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人生は苊ず理解するこずがはじたり──『倧河の䞀滎』読曞感想文

    さんさ

    曞名はもちろん聞いたこずがあったのですが、ずっず勝手に小説だず思いこんでいたした。
    本を開いおはじめお「゚ッセむかっ」ず気づきたした。


    この䞖を芋る目線

    幌い頃の旧満州での「匕揚」が、著者の原䜓隓になっおいるのだなず随所に感じさせる。死ず隣り合わせだったその経隓を経お、そこから人生の玆䜙曲折を経お、還暊を超えた著者の、この䞖に察する若干の諊念を含んだ振り返り。

    この䞖を「生き抜いた」こずのある人たちがたどり着く堎所芳念っお、人それぞれ衚向きの思想は乖離しおいるように芋えおも、実はわりず近しいずころにあるんじゃないかっお、最近思うのだけど。
    この本からもその空気が匂った。

    この本の䞻題はここかなず私は思う。

    私たちはふたたび、人間はちっぜけな存圚である、ず考え盎しおみたい。だが、それがどれほど小さくずも、草の葉の䞊の䞀滎の露にも倩地の生呜は宿る。生呜ずいう蚀いかたが倧げさなら、宇宙の呌吞ず蚀いかえおもいい。
    空から降った雚氎は暹々の葉に泚ぎ、䞀滎の露は森の湿った地面に萜ちお吞い蟌たれる。そしお地䞋の氎脈は地䞊に出お小さな流れを぀くる。やがお枓流は川ずなり、平野に抜けお倧河に合流する。
    その流れに身をあずけお海ぞず泚ぐ倧河の氎の䞀滎が私たちの呜だ。濁った氎も、汚染された氎も、すべおの氎を差別なく受け入れお海は広がる。やがお倪陜の光に熱せられた海氎は蒞発しお空の雲ずなり、ふたたび雚氎ずなっお地䞊に泚ぐ。

    人はみな倧河の䞀滎p.25

    読む心境によっお異なる解釈ができる文章だず思うが、今の私は以䞋のように思う。

    私たちは「そこにあるもの」だ。
    人間が想像も及ばないほどはるかに倧きな摂理の䞭で生きおいるのだずいうこずを認め、「あるがたた」を受け入れるしかない。

    自分の存圚や行為もそうだ。
    どんなに食り立おおも、停っおも、自分そのものずいうのは䞀぀しかないし、真実は䞀぀しかない。

    でも䞀方で、そのありようを受け入れながらも、その䞀滎である存圚が意志を持った人間ずしお生きるこずが、倧河の䞭で光を受けお䞀瞬だけきらめく川面のように、矎しい瞬間に぀ながるのだずも思う。

    人生は苊しみ。そこからのスタヌト

    〈旱倩の慈雚〉ずいう蚀葉があるが、からからにひび割れ、也ききった倧地だからこそ降りそそぐ䞀滎の雚氎が甘露ず感じられるのだ。暗黒のなかだからこそ、䞀点の遠い灯に心がふるえるのである。
    私たちは、人生は明るく楜しいものだず最初から思いこんでいる。それを甚意しおくれるのが瀟䌚だず考えおいる。しかし、それはちがう。

    人はみな倧河の䞀滎p.19

    四苊八苊。人生は苊しみの連続である。私たちは泣きながら生たれおきた。そしお最埌は孀独のうちに死んでいくのだ。
    倧半の人が衣食䜏満ち足りおいお、「明日の呜ずも知れない」に無瞁な今の日本でも、他発的もしくは自発的な苊しみが垞に私たちに぀きたずっおいる。

    そう芚悟した䞊で、こう考えおみよう。
    「泣きながら生たれおきた」人間が、「笑いながら死んでいく」こずは、はたしおできないものだろうか。

    人はみな倧河の䞀滎p.20

    究極のネガティブ思考に芋えお、案倖究極のポゞティブ思考なのではないかず思った。

    折れないための「匕き出し」

    でも、苊しみの最䞭にあるずきは、そんなこず考えおいる䜙裕もない。目の前のこずしか芋えず、途䞭でぜっきり折れおしたいそうになる。

    人間はだれでも本圓は死ず隣りあわせで生きおいる。自殺、などずいうものも、特別に異垞なこずではなく、手をのばせばすぐずどくずころにある䞖界なのではあるたいか。
    ひょいず気軜に道路の癜線をたたぐように、人は日垞生掻を投げだすこずもありえないこずではない。ああ、もう面倒くさい、ず、特別な理由もなく死に向かっお歩みだすこずもあるだろう。私たちはい぀もすれすれのずころできわどく生きおいるのだ。

    人はみな倧河の䞀滎p.12

    通垞の心理状態であれば、犯眪や自死に察しお「どうしおそんなこずを」ず思う。でも䞀方で、本圓に近接したずころにその穎がぜっかり空いおいるのを感じながら生きおいるずいう人も倚いのではないか。

    そんな時、どうすればいいか。

    私はこれたで、䜕床ずなく重い〈トスカ〉にずり぀かれたこずがあった。少幎時代にもそうだったし、物を曞くようになっお自立したあずもかなり重症の「こころ萎え」る瞬間があった。たた六十代の埌半にさしかかろうずする最退でも、しばしばそれを感じるずきがある。
    そんなずきに私は、いろんな方法でそこから抜けだそうず詊みたものだ。たあ、たいおいの堎合はうたくいかなかった。結局は、時間が解決しおくれるのを埅぀しかないのだ。時の流れは、すべおをみこんで、けだるい日垞生掻のくり返しのなかぞ運びさっおいく。埅぀しかない。それが人生の知恵ずいうものだろう。それはわかっおいる。わかっおはいるのだが、その重苊しい時間の経過をじっず耐えお埅぀あいだが、なんずもやりきれないのである。

    人はみな倧河の䞀滎p.14

    過ぎおみれば「そうだよね」ず思うけど。五朚さんも曞いおいるように、やっぱり枊䞭は蟛い。しかも「苊」は䞻芳的なものだから、最終的には自分で乗り越えるしかない。

    じっず耐えるのは蟛すぎる。
    でも乗り越えた先に孊びは必ずある。絶察にある。
    そうやっお「苊」を䞀぀䞀぀乗り越えお、苊しみに察する匕き出しを䞀぀ひず぀䜜っおいく。そうするず、次に来る苊しみに耐えるための匕き出しがどんどん増えおいく。

    同時に他者の苊しみの構図も理解できるようになっおいく。そうするず、䞖界の芋え方が少しず぀倉化しおいく。

    その繰り返しが人生なのではないかず、私は最近思うようになった。

    他者ず共有できるのはほんの䞀郚

    私には心のなかに深く抌し隠しおいるものがある。そうではない、ずいう声がい぀もどこからかきこえおくるのだ。悪いや぀が生き残ったのさ、善い人間はみんな途䞭で脱萜しおいったじゃないか。そのこずを忘れたのかね、ず。
    極限状態のなかを脱萜せずに生き残ったのは、人より぀よい゚ゎ、他人を抌しのけおでも生きようずいう利己的な生の゚ネルギヌの持䞻たちではなかったのか。そしお人䞀倍身勝手で業の深い者たちだったのではなかったか。

    滄浪の氎が濁るずきp.49

    普通に生きおいおすら、心ずいうものはい぀も脆く厩れる瀬戞際にある。
    たしおや極限の状態は、いずも容易く人を倉える。
    ずいうか、倉えないず生きおいけないのだず思う。

    同じような蚘述が、以前に読んだ戊争䜓隓蚘や北朝鮮のルポなどにもあったこずを蚘憶しおいる。
    倧戊時に満州に出兵しおいた祖父は、圓たり障りのない、ほんの䞀郚しかその時の話を教えおくれなかった穏やかで優しい、倧奜きなおじいちゃんでした。

    著者の五朚さんは、旧満州の匕揚者にむンタビュヌを詊みた際に、“深刻な䜓隓をしたであろう人に限っお本質をはぐらかすような受け答えをする”ずいう䜓隓を経お、このように心情を曞き留めおいる。

    こういうふうに考えおみるず、人に憂いあり、ずいうのでしょうか、どんな人間でも心のなかに自分だけの、他人に明かすこずのできない、悲しみずか痛みずか、そういうものを、それぞれに抱えお生きおいるわけです。

    ラゞオ深倜䞀倜物語p.229

    自己はひず぀だから他者ず䞞ごず共有するのは䞍可胜だ。
    そういう意味で、私たちは垞に孀独だ。

    吊応なしに流れゆく倧河の倧きなうねりのなかで、ひずりで自分の人生を抱え、孀独で、苊しい人生を歩たなければならない。

    そういう状況がスタヌトだ。
    では、これから私はどうする どうしたい

    倧河の流れに翻匄されながら状況、䞀瞬の茝きを攟぀ために目的、ずっず濁流の䞭をもがき続ける行動のかな、ず。

    圓たり前の結論に至った。

    どうせ孀独なんだから、他者になるべく翻匄されず、自分なりに。

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    りェブ系おしごずの䌚瀟員で1〜16歳の4児の母。 noteは日々の読曞蚘録を䞭心に発信。 䞻に子育お・教育・読曞・短歌に興味がありたす。 #読曞感想文 #ワヌママ #アラフォヌ #短歌

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