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教育の息苦しさ

    まさかこんなに苦しいなんて。

    読む前から知っていたなら…。

    いや、

    それでもきっと

    私は読んでいただろう…。


    ーーー5年前。

    Kindleでの読書にハマっていた私は、

    ある一冊の本のタイトルに惹かれた。


    「嫌われる勇気」

    読まずにはいられなかった。


    夜の体育館に忍び込んだ小学生時代のような

    なんとも言えない胸の高鳴りを感じたのを

    今でも確かに覚えている。


    読み終えたとき、

    正直に言えば、

    すべてに納得したわけではなかった。

    むしろ、

    「そんな理想論が現実で通用するのか?」

    という疑いの方が大きかった気がする。


    だから私は試した。

    否定する前に、

    まずやってみようと思った。

    褒めることを減らした。

    叱ることを減らした。

    子どもを操作するための言葉を手放そうとした。

    うまくいかない日もあった。

    何度も心が折れそうになった。

    これまで使っていた武器を自ら捨てるような感覚だった。

    当然だ。

    褒めれば早い。

    叱れば動く。

    少なくとも、その場は。

    だから何度も揺れた。

    「やっぱり褒めないとダメなんじゃないか」

    「やっぱり叱らないと成立しないんじゃないか」

    と。

    それでも続けた。

    続けてみたからこそ見えた景色があった。



    そして今、

    私は褒める教育も知っている。

    叱る教育も知っている。

    その上で、

    今の立場を選んでいる。



    だから時々、

    少しだけ苦しくなる。

    「そんなの綺麗事だよ」

    「理想論だよ」

    「結局は褒めなきゃやらない」

    「叱らなきゃできない」

    そう語る人たちの中には、

    実際に試したことのない人も少なくないからだ。


    もちろん、

    試した上で合わないと判断するのはいい。

    それは一つの結論だ。

    でも、

    試す前から不可能だと決めつけるのは、

    結論ではなく思い込みだと思う。



    教育の世界は不思議だ。

    エビデンスを重視しようと言いながら、

    自分が受けてきた教育や、

    自分がされてきた指導法については、

    驚くほど無批判に受け入れられていることがある。

    「昔からそうだから」

    「みんなやっているから」

    「今までそれで回ってきたから」

    そんな理由で。


    私自身もそうだった。

    だから責めるつもりはない。

    ただ、

    一度くらいは疑ってみてもいいんじゃないかと思う。

    本当に褒めなければ子どもは育たないのか。

    本当に叱らなければ子どもは学ばないのか。



    そして何より伝えたい。

    アドラー教育を実践することは、

    決して楽ではない。

    むしろ面倒だ。

    時間もかかる。

    待たなければならない。

    信じなければならない。

    自分自身の価値観とも何度も向き合わなければならない。

    褒めて動かす方が簡単な場面もある。

    叱って従わせる方が早い場面もある。

    それでも別の道を選ぶのは、

    その先にある子どもの姿を信じているからだ。



    だからもし、

    「楽そうでいいね」

    「理想論だね」

    と思うなら、

    ぜひ一度やってみてほしい。

    数日ではなく、

    数週間でもなく、

    数か月。

    本気で。

    褒めることも叱ることも手放しながら、

    子どもと向き合ってみてほしい。

    たぶん、

    思っているよりずっと苦しい。

    そして、

    思っているよりずっと奥深い。

    私はその苦しさを知った上で、

    今日もこの道を選んでいる。

     
     
    現役教師の毒吐き場。「どんな育児も教育も正解」を信じながら、自分を守るための「べき」という毒も抱えて生きています。その毒を吐き出す過程が、どこかの誰かの小さな救いになることを願って。

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