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ノロノロ垰った私ぞ、お空から16幎目の䌝蚀。

    GW最終日。

    お墓参りにいっおきた。
    16幎前に䞀緒にいたりサギ、茶々䞞さんの。
    もう、あれから16幎も経぀のか。

    私が初めおりサギを家族にしたのは、小孊生の頃だった。
    今はもうほずんどなくなったず聞くけれど、昔は小孊校にニワトリやりサギがいるのが圓たり前の時代。
    動物奜きの私は、圓然のように飌育係をしおいた。
    孊校でたくさん生たれた子りサギ。

    先生が、「誰かお家で飌える人いたせんか」っお。2、3人の女子が手を挙げたように思う。
    私もそのうちの䞀人だった。
    家族に盞談もせず勝手に䞀矜連れお垰っおしたった。
    しかも、電車通孊だったのに、ダンボヌルに空気穎を開けただけずいう暎挙。
    埌先考えない性栌は、この頃からだったのかもしれない。
    家の䞻たちに盞談もなく連れお垰るなんお、今自分がされたら  。

    「たぁ、しゃヌないか」

    圓時の母も、そう蚀っお笑っお蚱しおくれた。
    慌おおケヌゞや牧草を買いに走っおくれた母。
    ほんたに、どうしようもない嚘やず思う。
    どうしようもない嚘やけど、結局、今私もそんな母になっおいる。

    それが、私ずりサギの最初の出䌚い。
    癜くお目が赀い、THE・りサギな「うヌ子」。
    名前のセンスのなさに自分でも嫌になるけれど、結局、䞖話は母任せ。サむテヌだ。
    撫でたい時だけ可愛がるずいう、子䟛アルアルの身勝手な関わり方をしおしたっおいた。

    倧人になっお家族に迎えたのは、
    ネザヌランドドワヌフの茶々䞞さん。
    ピヌタヌラビットのような茶色いその子を、
    私はうヌ子の分たで、手厚く、倧事に倧事に育おた。
    名前のセンスはどうだろう
    あたり成長しおいない。

    倧奜きな飲み䌚の日だっお、䞀床垰宅しおご飯をあげお、様子を芋おから出かけるほどに。
    倧奜きな飲み䌚に行くこずは蚱しおほしい。

    茶々䞞さんが5歳になった冬。

    私は長女を劊嚠しおいた。
    切迫早産で「絶察安静」を蚀い枡され、1ヶ月䌚瀟を䌑んだ。
    今だから1ヶ月ず曞けるが、その時は、い぀出瀟オッケヌになるかもわからなかった。
    テレワヌクなんおない時代。
    出匵甚PCを借りおこっそり仕事をしながら、
    「このたた赀ちゃんがいなくなっおしたうんじゃないか」ずいう恐怖に抌し぀ぶされそうな毎日。

    そんな時、狭いアパヌトの隣同士で、茶々䞞さんだけが倉わらずマむペヌスに寄り添っおくれた。

    ようやく勀務蚱可が䞋り、
    「やっず出瀟できる」ず思った翌日。
    茶々䞞さんは、䜕の前觊れもなく、突然䜕も食べなくなった。

    りサギは腞が止たるず䞀気に匱る。
    䜕床も病院ぞ行き、点滎を打ち、祈るような気持ちで過ごした。
    けれど、1ヶ月も䌑んだ盎埌で仕事を䌑みづらかった私は、日䞭の䞖話をたた母に頌んでしたった。。。

    䜕十幎経っおも、私はたた芪に迷惑をかけおいる。

    その日の垰り道。䞀刻も早く垰るべきなのに、なぜか足が向かず、ペット甚のホットカヌペットを買ったりしおノロノロず垰っおいた。
    䌚瀟から歩けば20分くらいの家に䜏んでいたが、
    安静を蚀われおからは、すごく遠回りしかしないバスに乗っお通勀しおいた。
    この日の垰り、タクシヌで垰るこずもできたのに、私はそれをしなかった。

    ようやく垰宅した時、茶々䞞さんは母に抱かれ、すでにお空を枡った埌だった。


    「最埌に、クヌヌヌっお鳎いたよ」母が蚀った。

    うヌ子の最期を看取ったのも、母だった。
    私がピアノのレッスンに行っおいる間のこずだった。

    なぜ、もっず早く垰らなかったのか。
    なぜ、最期に立ち䌚わなかったのか。
    自分を責めお、責めお、どうしようもなかった。

    「茶々䞞さんは、嚘に生たれ倉わったんだ」そう思うこずで、私は眪悪感から逃げた。
    嚘のクリクリした目や、色玠の薄い茶色い髪。茶々䞞さんはオランダ生たれの品皮だから、ハヌフに間違われる嚘ず䌌おいるのは圓然だ、なんお、すごいこじ぀けだ。茶々䞞さんはオスだったけれど、そこもあえお無芖しお

    あの絶察安静の日々、茶々䞞さんがいおくれなかったら、私は䞍安に朰されおいただろう。
    嚘が無事に生たれたのは、茶々䞞さんが私の心を守っおくれたから。
    そしお、䞀人で最期を看取っおくれた母も、きっず蟛かったはずだ。
    勝手にりサギを連れおきた嚘のせいで、二床もその圹目を負わせおしたった。
    この時の気持ちは、今でも怖くお聞けずにいる。

    それから毎幎、お墓参りに来るたびに、
    私は埌悔で涙ぐんでいた。

    でも、今幎は違った。「茶々䞞さん、ありがずう。い぀も芋守っおくれお、ありがずう」自然ずそう思えた。

    16幎が経ち、あの時お腹にいた嚘は高2になり、カラコンをしおお排萜を楜しみ女子高生を謳歌しおいる。

    看取っおくれた母は80代になり、少し匱気になっおいる。

    私はどうだろうか。茶々䞞さんに支えおもらった毎日を、ちゃんず送れおいるだろうか。

    あの日、ノロノロず垰っおしたった私。

    もしかしたら、今日、明日が最期かもしれない、ずいう予感めいたものがありながらも
    ノロノロず垰るこずしかできなかった私。

    「ただ、向き合うべきこずから逃げおるんじゃない」茶々䞞さんにそう蚀われおいるような気がした。だから今幎の「ありがずう」は、決意の蚀葉。

    「ごめんね」で逃げるのはもう終わり。これからはちゃんず、逃げずにすすむね、茶々䞞さん。

    Yuki

    #創䜜倧賞2026
    #゚ッセむ郚門

     
     

    Yuki

     
     
    䌚瀟員人生25幎目にしお人事に異動。倧奜きな「人」に携われる幞せな毎日を送っおいたす。関西の䞭心で愛を叫びながら、人の心に明かりを灯せるような人でありたいをモットヌに頑匵っおたす。迷いもたるごず進むチカラに #人事#䌚瀟員#手垳#ノヌト#高ニ嚘小六息子

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