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継続の仕組みを設計して、noteを書き続けよう

    ヒットした漫画作品の連載が遅れがちになる問題について考えていた。連載当初は毎週掲載されていたのが、ヒット以降、徐々に休載が増えていき、不定期連載、そして長期の休載になってしまう。そんな例をいくつも見てきた。

    なぜそうなってしまうのか。ネット上では様々な憶測が飛び交う。よく挙がっているのは以下のような理由だ。

    • メディア化などの関係で多忙になるため

    • 「もっと良いものを描かなければ」という重圧のため

    • 「読者の期待に応えなければ」という重圧のため

    • 心身の疲労のピークが、ヒットのタイミングに重なったため

    • 作品のネタ切れが、ヒットのタイミングに重なったため

    • 大金が入ってモチベーションが低下したため

    大抵は上記のどれか、もしくは複数の理由が重なっているだろう。これは音楽だったり、スポーツでも、似たような話を聞くことがある。一度成功を得てから、それまでとは違った「プレッシャー」や「燃え尽き」が生じて、歯車が狂ってしまうのはよくあることのようだ。

    長く続けていると、停滞感を感じる

    そんな人たちと比べるべくもないことだが、数年に渡って毎週note記事を投稿し続けていると、慢性的なネタ切れに悩むようになる。もっと良い記事を書かないといけない。もっと文章力を高めなければいけない。そんな風に、自分に呪いをかけているのを自覚することもある。

    成功などとは程遠いが、続けることで一丁前にプレッシャーだけは感じているという、しょうもない話だ。それは力みとなり、迷走を始め、書いたあとに、これがどうなのか、さっぱり自分で判断ができなくなってしまう。人に会ったとき、「力が抜けてて、昔の記事の方がよかった」なんて言われたら、三日はへこたれてしまうだろう。

    イマイチ成長が感じられなかったり、むしろ下手になってるような気にさえなり、しまいにはモチベーションが下がってくる。これは成功やヒットしたとかにかかわらず、一つのことを長く続けていると必ずぶつかる問題ではないかと思った。

    成功体験など、さっさと捨ててしまえ

    生来の気質として、プレッシャーを感じない、気にしないのが理想の状態なのは言うまでもない。しかし事実として存在しているプレッシャーをないかのように振る舞うのは無理がある。

    この問題を考えるヒントが、三田紀房先生の『ドラゴン桜2』にあった。

    「お前の成功体験なんて
    ただのゴミだ
    さっさと捨てろ
    」

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    ©『ドラゴン桜2』7巻(三田紀房)

    生徒への指導で、自分が過去に行った方法を踏襲しようとする教師に対して、桜木が放ったセリフ。時代が変われば価値観も変わる。「自分の時はこれで上手くいったから」といって、それが今の状況でそのまま通用するかは不明だ。その吟味もなく過去のやり方に固執する思考停止の状態を、カッコいい感じの決め台詞で諌めたシーンだ。

    文脈はまったく異なるが、過去、結果、評価など、自分でコントールしきれないことに振り回されるのは、あまり意味のないこと。ましてやそれがプレッシャーになっているのは、本質から大きく外れている。

    プレッシャーが生じてくれば、最初のように気楽には書けなくなってくる。心境が変わっているのだから、キーボードが重くなるのは当然のことである。

    重りになるなら、捨ててしまえばいい。たとえそれが成功体験だったとしても。しかしそれが簡単に捨てられないのが、感情の厄介なところだ。

    継続の仕組みを設計する

    勝手に湧いてくる感情(プレッシャー)を捨てる方法のヒントは、習慣のなかにあった。瞑想だ。あらゆる感情を否定せず、実際に自分の中にそういう気持ちがあることを確認する。それら心理的な重りを抱えたまま、やるべきことに集中する。たとえば具体的には量産、継続の仕組みを作ってしまう。

    note記事を書くのであれば、週刊連載として勝手に自分の中で締め切りを設ける。そして最低ラインのノルマを決める。最悪三行でもいい、みたいな形にする。できるできないではなく、やるものとして、どうすればやれるかを考える。締め切りギリギリや当日になって0から書こうとしたら、苦しくなるのは明白だ。

    それなら書いていない六日間を漫然と過ごすのでなく、材料を集める期間とする。読んだ本、歩いて見聞きし考えたこと、人との交流や、遭遇した出来事、訪れた場所。メモがあるとよい。「普段の生活」を「材料を探す時間」という意識に変えることが大切だ。このアカウントのコンセプトにも合っている。

    そうして集まった材料を六日間、パズルのように角度を変えたり組み合わせたりする。いい感じになったら下書きに箇条書きにしておく。そうすれば漠然とした「書く」は、設計図に従って作っていくような作業になり、いざ書くときの心理的な負担がかなり減る。

    そこに例のプレッシャーは相変わらず乗っかっている。しかしそれで手が止まらないように仕組み化されているから、記事は毎週上がり続ける。内容の良し悪しは気にするが、それはそれで置いとく。反省と改善の材料にはする。

    自分が行っている工夫を改めて構造分解したら、このようになった。書き上げたら、その記事は心のゴミ箱に捨てる。捨てて捨てきれないが、認識して離れることが大切だと思う。そしてすぐに次の作業に取り掛かる。

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    伸び伸びと取り組める期間は必ず終わる

    話がごちゃごちゃしてきたので、いったん整理。

    • 人気になったマンガは休載しがちになる

    • その背景には想像を絶するプレッシャーと心身の疲労があると考えられる

    • note記事を書いていて、自分で勝手にハードルを上げていることに気付いた

    • そうして力むほど、かえって文章から面白さが抜けていくような気がした

    • プレッシャーを感じながらでも、書き続ける「継続の仕組み化」を考えた

    勉強でも習い事でも部活でも趣味でも、成長を意識すると、ある時期から伸び伸びとやれなくなってくる。そもそも成長する必要などあるのかといえば、ないのかもしれない。しかしこれは多分、自分の中に強力に根付いている呪いの一種だ。捨てれるなら捨てるが、当分かかりそうなので、力んだり緩んだりしながら、とにかく今後も記事を投稿していく。

    たかがnote、楽しく書けばいい。真理はこれだけシンプルなのに、殺伐とした功利的な価値観で、広い世界を自分で狭くしている。いたたまれなくなり外に出る。日差しが強くなり、風物すべてが青みをおびて見られる里山を歩いた。

    分け入っても分け入っても青い山

    種田山頭火

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