
【エッセイ】桜の木の下には◼️◼️がいる。
春も終わり、桜の散り果てた頃に、桜にまつわる怖い思い出話をひとつ。
昔、我が家の庭には大きな桜の木がありました。前の住人が植えた立派な桜。
ダイニングからご飯を食べつつお花見ができていいね、なんて家族で楽しんでいました。
春の間は。
ある時から、おかしなことが起き始めました。
洗濯物に毛虫がついているのです。
黒い体に黄色いライン、小指の爪ほどの大きさの毛虫が、取り込んだタオルやズボンに不意をついて“いる”。
膝の上で畳んだタオルを表に返したとき、視界に黒が入った瞬間ぎゃっと声を上げてタオルを投げ出す私。母によりすみやかに庭にリリースされる毛虫。
お風呂上がりに履こうとした下着からぽとんと足の上に毛虫が落ちてきたときは理解するより先に絶叫しました。
しかも一度や二度では終わらない。
何日経っても洗濯物のどれかには毛虫がついている。
私はすっかりトラウマになり、取り込む時も畳む前もぐるぐる360度確かめてからでないと触ることができなくなりました。毛虫ノイローゼ。
これは絶対におかしいぞ、と外に出てみて、干場の斜め前に立つ桜の木が目に入った。
いや、まさかね。
だって一匹や二匹じゃないんだもの。
その全部が、この木から来たはずはない。そんなわけない。
もしそうならこの木にはいったい何匹の……。
そんな日々が続いたある夜、庭に立っていました。風の心地よい、春らしい夜でした。
しゃりしゃりしゃりしゃり……
闇の中で音がしました。
しゃりしゃりしゃりしゃり……
何の音かわかりませんでした。木々のさざめき? 風もないのに。あるいは虫の声?
音は案外近いところから響いてくるようでした。
ああ、目の前には桜の木が……。
今でも「そう」であってほしくないと思います。
あれが無数の毛虫が一斉に桜の葉を食む音だったなんて。音となって耳に届くほどの、無数の。しゃりしゃりしゃりしゃり……
もうこれを放置することはできない。
家族の総意、特に私の強い要請で、毛虫を駆逐することにしました。
これまでは私の地獄だった。今日限り、ここをお前たちの地獄とする。
あれこれ方法は考えられたのですが、一番シンプルな手段として殺虫剤を塗布しました。ありったけ。ひとつひとつの姿はよく見えないから、とにかく満遍なく。
これで解決してくれ、終わらせてくれと祈るような気持ちでいたその夕方。
ふとダイニングから窓の外を見て、立ち尽くしました。
桜の木から、小さな塊がいくつもいくつも、糸に吊られてぶら下がっている──。
その一つ一つが毛虫なのです。枝という枝から垂れ下がる毛虫毛虫毛虫。
毛虫は攻撃されると糸を引いて木から降りようとするようです。勉強になりましたね。ぎゃあ。
ゾッと全身が粟立つような、悪夢としか言えない光景でした。
桜の木には毛虫が湧くのです。
それも、咲き終わりの頃になると、それがぼたぼた落ちてくるのです。
桜の木の下に埋まっている死体より、上から降ってくる毛虫の方が1000倍恐ろしい。
それからというもの、洗濯物に毛虫がつくことはパタリとなくなりました。
しかしそこから先の一生、私は安らいで桜の木の下に立つことができなくなったのでした。
おしまい。