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落ちて、落ちて、また落ちた。

    〜“不正解”だと思っていた私が、助産師になるまで〜


    落ちました。
     
    また、落ちました。
     

    高校最後の年から数えて、私はいったい何度、「不合格」の三文字を見たでしょう。大学の看護学部。滑り止めの専門学校。大学の編入試験。
    ……見事に、ぜんぶ落ちました。
     
    今だから笑って書けますが、当時の私は毎回、
    「ああ、やっぱり私はダメなんだ」と本気で思っていました。
     
    これは、そんな自信ゼロの田舎の女子高生が、何度も転びながら、
    それでも「助産師になる」という夢に、しがみついた話です。
     
    はじめまして、えんどう。と申します。
    今は2人の子どもを育てながら、在宅で働く、一人の母親です。
    以前は、総合病院の産科で助産師をしていました。
     
    「助産師さんなんて、すごいですね」と言っていただくことがあります。
    でも、まずお伝えしておきたいのは、私は特別なすごい人間では決してない、ということ。

    むしろこれから書くのは、かなりの“やらかし”の記録です。
     
    毎日、育児で頭を抱え、洗濯物をたたみながら「私、今日は何をしていたんだろう」とつぶやく日もある。そんな、ごくふつうの母親です。

    “不正解”のラベルを、自分で貼っていた

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    私は東北の雪深い町で、三姉妹の末っ子として生まれました。
    甘えん坊で、家族にもよく可愛がられて育ったと思います。
     
    勉強ができて、しっかりしている長女。人を笑わせるのが得意な次女。
    私はそんな姉たちを、どこかで「女の子としての正解」のように見ていました。
    「そんな姉のそばで妹をやっていれば、なんとなくうまく回っていく」
    そんな環境に、自然と甘えていました。
     
    姉たちは、私にとって、憧れであり、大好きな存在でもありました。
    だからこそ、比べては落ち込む。その繰り返しだったのです。
     
    一方の私は、特別に何かを頑張ったことも、大きく成功したこともない。
    習い事も進路も、姉や周りがそうするから、なんとなく私もそうする。
    自分で選んで、続けて、一生懸命になるという感覚が、どこか自分ごとにならないまま大きくなっていきました。
    (白状すると、当時の私はスーパー面倒くさがりで、ご飯もトイレも一回やればしばらくやらなくていい仕組みにならないかな、と本気で思うくらいでした。)
     
    いつの間にか私は、姉たちを「正解」、自分を「不正解」だと感じるようになっていました。
    誰に言われたわけでもないのに、自分で自分に、そんなラベルを貼っていたのです。
     
    また、何かを相談しても、相手にとって都合が悪いことだと叱られたり、嫌な顔をされたりする。そんな経験に気がとられ、子どもの私は「相談したら、怒られる」と学んでいきます。すると、自分で考えて動くことが、どんどん怖くなる。私の中で、自尊心も自律心も、じゅうぶんに育たないままでした。
     
    子どもというのは、相手に合わせて、振る舞いを変えられるものです。
    周りの人が望む、小さくて可愛いこどもでいなければ——。
    心のどこかで、そんなふうに思っていた気がします。
    だからこそ、相手の望む“正解”を出せないと、私はひどく緊張しました。
     
    「これを言ったら怒られるかな」「これを選んだら、がっかりされるかな」。何かを決めるときも、「私はどうしたいか」より「これを言ったら、どう思われるか」が先に出てくる。いつも相手の望む答えを探していました。
    そうしているうちに、だんだん自分の気持ちが、わからなくなっていきました。
     
    成長すること。自分の意見を持つこと。
    それはどこかで、相手を悲しませることのように感じていました。
    本当は、子どもが大きくなるのは、ごく自然なことなのに。
    当時の私には、そう思えなかったのです。
     
    高校生になっても、私は「なんとなく、そつなくこなす」で過ごしていました。定期テストは一夜漬け。

    本気で何かに打ち込んだ経験もないまま、受験の年を迎えます。姉のように、秋から頑張ればなんとかなるだろう——そのくらいに、たかを括っていたのです。
     
    だから、進路を決める時期に急に「自分のために頑張りなさい」と言われたような気がして、私は軽くパニックになったのを覚えています。自分のために頑張るって、いったい、どうやるんだろう——。

    「大正解です!」――予想通り、また落ちた


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    そんな私にも、夢のようなものはありました。
    「助産師になりたい」という気持ちです。
    理由は単純で、赤ちゃんが好きだったから。
    世の中の仕事をほとんど知らなかった私にとって、「助産師」は数少ない、形のある具体的な職業でもありました。
     
    でも当時の私は、その夢を胸を張って語れるほど、
    自分のものにできていませんでした。
    「助産師になりたい人」という言葉は、夢というより、名札のようなもの。私はこういう人です、と外に見せるための言葉でした。
     
    その曖昧さは、受験にもろに出ました。
    医療系の大学の看護学部は、あっさり不合格。
    滑り止めの看護専門学校の二次試験では、都会の駅で道に迷いました。
    当時のスマホのナビはまだ不正確で、大雨の中、傘も役に立たず、髪も服もびしょ濡れで会場に飛び込む始末。平常心なんて、どこかに置いてきてしまいました。
    志望理由を聞かれて「都会だからです!」のようなことを口走り、面接官もきっと困ったと思います。結果は、もちろん不合格。
     
    「都会はアスファルトだらけで、こわい。やっぱり地元が合ってるんだ」。
    よくわからない理由を自分に言い聞かせて、私は地元に帰りました。
    今思えば、都会が怖かったというより、
    失敗した自分を見るのが怖かっただけなのですが。
     
    そのあと地元の看護専門学校に進み、助産師になる道を探しました。
    編入できても、さらに選抜があり、
    助産の課程に進めずに卒業となることもある。

    それでも、大学生活への憧れを捨てきれなかった私は、
    まず大学編入に挑戦します。

    面接で、こう聞かれます。
    「編入しても、助産師になれるかはわからないけれど、大丈夫ですか?」
    自信がなく、受験理由に対しどこか後ろめたい気持ちがある私は、
    言葉に詰まってしまいました。
     
    みなさん、結果はどうだったと思いますか。……おめでとうございます!!大正解です。
    予想通り、また落ちました。
     
    「また落ちた」——できないことを、自分自身で証明し続けているようで、こわかったのです。
     
    「また」という言葉が、じわりと心にきます。
    挑戦したから落ちる。落ちたから、自信をなくす。自信がないから、次の挑戦が怖くなる。抜け出せないループの中に、私はいました。
     
    頭の中では、いろんな声が聞こえます。
    「えんどう、また学校落ちたんだって」とささやく、誰か。
    そして、ベテラン看護師になった自分が、若い子にこう言っている。
    「私、むかし助産師になりたかったの。産科で、赤ちゃんに関わりたくてね」——。

    ここでやめてしまえば、その未来が、現実になる。その想像が、いちばん私を苦しめました。
     
    いっそ、やめてしまえば楽になれる。でも、まだ受験の機会は残っている。機会があるのに、やめるのか——。私は、うじうじと悩み続けていました。
     
    さらに、白状しなければならない“やらかし”があります。
    ある専門学校のオープンキャンパスで、私は前の席に座りながら、
    こともあろうに居眠りをしてしまったのです。

    しかも、席の後ろで親が、ばっちり見ていました。
     
    帰り道、「こっちが恥ずかしかった」とこっぴどく叱られた私は、
    「もう、あの学校は受けられない」と思い込みます。
    「自分は、とんでもなくだらしない、ダメな人間だ」。
    その言葉に取り憑かれて、他の選択肢を考えることまで、
    やめてしまいました。

    母と、外から学校を見に行った日

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    落ちて、やらかして、次の受験を考えることすら怖くなっていた頃。
    母が、ぽつりと言いました。
     
    「オープンキャンパスはもう終わってるけど、外から、どんな学校か見に行ってみるべ」。
     
    気は進みませんでした。でも、家にいても不安が大きくなるだけ。
    私は母と車に乗り、他県の助産科のある専門学校を、見に行きました。
     
    中には入れません。窓を開けて、外から眺めるだけ。
    病院のすぐ隣に、学校と寮がある。
    駅が近い。コンビニがある。
    学生が、自転車で出てくる。

    母は「もう一個行ってみるか」と、別の学校にも連れて行ってくれました。
     
    病院の紹介が書かれた表示を、車の中からぼんやり眺める。
    「ここは、不妊治療に力を入れている病院なんだ」。
    空港が近いのか、飛行機が低く飛んでいく。
    中心の街からは、少し離れている——。

    ただ外から見ているだけなのに、私はいつの間にか、
    そこに通っている自分を想像していました。

    朝、寮から学校へ向かう自分。
    実習に行く自分。
    知らない土地で、なんとか暮らしている自分。
     
    家に帰ってから、私は寮のこと、実習のこと、
    それぞれの学校の特徴を調べて、比べ始めていました。
    そして、頭の中の言葉が、ひとつだけ変わっていたのです。
     
    「助産師になりたい人」ではなく、「私は、あの学校に通う」。
    まるで、もう決まっているみたいに。
     
    少し照れくさいのですが、これは今思うと、自己暗示のようなものでした。『ワンピース』のルフィは、いつも「海賊王に、おれはなる!」と言い続けますよね。「なりたい」ではなく「なる」。

    そう言い切ってしまうと、まだそうなっていない自分の方が、
    なんだか不自然に思えてくる。
    その小さな違和感が、「じゃあ、動かなきゃ」と、
    背中を押してくれていました。
     
    「助産師になりたい人」という名詞から、
    「あの学校に通う」という動詞へ。

    夢の主語が、やっと「私」になった瞬間でした。
     
    行き先が決まると、人は道順を調べ始めます。

    資料を取り寄せる。
    試験の日程を確認する。
    寮を調べる。

    遠くにあった夢が、少しずつ「今日できること」まで、
    下りてきてくれました。
     
    たとえば、「どこかへ行きたいな」と思っているだけでは、なかなか足は動きません。

    でも、「北海道で、あの海鮮丼を食べる」と決めた途端、どの街へ、どうやって、何時の便で、と急に具体的になる。

    夢も、これと同じだったのです。
     
    あとから思えば、このとき私の中で、

    「赤ちゃんに関わる仕事がしたい」という“目的”と、
    「そのために、あの学校に通う」という“手段”が、

    初めて一本の線でつながったのだと思います。

    はじめてのおつかい、大人版

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    目標が具体的になった頃、私は受験対策の冬季講習に申し込みました。
    他県で一週間おこなわれる、泊まりがけのゼミです。
     
    今なら「講習に行っただけ」の話ですが、
    当時の私にとっては、それはもう大冒険でした。

    生まれてからずっと地元を離れたことがなく、電車は1時間に1本、ようやくSuicaが使えるようになったくらいの、のんびりした土地で育ったのです。
     
    一人で他県へ行き、一週間ホテルに泊まり、知らない駅で乗り換える。

    文字にすると簡単そうですが、
    当時の私からすれば、もはや「はじめてのおつかい」の大人版。
    しかも当時のスマホはナビも不正確で、東口と西口の違いだけで、
    普通に詰みます。

    まずホテルにたどり着けるのか——受験勉強以前の問題でした。
     
    地元の駅は、ホームがふたつしかありません。
    それが一歩外に出れば、ホームはいくつもあり、改札は東西南北にあって、地下には電車とは別の“地下鉄”なるものが走っている。

    田舎の看護学生えんどう、完全に処理能力を超えていました。
     
    出発の朝まで、私は不安で、何度もかばんの中を確認しました。
    ちゃんと着けるだろうか。会場を、間違えないだろうか。
    眠れない夜を越えて、震える足で、電車に乗り込みました。
     
    心細さのあまり半泣きで駅に立っていた私に声をかけてくれたのは、
    同じホテルに泊まる、同じゼミの子でした。
    地図を見比べながら、二人でなんとかホテルにたどり着いたときの安堵を、今でも覚えています。
     
    講習会場には、積極的に質問する人、垢抜けて自信ありげな人、細やかにメモをとる人・・数百人はいました。
    各学校の募集はたったの20人弱。

    「この中で受かるのは、ほんの一部なんだ」と、
    また胸がぎゅっとなりました。
     
    部活の大会で、他校の生徒がやたら強そうに見える、あの現象。
    まさに、あれです。
    みんな、私より頭がよく見えて、私より堂々として見えました。
     
    それでも、休憩時間に隣の子と交わした「緊張するね」のひと言や、
    参考書に引かれた同じ色のマーカーに、なぜか少しだけ、ほっとしました。みんな、同じように不安なんだ、と。
     
    慣れないホテルの机で、夜遅くまで参考書を開く。
    うまく解けない問題に、何度もため息をつく。
    ホテルの人に掃除をする時間も与えずに部屋に居続ける。
    それでも朝になれば、また会場へ向かう。

    その一週間を、私は最後までやり抜きました。
     
    たくさんの人に圧倒されたその冬季講習は、
    私の自信を削るだけの場所にはなりませんでした。

    むしろ、小さな成功体験をくれたのです。
     
    「え、どこが成功?」と思うかもしれません。

    まだ、合格すらしていないのに。

    でも——自分で調べて、講習を見つけた。
    親にお願いして、行くと決めた。
    知らない土地へ向かい、ホテルにたどり着き、
    知らない人たちの中で勉強して、一週間を、なんとか過ごした。
     
    ひとつひとつは小さくても、当時の私には、どれも
    「こんな私にも、できた」と思える出来事であり、小さな衝撃でした。

    だらしない私を呆れずに車で連れ出してくれた両親の存在も、
    「私は、大切にされていいんだ」という感覚を、そっと分けてくれました。
     
    自尊心って、他人と比べて上とか下とかではなく、
    「自分は、大切な存在だ」と信じられる感覚なのだと思います。

    あの頃の私には、それがほとんどありませんでした。
    自尊心の低空飛行で地面に顔を擦っているくらいのレベルです。

    だからこそ、この小さな“できた”の積み重ねが、
    じわじわと効いてきたのです。

    やる気が出たから動けるのではなく、
    少し動いて、小さな成功が生まれるから、やる気があとからついてくる。
    順番は、きっとこちらでした。
     
    だから私は、どんなに小さくても、自分が動けた瞬間を、意識して数えるようにしました。
    「今日は、乗り換えができた」「わからないことを、質問できた」。
    笑ってしまうくらい、小さな一歩を。
     
    確固たる自信なんて、まだありません。
    それでも、
    「苦しいけれど、不安と闘いながら、小さな一歩を信じて進んでいる。この状態は、間違っていないんじゃないか」。
    そう思えたことが、私にとって、とても大きな変化でした。
    だって、苦しいのは——不安に飲み込まれずに、耐えている証拠なのだから。
     
    それでも不安は、消えませんでした。
    「また落ちたら」「ここまでやってダメだったら、私は本当にダメな人間なんじゃないか」。そんな声は、何度も何度も聞こえてきます。
     
    でも、後になって知ったのです。
    人は、変化を前にすると足がすくむようにできている、と。
    今いる場所がどれだけ苦しくても、慣れた場所には安心がある。
    それは「現状維持バイアス」と呼ばれる、
    誰の中にもある心の働きなのだそうです。
    それを知って、私は少しだけ、ホッとしました。
    ああ、私だけが特別に弱いわけじゃ、なかったんだ、と。
     
    だから、もし不安で「やめておこう」と感じても、
    どうか自分を責めないでほしいのです。
    それは弱さではなく、脳がそういうふうにできているだけ。
    猫が猫じゃらしに、つい飛びついてしまうように。

    それに、夢を宣言している人を思い浮かべてみてください。
    ルフィは下を向いて
    「……おれは、海賊王になりたい。なれるかは、わからないけど」とは、
    言いませんよね。

    だから私も、下を向きそうになるたび、心の中でこっそり唱えたのです。
    私は、あの学校に通う、と。

    産科が、ない

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    冬季講習と、看護師国家試験の勉強を並行させながら、
    私はいよいよ、助産科のある専門学校を2つ、続けて受けました。

    1つ目が終わったら、その足で車で移動し、翌日は別の県でもう1つ。
    我ながら、なかなかのハードスケジュールでした。
     
    そして、ここでまた、名物「やらかし」が発動します。
    面接で志望理由を聞かれ、
    「学校の隣に病院が併設されていて、実習環境も整っていて……」と、
    自信ありげに答えたときのこと。

    面接官の方が、少し申し訳なさそうに言ったのです。
     
    「ごめんなさいね。隣にあるうちの病院、産科がないの」。
     
    ……終わった。

    頭が真っ白になりながらも、私は
    「調べが足りませんでした。でも、他にもこういう理由で、ぜひ入学したいんです」と、なんとか言い切って、逃げるように帰ってきました。
    何を言って取り繕ったのかは、もう覚えていません。
     
    完璧にやり切ったとは、到底思えませんでした。
    それでも、ひとつだけ。
    「大学編入で落ちたとき、受験をやめていなくて、本当によかった」。
    そのことだけは、静かに、私を支えてくれました。
     
    帰りの車の中で、私はぼんやりと窓の外を眺めていました。
    受かる自信なんて、まるでない。でも、やれることは、やった。

    その感覚だけが、妙に静かに、胸に残っていました。
     
    結果は——2校とも、合格。
    生まれて初めてと言っていいほど、
    「ちゃんと結果として言える成功体験」でした。
     
    今でも、覚えています。
    合格通知を手にしたとき、飛び上がって喜んだ、というより、
    へなへなと力が抜けたことを。
    「あぁ、やっと。やっと、たどり着いた」と。

    落ち続けた日々は、失敗じゃなかった

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    でも今振り返ると、合格そのものよりも大きかったのは、
    そこへたどり着くまでの、プロセスで得たものでした。

    たとえ落ちていたとしても、受験を最後までやり切ったこと。
    国家試験の勉強と並行して、頑張り抜いたこと。
    それが、初めて自分で自分を「よくやったね」と思える、
    きっかけをくれたのです。
     
    不思議なもので、続けてみると、途中の失敗は「失敗」ではなく、
    「途中経過」に変わっていました。
    過去の出来事を、あとから新しい枠で捉え直すことを、
    心理学では「リフレーミング」と呼ぶそうです。
     
    途中でやめていたら、あの一つひとつは、ぜんぶ「失敗」という言葉で
    片づけられていたかもしれません。

    でも、最後まで続けてみたら、それは「失敗」ではなく
    「途中経過」に変わっていた。
    同じ出来事なのに、意味づけひとつで、こんなにも姿を変えるのです。
     
    「あのとき、オープンキャンパスで居眠りしちゃったのも、私がだらしないからじゃない。ただ、疲れていただけ。きっと、あの学校とは縁がなかっただけ」。

    そんなふうに、過去の意味づけまで、少しずつ変わっていきました。
     
    落ちて、落ちて、また落ちた、あの日々。


    当時は「不合格」の三文字にしか見えなかったそれは、
    今の私にとっては、ちゃんと意味のある一歩ずつでした。
     
    あの頃、「不正解」の烙印だと思っていたものは、いつのまにか、
    今の私を形づくる、大切なピースになっていました。
     
    夢を叶える前に、私に必要だったのは、
    特別な才能でも、強い意志でもありませんでした。
    必要だったのは、ずっと“不正解”だと思い込んでいた自分を、
    小さな「できた」を数えながら、少しずつ信じてあげることだったのです。
     
    あれから十数年。
    私は助産師になり、母になり、また新しい場所で、働き始めています。

    人生は、あの頃思っていたより、ずっと何度でも、やり直せるものでした。でも、その一歩目は、いつも同じ。
    「不正解の私」を、ほんの少しだけ信じてみることから、始まるのです。
     
    いま、この文章を読んでくれているあなたも、
    きっと、絶対にじゅうぶんに尊い存在です。

    ただ、それに気づくには、誰かの言葉だけでなく、
    自分自身で小さな「できた」を数えて、
    認めてあげることが必要なのだと思います。
     
    もし今、
    うまくいかなくて動けなくなっている人がいたら、伝えたいのです。

    それはきっと、あなたの意志が弱いからじゃない。
    まだ、自分を信じる練習を、始めたばかりなだけ。
     
    だから、もし今、あなたが何かの前で立ちすくんでいても、
    どうか焦らないでください。
    動けない日も、迷ってばかりの日も、ちゃんと“途中経過”です。
    かつての私が、そうだったように。
     
    大丈夫。

    “不正解”だと思っていた私でも、何度も転びながら、ちゃんと、
    なりたかった自分に、たどり着けたのだから。

    ※文中「海賊王におれはなる」は尾田栄一郎『ONE PIECE』より。「現状維持バイアス」「リフレーミング」は心理学の用語を参考にしています。

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    元助産師|2児の母|産科で7年勤務|夫の転勤を機に退職。 今は在宅でライターやバックオフィスとして活動しています。 ご依頼は、メッセージでお受けしております。 「自信がなくても、一歩は踏み出せる」。 動けない日も迷う日もある私が、 ぼちぼち自分を取り戻していく記録です。

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