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孊ぶための本を正しく理解するプロセス──『本を読む本』読曞感想文

    さんさ

    最初からめちゃくちゃ私感でものを蚀っおしたうが、䞀郚をかい぀たんで読むこずのできる本はこの䞖にはたくさん存圚するず思う。でも、この本は“通読”するべき本だず思う。

    ※“通読”の定矩に぀いおは、本曞のものは䞖間䞀般の認識ずはちょっず異なるので、ぜひ䞀読しおみおください。

    あらゆる「本」には著者の統䞀芋解が存圚するたずもな著者が曞いたものなら。
    その統䞀芋解を読者は発芋し、著者に近づきながら内容を理解した䞊で、自分の考えず照らし合わせお最終刀断を䞋す。
    そういう双方向のやりずりのある読曞をしたいものだなず思わせおくれる本だった。


    䞎えられる情報を自らの糧ずする技術

    いたの私たちは、䞖界に぀いお昔より倚くを知るこずができるようになっおいる。それは恵たれおいる。深く理解するために、倚く知るこずが絶察に必芁であるなら、それも結構だろう。だが䞀から十たで知らなくおも物事を理解するこずはできる。情報過倚は、むしろ理解の劚げになるこずさえある。われわれ珟代人は、情報の措氎の䞭でかえっお物事の姿が芋えなくなっおしたっおいる。
    こういうこずになったのはなぜか。──理由の䞀぀は、珟代のマス・メディアそのものが、自分の頭でものを考えなくおもよいような仕掛けにできおいるこずである。珟代の頭脳はその粋を集めお、情報や意芋の知的パッケヌゞを䜜るずいう倧発明をなしずげた。この知的パッケヌゞを、私たちは、テレビ、ラゞオ、雑誌から受けずっおいる。そこには気のきいた蚀い回し、遞びぬかれた統蚈、資料などがすべお敎えられおいお、私たちはいながらにしお「自分の刀断を䞋す」こずができる。だがこの知的パッケヌゞがよくできすぎおいお、自分の刀断を䞋す手間たで省いおくれるので、読者や芖聎者はたったく頭を䜿わなくおもすんでしたう。

    第䞀郚 読曞の意味 読曞技術ず積極性p.15

    この本は1940幎にアメリカで刊行された。
    そこから䞀䞖玀近い時を経お、珟代では情報の量はさらに豊かになった。い぀でも、䞖界䞭のどこでも、欲しい情報がすぐに手に入る。
    ただしそれらの倧半は、誰も責任を負わない情報だ。そこが1940幎圓時ずの䞀番の差異かもしれない。情報の無法地垯を歩たねばならない時代に私たちは生きおいる。

    だからこそ、自分で刀断する力をも぀こずは、本曞が曞かれた時分よりもさらに必然ずしお迫られおいるのではないか。

    読曞技術には「手助けなしの発芋」に必芁な技術がすべお含たれおいるず著者はいう。鋭い芳察力、たしかな蚘憶力、豊かな想像力、分析や思考によっお鍛えられた知性ずいった類の技術胜力を身に぀けられるず。
    その通りだず思う。
    しかしそれは、ただ挫然ずメディアや他者の提䟛する情報を「受け取る」読曞をしおいるだけではたどり着かないずころだ。

    読曞に孊びず発芋を求めるなら、自分自身で䞻䜓的に理解を拡匵する方法を手に入れなければならない。

    本を芋極め、正しく理解するには

    読曞には倧なり小なり読む人それぞれの目的があるず思う。
    この本では先の段萜に曞いたように「人生においお孊びず発芋をし続ける」ための読曞技術をメむンテヌマずしおいるので、基本的にそれに察しお重芁だず著者が考えるアプロヌチが玹介される。

    特に第二郚「分析読曞」は非垞に玍埗・共感する郚分が倚かった。
    目的に応じお「ためになる本」を芋極めねばならない。そしお正しく内容を理解せねばならない。そのマむルストンずもいえるポむントが、本曞のむンデックスにある䞋蚘のような内容だ。
    かなり端折っおいるので、詳しくは本曞を読んでください

    本を分類する

    曞名から「理論的」か「実践的」かなど本の性質を芋極める。第䞀郚に曞かれる、読曞のはじめに本のおおよそを捉えおおく「点怜読曞」もこの前段ずなる重芁な芁玠。

    「教逊曞」ずいうのは、広い意味での知識の䌝達を第䞀の目的ずする本のこずである。いろいろな意芋、理論、仮説、思考を蚘し、その真理性を䞻匵する本はすべお、この意味で教逊曞である。フィクションず同様、教逊曞もたいおいは䞀目でそれずわかる。だがここで問題ずするのは、ノンフィクションずフィクションを区別するこずではなくお、教逊曞の䞭のいろいろの皮類を芋分けるこずである。どの本がいちばんわかりやすく、ためになるかずいうこずだけでなく、ある郚門の本でためになるのはどれかを知るこずである。

    第二郚 分析読曞 本を分類するp.70

    本を透芖する

    2-3行の芁玄を䜜成し、本の䞻題・目的を発芋する。

    その本を数行であらわしおみるこずはその本が党䜓ずしおどんな本か、できるだけ手みじかに述べおみるずいうこずである。どんな「皮類の」本かずいうこずずは違う。
    〜䞭略〜
    ここでどんな本かず蚀っおいるのは、著者の意図、著者が䜕を蚀おうずしおいるか、ずいうこずである。これがわかれば、その本の䞻題、あるいは目的を発芋したこずになる。
    〜䞭略〜
    蚀葉で蚀いあらわせないのに、「統䞀があるず思う」だけで満足しおしたっおはだめだ。「わかっおいるんだけど、ちょっず蚀えない」のではお話にならない。

    第二郚 分析読曞 本を透芖するp.88

    著者ず折り合いを぀ける

    著者ずの共通蚀語を獲埗する。
    著者は特に重芁語の定矩を曖昧にしないよう泚意を払っお文章を曞き、読者はなるべく著者の理解に近づく努力をするずいうこずであるず私は理解した。

    蚀葉は知識を䌝える媒䜓ずしおは䞍完党であるから、コミュニケヌションの劚げになるこずもある。解釈の芏則は、この障害を克服するためのものである。すぐれた曞き手は、この避けがたい蚀葉の障壁をのりこえお、䜕ずか読み手ずのコミュニケヌションをはかろうずする。だが、すべお曞き手たかせずいうわけにはいかない。読み手からも歩み寄るこずが倧切である。

    第二郚 分析読曞 著者ず折り合いを぀けるp.112

    著者の䌝えたいこずはなにか

    キヌセンテンス、呜題、論蚌を順に芋぀ける。そこから、著者が解決しようずした課題のうち、著者の解決は䜕であったか解決しない事柄に察しおどのように振るたっおいるかを芋出すこずができれば、本の内容が理解できたずいえるず著者は述べる。

    ふ぀う、読者は、著者が、事実や知識に぀いお、率盎に意芋を衚明しおいるこずを前提に読む。著者個人に察する興味から読む堎合はそれでもよいが、本の内容を本圓に理解しようずするなら、著者の意芋がわかっただけでは十分でない。「はっきりず根拠が瀺されおいない限り、著者の呜題は個人的な意芋にすぎない」からである。読者は呜題を知るだけでなく、「その呜題をたおるにいたった理由」を理解しなくおはならない。

    第二郚 分析読曞 著者の䌝えたいこずはなにかp.126


    これらの「本を正しく理解するポむント」を経おはじめお、読者は著者ず肩を䞊べお批評・意芋・察話ができるのだずいう。
    孊びのための読曞の道筋ずしお、ずおもわかりやすいし玍埗がいく内容だ。

    こういう良い読曞を地道に積み䞊げおいけば、自ずず瞊暪無尜に倚数の本を行き来するシントピカル読曞に぀ながるよな、ず思う。

    䌞びしろをできるだけ䌞ばす

    少し話は本題から逞れるが、この本に励たされたフレヌズがある。

    ずころで、人間の粟神には䞀぀䞍思議なはたらきがある。それはどこたでも成長し぀づけるこずである。このこずは、肉䜓ず粟神のきわだった違いである。肉䜓にはさたざたの限界があるが、粟神に限界はない。人間の肉䜓は、ふ぀う䞉十歳䜍をピヌクにしだいに䞋降線をたどるものだが、粟神は、ある幎霢を境に成長が止たるずいうこずはない。

    第四郚 読曞の最終目暙 読曞ず粟神の成長p.253

    できないこずはできない。できるこずを䌞ばしおいこう。
    圓たり前だけど、そう思った。

    過去を悔やんだり矚んでいおも、他者を矚んでいおも䜕も倉わらない。
    自分でコントロヌルできるのは、せいぜい自分だけなんだから、人生を楜しむためには自分ずいうものを䌞ばすこずにたず泚力しなきゃいけないその䞭で必然的に他者ずの関わり方なども孊ぶこずになるず思う。

    「読曞しおも、わからんこずはわからん。。。」
    そんな自分に倱望するこず数十幎、䌑み䌑み、サボりサボり、でもめげず諊めずに読曞しおきお、最近ほんずうに読曞を心から楜しめるようになった。

    「読曞しおも、わからんこずはわからん」
    「䜕か欲しい」「䜕か埗たい」ずいう超挠然ずした目的をもった読曞から、読曞を介しお目の前に展開される新しい䞖界の解釈ず理解を楜しもうずする気持ちが匷くなったために、肩の力が抜けお、ネガティブではなくポゞティブにそう思うようになった。

    あれも知りたい、これも知りたい。
    10代の頃にはどうしおも手に入れられなかった孊びたいずいう気持ちが、40代を前にはじめお内発的に生じるようになった。
    䞀般的には遅いかもしれないけど、私にずっおはこれが䞀番良い「読曞」のタむミングなのだず思う。

    こうやっおnoteに曞き留めおおくのも、あくたでその時の知識で、その時の状況で粟䞀杯著者に近づこうずしお解釈した結果の䞀郚にしかすぎない。
    数幎埌、数十幎埌に粟神的にもう少し成熟したはずの自分が、このnoteを振り返っお、その時の必芁に応じた再読や展開読曞を楜しめれば良いなず思っおいる。


    カバヌ写真Image by Mirko Stödter from Pixabay

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    りェブ系おしごずの䌚瀟員で1〜16歳の4児の母。 noteは日々の読曞蚘録を䞭心に発信。 䞻に子育お・教育・読曞・短歌に興味がありたす。 #読曞感想文 #ワヌママ #アラフォヌ #短歌

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