白州のハイボールとホーチキの夜
「またご飯行きたいですー!」
そんな、いかにも彼女らしいLINEが届いたのが日曜日。
「暇だからいつでもいいよー」
と確かに返したけれど、まさか火曜日に誘われるとは思わなかった。
でも、その急さに、なんとなく意味を感じた僕は、その誘いを快諾した。本当に暇だった、というのもあるけど。
彼女の希望地は恵比寿か目黒。恵比寿のあのキラキラ具合には、もはやついていけない年齢になった僕は、迷わず「じゃあ目黒で!」と答えた。
そして飲み会当日。僕は勤務先から電車で約1時間30分かけて“上京”した。
すっかり東京から足を洗った僕にとって、夜の目黒駅前は、じゅうぶんすぎるほど東京だった。
その日は、冬将軍の最後の総攻撃かと思うくらい風が冷たかった。目の前をひっきりなしに行き交うコート姿のビジネスマンたちの歩く速度も心なしか速く感じた。
待ち合わせの居酒屋の前で、肩をぶるぶる震わせながら待っていると、ほどなく彼女が現れた。
めったに会わないからか、会うたびに驚く。
「えっ!こんなに綺麗な人だったっけ?」
まだ19時過ぎなのに店内はすでに満席で、「1時間30分だけならいいですよ」と威勢のいい若い兄ちゃんに言われた。
「きっとそれくらいで十分だよな」と勝手に判断した僕は、奥の二人がけの席に案内してもらう。
"とりあえず生"で乾杯し、
「急に呼び出したのには理由(わけ)があるんでしょ?」
と僕から口火を切ると、やはり仕事に関する相談だった。
でも、いろいろ話しているうちに、「僕のアドバイスなんて、どれも彼女なら先刻承知な内容ばかりだな」と思うようになった。
そして、鈍い僕は、ようやく気づいた。
彼女はきっと、ただ誰かに話を聞いてもらいたかっただけなんだな、と。
案の定、ウザい先輩のこと、家庭のことなど、今まで聞いたことがない、いろんな悩みを打ち明けてくれた。
彼女と初めて出会ったのは6年前、彼女が25歳の頃だった。
優秀で、でも、それ以上に、人としてすごく個性的で面白い子だった。
僕はそういう人には、老若男女問わず、安心して素の(ダメな)自分を出せる。
だからこれまでは、むしろ彼女の方が僕のよき相談相手だった。
恥ずかしながら、彼女の前で涙を見せたことすらある。
会うたびに、
「若いのにしっかりしてすごいなあ!」
なんて感心していたし、いつも楽しそうで、けらけらと笑っていて、きっと悩みなんてひとつもないんだろうな、と勝手に想像していた。
もちろん
“んなわきゃあなかった”
わけだが。
「人間って難しいですね」
白州のハイボールのグラスがかいた汗を指でなぞりながら、彼女は小さくつぶやいた。
気づけば二軒目もはしごして、三時間以上が過ぎていた。
家が遠い僕は、そろそろ帰る時間だった。
地下の店から地上に出ると、人影もビルの光もまばらになった駅前の様子は、いっそうさみしく見えた。風も、さらに冷たくなっていた。
お互いに肩をすくめながら駅を目指していると、暗闇の中に「ホーチキ」という赤いロゴの書かれたビルが浮かび上がった。
突然、彼女の明るい声が響いた。
「あそこ、前の会社のときのお客さんで、訪問したときに報知器のデモンストレーションを見せてくれたんですよね」
「へー!それは貴重な体験をしたね!」
なんてことのない会話だった。
でも一瞬、あのチャキチャキで怖いもの知らずの女の子と話しているような気がした。
「まあ、暇だから、気が向いたらいつでも誘ってよ」
そう言って、JR目黒駅の改札前で手を振った。
山手線に揺られながら、別れ際の彼女の顔が脳裏に浮かんだ。さっきまであんなに明るく笑っていたのに、なぜか、ひどくさみしそうに見えた。
僕はコートのポケットからスマホを取り出し、THE BLUE HEARTSの「人にやさしく」のライブ映像のURLを貼り付けたメッセージを送信した。
「ありがとうございます!!」
数分後、彼女から返ってきたその文字の勢いに、僕はようやく息をついた。

