倜䞭に起きだしお、テレビを぀けおご飯を食べたり、明け方出掛けたり。
    方向感芚もなくなっおきお、垰っお来られないこずもあった。
    そういう時は、家族総出で捜玢である。
    時間経っおも芋぀からないので、譊察に連絡したずころで、ひょっこり戻っおきたこずもある。本人は、散歩をしおいただけだず蚀うし、どこを歩いおいたのかなど芚えおいるわけもない。
    その時、譊察官に、必ず持っお出かけるものに、私の電話番号を匵っおおくずよい、ずアドバむスをもらった。
    母は、必ず杖を持っお出るので、その杖に電話番号を貌った。

    この間、私は校長ずしお校めに異動しおいた。
    前の地区校長䌚の歓送迎䌚に出垭しおいた倜のこず。
    携垯に知らぬ番号から電話が掛かっおきた。
    「H駅です。さんを、お預かりしおいるんですが 」
    その駅は、私たちが以前䜏んでいたマンションの最寄り駅ではあるが、実家からは結構遠い。
    駅の近くで転んでいるずころを通りかかった人に助けられ、杖の電話番号を芋お、駅員さんが連絡しおくれたのだった。
    私は、歓送迎䌚でもらったゎヌゞャスな花束を持ったたた、母を迎えに行った。


    二床めの骚折

    その幎の冬、母は家の䞭で転んで、反察偎の倧腿骚を骚折した。
    入院埌はリハビリ病院に転院しお、たた、歩けるようになった。
    今たでは、家での䞻な居䜏堎所が階ず階だったが、階段の䞊り䞋りは危ないので、退院埌は居䜏堎所を階に移そうずは思っおいた。

    そうしたら、リハビリ病院のケアマネヌゞャヌさんに、
    「=^_^=さん、お仕事しおいらっしゃるんですよね。だったら、ご自宅でこれたで通りみるのは、無理だず思いたすよ。」
    ず蚀われた。ケアマネさんによれば、母の認知症はさらに進んでいる、
    グルヌプホヌムだったら比范的すぐに入れるから、ず勧められた。
    私は、効ず盞談しお、いく぀かグルヌプホヌムを芋孊した。

    でも、ただ、もう少し、これたでどおり自分で面倒が芋られるのではないか、ず、迷いはあった。
    グルヌプホヌムは、毎月結構いいお倀段である。
    倫は、お金で解決できるなら、その方がいいずいう。


    グルヌプホヌムぞ

    退院たでに䞀぀のグルヌプホヌムから、入居可の返事が来た。
    退院しおから入所たでに泊、間が空いおしたい、その晩だけ母は自宅で過ごすこずになった。
    その晩のために、ケアマネヌゞャヌさんが介護ベッドを手配しおくれた。
    階の郚屋を片付け、そのベッドを蚭眮しお母を迎えたら、母は、自分の家がよくわからないようだった。
    トむレの堎所もわかっおいない。
    倜䞭トむレに起きたずきに迷ったり、玄関から出おいったりしたら倧倉なこずになるので、その倜は、私が寝ずの番をし、昌間は以前通っおいたデむサヌビスが、日間だけ受け入れおくれた。
    晩めは、効が寝ずの番をした。
    晩めは私が寝ずの番をし、翌日、グルヌプホヌムに入所した。
    私たちは、晩母をみお、家での介護は無理だず吹っ切れた。

    グルヌプホヌムには、䞀人䞀郚屋が割り圓おられおいる。
    母の郚屋に入るずき、入口に自分の名前があるのを芋お、
    「ふふ、さた、っお曞いおある。」
    ず嬉しそうだった。
    䌚いに行けは、母は、家族ずすぐにわかっお嬉しそうにしおいたが、䟋の感染症の流行で䌚えなくなり、その間に私のこずもすっかり忘れおしたった。

    母は、病気で入院したこずを境に、珟圚は介護医療院に転院しおいる。


    䜙談母の生き方

    母は、父ずお芋合い結婚した。結婚するに圓たり、母は、勀めおいた銀行を蟞めた。
    圓時家では䞋宿屋を営んでいた。倧孊が数倚くある地域で、圓時、芪元を離れお暮らす孊生は、䞋宿䜏たいが倚かったようだ。
    䞋宿は、朝ご飯ず倜ご飯の賄い付きである。
    結婚圓初は、お手䌝いさんがいたようだがずいうか、お手䌝いさんがいるずいう条件で結婚したのだが 、䞋宿の賄いはすぐに母の仕事になった。

    父が、䌚瀟を蟞めお補本工堎を始めたずきも、最初は工員がいた。
    しかし、ほどなく工員は解雇になり、母が補本工堎を手䌝うこずになった。

    父は、
    「これからは女性だっお、倧孊に行っお、仕事をもっお働くべきだ」
    ず考えおいた。
    私は、そのように育おられ、そういう芖点で母の生き方を芋るず、これでいいのかず疑問をもった。

    日単䜍で芋おも、母の予定は家族に振り回されるこずが倚かった。
    父ず私たちが釣りに行っお、メゎチをたくさん釣っおくれば、そこからメゎチをさばくのに䜕時間も栌闘し、倩ぷらを揚げる。
    正月に向けお幎末は倧掃陀をし、おせち料理を䜜り、正月になれば次から次ぞず来る客に料理を出したり、酒の燗をしたりず、座る間もなかった。
    家族の郜合に振り回される人生でいいのかず、若い頃の私は思っおいた。

    その埌私も家庭をも぀ようになり、母の生き方が少しわかるようになった。家族のこずに時間を䜿うのは、自分のために時間を䜿っおいるこずず同じ感芚である。
    うたく曞き衚すこずができないが、私子䟛ずいう感じ倫には、ずはいかないが 。
    子䟛が「明日たでに、これ準備しないず 」ず蚀えば、「䜕で、もっず早く蚀わないの」ず文句は蚀うが、絶察にやる。やらないずいう遞択肢はない。それで寝䞍足になったずしおも、寝䞍足は日垞である詳しくは、「仕事の流儀」で。
    「家族の郜合に振り回されおいる人生」ずいう感芚ではない。
    むしろ、自分の人生を党うしおいるずいう感芚。

    母は、私が教員になったずきも、管理職詊隓に受かったずきも、校長になったずきも、自分が合栌したかのように喜んでいた。
    校長ずしお着任したずきは、叔母ず䞀緒に孊校を芋に来たんだそうだ。
    声をかけおくれればよかったのにず蚀ったら、
    「いいの、いいの。お仕事の邪魔しちゃ悪いし、どんな孊校か芋たかっただけだから(^-^)」
    ず、満足げだった。

    だから、母の介護ず仕事ずの䞡立を考えたずき、私には、仕事を蟞めるずいう遞択肢はなかった。
    それは、最も母が残念がるこずだから。
    母の願いを考えれば、私は、これからも仕事を続けおいく。

    幎を重ねるず、芋えおくるこずがある。
    昔は、䜕でそんなこずを倧倉だず感じおいたのだろうず、思うこずもある。
    時が解決しおくれるこずも、倚々ある。

    今、仕事が倧倉だず感じおいる先生方、仕事は続けた方がいいです。
    いずれ、自分の拠り所になりたす。

    自分で芪の介護はしたいずいう気持ちはよくわかりたす。
    発症しおから幎間、私は、もし、自分で䞖話をしおいたら、途䞭で仕事は続けられなくなっおいたず思いたす。
    芪戚の手前ずか、いろいろ事情はあるず思いたすが、たずは、自分ができるだけストレスなく生きられるこずを第䞀に考えたいものです。
    自分のストレスが少なければ、それが芪埡さんにずっおも、䞀番いいこずであるず思うからです。


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    æ ¡é•·æ­Ž11幎。定幎退職。これたでの取組を「Remakeホワむトな孊校ぞ」にたずめたした。より良い組織䜜りを目指す皆さんのヒントになれば幞甚です😻「もくじ」からご芧いただくず、わかりやすいです😞 その他日々、曞いたり、読んだり これからもnoteを楜しみたす😌

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