
独りごちる|低カロリーな人間関係がいい
人がいれば、明るく楽しく話すことはできる。むしろ、その場ではそれなりに盛り上がるし、笑うことだって多い。交流そのものが嫌いなわけではない。誰かと心地よい時間を過ごすことに、ちゃんと喜びも感じる。
ただ――ものすごく、疲れるのだ。
楽しかったはずなのに、帰宅するとぐったりしている。笑顔で会話し、空気を読み、相手の温度に合わせ、場の流れを壊さぬように気を配る。その一つひとつは小さな動作でも、積み重なるとかなりの消耗になる。
だから職場での昼食は、できるだけ一人で過ごしたい。飲み会や懇親会も、なるべくなら遠慮したい。外出先で知っている人を見かけたら、気づかれないようそっと進路変更することすらある。
我ながら感じは悪い。けれど、それくらい ”交流” には体力を使うのだ。
去年、勤務先の全社総会があった。全国から千人規模の社員が集まり、熱気と一体感に満ちたイベントだった。巨大な “仲間感” が会場を包み、拍手と歓声が響いていた。
普通なら高揚感に変わるのだろう。けれど僕は、なぜか軽い吐き気を覚えたのだ。あまりにも濃密な集団の熱量に、本編終了と同時に、誰よりも早く会場をあとにした。
昼休み、同僚たちが数人で財布片手にランチへ向かう姿、大人数の“仲間内”写真。それらを見ると、まるで脂っこいものを急に食べたような感覚になり、少し胸焼けがする。
この傾向は、幼い頃から変わらない。群れることがどうにも苦手だった。
高校時代、僕は帰宅部だった。部活もせず、放課後に誰かとつるむこともなく、自宅近くのステーキハウスでアルバイトをし、ライブの予定があれば、制服のまま一人で日本武道館へ向かった。
とある遠足でフォークダンスが始まったときには、「気持ち悪い、無理」と友人と二人で抜け出し、有楽町で『ダイ・ハード2』を観た。翌日しっかり教員室に呼ばれたのも、今となってはいい思い出だ。
高校の卒業式でも、謝恩会というどうにも気持ちの乗らない催しを抜け出して、カイリー・ミノーグのライブへ行った。あの鮮やかな逃走劇のおかげで、高校生活は見事にフェードアウトすることができた。同級生の誰一人として僕の連絡先を知らず、同窓会の誘いすら来なかった。
それでも、これまでたくさんの出会いがあった。
一時的に仲良くなって、いつの間にか連絡が途絶えた人。数年に一度、思い出したように連絡を取り合う人。頻繁ではないけれど、今でも会えば自然に笑える友人たち。不定期にふっと再会する、縁の切れない人たち。
そういう人たちのおかげで、今の僕は僕でいられるのだと思う。
無理せず自然体でいられる相手とは、これからもきっと細く長く続いていくのだろうし、大切にしていきたい。
そして、これから先もまた新しい出会いはあるのだと思う。ご縁があれば、そこから長い付き合いになることもあるだろう。
ただ、人間関係の構築と維持は、今の僕にとって少し高カロリーだ。濃厚すぎる関係性は、胃にも肌にも響く年頃である。気疲れすれば、お腹の調子も乱れるし、顔色だってくすむ。
だからこそ思う。
元気な自分で誰かと会うためにも、人間関係は少し低カロリーなくらいがちょうどいい。
腹八分目ならぬ、交流八分目。
そのくらいで、ようやく健やかに人を好きでいられる。
ミントブルーのキスあげるよ
ドキドキするよ
とまどうなんて変だよ
ブルーでハッピーがいい