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Photo bynyakopan

好きなことを仕事にしたいのに、怖い

    SNSで、「好きなことを仕事にしたらいいよ」という言葉を見るたびに、少しだけ息が苦しくなる。

    好きなことを仕事にできたら幸せだろうな、とは思う。
    毎朝、気が重いまま出勤するより、自分の好きなことで生きていけたらどれだけ楽だろうとも思う。

    でも、その“好き”で食べていけなかった時、自分には何が残るんだろう。

    私はずっと、その怖さから逃げられない。

    最近、noteを書いている。
    ダイエットのこと。
    トレーニングのこと。
    HYROXのこと。
    キックボクシングのこと。
    毎日の小さな感情のこと。

    少しずつ投稿して、少しずつ「スキ」が増えていくのがうれしかった。

    たった一人でも、「読んだよ」と反応をくれる人がいるだけで救われた。

    だから、思ってしまった。

    もしかして私は、こういうことがやりたかったんじゃないかって。

    でも同時に、怖くなった。

    もし本気になってしまったら。
    もし期待してしまったら。
    もし何も変わらなかったら。

    会社員をしながら「好きなことやりたいな」と言っているうちは、まだ安全だ。
    うまくいかなくても、“本気じゃなかった”ことにできる。

    でも、本当にそっちへ進み始めた瞬間、言い訳ができなくなる。

    数字も見えてしまう。
    人気の差も見えてしまう。
    自分より上手い人なんて、山ほどいる。

    「向いてないかもしれない」

    その現実を突きつけられるのが怖い。

    だから私は、進みたいのに止まる。

    noteを書いてみたり、SNSを頑張ってみたり、急に投稿を止めてみたり。
    アクセルとブレーキを同時に踏んでいるみたいな生き方を、ずっとしている。

    たぶん私は、「好きなことで成功したい」んじゃない。

    認められたいんだと思う。

    “このままの自分でも、生きててよかった”って思いたい。

    だから、反応がない日は落ち込む。
    数字が伸びないと、自分に価値がない気がしてしまう。

    好きで始めたはずなのに、いつの間にか苦しくなる。

    それでも、やめられなかった。

    夜中に文章を書いて、投稿ボタンを押して、朝起きて通知を見る。
    そんな小さなことに一喜一憂している自分を、少し情けないと思いながら。

    初めてnoteを有料にした日のことを、今でも覚えている。

    何度も下書きを開いて、閉じて、また開いた。

    五百円にするか、千円にするか。
    そんなことで何時間も悩んでいた。

    別に高級ブランドを売るわけでもない。
    自分の文章だ。

    でも、「お金を払ってください」と言うのが、ものすごく怖かった。

    今までは無料だった。
    だから、読まれなくてもそこまで傷つかなかった。

    でも有料にした瞬間、「価値があるか」が見えてしまう気がした。

    この文章に、お金を払いたいと思う人なんているんだろうか。

    何回もそう思った。

    投稿ボタンを押したあと、スマホを伏せた。
    怖くて見れなかった。

    数分後、結局またスマホを開いた。

    通知は、来ていなかった。

    当たり前なのに、少しだけ落ち込んだ。

    それから数十分おきに、何度もnoteを開いた。

    誰か買ってくれてないかな。
    スキ増えてないかな。
    コメント来てないかな。

    通知欄を更新して、何もなくて、閉じる。
    また数分後に開く。

    完全に、通知に心を支配されていた。

    でも、それくらい必死だった。

    「好きなことを仕事にしたい」なんて、綺麗な言葉に聞こえるけど、実際はもっと泥くさい。

    承認されたい。
    認められたい。
    できれば、お金もほしい。

    好きだけじゃ続かない。
    でも、数字だけでも続かない。

    その間でずっと揺れている。

    SNSも同じだった。

    投稿した直後は、少しだけ期待する。

    「今回は伸びるかもしれない」

    でも数分経っても反応がないと、急に恥ずかしくなる。

    なんでこんな投稿したんだろう。
    誰も興味ないかもしれない。
    また滑ったかもしれない。

    通知が鳴るたびうれしいのに、通知に振り回される自分も嫌だった。

    SNSを開くたび、人と比べてしまう。

    同じような内容でも伸びている人。
    綺麗な写真を載せている人。
    言葉選びが上手い人。
    ちゃんと結果を出している人。

    見れば見るほど、自分が小さく感じた。

    それでも投稿をやめられない。

    もしかしたら次で変わるかもしれない。
    そんな期待を、どこかで捨てきれない。

    深夜、急にSNSを更新したくなる時がある。

    別に、今すぐ発信しなければいけない内容なんてない。
    誰かに求められているわけでもない。

    それでも、眠れない夜にスマホを開いてしまう。

    タイムラインを眺めて、誰かの投稿を読んで、自分だけ取り残されている気分になる。

    みんな前へ進んで見える。

    仕事を頑張っている人。
    結婚した人。
    夢を叶えている人。

    ちゃんと人生を進めている人たち。

    それに比べて私は、深夜二時に部屋の暗い天井を見ながら、「なんか苦しいな」と思っている。

    何者にもなれていない感覚が、夜になると大きくなる。

    だから投稿する。

    「今日できたこと。起きた。洗濯した。外出た。優勝。」

    そんな一文を書くだけで、少しだけ呼吸ができる気がした。

    本当は、誰かに「それでいいよ」って言ってほしかったのかもしれない。

    深夜のSNSは、不思議だ。

    昼間なら恥ずかしくて書けないことも、夜だと書けてしまう。

    弱音。
    寂しさ。
    本音。

    朝になると消したくなるような文章を、夜の自分は平気で投稿する。

    でも、そういう投稿に限って反応が来たりする。

    「わかります」
    「なんか泣きました」
    「私も同じです」

    知らない誰かのその一言に、救われてしまう。

    会ったこともない人なのに。

    たぶん私は、SNSで人気者になりたいわけじゃない。

    「ひとりじゃない」と思いたいんだと思う。

    誰にも理解されないまま働き続けるのが、怖かった。

    昔、私は「普通に働いて、普通に生活していれば、そのうち幸せになれる」と思っていた。

    ちゃんと働いて。
    ちゃんと貯金して。
    ちゃんとした大人になれば、不安なんて減っていくと思っていた。

    でも現実は違った。

    年齢を重ねても、ちゃんとしている人にはなれなかった。

    周りが自然にできていることが、自分には難しかった。

    人に合わせ続けると疲弊する。
    でも、一人で生きるには不安が大きい。

    私はずっと、その間で揺れていた。

    会社帰り、疲れた身体でジムへ向かう夜がある。

    本当はそのまま家へ帰って寝たい。
    何も考えず、動画でも見ながら眠りたい。

    でも、ジムへ向かう。

    電車に揺られながら、「なんでこんなに頑張ってるんだろう」と思う。

    別にプロ選手じゃない。
    誰かに頼まれたわけでもない。

    それでも身体を動かしていないと、不安に飲み込まれそうだった。

    ランニングマシンを走りながら、将来のことを考える。

    このまま会社員を続けるんだろうか。
    好きなことを仕事にできる日は来るんだろうか。

    でも答えなんて出ない。

    ただ息だけが苦しくなる。

    HYROXを知った時、最初は「何これ、めちゃくちゃしんどそう」だった。

    でも、なぜか惹かれた。

    ランニングだけじゃない。
    筋力も必要で、持久力も必要で、泥くさい。

    キラキラしたスポーツというより、“根性”みたいな競技だった。

    だからかもしれない。

    うまく生きれない自分と、少し似ている気がした。

    綺麗に勝てなくても、前へ進むしかない感じ。

    HYROXの大会当日も、少し似ていた。

    朝、ホテルで準備をしながら、「なんでこんなことに申し込んだんだろう」と思っていた。

    怖かった。

    周りには身体の仕上がった人たちがいて、みんな強そうに見えた。

    私はずっと、「自分は場違いなんじゃないか」と思っていた。

    でも、それ以上に、「ここへ来なかった自分」の方が嫌だった。

    スタート前、心臓が変な音を立てていた。

    緊張なのか、不安なのか、自分でも分からなかった。

    逃げたかった。

    でも、スタートした瞬間、もう走るしかなかった。

    ラン。
    スレッドプッシュ。
    ローイング。
    ウォールボール。

    苦しかった。

    何回も、「もう無理かも」と思った。

    脚も重いし、呼吸もきつい。
    思うように動けない。

    周りを見れば、自分より速い人ばかりだった。

    途中で、「なんでこんな苦しいことしてるんだろう」と本気で思った。

    でも、その時ふと気づいた。

    私はずっと、“生きてる実感”が欲しかったんだと思う。

    毎日をなんとなく消化するみたいに過ごすのが苦しかった。

    だから限界まで身体を動かして、「まだ頑張れる」と確認したかった。

    HYROXは苦しい。
    でも、不思議と嫌じゃなかった。

    息が切れて、汗だくになって、脚が震えて。

    それでも前へ進んでいる感覚があった。

    ゴールした瞬間、達成感より先に、「終わった…」という安心感が来た。

    泣きそうだった。

    自分でもびっくりするくらい、安心した。

    まだ私は、自分を諦めきっていなかった。

    たぶんずっと怖かったんだと思う。

    “普通に生きれないかもしれない”ということが。

    毎日働いて、結婚して、老後のために貯金して。
    みんなができていることが、自分には難しい気がしていた。

    ちゃんと社会に馴染めない感覚。

    周りに合わせようとすると、どんどん疲弊していく。

    でも自由に生きようとすると、今度は生活が怖くなる。

    結局、どっちへ進んでも不安だった。

    だから私は、ずっと「普通」に憧れていた。

    何も考えず働ける人。
    ちゃんと毎日をこなせる人。
    未来に安心できる人。

    そういう人になりたかった。

    でも、たぶんなれなかった。

    私はすぐ考え込むし、立ち止まるし、不安になる。

    急に全部投げ出したくなる日もある。

    SNSの数字で落ち込んで、noteの売上で一喜一憂して、将来が怖くて眠れなくなる。

    そんな自分を、情けないと思う時もある。

    でも最近、少しだけ思う。

    普通になれないなら、せめて自分を嫌いになりすぎない生き方をしたい。

    誰かの正解じゃなくて、自分がギリギリ呼吸できる人生を探したい。

    好きなことを仕事にしたいのに、怖い。

    でも、その怖さごと抱えながら、私は今日も書いている。

    きっと本当に終わる時って、「もう何もしたくない」と思った時なんだと思う。

    でも私はまだ、苦しいのに書いている。
    不安なのに投稿している。
    怖いのに、前へ進もうとしている。

    だったら、もう少しくらい自分を信じてみてもいいのかもしれない。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

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