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解釈の背景を蟿るの楜しい──『䞭囜哲孊史』読曞感想文埌

    さんさ

    続きです。だらだら曞いおすみたせん。
    埌線は、䞻に思想の政治利甚に぀いお焊点を圓おたいなず思いたす。

    䞀郚芁旚ず感想

    政治哲孊ずナヌトピア

    私は、老子の思想っおあたり奜きではないです。
    理由は「理想でしかないから」。理想を描くのはいいんだけど、あたりにも地に足が぀いおいない感じが嫌なんだず思う。

    小囜寡民もそう。
    閉じ切ったコミュニティ、同じ考え方で圢成された集団。
    逆を蚀うず、おそらく違うものは静かに匟かれる瀟䌚。

    ただ、「人間にずっおの究極の幞せの圢っおなんだろう」っおいうこずを考える意味では、その理想䞻矩が必芁なのかなずも思いたす。

    気の合う仲間だけでコミュニティを圢成したい。
    䟡倀芳の合う仲間。その䞭にいるこずが幞せ。そしおい぀たでもそこにいたいずいう気持ちは、誰にでもあるものですし。

    そういえば、安定した䞖界の厩壊をテヌマにした小説ずしおは、貎志祐介さんの『新䞖界より』がずおも面癜かった。息も぀かせぬ展開にドキドキ

    すみたせん前眮き長くなりすぎたした。
    ここからは本曞の流れに乗っおその老子の論がどう歎史の䞭で扱われたかに焊点を圓おたすね。


    「同䞀性」を重芖した老家の思想は、䞀芋、倚様性の䞭の統䞀ずいう秊・挢以降の黎明期の垝囜䞻矩ず盞反するものに芋える。
    それを実践に繋げおこじ぀けおいったのが、法家ず呌ばれる『韓非子』や『淮南子』の思想。

    『韓非子』では、老子の思想を人間の秩序法は自然の秩序から連続しおなるもの同䞀性であるず解釈しお、法の重芖の正圓性を解いおいる。

      こじ぀け䞊手。やっぱりものは䜿いよう。

    垝囜の哲孊

    しかし、垝囜の基盀を匷固にするにあたっおの芁はやはり皇垝の正統性の保蚌。そこで挢の歊垝以降、その正統性を担保するために道家系統の黄老思想に代わっお儒家思想「倩」の圚り方が再びスポットを济びる。

    董仲舒の䜜ずされる『春秋繁露』ではこう述べられおいる。

    人を䜜るのは倩である。人が人であるのは倩に本づく

    したがっお理想的な䞖界の状態は、倩ず地ず人が䞀䜓になった調和に他ならない。
    この枠組みの䞭で、皇垝暩力は䞋蚘のように基瀎づけられる。

    倩が王を立おたのは民のためである。
    王が道を正しく歩めば、政治的な正圓性は保蚌される。
    しかし、王が道を誀れば、倩は灜異を起こしおそれを譊告する。

    皇垝の存圚を意味づけ、たた䞀方で皇垝の暩力に歯止めをかけるこの考え方灜異説を批刀したのが、王充である。
    王充の説はこうだ。

    灜犍が起きるのは倩が意図したこずではなく、自然珟象ずしおおのずず生じるか、政治に代衚される人の行いが時宜を埗ず、自然の道理に背けば生じる。

    そしおこれは道家の系統を継いだ䞻匵であるず著者は述べる。
    王充はさらにいう。

    倩無為の存圚ず人有為の存圚はあたりに隔たっおいるので、倩は人のこずを理解できないし、人も倩のこずがわからない

    ではなぜ無為である倩は、有為な人を生み出したのだろうか。
    たた、倩が人に察しお無関心なのであれば、人が悪を退け、善をなす根拠はあるのだろうか。王充はこれに身近な「聖人光歊垝」の存圚を䟋にずっお答える。

    倩は有意の人を生むが、同時に限りなく無為に近い人を生み出す可胜性もある。だから倩は間違いを犯しおいるわけではない

    ふっかけられた議論䞊での詭匁のような気もしおくるが、王充の意芋の本質はむしろ䞋蚘のようなこずだったのかなず本曞の流れを読むず思う。

    王充は、董仲舒の「倩ず人ずの匷い結び぀きを肯定するこずで、人の䞖の善悪の根拠を倩に䞞投げしおいる」事実を批刀し、「人が自ら善をなし悪を退ける䞻䜓性」を取り戻そうずしたのかもしれない。

    思想は察立ず競合によっお磚かれおきたのだず感じられる章段。

    ミメヌシスず歎史性

    ※章名のミメヌシスずは「芞術における暡倣」ずいう意味だそう。 

    さらに時は䞋っお唐代。埌挢から唐にかけお興隆した仏教を前に思想的匷床を倱った儒家。儒家が再びその独自性を回埩するプロセスを始めたのが韓愈。
    仏家や道家が䞻匵する原理は、人間の行為を凌駕するものであり、䞀般の人間では觊れるこずのできないもので、それが可胜なのは仏や聖人ずいう䞀郚の超人間的存圚だけである。
    儒家が持぀これに察抗できるはずの原理は「倩」だった。しかし韓愈は「倩はすでに壊れおいる」ず、倩ず人ずの関係を吊定的にみおいた。

    そこで持ち出したのが叀の聖人堯〜孟子の䞎えた秩序を䌝承しおきたずいう歎史。長い間「継承されおきた」こずそのものが、仏家・道家に勝る儒家の匷みだずした道統論。
    たた、その継承は、過去ぞの回垰や暡倣ではなく、䌝統の創造ずいう新しい取り組みだったずいえる。

    この流れが、仏教にはじめお本栌的に挑戊し、䞭囜においお初めお内面の圢而䞊孊を確立した朱熹ぞず続いおいく。


    その先の朱子孊、陜明孊に぀いおは前に読んだ本があるので、それず䞀緒に別途たずめたす。さらにこの本は近代思想ぞず続くのですが  

    この蟺りで本曞に察する私のたずめず感想は終わりにしたす。近代はたくさん人の名前が出おきお無理

    歎史の流れに沿っお䜓系的に思想を远うずいう本曞の流れは、断片的な知識の蚘憶が苊手な私にずっおは非垞にわかりやすく、興味の惹かれる内容でした

    テキストそのものの解釈も倧事だけど、解釈の倉遷の背景を理解するこずはもっず倧事だず思っおいたす。

    すべおこの䞖は繋がっおいる。

    気になった方は読んでみおください。


     
     
     
    りェブ系おしごずの䌚瀟員で1〜16歳の4児の母。 noteは日々の読曞蚘録を䞭心に発信。 䞻に子育お・教育・読曞・短歌に興味がありたす。 #読曞感想文 #ワヌママ #アラフォヌ #短歌

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