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のちのことば

    【あらすじ】

    目覚めると、そこは知らない言語を話す「人らしきもの」たちの世界だった。元言語学徒の辞書編集者・真木栞は、紙とペンだけを頼りに、フィールドワークの手法でゼロから言葉を学びはじめる。だがその言語には、私たちの言葉ならごく当たり前に口にできるはずの文が、どうしても組み立てられなかった。覚えれば覚えるほど、栞の思考そのものが、静かに組み替わっていく。やがて言葉は、この世界の正体を——そして、栞がここへ来た理由を——静かに告げはじめる。言語ファンタジー、全十章。

    第一章 漂着

    目が覚めたとき、天井がなかった。

    かわりに空があった。見たことのない色の空だった。青いことは青いのだが、その青が深すぎて、空というより深い水の底を見上げているようだった。

    私は石の寝台の上に寝かされていた。毛布のようなもの——目の細かい、草の匂いのする織物——が肩まで掛けられていて、枕元に素焼きの椀がひとつ、水を湛えて置いてあった。

    最初に考えたのは、ここはどこか、ではなかった。ゆうべ、眠る前に錠剤を飲んだかどうか、だった。営業部に移ってからのひと月、眠りは浅く、市販の錠剤の力を借りる夜が増えていた。

    思い出せたのは、十月最後の金曜の夜、営業部の歓送迎会を二次会で抜けて、終電のひとつ前に乗って、家に帰って、スーツのまま布団に倒れ込んだことまでだ。三十二歳、真木栞。十月一日付で辞書編集部から営業部に異動。配属八年目の編集部員を動かす理由を、人事は「全社的な人材流動性の向上」と説明した。その金曜の夜、私は流動性という言葉の用例について考えながら眠った。辞書編集者の癖だ。元、と付けるべきかもしれないけれど。

    体を起こすと、視界がゆっくり回って、止まった。

    石の寝台は小高い丘の中腹にあった。丘は段々畑になっていて、棚のひとつひとつに、背の低い銀色の草が植わっている。風が渡ると、畑全体が魚の群れのように向きを変えて光った。その風は、冬の名残をひきずって、まだ冷たかった。畑の縁には水路が走り、水音がした。ずっと下のほうに、屋根のまるい家々が、伏せた貝のように並んでいた。家並みの北のはずれに、ひとつだけ、窓のない四角い大きな建物が、灰色にうずくまっていた。

    そして、人がいた。

    いや——人らしきもの、と言うべきだろうか。

    三十メートルほど離れた畑の棚で、ひとりがこちらに背を向けて屈み、何かを土に埋めていた。身を起こしたとき、輪郭はまったく人間だった。二本の腕、二本の脚、布を巻いた体。ただ、すべての動作が遅かった。怠惰な遅さではない。一つひとつの動きが、推敲された文章みたいに、削るところのない遅さだった。

    その、人らしきものが、振り向いた。

    遠目には、顔のつくりまではわからなかった。ただ、こちらを見ているという感触だけが、距離を飛び越えてまっすぐ届いた。逃げも隠れもせず、ただ静かに見ている。

    私は寝台から降りて、畑の棚のあいだを縫う細い畦を、一歩ずつ確かめながら下りた。近づいても、その人らしきものは動かなかった。逃げる素振りも、身構える素振りもなかった。ただ、土のついた手を体の横に下ろして、私が来るのを待っていた。

    近づいて、人らしきものの顔が見えてきた。目は大きいというより、黒目が深い。井戸の底のように色が濃く、奥の瞳孔は、いつも大きく開いているようだった。こちらを見る視線は静かで、不気味だった。

    声の届く距離まで来て、私は口を開いた。

    「あの——すみません」

    声がかすれた。

    「ここは、どこですか」

    その人は、何も答えなかった。怯えても、警戒してもいないようだった。ただこちらを見て、それから、ゆっくりと頭を下げた。お辞儀というには深すぎる角度だった。そして言った。

    「トホ」

    低い、よく通る声だった。

    「……トホ?」

    私が繰り返すと、その人の広い瞳が、わずかに細められた。笑ったのだと、なぜかわかった。

    通じた、と思った。私は勢い込んで続けた。

    「あの、私の言うことは、わかりますか。ここは、どこなんですか」

    その人は、私の口の動きをじっと見ていた。それから、ゆっくりと何かを言った。柔らかく連なる、聞いたことのない音だった。意味は、ひとつもわからなかった。問いに答えたのか、ただ言葉を返しただけなのかさえ、わからなかった。

    それきり、その人は穏やかに頭を下げ、背を向けて、屈んで、続きの作業に戻ってしまった。

    待って、と言いかけて、やめた。喉の奥で言葉が渋滞していた。ここはどこ、あなたは誰、私はなぜここに、電話はどこ、警察は、大使館は——どの言葉も、たぶん一ミリも通じない。

    通じない、という感覚を、私はそのとき生まれて初めて、皮膚で理解した。

    大学院で言語学をやっていた頃、フィールド言語学の教授がよく言っていた。「辞書も文法書も通訳もない言語の前に立ったとき、人間は二度目の赤ん坊になる。ただし今度は、自分が赤ん坊だと知っている赤ん坊だ」と。私はその講義をノートに取りながら、いつか自分もそういう場所に立つのだと思っていた。修士の二年でその教授が亡くなり、調査プロジェクトが消え、奨学金の返済額を計算し、私は博士課程に進まなかった。かわりに辞書を作る会社に入った。言葉の現場に行けないなら、せめて言葉の倉庫で働こうと思った。その倉庫からも、ひと月前に、出された。

    二度目の赤ん坊。

    冗談じゃない、と思いながら、私は来た畦をのぼって、丘の中腹の寝台まで戻った。枕元の椀を取って、水を飲んだ。冷たくて、かすかに石の味がした。飲んでから、毒かもしれないとは考えなかったことに気づいた。考えるべきだったのかもしれない。でも、寝ているあいだ私に毛布を掛け、水を汲んで置いていった誰かが、その水に毒を入れる世界を、私はうまく想像できなかった。

    それから、椀を持ったまま、しばらく動けずにいた。これからどうするのか、何をすればいいのか——考えても、確かな答えはひとつも出てこなかった。ただ、ここでこうしていても何も始まらないことだけは、わかっていた。

    私は、再び丘を降り、村の中心に向かうことにした。

    村に入ると、人らしきものたちは、たしかに私に気づいた。気づいて、立ち止まり、あの深すぎるお辞儀をして、「トホ」と言った。それだけだった。誰も寄ってこなかった。質問もされなかった。子どもらしき小さいのがひとり、私をしばらく目で追っていたが、大人に手を引かれて行ってしまった。

    観光客が珍しい村なら、人が集まるだろう。よそ者が危険な村なら、誰かが武器を取るか、長老のところへ引っ立てるだろう。ここはどちらでもなかった。私は、迷い込んだ一羽の鳥みたいに扱われていた。いることは、認められている。でも、誰も、その鳥に、どこから来たのか、とは訊かない。

    「すみません! 日本語、わかる人! ……English? Anyone speak English?」

    広場らしき場所の真ん中で、私はとうとう叫んだ。声は思ったより大きく響いて、自分でびっくりした。

    人らしきものたちは、手を止めて、私を見た。十人ほどの広い瞳が、いっせいにこちらを向く。怖いほど静かだった。誰も眉をひそめない。誰も笑わない。彼らはただ、私が叫び終えるのを待っていた。待って、私がそれ以上何も言わないとわかると、また静かに、それぞれの作業に戻った。

    膝から力が抜けて、私は広場の石畳に座り込んだ。

    泣くかと思ったが、涙は出なかった。そのかわり、両手が震えていた。寒くもないのに、意思と関係のない場所から来る、細かい震えだった。震える手の上で、奇妙に冷静な観察だけが、頭の隅で動き続けていた。——彼らは私を無視していない。叫んだとき、全員がこちらを向いた。つまり関心はある。なのに誰も介入してこない。助けもしないが、排除もしない。この距離の取り方には、きっと規則がある。

    規則があるなら、学べる。

    私は石畳に座ったまま、観察を始めることにした。腰を上げて何かをする気力は、まだ戻っていなかった。でも、観察なら座ったままでもできる。フィールドワークの最初の仕事は、訊くことではなく、見ることだ——あの教授の講義の、たしか二回目で習った。

    広場では、彼らの午後が、ゆっくりと流れていった。水路から水を汲んで運ぶ者。銀色の草を束ねて軒先に吊るす者。屋根の下で織物を織る者。誰も急がず、誰かが誰かに指図する場面も一度もなく、それでいて、村全体ではひとつの仕事が確かに進んでいた。すれ違う者同士は足を止め、あの深いお辞儀を交わして「トホ」と言い合った。——つまり「トホ」は、よそ者向けの言葉ではない。彼ら同士で使う、日常の挨拶だ。頭の中の見出し語が、ひとつ書き換えられた。

    そうして何人もの姿を続けて目で追ううちに、奇妙なことに気づいた。みな、どこか似ているのだ。血のつながった一族だと言われれば、信じる。いや、それより濃い。眉のあたりに起伏がとぼしく、頬から顎へ落ちる線がやわらかくて、男なのか女なのか、若いのか若くないのか、とっさには測れない。誰の顔からも、角が取れていた。あの、削るところのない動作と、同じ手つきで仕上げられたみたいに。肌はそろって、外で働く者の、健やかに灼けた色をしていた。この村でただひとり輪郭の違う顔は、たぶん、私の顔だけだった。

    観察しているあいだだけ、私は遭難者ではなく、調査者でいられた。気づけば、手の震えは止まっていた。

    日が傾くと、ひとりの老人が広場に来た。布を何重にも巻いた老人で、歩く速度がほかの誰よりもさらに遅かった。老人は私の前まで来ると、石畳に同じように腰を下ろした。私と、同じ高さに。

    そして、自分の胸に手を当てて、言った。

    「イオ」

    それから手のひらを上に向けて、私のほうへ、ゆっくり差し出した。何かを要求する手つきではなかった。空の皿を差し出すような、入れるかどうかはあなたが決めればいい、という手つきだった。

    名前だ。名乗られたのだ。

    「……シオリ」と私は言った。「マキ、シオリ」

    「シオリ」

    老人——イオは、私の名を、壊れものを持ち上げるみたいに発音した。シ、オ、リ。三つの音節が、ひとつずつ、丁寧に置かれた。それから、また瞳を細めた。

    「シオリ。トホ」

    「トホ」と私は返した。

    発音した瞬間、広場の空気がほんの少しだけ緩んだのがわかった。近くで作業していたひとりが、こちらを見て、瞳を細めた。

    通じる、という感覚もまた、そのとき初めて、肌で感じられた。

    イオは、来たときと同じ遅さで腰を上げた。行ってしまう、と思った。呼び止めようとして、口がひらいた。けれど、トホのほかに、声にできる言葉がなかった。それ以上の何かを継ぎ足せば、いま通じたばかりの細い糸を、自分で断ち切ってしまう気がした。私は、ひらきかけた口を閉じた。

    イオは、夕日のなかを、ほかの誰よりもゆっくり遠ざかっていった。

    その夜、私は丘の中腹の、あの石の寝台に戻った。ほかに行く場所を知らなかったからだ。戻ると、寝台の脇に新しい水と、蒸した芋のような食べものが置いてあった。誰が置いたのかはわからない。

    食べながら、夜の星を見た。見覚えのある形は、たしかにあった。あったのに、どれも少しずつ、ずれていた。星の一つひとつが、本来の場所から、ばらばらの向きへ、指の幅ほど流されたみたいに。総崩れではない。それが、かえって落ち着かなかった。まるごと知らない夜空なら、いっそ諦めもついた。見覚えのある星座が、見覚えのある形のまま、わずかに歪んでいる——それが、いちばん不気味だった。そのうえ、ずれでは説明のつかないものがあった。オリオン座に似た並び。三つ星は、あった。でもその上の、あの赤い右肩が、どうしてもなかった。ほかの星のように、ずれて見失ったのではない。そこだけが、ぽっかりと、無い。ここが、少なくとも私の知る地球のどこでもないことだけは、その空が証明していた。

    眠る前に、私はスーツのポケットを探った。スマートフォンはなかった。財布もなかった。あったのは、ジャケットの内ポケットに入れっぱなしだった三色ボールペンと、いつも商談の覚え書き用に持ち歩いていた、手のひらほどの小さなメモ帳、それに営業先で配るはずだった自社の辞書のパンフレットが一部、折りたたまれて入っていた。

    紙とペン。

    私は笑ってしまった。声に出して笑ったのは、この世界に来て初めてだった。遭難者の装備としては最悪で、フィールド言語学者の装備としては、最低限そろっていた。

    メモ帳に、私はその日の収穫を書いた。

    【フィールドノート 一日目】
    ・場所→不明。星座が一致しない
    ・話者→外見はヒトに酷似。虹彩が広い。動作・発話が遅い
    ・「トホ」→挨拶 出会いの定型句。返すと関係がわずかに変化する
    ・「イオ」→老人の名。名乗り=胸に手。
    ・行動原則(仮説)→彼らは求められない限り、何もしない。叫べば注目する。黙れば待つ。
    ・課題→なぜ私はここにいるのか——は、当面保留。保留にしないと、たぶん心が折れる。
    ・明日は名詞の収集から始める。指さしが通じるかの確認。

    書き終えて、ペンを置いて、私は毛布にくるまった。

    二度目の赤ん坊だと知っている赤ん坊は、泣くかわりに、メモを取る。先生、私はあなたの教えを、こんな場所で使うことになりました。

    知らない星々の下で、私は眠った。

    第二章 指さしの世界

    単一言語によるフィールドワーク、という調査の手法がある。

    通訳なし、共通語なし、辞書なし。調査者と話者のあいだに言語的な橋が一本もない状態から、身振りと実物だけで言語を記述していく手法だ。学部の頃、伝説のデモンストレーション映像を観たことがある。アメリカの言語学者が、一度も聞いたことのない言語の話者を相手に、舞台の上で、葉っぱ一枚と棒きれ数本から始めて、一時間で簡単な文構造まで取り出してみせた。教室がどよめいた。あれは手品ではなく、手順だった。

    手順なら、再現できる。

    二日目の朝、私は水路のほとりでイオを見つけて、足元の水を指さした。

    「これ」と私は日本語で言った。何語でもよかった。要るのは音ではなく、指さしという行為が「名を尋ねている」と伝わることだった。

    イオは私の指の先を見て、それから私の顔を見た。広い瞳が、何かを確認するように、私の目に、二拍、とどまった。

    「ミー」とイオは言った。

    「ミー」と私は繰り返した。

    「ミー」イオはもう一度言って、目もとをやわらげた。

    水、ミー。記念すべき採取語の一番。私はメモ帳に書きつけた。指さしが使える喜びとは裏腹に、学部時代に習った警告が頭をよぎった。

    哲学者クワインの思考実験のガヴァガーイ問題、というやつだ。

    未知の言語の話者がウサギを指さして「ガヴァガーイ」と言ったとき、それは「ウサギ」を意味するのか、「走るもの」なのか、「夕飯」なのか、「ウサギの耳」なのか——指さしだけでは、論理的には永遠に決定できない。

    だから検証する。私は水路の水を指して「ミー?」と言い、次に椀の中の飲み水を指して「ミー?」と言い、遠くの泉を指して「ミー?」と言った。水路と椀を指したときは「ミー」と肯定された。泉を指すと、違う語が返ってきた。

    「ナル」

    泉はナル。水はミー。流れる水と、湧いて尽きぬ水とで、語がちがう。じゃあ雨は? 涙は? ——雨はその日降らなかったし、涙を流してみせる演技力は私にはなかった。メモ帳に【保留】の印を書いた。

    それでも、名詞は面白いように集まった。指をさせば名が返り、返ってきた名を別のものに当てては、合っているかを確かめた。水路の石、畑の草、軒に吊るされた草束。指の先が、そのまま見出し語になった。

    その日の夕方、丘の寝台に戻ると、水と芋の隣に、新しいものが増えていた。彼らの着るのと同じ、草の匂いのする織りの衣が一組。目の粗い、厚手の紙がひと束。先を焦がして尖らせた、細い黒炭の棒が数本。それらは、芋とまったく同じ顔をして、当然のようにそこにあった。

    一日目の仮説——彼らは求められない限り、何もしない——に、私はその晩、最初の修正を入れた。彼らは、問われない限り、教えない。でも暮らしの底は、問われる前に、黙って整える。水と、食べものと、寝床と。そして彼らの目には、どうやら紙や黒炭も、その「暮らし」に入っているらしかった。確かに、メモ帳の残りページは少なかった。それでも、なぜ私に紙が要るとわかったのか。考えても答えの出ない問いに、私は保留の印を捺した。

    三日目に、ウタに会った。

    村はずれの果樹の下で、あとで誰かに名前を訊くつもりの実や葉を拾い集めていたら、足元の草が動いて、小さいのが転がり出てきた。三歳ほどだろうか。人間の子どもの年齢感覚が通用するなら、だけれど。広い瞳をいっぱいに見ひらいて、私を見上げて、その子は言った。

    「メ?」

    あとから考えれば、あれはこの世界で私に向けられた、最初の質問だった。大人たちは誰も私に何も訊かなかったのに、その子は訊いた。おまえは何だ、と。当時の私は、そう訳した。

    「シオリ」と私は言って、胸に手を当てた。イオの手順のとおりに。

    「シーリ」

    「シ・オ・リ」

    「シオリ!」

    その子は跳ねた。それから自分の胸を両手でばしばし叩いて「ウタ! ウタ!」と言った。名乗りの所作は同じ。ただし速度は三倍で、騒々しさは十倍だった。この世界にも、ちゃんと子どもがいた。つまり、ゆっくり話すあの大人たちも、最初からああだったわけではないのだ。

    ウタは、私の最良の共同研究者になった。

    大人たちは正確すぎた。私が水路を指させば「ミー」と一語だけ返し、それ以上は決して足さなかった。世界一誠実で、世界一不親切な教師たちに囲まれている、と当時の私は思っていた。

    その点、ウタは礼儀を知らなかった。ウタはまだ、彼らになりきっていなかった。

    ウタは私の袖を引いて村じゅうを連れ回し、目に入るものを片っ端から指さしては叫んだ。「ミー!」「ポ!」「スラ!」「ニパ!」。間違いも教えてくれた。私が焼き菓子を指して、うろ覚えのまま「コ」と言うと、ウタは腹を抱えて笑い転げ、「コー! コー!」と直した。焼き菓子の名のつもりで、私はうっかり動詞「食べる(コー)」を、しかも母音の長さを落として言ってしまったのだ。この言語で長さを落とすことは、日本語で「おばあさん」を「おばさん」と呼ぶくらい、別のことだった。

    それから三日、私はウタに連れ回されて過ごした。六日目の夜、ノートの語彙リストは六十語を超え、私は五十音順——ではなく、彼らの音の体系順に並べ直す作業をしていた。並べていて、気づいたことがあった。

    【フィールドノート 六日目】
    ・音韻メモ→子音で語を閉じる語が、思ったより多い。とりわけ語末の軽い撥音「ン」。
    ・子音が二つ三つ連なる固まりも、ときどき耳をかすめる。ごりごりと固く、私の耳には、ひどく聞き取りにくい。母音は a i u e o の五つ+長母音。
    ・否定の「ナシ」を採取。禁止の専用形は、まだ見あたらない。
    ・「コッ」(言葉)に続き、本日「オッ」(音)を採取・ウタ→推定三歳ほど。
    ・ここに来て六日。会社は無断欠勤六日目。母には——考えるのをやめる。

    ペンを置きかけて、私はもう一行だけ足した。

    ・彼らは私に一度も「おまえは誰だ」「どこから来た」と訊かない。好奇心がないのではない。ウタは訊いた。大人は訊かない。質問しないことが、たぶん、大人の作法なのだ。……では彼らの世界で、私はどうやって「教えてください」と言えばいい?

    保留は、昼の道具だ。夜には効かない。その晩、私は毛布の中で、母の留守番電話の声を、頭が勝手に再生しはじめるのを、止められなかった。もしもし? もしもし、栞? いるんでしょう?——呼ばれているのに、応える手立てが、ひとつもない。そういう呼び声を頭の中に抱えたまま眠る夜は、三十二年で、初めてだった。

    「教えてください」の答えのほうは、思いがけない形でやってきた。

    七日目の夕方、私は水汲みを手伝おうとして、水路の堰の操作を間違え、棚畑のひとつに水をあふれさせた。銀色の草が、見る間に泥水をかぶった。私は青くなって、近くにいた大人たちを見た。誰も駆け寄ってこなかった。責める声もなかった。彼らはただ手を止めて、私を見て、待っていた。

    私は泥の中に立ち尽くして、それから、覚えたばかりの単語を、必死に並べた。

    「ミー……これ……」違う、名詞だけじゃ伝わらない。私は堰を指し、自分の胸を指し、両手のひらを上に向けた。イオが名乗りのときにした、あの所作。空の皿を差し出す手。入れるかどうかは、あなたが決めればいい。けれど、その皿に載せるべき文が、どうしても作れなかった。

    焦りが、覚えたての語をぜんぶ押し流した。気づくと、私は日本語で喋っていた。「どうすればいいの」通じるはずがない。わかっていたのに、口が止まらなかった。「お願い。……助けて」大人たちは、ひとことも解さないまま、それでも誰ひとり背を向けず、私が言い終えるのを待っていた。その静けさが、かえって私を追い詰めた。

    「お願いだから——これを、どうやって直すのか。教えて。教えてよ」

    言いながら、声の最後が、ふいに宙へ引っかかった。教えて——正確には、その頭の「おしえ」のあたりだけ、口にした手応えが、ほかと違った。私はもう一度、語尾を落としたその音だけを、差し出した。

    「——オシェ」

    その短い音だけが、その場の空気に、すっと吸い込まれていった。

    一瞬、夕方の畑が、しんとした。

    それから、近くにいた大人がひとり、泥の中に降りてきて、私の隣に屈み、堰の木板の動かし方を、一手ずつ、見せてくれた。もうひとりが来て、あふれた水の逃がし方を見せた。三人目は倒れた草の起こし方を。誰も喋らなかったが、全員の瞳が、あの細め方をしていた。

    作業が終わって泥だらけで腰を伸ばすと、最初の大人が私の肩に手を置いて、初めて聞く長さの文を言った。聞き取れたのは最後の一語だけだった。

    「……アイ」

    それが「ありがとう」だと知るのは、もう少し先のことだ。失敗して、教えを求めた私にではなく、なぜ彼らのほうが礼を言うのか——その理由を理解するのは、もっとずっと先のことだ。

    ノートは日ごとに厚くなった。語彙が増えるほど、【保留】の印を記す手が、夜になると疼いた。とうとうある晩、私は保留をやめて、似ていない語ばかりを縦に並べてみた。

    耳は、ミㇺ。みみ、の末の母音が、ひとつ落ちただけだった。同じたぐいの規則正しい削れ方が、ほかの語にも、いくつもあった。芯の語がいくつも、同じ規則で私の母語へ収束する。それはもう偶然ではない。規則だ。そして規則は、空似が決して持てないものだった。

    【フィールドノート 十二日目】
    ・ここの言葉は、日本語の、遠い縁者だ。摩耗しきって、それでも確かに、同じ祖から分かれている。
    ・日本語の縁者が、見たこともない星座の下で、畑を耕している。両立しない。ありえない。
    ・海の果てに隠れ住んだ、日本語の末裔なのか、誰かの気の遠くなるほど手の込んだ捏造なのか。あるいは——私はまだ、あの金曜の夜の布団の中で、長い夢を見ているのか。

    私はノートを閉じ、知らない星々に背を向けて、目をつぶった。

    第三章 動詞は未来から来る

    名詞を百ほど集めると、文が欲しくなる。文が欲しくなると、動詞が要る。動詞が要るなら、時制にぶつかる。

    言語の時間の刻み方は、本当にさまざまだ。フランス語のように動詞の語尾で過去・現在・未来を几帳面に刻む言語もあれば、中国語のように動詞そのものは時制で変化しない言語もある。だから私は、覚悟はしていたのだ。この言語の時制が、日本語と違うことくらいは。

    でも、覚悟が足りなかった。

    始まりは、ウタの昼食だった。広場の木陰で、ウタの親——いつもウタの世話をしている、母らしい人だった——が呼んだ。

    「ウタ。ミナコーレナ」

    ミナは「われら」。コーは食べる。その語尾に「レナ」が付いた形。状況からして「ごはんですよ」、つまり「もうすぐ、われらは食べる」——直近の未来だろうと見当をつけた。ここまではよかった。

    次に私は、過去を探した。食べ終わったウタを指して、「ウタコー……?」と語尾を上げ、済んだことを示すために手を後ろへ振ってみせた。日本語なら「食べた」。英語なら ate。さあ、過去形の語尾を聞かせてくれ。

    ウタの親は、少し考えて、こう言った。

    「ウタオコー、シオリオシルナル」

    なぜ、ウタの食事の話に、私の名が出てくるのか。その朝の私には、見当もつかなかった。私は身振りを変え、例を変え、数日かけて、あらゆる角度から過去形を探した。昨日のこと。さっきのこと。ずっと昔のこと。そのたびに返ってくるのは、現在形に「想起」を表す語——オㇺ——を添えた言い回しだった。

    「オㇺ、ウタコー」(オㇺ——ウタが食べる)

    私ははじめ、それを過去の標識だと思った。過ぎたことを語るとき、決まってこの語が文の頭に立つ。語尾に喰い込みもせず、動詞を曲げもしない。

    確信が揺らいだのは、浜で網を繕う老女に、来季の漁のことを尋ねたときだった。彼女は、まだ来ぬ季節の海を語るのに、同じ語を使った。

    「オㇺ、ウゥミッレ」(オㇺ——魚が満ちる)

    来ていないものに、過去の標識はつかない。私が戸惑っていると、老女は胸のあたりに手を当てて、こともなげに言った。それは、いま、ここに在るものに添える語なのだ、と。過ぎたことであれ、まだ来ぬことであれ、夢に見たことであれ——心にありありと立っているなら、それはみな「いま在る」のだと。私が「想起」と訳したくなったオㇺは、彼女たちにとっては、思い出すことよりもずっと広い、心に現前するものの徴だった。

    結局、過去形は、見つからなかった。

    【フィールドノート 二十二日目】
    ・過去時制、本日まで採取できず。過去の出来事は、すべて「想起+現在形」で返ってくる。
    ・「昨日」「昔」にあたる時の名詞はある。なのに、過去の動詞形だけが、どうしても立ちあがらない。
    ・想起は丁寧に発音される。
    ・では未来は?

    未来は、あった。

    ありすぎた。

    未来形の語尾を探し始めて三日で、私は「レ」とその変化形を、次々に採取した。レ。レナ。レソ。レユ。レム。そのどれもが、私の耳には「未来」に聞こえ、しかし彼らは明確に使い分けていた。日が暮れる、はレ。雨が来る、はレム。明日ウタのところへ行く、はレナ。「私が水を汲んでおく」も、レナ。あなたがそれを決める、はレソ。穏やかな日が続く、はレユ。

    使い分けの軸が、見えそうで見えなかった。レユは願いごとめいた文に、レムは空の模様のような不確かな文に、偏って現れる——そこまでは見えた。だが五つぜんぶを貫く軸となると、確実性? 近さ? 意志? どの仮説も、反例で沈んだ。

    答えを見たのは、植樹の日だった。

    その日、村の人々は仕事を休んで、北の斜面に集まった。来た日からゆっくり温んできた風が、その朝はもう、すっかり春のものになっていた。斜面には等間隔に穴が掘られ、苗木が、根を布でくるまれて並んでいた。葬列のように静かな、でも葬列ではない行列が、苗木を一本ずつ穴へ運んだ。

    私も何本か運ばせてもらった。受け取った苗木は驚くほど軽くて、まだやわらかい広葉の先が手の甲に触れて、つめたかった。株もとには、芽を押し出したあとの実が一つ、干からびたまましがみついていた。

    イオが隣の穴に苗木を据えながら、教えてくれた——例によって、私が尋ねたから。この木は何、と訊いて名を教わったあと、私は苗木と、斜面に立つ大きな木を交互に指し、両手を上へ伸ばした。これも、あれほど育つのか。イオは頷き、掌でいまの苗木の高さを示してから、ゆっくりと腕を上げて、自分の背丈のはるか上、空のなかほどを示した。

    「プー?」と私は訊いた。プーは冬——何度、冬がめぐれば、と訊いたつもりだった。

    イオは少し考えて、地面に指で印を描いた。彼らの数の体系はもう採取してあった——ウタたちの遊びの数え声と、地面に描く数取りの印から。はっきりした数のほかに、「いくつか」にあたる「モㇿ」のような、おおまかな量の語も、同じ遊びの中にあった。読み取って、私は訊き直した。数え間違いだと思ったからだ。

    五百年、とその印は読めた。

    イオは頷いた。それから自分の胸に手を当て、次に地面——土の下、という意味だと、所作でわかった——を指し、最後に育ちきった木の高さをもう一度示して、言った。

    「ノチ、ニパ、ウェウェレフ」

    レフ。まだ見たことのない未来形が、そのとき初めて、私の前に現れた。

    ノチ、という語も初出だった。文の主語の位置にある。ウェは植える。それが「ウェウェ」と、二度繰り返されていた。この言語は、動詞を二度重ねることで「しつづける」「くりかえしする」を表すらしかった。ウェは、植える。ウェウェは、植えつづける。ニパは「庭」だが、彼らの用法では村も畑も山もぜんぶ「ニパ」なので、世界、と訳すほうが近い。

    ノチ(?)は、世界を、植えつづける——レフ。

    私はその夜、ノートの前で長いこと唸った。文脈から、レフの意味の候補はこうなる。「自分が死んだあとに実現する未来」。イオは言ったのだ——私は土の下にいる、この木が育つとき。それでも、ノチは世界を植えつづける、と。

    だとすれば、レフは「不確実な遠い未来」の形だろうと私は推測した。自分は見届けられないのだから、願望のレユに近い、祈りのような形なのだろう、と。

    この推測は、翌日、根本から否定される。

    次の日の朝、検証のために、私はイオに尋ねた。空模様の怪しい日だった。雨が降るかもしれない、はレム。では、と私は北の斜面を指して、訊いた。あの木は、ソーツレム?——育つかどうか、わからない?

    イオは、この世界に来て初めて見る種類の表情をした。眉のあたりが動いて、それは困惑というより、痛みに近いものに見えた。イオは首を横に振って、ゆっくり、訂正した。

    「ソーツレフ」(育つ)

    そして地面から小石をひとつ拾い、手を開いて、落とした。小石は落ちた。イオはもう一度小石を拾い、私の手に載せ、私の手首をそっと支えて、言った。

    「オチレ」(落ちる)

    私は手を開いた。小石は落ちた。

    「ソーツレフ」とイオは繰り返した。小石が落ちる、と同じ調子で。

    わかってしまった。わかった瞬間、うなじのあたりが、すうっと冷えた。

    レフは、不確実の形ではない。逆だ。この言語でいちばん確信的な断定が、レフなのだ。手を開けば小石が落ちる。それと同じ確かさで、自分の死後、木は育っている。見届けられないことと、確かであることは、彼らの文法では矛盾しない。むしろ——あとで彼らの言い回しを採取してわかったことだが——自分の目で見届けられる未来のほうが、「まだ揺らぎうる小さな未来」とされていた。生きているうちの未来は、当人の気ひとつで揺らぐからだ。同じレでも、人の気が絡むものは揺らぎ、気の絡まない小石のようなものは、レのまま、まっすぐ落ちる。

    そして、レフ——自身の死を越えてなお実る未来——こそが、誰の都合にも揺らがない、いちばん硬い形だった。

    【フィールドノート 二十五日目】
    ・植樹の日。見たことのない未来形を採取。〈レフ〉=百年相。話者の死後に実現する事象に用いる、死後断定形。
    ・「ノチ」→未来文の標準主語。「われら」らしいが「ミナ」とは別語。範囲がわからない。死者を含む? 【保留】
    ・動詞の畳語=継続・反復相。二度重ねて「しつづける」。

    【フィールドノート 二十七日目】
    ・未来の語尾、本日までに七つ、レ、レナ、レソ、レユ、レム、レフ、レー(祈りに使う)を本日採取。
    ・七つは多すぎないか。レナとレソだけ、ほかの五つと肌ざわりが違う。時制でない何かが、貼りついている気がする。
    ・過去時制は、まだ採取できない。

    ノートを閉じてから、私は寝台の上で、彼らの動作の遅さについて考えた。

    来た日からずっと、怠惰ではない遅さだと感じていた。その正体が、少しわかった気がした。彼らは急がないのではない。急ぐという概念の置き場所が、違うのだ。締切が今日なら人は走る。締切が数百年後で、しかもそれが小石の落下と同じ確度で「実る」のなら、走ることには意味がなくて、今日の一手を正確に置くことだけに意味がある。

    彼らの遅さは、のろさではなく、精度だった。

    眠りに落ちる間際、営業部の朝礼の声を思い出した。今月の数字、今週の数字、今日の数字。前年比、前月比、前週比。あの部屋の時間は、ぜんぶ過去との比較でできていた。過去をうしろへ流す言語のなかで一か月暮らした頭に、その記憶は、奇妙に色褪せて再生された。

    思い出している、と私は彼らの言い方で、胸の内で言ってみた。私は思い出している。朝礼で、誰かが数字を読み上げる。

    そうやって言ってみると、不思議だった。あの朝礼は過ぎ去った重荷ではなく、いまの私が手に持って、しげしげと眺めている、一個の小石になった。

    手を開けば、落とせる小石に。

    第四章 ナとソ

    言語には、習い覚えるそばから使える部分と、使ってみて初めて意味がわかる部分がある。時制は前者だった。これから書くのは、後者の話だ。つまり、私が盛大に間違えた話だ。

    ひと月が経つ頃には、私は片言の文を作れるようになっていた。語彙は三百を超えた。それでも、三歳のウタには、まだ遠く及ばない。片言でも文が組めるようになると、採取の速さが、目に見えて変わった。一語しか返さない大人にかわって、ウタの遊び仲間たちが、こちらの問いを待たずに語を浴びせてくるようになったからだ。

    その頃から気になっていた小さな音があった。「ナ」と「ソ」。ナやソは文の終わりや名詞のすぐ後ろに現れる。最初は、日本語の「ね」や「よ」のような終助詞の役割か、「は」や「が」のような助詞の親戚だろうと踏んでいた。

    たとえば、イオは畑仕事の予定をこう言う。「アㇲ、パタン、ミーピㇰレナ」(明日、畑に、水を引く)。いっぽう、ウタの親はウタについてこう言う。「ウタソ、ヤヤニューレム」(ウタは、そろそろ眠るだろう)。イオの文はナで閉じ、ウタにはソが付く。丁寧さの違い? 念押しと、主題の印? 生き物かどうか? 仮説はまた、次々に沈んだ。

    決定打は、機織りのトエの一件だった。

    トエは村でいちばん上手な織り手で、私は時々、機の音を聞きに通っていた。トエは目に見えるものだけを織る人ではなかった。雨垂れの間や、鳥の声の高低を、横糸の濃淡と間隔に移してみせる。聞いた音をそのまま再現するのではない。速さと、切れ目と、強さを、布に写し取るのだ。その日、トエは新しい織り模様を試しては解き、試しては解いていた。傍目にも、三度目の模様がいちばん美しかった。なのにトエはそれも解き始めた。もったいない、と思った。思ったから、言った。善意百パーセント、語彙四百の精いっぱいで。

    「コㇿヨミ、ポークナシレナ。トエナコㇿレナ」(これが良いので、私は解かない。トエはこれを織る。)

    あなたはそれを織るべきだ、と言ったつもりだった。

    機の音が、止まった。

    トエの顔を、あの植樹の日のイオと同じ、痛みに似た困惑がよぎった。トエは何か短く言った。聞き取れたのは「ソ」の一語だけだった。それきりトエは織りに戻り、空気は、元に戻らなかった。

    私は何かを、ひどく間違えた。最初は、発音か語順をしくじったのだと思った。違った。私は文法を間違えていて、そしてこの言語では、その種の文法の間違いは、そのまま、人としての間違いだった。

    夜、私はイオの家に行った。イオの家は、のちに私が「記録庫」と呼ぶことになる、窓のない石造りの建物の脇にあって、イオはたいてい、戸口で薬草を編みながら座っていた。私はトエとのやりとりを、身振りまじりに再現して、最後に空の皿の手を差し出した。オシェ。教えてほしい。何を間違えた?

    イオは長いこと黙っていた。それから、足元の地面に、指でふたつの円を描いた。

    ひとつの円を指して、「ナ」。

    もうひとつの円を指して、「ソ」。

    それからイオは自分の胸に手を当てて「ア」と言い、ナの円を指した。次に私を指して「シオリ」と言い、ソの円を指した。アは、私。一人称。ひと月聞き続けて、初めて拾う語だった——彼らはたいてい主語を落とすか、名乗りの名で済ませてしまうから。私のものとあなたのもの? いや、違った。イオは続けて、こんな例を挙げていった——私が訊き、イオが答える、いつもの順序で。

    雨が降るか降らないか。これはどちらの円でもない。円の外。

    イオが明日、畑に水を引くかどうか。これはイオのナ。

    ウタがいつ眠るか。これはウタのソ。親にとっても、ソ。

    ……親にとっても?

    私が聞き間違いかと問い直すと、イオははっきりと繰り返した。ウタが眠るかどうかは、ウタのソ。親のナにあるのは、眠る場所を整えること、そこまでだ。眠りそのものと、寝床のあいだに、境界線が引かれていた。

    思い当たることがあった。あの昼食の呼び声——「ミナコーレナ」。ごはんですよ、と私が訳したあの文は、「われらは食べる」としか言っていないのだ。食卓に来るか来ないかは、呼ばれたウタの円の中に、最初から、ちゃんと残されていた。

    ナは、自分が選べること。ソは、その人にしか選べないこと。

    そして——ここからが核心だった——イオは地面のソの円を指し、それから自分の口を指して、首を横に振った。ソの円の中のことを、ソのまま命令や勧めの形にはできない。文法が、その組み合わせを弾く。

    私は試しに、頭の中で組み立てようとしてみた。トエソ、オ、ネ……。命令形の語尾は採取済みだった。でもそれはナの文末にしか付かないのだと、これまでの採取例が、一斉に思い出された。道理で、用例が偏っていたわけだ。彼らの命令形はすべて、話者が自分自身に向けて使っていた。

    他人の領分に、ソの印を付けたまま踏み込む文は、この言語では、非文なのだ。踏み込むには、まず相手のソを自分のナだと書き換えなければならない。

    未来形のレナとレソ。二十七日目のノートまで、私は意志だの確実性だのと、見当違いの軸をあてがっていた。だがあの語尾は、レとナ、レとソ——未来と、円の印の、ただの組み合わせ。自分の円の中の未来だから、レナ。相手の円の中の未来だから、レソ。時制の表だと思って書き写していたものは、時制と領分の、掛け算の表だったのだ。

    そこまで来て、ようやく、自分のしたことが見えた。私がトエに言った文は、トエにナを貼り、トエの手の中にある未来を、レナ——自分の円で結ぶ形——で結んでいた。命令形こそ使わなかったが、やったことは同じだった。私はトエの円を、文法ごと、自分の円に書き写したのだ。文法は、その文を弾かなかった。弾くかわりに、私が円をどこで書き換えたかを、聞いたすべての耳に、正確に聞かせていた。

    「でも」と私は日本語で呟いてしまった。それから片言に戻って、訊いた。トエの織りが良い、と私が思う。それを伝えたい。どう言う?

    イオの目の奥がやわらいだ。良い質問だ、という合図はもう読めるようになっていた。イオはふたつの言い方を教えてくれた。

    ひとつは、観察の形。「ミーナ。トエオオリ、ウローㇲ」(私は見る——トエの織りは、美しい)。トエとオリのあいだに挟まる軽い「オ」は、名詞と名詞をつなぐ音だ。日本語の「の」にあたる、とこの頃の私はノートに書いていた。自分の目に映ったことは、自分のナの円の中にある。だから言える。

    もうひとつは、仮定の形。「モㇲアトエ、オレナ」(もし私がトエなら、私は織る)。私がどうするかは、たとえ仮定の中でも、私のナ。だから言える。

    どちらの文も、最後の一歩を相手に残す。美しいと私は見た——で、止める。私なら織る——で、止める。解くか織るかを決める一歩は、渡さない。それはトエの円の中にある。そこへ踏み込むには、トエのソをナに偽るしかなく、その偽りは文の上にそのまま残る。

    【フィールドノート 三十日目】
    ・〈ナ/ソ〉=領分標識(仮称)。情報をどう知ったかを刻む証拠性や、その事態に自分が関わったかを標すエゴフォリシティ(自己中心性——利己とは無関係、「誰の事として語るか」の話)に、遠い縁は感じる。だが、あちらが刻むのは知識や関与の所在で、こちらが刻むのは決定権の所在だ。半歩どころか、ひと山違う。敬語でも所有格でもない。ナ=自分の円。ソ=その人の円。無標=誰の円でもない(雨。円の外)。
    ・標識は領分の持ち主の名詞に付く。主語を省いた自分の文では、文末(ミーナ)か、未来語尾(レナ/レソ)に回る。
    ・二十七日目の【要再分析】、解決。未来の基本形は五つ——レ、レユ、レム、レフ、レー。七つに見えたのは、時制と領分の掛け算を、時制の表に書き写していたからだ。
    ・「未来形が五つ」という呼び方も、たぶん、すでに翻訳の歪みだ。レユ(願い)とレム(不確か)とレフ(確信)を分けている軸は、時間ではない。確からしさと、証拠と、決定権の所在。時制というより、法の体系に近い。未来が五つあるのではなく、未来への立ち方が五つあり、この文法は、おそらく未来の立ち方を決めないまま文を結ぶことを、許さない。【保留】
    ・一人称=ア。二人称の代名詞は、今のところない。相手は、名で呼ぶ。
    ・ソ領分への命令・勧告・忠告は、ソのまま結ぶ形がない。命令形ネがナ文末にしか付かず、越境はかならず文面に露出する。
    ・代替 ①観察法「〜と私は見る」②仮定法「私があなたなら」。
    ・可能の言い方は、専用の形が無く、手の語で言う——「オリアオテン」 (織りは、私の手の中に=織れる)。
    ・トエにナを標示し、レナで結んだ→トエの領分の、文法による併合。彼らの耳にあれがどう聞こえたか、たぶん私はまだ半分も理解していない。
    ・「心配する」に対応する語を本日採取。直訳「ソをナの籠に入れる」。語感はかなり否定的。彼らの語彙で「心配」は、愛ではなく越境。
    ・母がこの言語を聞いたら、何と言うだろう。

    最後の一行を書いたとき、字が少しにじんだ。

    母のことを、この世界に来てからずっと、考えないようにしていた。無断欠勤を続ける娘の部屋を、母はもう訪ねただろうか。警察に届けただろうか。それを思うと胸の奥が軋んだ。でも、軋みの中に、別の音も混じっていた。

    母は私の進学に反対だった。言語学なんて食べていけない。母は私の就職に賛成だった。辞書の会社、堅実でいいじゃない。母は私の異動に同情した。あなたは昔から要領が悪いから。そして母は、あれだけ反対した進学の入学金を、黙って振り込んだ人でもあった。ひとりで積んでいた定期を崩したのだと、ずっとあとになって知った。言葉のほうは、最後まで反対のままだった。電話は週に三度かかってきて、切り際はいつも同じだった。あなたのためを思って言ってるのよ。

    あなたのため。

    その日本語を、私はノートを振り返りながら、訳してみた。あなたの益。他人のソに掛かる場所に置ける「ため」を、この言語は、ひとつも持っていなかった。

    訳せないのだ。生み出せない文は、存在しないのと同じだと思った。

    私は長いこと、ノートの上で動けなかった。妙に風通しのいい、知らない感情だった。三十二年間、私はあの言葉に言い返す言葉を探し続けて、見つけられなかった。言い返せないのは自分が子どもだからだと思っていた。違った。あの言葉に対する正しい応答は、反論ではなかった。

    ソ、の一語だった。

    それはお母さんの円の外にある。私の円の中にある。それだけのことを示す、たった一音節。

    翌朝、私はトエの工房に行って、覚えたての観察法で言った。

    「ミーナ。トエオオリ、ウローㇲ」

    私は見る——あなたの織りは、美しい。

    機の音が止まって、トエは私を見た。それから、ゆっくりと瞳を細めて、言った。

    「アイ」

    空気は、元に戻った。いや——正確に言おう。空気は元に戻ったのではなく、新しく張り直された。ほつれた織りを解いて、もう一度、最初から織り直すみたいに。

    トエはその日、あの美しい模様を、結局もう一度織った。私が言ったからではない。私は見たと言っただけで、織ったのはトエだ。

    その領分の切り分けが、妙に心地よく感じた。

    第五章 夢のなかの時制

    外国語学習者のあいだで、よく言われる節目がある。「その言語で夢を見たら、本物だ」と。眉唾な言い習わしだと、私はずっと思っていた。

    二か月目のある夜、私はとうとう、ノチ語で夢を見た。

    ——あの頃にはもう、私はこの言語を心の中で「ノチ語」と呼んでいた。彼らに自分たちの呼び名を訊いたとき、返ってきた答えが「ノチ」だったからだ。

    夢の中で、私は北の斜面に苗木を植えていた。隣にウタがいて、ウタが何か訊いて、私が答えた。目が覚めた瞬間、夢の中の自分の答えが、口の中に残っていた。

    「ニパウェウェレフ」

    寝台の上で、私はしばらく天井——天井はないから、明けかけの空——を見ていた。夢の中の私は、文法を組み立てていなかった。考えるより先に、レフが出た。百年相が、反射で出た。

    その頃の私は、村の暮らしにすっかり編み込まれていた。朝は水路の見回り。昼は畑か、トエの工房の手伝い。夕方はウタと、ウタの遊び仲間たちの先生をやった。といっても教えるのは私ではない。子どもたちが私に発音を直させて笑い転げる、という遊びだ。彼らの笑いの中で、私の舌は鍛えられた。

    ただ、その暮らしに、ひとつ、ひびが入った日のことも、書いておかなければならない。編み込まれていく、というのは、いつも気持ちのいい変化だったわけではない。

    来て五十日ほどの頃、私は熱を出した。春の水路にうかつに踏み込んで、足を濡らしたまま夜を過ごしたせいだ。朝、起き上がれなかった。節々が痛み、寝床の草の匂いが、やけに濃く鼻についた。

    私が水路の見回りに来ないことに、村は、すぐ気づいたはずだった。実際、朝のうちに、誰かが私の小屋の前を通り、寝込んでいる私を、戸口から見た。それから、その人は、静かに行ってしまった。

    昼になっても、誰も中へは入ってこなかった。夕方になっても。熱で潤んだ頭の隅で、見慣れた文が立ち上がった——どうして、誰も、来てくれないの。日本でなら、誰かが額に手を当てる。大丈夫? と訊く。医者を呼ぶ。ここでは、誰も、私の額に触れなかった。

    私はそのとき、初めて、彼らの作法を、美しいとは思えなかった。置き去りにされた、と思った。あの深いお辞儀も、瞳の細め方も、ぜんぶ、踏み込まないための、上等な言いわけに見えた。

    けれど、気づけば枕元の水は、いつのまにか満たし替えられていた。戸口のそばには、薬草を浸した椀と、温め直せるように、火種までが置かれていた。私の目の覚めないうちに、誰かが、ぜんぶ、置いていったのだ。寝床を整え、水を運び、手の届くところに薬を並べるところまで——それが彼らのナで、その先の、椀を口へ運ぶ一歩だけが、私のナの円に、まるごと残されていた。

    熱の二日目の夜、喉が渇いて目が覚めた。私はふいに、覚えたての文法を、わざと間違えてみたくなった。誰か来て、私の手のかわりに椀を取って——それを文にするには、円の境界を、自分のほうから、偽るしかない。

    口を開きかけて、やめた。偽りの文は、ちゃんと組めた。組めたけれど、それを誰かに差し出した瞬間、私はトエにしたことを、もう一度くりかえすことになる。熱の中でも、それだけは、わかった。

    私は、戸口まで這って、自分で椀を取った。薬草の湯は、ぬるくなっていたが、まだ、温かかった。

    熱が引いたのは、それから二日後だった。水路へ出ると、いつもの顔ぶれが、いつものお辞儀をした。何もなかったように。でも、何もなかったのでは、なかった。彼らはずっと、私のソの円の縁の、ぎりぎりのところまで来ていた。踏み越えずに、私が手を伸ばせる場所に、ぜんぶを並べて、待っていてくれたのだ。

    ◇

    言葉が増えるにつれて、世界の解像度が上がっていった。そして解像度が上がるにつれて、私の内側で、何かの配線が静かに替わっていくのがわかった。

    たとえば、ウタの転んだ日。

    ウタが木登りに失敗して、膝をすりむいて、わんわん泣いた。私は駆け寄って抱き起こしかけて——止まった。傍らでウタの親が、止まった私を見て、瞳を細めた。ウタの泣き止みどきは、ウタのソ。親のナは、傷を洗う水を汲み、求められたら手を差し出せるところまで。私は水を汲み、ウタのそばにしゃがんだ。ウタは存分に泣いて、泣き終わって、自分で立った。自分で立ったウタの顔つきを、私は今でも覚えている。あれは、抱き起こされた子の顔では、なかった。

    たとえば、水路の崩れた、朝。

    夜のあいだに継ぎ目がひとつ崩れて、下の畝に泥水が流れ込んでいた。前の日に土を盛り直した者の、締めが甘かったのだ。胸の奥で、いつかの文が立ち上がりかけた——あの人がちゃんとやらなかったから。水路を壊した者の名へ責めを結びつけようとして、結ぶための語尾が、出てこない。相手の円の中の手落ちを、私の側から断ずる形を、頭の中の籠をいくら探しても、もう見つけられなかった。かわりに手に残ったのは、段取りだけだった。泥をかき出す。継ぎ目を積み直す。明日、また見にくる。責めの文は、組み上がる前に、宛先を見失って、ほどけた。

    配線が替わる、というのはそういうことだった。理屈で納得したのではない。文法を運用するたびに、その文法が運べる考えだけが頭に残り、運べない考えが少しずつ干上がっていく。サピアとウォーフの名を冠した仮説を、院生時代の私は「言語が思考を決定するというなら、強すぎる」と整理していた。——もっとも、その決定論めいた形は、二人の死後に教科書が彫り直した横顔だ。ウォーフ自身が書き残したのは、もっと控えめな「習慣の思考」のほうだった。どちらにせよ、決定はしない。その整理は、今も正しいと思う。でも、毎日何百回、何千回とその文法で考えるとき、言語は思考を決定しないかわりに、思考に轍を刻む。轍は、決定よりも、よほどしぶといのではないか。

    けれど、敷かれたばかりの轍は、信用してはいけない。そのことを私は、膝の震えで覚えることになる。

    ◇

    雨の続いた週だった。水路は増水して、堰のところで、濁った水がふくらんでいた。ウタが、その堰板の上を渡ろうとした。対岸の遊び仲間のところへ、近道をするつもりだったのだ。

    私は数歩のところにいて、見ていた。声が出かかった。膝が、駆け出そうとした。その声と膝を、習い覚えた文法が、内側から押さえた。渡るか渡らないかは、ウタのソ。以前ウタが転んだとき、私は手を出さなかった。親は瞳を細めた。あれは正しかったではないか——と、頭が籠の中を探している半秒のあいだに、ウタの足が、濡れた板の上で滑った。

    「だめっ!」

    出たのは、日本語だった。円も文法も通らない、考えるより前の場所から出た。同時に、二段下の棚畑にいたウタの親が、走った。私はこの世界で、大人が走るのを、初めて見た。親は水に入り、流されかけたウタの腕をつかんで、引き上げた。引き上げる拍子に、ウタの脛が堰板の角を擦った。細い、赤い線が一本。ウタは水を吐いて、泣いた。私は堰のそばに突っ立ったまま、動けなかった。半秒。私の半秒が、あの一本の線を引いた。

    ウタの親は、私を責めなかった。責める文をこの言語が持たないのか、持っていても組まないのか、そのときの私には判定できなかった。責められないことは、責められるより、深く刺さった。

    そこから夕方までどう過ごしたのか、私はうまく思い出せない。

    夕方、イオの戸口で、昼間のことを打ち明けて、訊いた。溺れることは、ウタのソではないのか。イオは、私の覚え違いの根を、正確に抜いた。

    ソは、選ぶことに付く。流される体は、何も選んでいない。あれは降る雨と、落ちる小石と同じ——円の外だ。そして円の外のものは、手の届く者の、ナの円に入る。畑は、待てる。水の中の息は、待てない。シオリが二か月で覚えたのは、待つ形だけだ。

    文法を間違えていたのは、また私だった。ナとソの線を、私は「踏み込まないための線」と覚えていた。違った。あれは、踏み込む場所を間違えないための線で、線の外には、迷わず走る人たちがいた。彼らの遅さは、戒律ではなかった。

    その晩、たき火のそばで、ウタが私の袖を引いて、小さな声で言った。脛には、洗った葉を当てた布が、小さく巻かれていた。

    「タメ?」

    濁りを呑んだ、あの叫びの形だった。私の国の言葉のうち、ウタが拾った最初の一語が、よりにもよって、これだった。私は「だめ」と、ゆっくり言い直した。ウタは「タメ」と返して、少し笑って、それきり水路の話はしなかった。

    第六章 縁者

    言語学徒として、白状しなければならないことがある。

    私は、ノチ語と日本語の関係をハッキリさせるのを避けてきた。臆病者の道具【保留】を使って、距離をとってきた。この世界と私の国のあいだに、気の遠くなるほどの何かが横たわっている、という事実から目を背けてきた。

    雨上がりの水路で「ミー」と口にした朝、私はとうとう、目を逸らすのをやめた。縁者だとは、もう十二日目に知っていた。私が二か月ぶん先延ばしにしていたのは、その先だ。

    私は丘を駆け上がって、ノートを引っ張り出した。ふた月分の語彙、九百語あまり。来た当初は偶然と言い張り、十二日目からは見て見ぬふりをしてきた語たちを、一枚の表に並べ直した。

    ケー(還る)。ニュー(眠る)。コー(食べる)。ソーツ(育つ)。ヤー(山)。スラ(空)。マッ(待つ)。コテー(答える)。ㇲウェッ(すべて)。

    比較言語学が偶然と同源を分ける物差しは、単語が似ているか・いないかではない。対応の規則性だ。

    並べてみると、規則は、あった。

    語末の、狭い母音は、声を失って、抜け落ちる。引く(ピㇰ)は、クの u が無声になり、k の音だけが、語の終わりに残る。ピㇰ。足は、アㇲ。耳は、ミㇺ。あとに子音だけが、ごりごりと連なる。来た最初の週から、私の耳を固く弾いて、聞き取らせまいとしていた響きの正体は、これだった。

    日本語でも、いまの東京の口は、もう「好き」を「ㇲキ」と、「です」を「デㇲ」と言っている。あの語尾のかすれ。あれが三万年、行きつくところまで行くと、開いた音節は閉じ、子音は二つ三つと連なって、もとの母語の面影を、すっかり覆い隠す。

    語中の、 z に化ける前の古い d も、規則的に脱落する。みづ(midu)→みう→ミー。二日目にいちばん最初に採った語が、表の真ん中で、私の母語へまっすぐ収束した。同じ削れ方で、暮らしの語のほとんどが、日本語へたどり直せた。

    書きながら、笑いだしそうになった。この摩耗を、私は知っている。歴史的仮名遣いで習った「けふ」が「きょう」になる、あの読み替え——日本語自身が千年前にくぐった同じ向きの擦り減りが、ここでは現代語を出発点に、もう何周も先へ進んでいた。

    芯のいくつかは、逆に、現代語より古い顔をしていた。h の音が、p で現れる——ひと→ピッ、火は「ポ」。日本語の h は、もともと p だったのだ。「はは(母)」が「パパ」に近かった、あの古い顔を、ノチ語の p は、そのまま抱いていた。この言語の音は、現代語より先まで摩耗していながら、いちばん芯の語だけが、現代語より古い。

    例外さえ、規則的だった。語尾のルを律儀に保っている動詞が、いくつかある。在る→アル。最初はただの不規則かと思い、すぐに理由が見えて、肌が粟立った。規則どおりに擦り減れば、在るはア一音になる。アは、吾——一人称。先客がいるのだ。擦り減れば先客と衝突してしまう語だけが、古い形のまま立ち残っている。知る(シル)が、死ぬ(シン)の隣で、ルを落とさず踏みとどまっているのも、同じだった。同音衝突の回避——教科書に載っている、生きた言語だけがやる、あの身のこなし。

    手が震えて、表の線が歪んだ。

    規則的音韻対応。それが意味することは、教科書的には、ひとつしかない。ノチ語と日本語は、同じ祖先を持つ。系統関係にある。フランス語とイタリア語がラテン語の娘であるように、ノチ語は——少なくともその語彙のかなりの層は——日本語の、親戚なのだ。

    いや。親戚という言い方は、ずるい。対応の向きを見れば、もっと言える。ポが「ひ」より古い形を保ついっぽうで、ミーは「みず」より擦り減っている。音は、時間をかけて摩耗する。ノチ語の日本語系語彙は、日本語が、長い長い時間をかけて転がり、削れ、磨かれた形にしか、見えなかった。

    ここは、異世界ではない。

    星のずれた空の下で、私は——縁者だと気づいたあとも——どこかでまだ異世界に飛ばされたと思っていた。違う星、違う宇宙、現実離れした何か。でも星空は、別の宇宙に行かなくても、姿を変える。地球の自転軸は、二万六千年かけて一周する独楽の首振りをしている——歳差、を本で読んだことがある。数千年で北極星は交代し、季節とともにのぼる星座の組み合わせも、ひとつずつずれていく。そのうえ星々そのものも、それぞれ勝手な向きへ、少しずつ流れている。近い星ほど、速く動いて見える。とはいえ、星座の形がそれと知れるほど崩れるには、十万年の単位が要る。数万年では、よほど近い幾つかの星が、目をこらしてやっと場所を移したとわかるほどだ。だから歪んでいたのは、星座の形そのものではなかった。のぼる季節と、空での傾きのほうだった。歳差が、見覚えのある星座を、見覚えのない時刻と高さへ、少しずつ押し上げていたのだ。見覚えはあるのに、座りが悪い——あの夜空の、あの落ち着かなさは、まるごと別の空になったのではなく、崩壊の、ずっと手前の、わずかなずれだったのだ。

    ベテルギウスは、私のいた時代から、いつ超新星になってもおかしくないと言われ続けていた星だった。だからオリオンの右肩は、流れて欠けたのではない。あれほどの星でも、幾千年、幾万年を数えたところで、動くのは満月の幅にも足りない。位置がずれて見失ったのではなく、そこで燃え尽きて、欠けたのだ。私は最初の夜、星座が一致しない、とだけ書いた。探すべきだったのは、ずれの向きと、欠け方と、崩れ方のほうだったのだ。

    飛ばされたのは、場所ではないとしたら。

    【フィールドノート 五十六日目】
    ・ノチ語と日本語の規則的音韻対応を確認
    ・夜空の星座の不一致は、空間移動ではなく時間経過で説明可能。
    ・結論 → ここは地球である。未来の。
    ・一日目のノートに「人らしきもの」と書いた。いま、書き直す。人だ。私より、ずっとのちの。
    ・この世界の正体について、彼らに直接訊くべきことが、初めてできた。彼らは、訊かれない限り答えない。なら、訊けばいい。ふた月前の私には、その言葉がなかった。いまの私には、ある。

    ノートを閉じて、私は記録庫のほうを見下ろした。

    村の北の端のあの建物。窓のない、石造りの、村でいちばん大きな建物。イオが番をしている建物。私は一度もあの中に入れてもらったことがなかった。入りたいと言ったことも、思えばなかった。

    彼らは、求められない限り与えない。

    ふた月かけて、私はようやく、この世界の正体を聞く勇気が生まれた。

    第七章 辞書の部屋

    翌朝、私はイオの家の戸口に立った。イオはいつものように、薬草を編みながら座っていた。

    戸口の前で足を止めて、私は頭を下げた。ふた月のあいだに、すっかり身についた角度だった。最初の朝には深すぎると思ったあの傾きが、いまは自分の首の、ちょうどよい収まりどころになっていた。「トホ」。イオは編む手を止めずに、同じ深さで頭を返した。「トホ」。

    訊くべきことは、ひと晩かけて文の形にしてあった。ノチ語で問うということは、単に単語を並べることではない。問いがどの円に触れるのかを、文法が必ず明示させる。だから問いを組み立てることは、自分が何に踏み込もうとしているのかを、口を開く前に、自分へ白状させることだった。

    私は息を吸って、言った。

    「オㇺ、アトーユㇽㇰ」(私は思い出している——私は、遠くから、来た)

    それから私は、両手を皿の形にして差し出して、最後の文を言った。

    「アオㇰ、タレオナンアルカ?」(私が来たことは、誰のナの円にあるのか?)

    我ながら、回りくどい文だと思う私がここにいることは、偶然なのか。誰かの意志なのか。意志なら、誰の。

    イオは編みかけの薬草を、ゆっくり膝に置いた。

    それから、私がこの世界で聞いた中でいちばん長い沈黙のあとに、イオは腰を上げ、家の脇の記録庫の、窓のない石の壁に向かった。扉が開いた。

    吹き抜けの高い天井から、柔らかい光が落ちていた。壁という壁が、床から天井まで、浅い棚で覆われていた。棚に並んでいるのは、巻物でも本でもなく、手のひらに載るくらいの、石の板だった。何百枚、何千枚。一枚一枚に、細かい刻み目が走っていた。

    部屋の中央に、水盤があった。イオが石板を一枚取って水盤に浸すと、水面の上の空気が震えて——音が、流れ出した。

    人の声だった。

    老人の声で、知らない言語が、ゆっくりと話されていた。歌のような抑揚。子音の硬い、はじける音の多い言語。イオは次の石板に替えた。今度は女の人の声で、まったく別の言語。また替えた。子どもの声。また別の言語。

    光がどこから落ちているのかも、水と石がどうやって声を蘇らせるのかも、私にはわからなかった。

    「コトオニパ」とイオは言った。言葉の、庭。

    話は、三万の冬の向こうから始まった。

    ずっと昔、世界には、急いだ時代があった。イソ、と彼らはその時代を呼んでいた。イソの人々は、たくさんの言葉を話した——ひとつの言葉ではない。何千という言語だ。たくさんの物を作り、たくさんの火を焚いた。イオは断定を避けて、こう言った。「私は思い出している——記録が言う。イソの何千の言葉は、たがいによく違う。だが、そろって同じことが、ふたつ、ある。どの言葉でも、人の円に踏み込む文が、自由に組める。そして、どの言葉でも、自分の円の未来を、宛名のないまま、手放せる」

    ナとソを覚える前の私なら、この話を聞き流していたと思う。あなたはこうすべきだ、あなたのためを思って言っている——そんな文が、どの言葉でも朝の挨拶と同じ気軽さで組めた。そのいっぽうで、誰が選ぶのかを言わないまま、未来の文が結べた。

    それからイオは、棚のあいだをゆっくり歩いて、石板を七枚、選んで戻ってきた。選ぶ手つきに、迷いがなかった。イオはそれを、一枚ずつ、水盤に浸していった。

    一枚目。老人の声が、歌うような抑揚で、何かをゆっくり数えていた。知らない言語だと、最初は思った。三つ目の語のところで、その抑揚が、意味に変わった。

    「——ひとぉつ。ふたぁつ。みっつ」

    日本語だった。聞いたことのない訛りの、ずいぶん古いアクセントの、でも、日本語だった。私は顔を上げた。イオは私を見ていなかった。声の合間に、固いものの触れ合う音がする。老人は、道具を数えていた。鍬や、鎌や、そういうものを一本ずつ手入れしながら、急ぐ理由が世界のどこにもない速さで、数えていた。

    二枚目。同じ訛りだった。たぶん、孫か、その先の世代。声が、少し速くなっていた。数えられているものが、道具ではなくなっていた。米の値だか、土地の値だか——とにかく、手入れというものの、できない種類の数だった。

    三枚目。もっと速い。声の後ろで、低い機械の唸りが続いていた。読み上げられているのは、年号と、数字だった。年はひとつずつ進み、数字は、毎年すこしずつ減っていった。減っていくのに、読み上げる声の調子だけは、最後まで明るかった。

    四枚目、五枚目。いくつもの声が重なっていた。ぜんぶ日本語で、ぜんぶ速かった。誰も、誰かの言い終わりを待っていなかった。重なりの隙間から、断片だけが落ちてきた。まだ確定ではない、という声。想定の範囲内、という声。誰が責任を取るのか、という声。前の世代の判断が、という声。いずれ技術が解決するだろう、という声。きっと、誰かが。——あとになって、気づいた。宛名のある文は、ぜんぶ過去を向いていた。未来を向いた文には、宛名——誰がそれをやるのか、という名指し——が、ひとつもなかった。

    六枚目は、声というより、音だった。高く、規則的に鳴りつづける警報。その向こうで人の声が、短い同じ語を、何度も、何度も叫んでいた。

    「にげて。にげて。にげて」

    七枚目。

    風の音が、長く続いた。それから、ひとりの声がした。若いのか年寄りなのか、もう判別のつかない、擦り切れた声だった。その声は、ゆっくり話した。一語ずつ、間をあけて。一枚目の老人よりも、この村の誰よりも、ゆっくりと。

    「——ひとつ。ふたつ」

    数えていた。何を数えているのかは、最後までわからなかった。道具の触れ合う音は、もう、しなかった。

    ぜんぶ、聞き取ってしまった。たぶん私は、一語も知らない言語で聞かされても、同じものを受け取っただろう。一枚目から六枚目への加速と、七枚目の、あの遅さ。速度だけで、足りたはずだった。最初の日の広場で、彼らが私の叫びから、意味ではなく速度を聞き取ったように。ただ、私には意味も、わかった。わかってしまう言葉だった。

    水盤の波が静まっても、私はすぐには顔を上げられなかった。イオは次の石板を取らず、私が続きを求めるまで待った。私が先を促すと、ようやく話が続いた。

    破滅は天災ではなく、人の手から来た。平らな日常が、ある一点で、断ち切られていた。海の向こうの空が、昼より白く灼けた、と石板は言う。光が、音より先に来た。誰がそれを手放したのか、どの石板も告げない。告げる声が、間に合わなかったのだ。

    生き延びた人々は、多くなかった。

    生き延びた人々は、二度と同じ滅び方はしない、と誓った。

    生き延びた人々の中に、言葉を作る者たちがいた。

    イオはそこで、水盤から石板を引き上げた。布で水を拭い、元の棚へ戻した。

    彼らはひとつの言語を設計した。城壁の図面のまんなかに置かれたのは、時制ではなく、線だった。

    イオは水盤の脇に屈み、床にうっすら積もった石の粉の上に、指でふたつの円を描いた。ひと月前の夜、私の失敗のあとで地面に描かれたのと、同じふたつの円。

    「イソオコッ」と言って、イオは円と円の境を、手のひらでひと撫でした。線が消えた。

    線のない床が残った。イソの何千の言葉では、誰もが誰の円にも踏み込めた。あなたのために、と言いながら。それからイオは、いま消したばかりの線を、こんどは指の先で深く引き直した。

    「ノチオコッ」

    設計者たちは、線の引き方を教えるかわりに、線そのものを母語の骨に埋めた。それが、ナとソだった。教えは忘れられても、骨は忘れようがない。

    イオは床の円の中に、指で短い線を、放射状に五本引いた。未来。選ぶことは、ぜんぶ未来にしかない。設計者がふさいだのは、たった一つだけだった——引き受け手がいるはずだと匂わせながら、その名は伏せたまま手放す。「きっと、誰かが——」の、あの形だ。レナと名乗るか、レソと指すか、さもなくば雨と同じ円の外へ突き放すか。宛名を伏せた、途中の逃げ道だけが、この言語には、ない。

    そして、過去。イオは、引いたばかりの線の外側を、手のひらで、ゆっくり撫でた。設計者たちは、過ぎたことを円の外の雨や小石と同じ場所へ置かいた。彼らが好んだ想起のオㇺは、その過去を、いま思い出す者のナの円で起きる現在の仕事にしてしまう。過去を語るたび、いまの自分の名で引き受けているのだ。

    誰のせいか、と過ぎたことを裁く声に時間を割くより、今日の手つきを確かにすること——言葉の重心は、まるごと前へ傾いていた。

    語の骨組みは、残された文献のいちばん古い形から選んだという。清らかさのためではない。音は、ひとつの向きにしか削れない——開いた音節は閉じ、母音は抜け、子音は連なって、いつか語と語の見分けがつかなくなる。摩耗した音から始めれば、その崩壊までの道のりは、短い。まだどの音節も閉じていない、いちばん古い形から始めれば、削れる先が、いちばん長く残る。設計者たちが選んだのは、いちばん美しい音ではなく、いちばん遠くまで保つ音だった。だが、選んだあと、その骨組みが三万年でどう転がり、どう削れていくかは、もう誰の手にも握られていなかった。設計できるのは、始まりの音と、骨の組み方まで。そこから先は、生きた口に委ねるしかない。

    では、なぜ私の国の言葉が、骨組みに選ばれたのか。私が問うと、イオの答えは、拍子抜けするほど地理的だった。設計者たちが立っていたのが、この列島だったからだ。足元にいちばん厚く残っていた文献が、日本語だった。七枚の石板が日本語だった理由も、同じだった。

    そして、設計者たちは自分たちの作った言葉を、自分たちの子に、母語として与えた。

    三万年が経った。設計された言葉は、三万の冬を転がるうちに角が取れて、誰の設計でもない、ただの母語になった。その母語を話す者たちは、自分たちを、未来文の主語と同じ名で呼ぶようになった。

    ノチ。後の者たち。いまだ生まれぬ者を含む、われら。

    第八章 採取

    そこまで渡して、イオはようやく、朝の問いに戻ってきた。

    「シオリオトイ、コテーレナ」(あなたの質問に、私が答える)とイオは言った。「シオリの眠りに道を開くこと。それは、ミナのナの円にある」

    ミナ。あの昼食の呼び声で覚えた「われら」は、ここでは、いま生きて記録庫を守る者たちの、現在の共同体を指していた。あなたを招いたのは、私たちだ。

    眠り、という一語のところで、理屈より先に、体のほうが小さく身じろぎした。十月の夜、錠剤を飲んで目を閉じた。それだけのはずだった。なのに瞼の裏に、覚えのない景色が一瞬よぎる。銀の畑を濡らす春の雨。走る夏の水。刈られていく草。寝台を白くする雪。一年ぶんの巡りが、なぜか、ひと晩の眠りの底に畳まれている。

    イオは水盤の縁に手を置いて、新しい石板を浸した。また、日本語だった。でも、今までのどの声とも、違っていた。

    女の人の声だった。古い録音のような、ノイズの向こうの声。最初の一枚は、戸惑っていた。誰に向けるともしれない呟きが、宛先を探してさまよっていた。ここはどこ、と問う声に、七週間前の自分の声が重なった。

    イオは布で水を拭い、次の一枚を浸した。同じ女の声。けれど、変わっていた。

    「——きょうは、はちがつ、とおか。あさから、せみが、ないています」

    その日本語は、数えるか、叫ぶか、言い訳をするかしていた。この声は、ただの一日を語っていた。誰にも急かされていない、蝉の鳴く朝を。声から、戸惑いが消えていた。問うことをやめ、ただ報告することを覚えた声だった。

    三枚目。秋。声はもう、自分がどこにいるかを問わなかった。数え歌をうたっていた。実りの数を、急ぐ理由のない速さで、ひとつずつ。

    四枚目。冬。声が、ゆっくりになっていた。一語ずつ、間をあけて。最後の報告を終えると、風の音だけが長く続いて——途切れた。それきり、女の声は石板から流れなかった。

    私は、イオが説明する前に、もう聞き取ってしまっていた。戸惑いから報告へ、報告から数え歌へ、そして冬の途切れへ。この声の主は、招かれた客だったのだ。四季が一巡するまで、ただの一日を、ただの一日として遺し、そして帰った。石と水に蓄えられるのは、生きた口がほんとうに話した声だけ——文法の表でも、語の一覧でもない。だから、その声を遺すには、その言葉を母語として、ただの朝のように話す口が、要る。

    「コッシンレ」(言葉は、死ぬ)とイオは静かに言った。世界の言葉は、ひとつ、またひとつ、最後の話者が口を閉じるたびに、死んでいく。

    そして、死んでしまったあとでは、もう蓄えようがない。母語とする口が、世界のどこにもいなくなるからだ。

    「なぜ」と私は訊いた。声がかすれた。「なぜ、過去の言葉を集めるの」

    イオは水盤の水面を、長いこと見ていた。それから、棚の何千枚を、ゆっくりと見渡して、言った。

    「イソ、ナニポロウカ」(イソは、なぜ滅ぶか)。イオは石板を一枚引いて、短く答えさせた。「イタイパク——ワスト」(石板曰く——彼らは、忘れる)

    イソを滅ぼしたのは、急いだことでも、たくさんの火を焚いたことでもない。忘れたことだ。過ぎたことを、いまの自分の手で引き受けるかわりに、誰かのせい、時代のせいにして、うしろへ捨てていったこと。捨てられたものは、もう手入れされない。手入れされないまま積もったものが、ある日、牙をむいた。

    「ノチ、ワスナシレフ」(ノチは、忘れない)

    そう言って、イオはまた棚を見渡した。だが、と私は思う。ノチ語は、ひとつの言葉にすぎない。どれほど正しく組まれていても、ひとつの言葉が容れられるのは、人が世界を語る無数のやり方の、たったひとつだけだ。ノチ語だけを抱えて、ほかのすべてを死ぬにまかせれば——それもまた、忘れることだった。城壁の内側で、イソと同じ病を、もう一度くりかえすことになる。

    そうならないために、ミナの円は、城壁よりずっと遠くまで広がっていた。蝉の朝を語った、あの女の人の声も、その円の中にいた。いまを生きるわれらでも、いまだ生まれぬわれらでもない——かつて語り、もう黙したすべての口までを、ひとつの「われら」に数える円。忘れない、とは、つまりこういうことだ。時を超えて、どの声も、最後には消えてしまわないようにすること。この庭は、何千の言葉を覚えていた最後の人々が、ひとつの言葉しか持たない子孫へ残した、いちばん大きな円だったのだ。

    私の中の言語学者が、一瞬だけ口を挟んだ。言語が思考を縛るという主張を、私の時代の学問は、検証して棚に戻していた。だとすれば文法は、城壁ではなく、墓碑ではないのか。生き延びた人々がただ少なくて、ただ深く懲りていただけのことを、あとから文法の手柄に——

    「ミナ、シルナシ」(われらは、知らない)とイオは言った。

    設計者たちの仮説が正しかったのか、三万年の平和はただの僥倖なのか、検証する方法を、ノチは持たない。比較すべきもうひとつの世界が、ないからだ。城壁が本物かどうかは、誰のナの円にもない。

    私は、口をつぐんだ。文法は墓碑かもしれない。けれど、墓碑だと決まったわけでもない。決まらないからこそ、石を積むか積まないかは、信じることではなく、選ぶことになる。検証できない仮説の上に建っている、と私が指摘した文明は、それを最初から知った上で、建っていたのだ。

    ◇

    採取、と私はのちにノートに書いた。根ごと引き抜くのではなく、群落から一株だけ借りて、株は元の土へ返す。それ以上に正確な訳語を、私はまだ見つけていない。あの女の人は、そうやって四季を語りきった、私のまえの、日本語の客だったのだ。そして私は、その次の客。

    では、なぜ私なのか。あの女の人がいたのなら、日本語は、もう採られているのではないか。問いの形を整えるより先に、口から出ていた。

    「ピッオコッ、ピッナシ」(ひとつきりの言葉というものは、無い)とイオは言った。あの女の人の日本語と、シオリの日本語は、同じ木の、別の年輪だ。百年離れた話者は、厳密には、別の言語の話者——ミナは、木を一枚の板にしない。年輪のまま、集める。

    それは、日本語をまた採る理由ではあっても、私を採る理由ではなかった。それでも、と私は引かなかった。同じ年輪に、数千万人がいたはずだ。なぜ、私だったのか。

    「ナルオソㇰ、ㇲウェッオニューン、カヨレ」(ナルの底は、すべての眠りに通じる)。イオは短く息を継いだ。「カヨオニュー、スクナミ」(通れる眠りが、少ないゆえに)。言葉という住処を失って、なお言葉に住処を求める者——その者のニューだけが、底に届くのだと、イオは続けた。錠剤の力を借りて、ようやく底に近づく、あの十月の浅い眠り。その底でも、私のニューは、まだ言葉を探していたらしかった。

    「私は見る——シオリのニューは、ずっと、言葉を手放せない者の、深い深い匂いがする」

    「オㇺ。シオリオニュー、ソㇰカヨ」(私は思い出している——シオリの眠りが、底を、通る)

    その言葉で——あの朝、ほどけて消えたあの像が、いまになって、輪郭をともなって戻ってきた。銀の畑を濡らす春の雨。走る夏の水。刈られる草。寝台を白くする雪。十月の夜に眠った体に、なぜ春から始まる一年が用意されていたのか。底をくぐる眠りが、四季の巡りを——石に遺せる声としてではなく、私の体が通り抜けた道として——手渡していたのだ。そしてその傍らには、見慣れた天井へ戻る水の道も、最初から開いていた。どちらを選べとも迫られなかった。ふたつの道を差し出され、私は、紙と黒炭が待つ世界へ、自分で一歩を置いた。

    言葉の現場に立ちたい、と私は十年、思いつづけていた。思いつづけたまま、その思いを倉庫の棚のいちばん奥にしまって、鍵をかけて、それきり開けなかった。ナルの底が嗅ぎ分けたのは、たぶん、その棚のいちばん奥の匂いだった。招かれたのは私だ。渡ることを選んだのも、四季を見届ける側へ足を置いたのも、私だった。

    ◇

    その夜、私は寝台の上で、ノートを開いた。聞いたことを順に書き取ろうとして、やめた。書きとめておかないと消えるのは、感じたことのほうだ。

    【フィールドノート 五十七日目】
    ・連れてこられたのではない。私は、自分の足で、ここへ来た。いちばん怖いのは、それが、ちっとも嫌ではないことだ。

    ノートを閉じて、私は北の斜面まで歩いた。ひと月前に植えた苗木は、まだ私の膝に届かない高さで、夜風に揺れていた。五百年後、ここは森。ソーツレフ。その文は、もう翻訳を経由せずに、私の中に立っていた。

    蝉の朝を語った、あの女の人。あの人はどの時代の人で、どんな一年をここで過ごして、何を遺して、帰っていったのだろう。帰った先で、あの人は、誰にこの話をしたのだろう。誰にも、しなかったのだろうか。誰にも信じてもらえない一年を、たったひとりで抱えて。その背中が、ふいに、自分のものに見えた。

    この世界に来てから、初めての涙が流れた。

    第九章 帰り道

    それからのおよそ十か月を、私は二重の言語のなかで生きた。

    日本語を遺す仕事に、決まった刻限はなかった。気の向いた日に記録庫へ行き、水盤の前に座って、石板に声を刻む。何日も足が向かないこともあった。扉はいつも開いていて、ただ、私が来るのを待っていた。

    彼らの採取の手順は、よくできた辞書の編集方針に似ていた。基礎語彙。音韻の最小対。活用のパラダイム。それが済むと、自由な語り。昔話、数え歌、料理の手順、駅のアナウンス、しりとりのルール、つまらない駄洒落とそれを説明する野暮。何を、いつ吹き込むかは、私に委ねられていた。イオは私の声を、一度も急かさずに集めた。

    「言葉は、辞書の中で死に、語りの中で生きる」——あの教授の、もうひとつの口癖だった。だから私は語った。文法的に正しい日本語だけでなく、私の日本語を。母の口癖も、営業部の朝礼も、吹き込んだ。あなたのためを思って言ってるのよ、という文を石板に刻んだ日、私はそのあと丘で、少し笑って、少し泣いた。何年後か、何百年後か、何千年後か、いつか誰かが、この文を聞く。ノチ語に翻訳できない、この文を。彼らはこれを、ノチ語には翻訳できない一語として、磨いて、庭に置くのだろう。「われら」のいちばん遠い縁の、ひとつの声として。

    暮らしのほうにも、十か月ぶんの厚みがあった。春は長く居座り、夏は焦らずに来た——ように、私には感じられた。急がない人々のただ中にいると、季節までゆっくり歩いて見えた。

    夏のあいだに、水路の見回りが、私の仕事になった。最初の週に堰をあふれさせ、ふた月目には増水の前で立ちすくんだ、あの水路だ。増水の朝に岸へ出て、水を見て、子どもらを遠ざけておくこと。あの日から、それは私のナの円に入れてある。誰に任命されたのでもない。私が毎朝そこに立つことを、村がだんだん、あてにするようになっただけだ。

    秋の刈り入れでは、銀色の草を倒す鎌の角度で、また子どもたちに笑われた。冬のはじめ、丘の寝台の脇に小屋が建った——例によって、誰も、何も言わずに。正確に言えば、雨の季節にいつのまにか寝台の頭上へ掛かっていた草葺きの庇が、気づけば壁と戸口を得ていたのだった。

    ウタは四歳になり、私の発音から「遠くの訛り」が消えたと宣言した。子どもの認定ほど厳しい審査はないから、たぶん本当に消えたのだろう。そのかわり、と言うべきか、私の日本語のほうに変化が出始めていた。石板に語りを吹き込んでいて、「〜しなければならなかったのに」という形がうまく出てこず、三秒詰まった。出てきたときには、外国語の構文を組み立てるときの、あの額の奥の手応えがあった。

    母語が、軋む音だった。

    私は怖くなって、それから、怖くなった自分に少し安心した。まだ怖いと思える程度には、私は日本語の側にいた。

    もうひとつ、いとおしいような発見があった。ウタと遊び仲間たちは、想起辞のオㇺを、しばしば「オ」と縮めて発音した。「オシオリク」——思い出している、シオリが来た。大人たちは直さない。直しても、また縮む。私の中の言語学者が、その先を勝手に想像した。縮んだ想起辞は、いずれただの接辞になる。接辞になった想起は、もう「いま思い出している」ことを意味しない。それは——彼らがわざわざ現在に包むのをやめた、ただの過去形だ。

    過去形は、設計者たちが取り除いたのではない。ただ、前へ傾けた重心は、三万年かけても、永遠ではなかった。子どもたちの口の中で、過去はまた当たり前に、うしろへ流れ始めている。いつか彼らは、また振り返るようになるのかもしれない。

    その日のためにも、庭があるのだ、と思った。彼らがいつか振り返りたくなったとき、世界中の声が——「われら」のいちばん遠い縁が——石の中で、待っている。

    ◇

    冬のあいだに、一度だけ、規則の外の石板に触れた。

    水盤の手入れを任されていた日、棚の最下段の奥に、刻みの新しい一枚があるのに気づいた。何の気なしに、浸した。

    流れ出したのは、ノチ語だった。

    死語の庭に、生きている言葉の石板が、一枚だけある。年老いた女の人の声で、それは庭仕事の段取りのような、ごくささいな言付けを言って、最後に、少しだけ笑った。それだけの録音だった。

    顔を上げると、戸口にイオが立っていた。

    イオはゆっくり近づいてきて、石板を水から上げ、布で拭いて、元の場所に戻した。それから、訊かれてもいないことに、私の知る限り初めて、自分から答えた。

    「アオピッ」(私の、人)

    連れ合いだった人。ずっと前に、病んで、治療を断った。それはその人のソの円の中にあった。けれどイオは、黙って受け入れたのではなかった。イオはこう言ったのだという——「私は見る、あなたがいなくなることを、私は悲しむ」。「もし私なら、治療を受ける」。「私は、明日もあなたと水を汲みたい」。観察法と、仮定法と、自分の未来の文。イオは、自分の円から言えることを、すべて言った。そのうえで、治療を選ぶ最後の一歩だけは、奪わなかった。寝床を整え、水を汲み、最後の日々の言付けを聞いた。それが、イオのナにあるぜんぶだった。

    「ピトリオコッ、シンレ」(ひとりの人の言葉も、死ぬ)

    ひとりの人が死ぬとき、その人の言葉も死ぬ。癖のある語彙も、節回しも、笑うときの息の継ぎ方も、その人にしか話せなかったひとつの言語が、まるごと。だからこの一枚は、ここにある。死語の庭の、いちばん下の棚に。

    規則を破っているのか、とは、訊かなかった。かわりに、ずっと訊けなかったことを訊いた。言えることをぜんぶ言って、それでも最後の選択を相手に残したことを、あとで悔いなかったのか。

    イオは長いこと、黙っていた。それから言った。

    「ワスナシレフ」

    忘れない——百年相で。自分が土の下に入って、自分を覚えている者がみんな土の下に入った、そのあとも、忘れない。文として成り立つのか、私にはわからなかった。でも、過ぎたことをうしろへ流す言葉で、それでも人を悼む方法を、この人たちはひとつ持っているのだと、そのときわかった。忘れないことを、過去にではなく、未来の側に置くこと。

    ◇

    雪がひと冬降って、解けて、植えた木が膝の高さを少し越えた頃、イオが水盤の前で言った。

    「イタミㇳレ」(石板は、満つ)

    採取の終わり。帰ろうと思えば、いつでも帰れた。それでも残っていた私に、帰るときが来た。残りつづけることは、できないのか、と一度だけ訊いたことがある。答えは静かだった。道は、四季より長くは保てない。一巡を過ぎれば、ナルの底は閉じる。その先は、誰かに選べることではない——降る雨と同じ、円の外の話だった。

    最後の数日、いつもの変わらない日々の中で、二つ、いつもと違う出来事があった。

    ひとつは、トエの工房でのこと。暇乞いに行った私に、トエは一枚の織物をくれた。あの、三度織り直した模様だった。受け取って、広げて、私は息をのんだ。模様だと思っていたものは、模様ではなかった。横糸の濃淡が、規則的に並んでいた。音を速さと切れ目と強さにほどく、トエの織り方だった。

    「シオリの声」とトエは言った。「最初の日の」

    織り込まれていたのは、私の声の形だった。私があの広場で叫んだ、日本語、わかる人、English、anyone——その言葉を再生できる布ではない。けれど、息を継いだ場所、声が跳ね上がった高さ、返事を待てずに次の言葉を重ねた速さが、そこにあった。通じなかった声は、消えていなかった。

    「アイ」としか、私は言えなかった。この一年で覚えたどの語も、その瞬間には小さすぎた。

    もうひとつは、出発の前夜、イオの戸口でのこと。

    イオは、最後の選択を私に渡した。帰る者は、ここでの記憶を、持って帰ることも、ナルの底に置いていくこともできる。置いていけば、私は金曜の夜の続きから、何も失わず、何も得ず、目を覚ます。持って帰れば——イオはそこで言葉を切って、観察法でも仮定法でもない、ただの事実の文を足した。

    「持って帰る者の多くは、向こうで、ひとりだ」

    どうやって知るのか、とは訊かなかった。観測の要らない、論理だけで足りる種類の事実だった。誰にも信じてもらえない一年を抱えて、過去形の言語の中で、生きていくことになる。証拠は何もない。トエの織物も、私のノートも、体ひとつで還る者は持ち出せない。ナルの底を通るのは、ニューのあいだの私だけだ。

    記憶を消せば、楽だ。持ち帰れば、重い。さあ、どうする——その一文を、イオは言わなかった。他人に選択を迫る文は、ノチ語では、相手のソの円へ踏み込む形にしか組めない。問いがどの円に触れるかを、文法が、口を開く前に白状させてしまう。だからイオは、ふたつの道がある、という円の外の事実だけを並べた。選ぶ一歩は、渡さない。

    「シオリソ」とイオは言った。それはあなたの領分だ。

    一年前の私なら、たぶん、誰かに決めてほしかったと思う。先生ならどうしますか、お母さんはどう思う、普通はどっちにするものですか。私はいつも、自分の円の中の問いを、他人の円に出前してきた。出前した分だけ、選ばなかった人生が、たまっていった。

    私は、考えた。しばらく考え込んだ。イオは待った。彼らは、待つことにかけては、三万年の文明だった。

    「モケーレナ」(私は、持って帰る)

    レナ。自分が為す未来。発音した瞬間、自分の声の確かさに、自分で驚いた。

    イオは瞳を、これまででいちばん深く細めた。それから、餞別のように、

    「シオリオコッ、コトオニパナルレフレフ」(あなたの言葉は、言葉の庭に、在る)と言った。

    あなたの日本語は、あなたが死んで、あなたを覚えている者がみんな死んで、そのずっとあとも、この庭にある。小石が落ちるのと、同じ確かさで。

    その夜、私はいったん丘へ戻り、自分の紙の束と、トエの織物を抱えて、イオの戸口へ引き返した。差し出すと、イオは受け取った。どの棚に置くのかは、訊かなかった。それはもう、イオのナの円の中のことだ。ただ、勝手に想像することまでは、どの文法も禁じていない。記録庫のいちばん下の棚の、刻みの新しいあの一枚の隣を、私はいまでも、勝手に想像している。

    出発の朝は、よく晴れていた。

    ナルのほとりまで、村の人たちが、ひとりずつ来ては「トホ」と言って、帰っていった。出会いと別れが同じ挨拶であることの意味を、私はもう知っていた。あなたの時間が続くように。どちらの方向にも、同じ祈り。

    ウタは最後まで残って、泉のふちで、私の袖をつかんでいた。四歳のウタには、もう大人の文法が骨まで入っているはずだった。行かないで、は、ウタには言えない。行くかどうかは、私自身のナにあり、ウタから見れば私のソの円の中にある。文がひとつ、出かかって、止まるのを、私は見てしまったと思う。ウタに組める文は、自分の円の中の文——私は泣く——だけで、それでは足りないことを、四歳は、もう知っていたのだ。それからウタの口が、もう一度ひらいた。出てきたのは、ウタの言葉ではなかった。

    「ダメ」

    語頭の、濁った音。あの増水の日に私が叫び、ウタが「タメ」としか発音できなかった、私の国の一語。ウタは一年かけて、濁りごと言えるようになっていた。自分の文法では組めない文を、ウタは私の言葉から一語だけ、ノチ語にない濁りごと借りて、組んだのだ。

    行かないで。人の円を、またいでしまえる言葉。あなたのソを、ナの籠に入れてしまえる、私の母語。三十二年、私はそれを、重いとばかり思ってきた。同じ性質が、四歳の口の中で、二音の、まっすぐな贈り物になっていた。

    それからウタは袖を離して、言ってしまった越境を自分で回収するみたいに、両手を皿の形にして差し出した。空の皿。入れるかどうかは、あなたが決めればいい。

    私はしゃがんで、その小さな皿に、ひとつの約束を置いた。

    「ウタ。オㇺオㇺレフ」(私は、思い出しつづける)

    文法的には、たぶん意味が成り立たない。思い出すことは生きている者の仕事で、レフは、私が土の下に入ったあとの形。重なるはずがない。でも、同じ無理を、私はもう知っていた。ワスナシレフ——イオが連れ合いのひとのために組んだ、あの成り立たないはずの文。あの無理を、私はウタのために、想起の動詞で繰り返したのだ。ウタは瞳を細めて頷いた。三万年の言語のほつれた端に、私はたぶん、結び目をひとつ、置いてきた。

    泉の底は、冷たくて、明るかった——という記憶があるけれど、それはたぶん、眠りに落ちる瞬間の夢だ。最後に聞こえたのは水音で、その水音は、どこかで電車の走る音に変わった。

    目が覚めたとき、天井があった。

    見慣れた、私のアパートの、染みの形まで覚えている天井だった。スーツのままだった。スマートフォンが枕元で充電されていて、画面は土曜の朝、六時十二分を表示していた。

    金曜の夜の、続きだった。

    無断欠勤は一日もなかった。警察も、母の捜索願も、なかった。私のいない一年は、この世界の側には、存在しなかった。

    私は布団の上に座って、自分の両手を見た。畑仕事のまめは、消えていた。トエの織物も、私の書いた辞書も、手元になかった。証拠と呼べるものは、本当に、何ひとつ残っていなかった。

    ただ、頭の中で、目覚めてから今までの思考が、ぜんぶノチ語で流れていた。

    窓の外で雀が鳴いた。

    「イペオソトン、ㇲウェーナㇰ」(家の外で、雀が鳴く)

    ——と、私は思った。日本語ではなく、ノチ語の現在形で。考えるより先に、文になって立っていた。

    私は、持って帰ってきた。

    第十章 現在地

    最初の土曜と日曜を、どう過ごしたのかは、じつはよく覚えていない。覚えているのは、目が覚めるたび、枕元の——あるはずもないノートへ、手が伸びたことだ。指は、何にも触れなかった。水路の水音のない朝。ウタの声のない朝。失ったものの大きさは、そういう、体の癖の空振りで測られた。証拠はひとつも持ち帰れなかったはずなのに、この空振りだけは、たしかに向こうから持ち帰ってきたものだった。

    世界は同じだった。でも、受け取り方が変われば、同じ世界には見えない。月曜の朝、私は一年ぶりに満員電車に乗って、その密度の中で、奇妙なほど静かな自分を見つけた。

    隣で舌打ちが聞こえた。誰かの鞄が誰かの背に当たったらしかった。以前の私なら、その舌打ちは皮膚の内側まで入ってきて、降りる駅まで小さく鳴りつづけたはずだ。いまは、窓の外の天気と同じ場所で鳴って、同じ場所で消えた。私は自分の鞄を、抱え直した。あの満員の箱の中で私にできることは、もともと、それだけだった。

    会社に着くと、営業部の朝礼があった。今月の数字、先月比、前年比。課長の声を聞きながら、私は頭の中で、それを習慣どおりに翻訳していた。過ぎたことをうしろへ流す言語に、前年比を訳すのは難しい。訳しているうちに気づいた。この部屋で語られることのなかに、レフに置き換えられる文が、ひとつもない。レフどころか、一年後に届く文さえ、めったにない。あるのは過ぎた数字との比較と、今月の数字への号令だけで、号令はぜんぶ、誰かのソの円に向かって発せられていた。

    イソの言葉だ、と思ってしまってから、私はその考えの不遜さに、ひとりで赤くなった。ここを「滅びゆく文明」と呼ぶ資格は、私にはない。ここは私の国で、私の職場で、隣の席の同期は今日も親切で、駅の蕎麦はうまい。それでも、朝礼の文法を観察してしまう耳は、もう、元に戻せなかった。一度刻まれた轍は、消えてくれなかった。

    昼休みに、辞書編集部の元上司に、社内チャットを送った。

    私は、戻りたいです、と書いた。その望みを口にすることは、私のナの円にある。続けて、改訂作業の人手が足りないと聞いています。私は校正ができます。今週、三時間出せます。必要なら、声をかけてください、と付け加えた。戻れるかどうか、私を使うかどうかは、向こうの円に残した。

    返事は十五分で来た。「金曜の十六時、来られる?」

    あっけなかった。望みを口にすることと、それが聞き届けられること。三十二年、私はその二つを、いつもひとつに握りしめて、どちらも言い出せずにいた。言って断られるのが怖くて、言うことそのものを、のみ込んできたのだ。けれど、口にするほうだけは、誰の許可もいらない。ずっと、私の円の中にあった。

    母から電話が来たのは、水曜の夜だった。

    「あんた、まだ営業部で我慢してるの。向いてるわけないじゃない、あんたに営業なんて。ねえ、お母さん、知り合いに頼んで——」

    母の声は、変わっていなかった。受話器の向こうで、心配が、いつもの形で渦を巻いていた。以前の私はここで、ありがとう、でも大丈夫、と言って、大丈夫じゃない夜を過ごした。あるいは、放っておいてよ、と言って、罪悪感で眠れない夜を過ごした。反論と服従は、違うようでいて、同じ円の混同だった。

    私は、息を吸った。

    「お母さん。心配してるんだね」

    そこで止めた。母の心配を否定も、引き受けもせずに、次の言葉を置いた。

    「何をするかは、私が決めるよ。決めたら、報告する」

    電話の向こうが、長いこと、静かだった。

    それから、母は怒った。当たり前だ。三十二年続いた文法を、娘が一方的に変えたのだから。あんたは昔からそうやって理屈ばっかりこねて、誰のおかげで大学まで行けたと思ってるの、お母さんがどれだけあんたのことを心配して——受話器の向こうで、聞き慣れた渦が、聞き慣れない速さで回った。以前と違って、私はその渦を、円の外の天気として聞いていた。降る雨を責めても仕方がない。私のナの円にあるのは、傘を差すことと、雨があがるのを待つことだけだ。

    渦は、回りきると、ふいに止まった。短い沈黙のあとで、母は、急に小さくなった声で言った。

    「……あんたが何も話してくれないから、お母さんには、何もわからないのよ」

    それは、渦の言葉ではなかった。籠の底から出た言葉だった。受話器を持つ手に、力がこもった。

    一年の話を、しようとした。天井のない朝のことを、声の石板のことを、ノチの人たちのことを。でも受話器の前で、その文は、日本語のどんな形にもならなかった。わかってほしい——その願いを、相手の円へ踏み込まずに置く方法を、私はこちら側の言葉では、まだ知らなかった。母の本音にこたえる一文は、とうとう、組み上がらなかった。そのあいだに、母は自分の沈黙を、上から塗り直した。

    「もういい。勝手にしなさい」

    そう言って、母は電話を切った。勝手にしなさい。母がいちばん怒ったときに使う言葉は、ノチ語に訳すと、いちばん短い文になる。ソ。それはあなたの円の中にある。

    金曜の十六時、私は一年ぶりに辞書編集部のフロアに入った。

    ゲラの山と、用例カードの箱と、煮詰まったコーヒーの匂い。元上司は赤鉛筆を耳に挟んだまま笑った。「久しぶり。ひと月ちょっとぶりだね」

    一年ぶりです、と喉まで出かかって、私はそれを、出されたお茶と一緒に飲み込んだ。この国のどこにも、私の一年を置ける棚はない。話せば、心配されるだけだ。イオの言ったとおりだった。持って帰る者は、向こうで、ひとりだ。

    それでも、と棚のないフロアの真ん中で私は思った。話者がひとりでもいる言語は、まだ、死語ではない。——そう、自分に言い聞かせた。

    校正を三時間手伝って、帰りぎわに元上司が言った。「異動願、正式に出すなら推薦書くよ」、と。私は、出します、と言った。

    帰りの電車のなかで、私は母に短いメッセージを送った。「編集の仕事に戻れるよう、願いを出すことにした」、決めたら、報告する——水曜の夜に置いた言葉を、最初から嘘にしたくなかった。

    返事は、改札を出たところで来た。「そう。がんばりなさい」。それだけだった。渦は回らなかった。けれど、それは母が変わったからではない。たぶん、声ではなく文字だったからだ。電話なら、声の速さが、いつもの渦を連れてくる。次にかかってくる電話では、きっとまた同じ速さで回るのだろう。変わったのは母ではなく、その渦を円の外の天気として聞けるようになった、私のほうだけだ。

    その夜、家に帰って、私は新しいノートを一冊おろした。

    仕事用でも、日記用でもない。表紙に、私は油性ペンで書いた。

    『ノチ語辞典 第一稿』

    証拠は何もない。音声資料も、インフォーマントへの照会手段も、もうない。あるのは私の記憶だけで、記憶は、これから毎日すり減っていく。だから書く。言語学者にならなかった言語学徒の、たったひとりの話者の、検証不可能な記述。でも、辞書というものは、いつだってそうやって始まったのだ。最初の辞書編纂者には、参照すべき辞書がなかった。

    私は最初のページを開いて、見出し語の一番を書いた。

    【アイ】感動詞。ありがとう。語源は「ありがたし」のウ音便形「ありがたう(arigatau)」の、頭部だけが残った摩耗形か。用法は現代日本語の「ありがとう」より狭く、かつ深い。ものを受け取ったときには、あまり使わない。良い問いや、こちらの円を侵さない形で差し出された言葉にも使う。

    用例。失敗して教えを求めた者に、教えた側が言う——アイ。

    書きながら、私は思っていた。この辞書を、誰が引くのだろう。誰も引かないかもしれない。私が死ねば、ただのノートとして処分されるかもしれない。それでも——と、頭の中で、あの確信法が立ち上がる。イオが餞別にくれた、いちばん長くて、いちばん硬い、未来の形が。

    もうひとつ、決めていることがある。辞書と並べて、もう一冊。この一年に起きたことを、起きた順に書く。ノチ語なら、いまの想起に包むところを——私は、過去形のまま、手のひらに載せておく。済んだことを、済んだ形のまま置いておける書き方を、私はまだ持っている。それは、私のもうひとつの言語には決してできない、こちら側の言葉にしかできない仕事だ。書き上がれば、それもいつか、誰かの記憶に住みついて、ナルの底へ流れていくのかもしれない。

    ——目が覚めたとき、天井がなかった。

    手記の第一章を書き終えて、私は窓を開けた。

    十一月の夜風が入ってきた。アパートの小さなベランダに、日曜に買ってきた素焼きの鉢が置いてある。植わっているのは、花屋の店先でいちばん地味だった、どんぐりから芽を出して、まだ鉛筆の丈にも届かない楢の苗だ。鉢植えには向きませんよ、と店員は言った。

    その言葉を聞いて、私は買うことを決めた。

    ベランダの鉢では、いずれ足りなくなるだろう。だから、もう調べはじめている。苗木の里親制度。雑木林の再生活動。譲るなら、根を傷めない季節に、土ごと渡す。それまでは私が、毎朝の水と、葉の色を見ることを引き受ける。渡したあと、この木がどんな木になるかは、受け取った手の円の中。この木が雑木林の一本として天を支えるころ、私はたぶん、もういない。さみしくないと言えば、嘘になる。それでも、と十一月の風の中で思った。

    私は鉢にゆっくり水をやりながら、あの植樹の日の文を、声に出して言った。たぶん、いま地球でただひとりの話者の発音で。うしろを振り返らない、未来が五つある、私のもうひとつの母語で。

    「ノチ、ニパ、ウェウェレフ」

    われらは、世界を、植えつづける。

    ノチ。後の者たち。いまだ生まれぬ者を含む、われら。

    あの村でこの文を聞いたとき、私は「われら」の外にいた。三万年後を生きる人々の言葉だと思っていた。けれど、私が見届けられない木に水をやり、まだ知らない誰かの手へ渡そうとしている今、この一語は、私の声にもなっていた。

    鉢の土が水を吸い、濡れた色に変わった。小さな葉が、十一月の風に震えた。

    私は、私より前に何かを植えたすべての手と、私のあとでそれを受け取るすべての手に向かって、辞書の最初の言葉を重ねて言った。

     
     
    創作大賞2026に言語SF『のちのことば』で応募しています。

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