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Photo bytake32858

『銀河鉄道999』思い出物語:999の停車駅と現代社会の交差点

     かつての夢物語として読んでいた作品は、いつのまにか、私たちが生きるこの現実社会の写し鏡になっていた。

     少年時代、ただワクワクしながら追いかけていた『銀河鉄道999』。大人になってページをめくり直したとき、私は言葉を失いました。そこに描かれていたのは、機械化という名の「効率と合理性」を追い求め、人間らしさを手放していく現代社会の姿そのものだと感じたからです。

     ここで少年画報社のコミックスからいくつかエピソードを紐解き、鉄郎の旅の軌跡を追いながら物語の中に隠された「生きていく上で大切なもの」の正体について考察していきます。

    1巻 第2話 特徴がない地方都市の未来

    「火星の赤い風」

    停車駅 火星

     いよいよ鉄郎の旅が始まります。

     最初の停車駅は火星。馴染みのある惑星でホッとします。

    「火星の気圧を人工的に地球なみにひきあげるのに1世紀かかったわ」

     メーテルにより人が住める星になるまでの苦労が語られます。今読み返すとなんだかその当時を知っているかのような口ぶりですね。

     物語の最初、RPGで言えばはじめの町、ふつうならそこではアイテムをそろえたり、王様から激励されたりするのですが、この物語はかなり不穏な様子で始まります。

     火星が人類最初のフロンティアであった時代ははるか昔、今では単なる通過駅でありさびれたゴーストタウンです。こういう町、今ではたくさんありますよね。あんなに苦労して開発したのに、その恩恵も受けられず、かといってこの町を出ることもできない。そんな無力感漂う町が最初の停車駅とは少年漫画にはありえない展開です。
     でも安心してください。これからの星もこんな感じのところばかりです。(笑)

     火星の様子も西部劇仕立てとなっており古き良き忘れられた時代の雰囲気を出しています。

     そんな中ここから脱出したい若者が現れます。若者の名前は西部フロンティア時代の伝説的な酋長と同じゼロニモ。ゼロニモも以前の鉄郎と同じく銀河鉄道のパスを手に入れることを夢見ています。しかしそのためには非常手段しかありません。西部劇仕立てなのでここでは鉄郎とゼロニモの銃による決闘が行われます。
     10才の子供と火星を生き延びてきた戦士では勝負はあきらかでしょう。しかし、いざ決闘の時に鉄郎が生身の体だとわかるとゼロニモはわざと撃たれます。
     ここからは火星に住む登場人物により機械の体や永遠の命に対して否定的な言葉がいくつも出てきます。

    ゼロニモ「おれも昔はそうだった こんなところへ流れて来る前は・・旅に出たばかりのころはおれもそうだった 血のかよったほんものの心臓の脈うつ胸の中には夢や希望がいっぱいつまっていた」
    酒場の親父「自然に生きて自然に死ぬのがいちばんいいような気がするよわしは・・死ぬべき時に死ねなかった人間は・・みじめなもんだよ・・」

     はやくも旅の目的である機械の体を手に入れる事に対して全否定です。

     しかしここで「限りある命」と「永遠の命」というふたつの価値観が明示される事でこの物語が単純な夢追いものではないこともわかります。今後鉄郎は矛盾する価値観の中で苦しむことになるのです。

     長生きイコール幸せなのか・・現代の私たちが読むと今問題になっている少子高齢化や老害の事を思い起こさずにはいられません。

     最終回までに何か答えが得られることを期待してしまいます。

    1巻 第4話 何をしてもいいところでは何も生まれない

    「タイタンの眠れる戦士」

    停車駅:タイタン

     次の停車駅は土星の衛星タイタンです。

     タイタンの自転周期は地球時間で16日だそうです。調べてみるとほんとに16日で自転しており、公転周期とも同じだそうです。地球の月といっしょですね。言い忘れておりましたが、銀河鉄道の停車時間はその星の1日と決まっております。

     タイタン最大の特徴は何といっても「楽国法」です。これはタイタンでは何をしても罪にならないという法律だそうです。無茶苦茶ですね。

     そして到着早々、鉄郎の目の前で人が撃たれ、メーテルがさらわれます。ここまででわずか6ページ。もし無法国家があればどうなるのかという思考実験の場になっています。ここは力が全ての世界になり安全な場所はありません。

     そしてもう一つの特徴として、この星には大きな産業や文化的なものは描かれません。
     ある程度の時間がかかる製品やシステムは安全が保障されなければできません。タイタンも個人的に裕福な人はいるようですが、先進的な街は描かれておらず人々も熱帯植物におおわれた中に粗末な家を建て暮らしています。

     松本氏はそこまで深い設定は考えてなかったと思いますがこんな世の中で人々が豊かな暮らしをしていたら違和感しかないですよね。

     到着早々さんざんな目にあった鉄郎ですが幸運なことに(鉄郎はいつでも幸運ですが)ある老婆から「戦士の銃」をもらいます。この老婆の息子が持っていた銃なのですが、ある日負けて戻ってきて死んだとの事。老婆は鉄郎に若き日の息子の姿をみたのでしょう。サブタイトルの眠れる戦士はこの息子でありコスモガンのことであると思います。

     本物の宇宙戦士が持つコスモガンを携えて鉄郎は人さらいからメーテルを取り返します。そしてこの星のひどい法律を実感した鉄郎は次のように言いました。

    「楽園に住む人間の心はだんだんすさんで あれはてていくみたいだねメーテル! きびしい星にいる人の心のほうが きれいなのかもしれないねメーテル」

     今の私たちも好むと好まざるとにかかわらず楽園に住んでいるのかもしれません。

    4巻 第5話 自分の本当の姿とは

    「なまけものの鏡」
    停車駅 なまけものの鏡

     人は生活を豊かにするため科学技術を発展させてきました。

     しかし行き過ぎた科学による悲劇が何度も繰り返され、その度に反省を繰り返すのです。
     それは銀河鉄道999のテーマでもあります。現在の私たちの世界から比べるとものすごい発展を遂げていますが、機械の体がある事による社会問題が描かれているのです。

     ではその科学技術を完全にコントロールしている社会があったらそれはどんな世界なのでしょう。このエピソードの星はそんな可能性のひとつを描いています。

     駅に着いた鉄郎は早速街へ出かけて行きました。駅を出た途端にタクシーが来てどこへでも連れて行ってくれるそうです。このタクシーも完全に機械化されています。タクシーだけではありません。お店も全て全自動で、働いている人がいないのです。

     というか、この街には人が一人もいません。

    「とにかく人間のウジャウジャ住んでいるところ」

     鉄郎が目的地を言うと住宅街の真ん中へ連れてきてくれました。しかし出歩いている人はいないので、鉄郎は近くの家に行きます。

    「いらっしゃいませカギはあいてますよ」

    中から声がするのでドアを開けて入ろうとするのですが、ぐにょっとなんか柔らかい壁にめり込んでしまいました。

    すると2階の窓から声がします。

    「すみませんなあ 体が家の中いっぱいになってしまいまして・・」

     極度の肥満により体が家全体に満ちているというこの表現、見る人によっては恐怖映像です。
     鉄郎が呆気に取られているその時に今度は大きな爆発音が聞こえてきました。
     やっと999お約束の事件発生かと思いきや、爆発の原因は肥満が限界を超えて家が破壊された音でした。しかも高度に技術が発展しているので、自動的に新築の家が供給されるのだそうです。
     つまり完全なベーシックインカムを実現した世界なのです。

     今日はお日柄が良いせいであちこちで爆発が起こっています。

     肥満した体同士で談笑している光景は我々には醜悪にしか見えません。しかし住人たちにしてみると何の不満もなく幸せな暮らしをしているのです。

     実はこの不満がない事の異様さこそ松本氏がこのエピソードで一番伝えたい事なのではないでしょうか。それを読者に代わって鉄郎がつぶやくのです。

    「ぼくの心の中のなまけものも あんな形をしているのかなあ それを映す鏡だったのかなあ この星は・・」

     サブタイトルの意味を回収して物語は終わるのです。

    5巻 第4話 ほんとうに心に穴が空く

    「白骨の歌」
    停車駅 昨日の歌をうたう星

     折しもこのエピソードと類似するような事件が高田馬場で起こりました。細かい事情は違うのでしょうが、現代社会の課題も浮き彫りにした話になっていると思います。

     サブタイトルからして不穏です。この星には無数の穴が空いており、そこを宇宙風が通り歌に聞こえるのだそうです。

     停車時間は7.6時間と短いのですがメーテルと鉄郎はホテルへ向かいます。荒涼とした国土の中に立つホテル、チェックインする際にフロント係より物売りが来ても相手にしないようにと忠告されます。完全にフリですね。

     そしてメーテルはややこしいお話があるからと言って出ていきます。時々メーテルは停車駅ごとに用事があると言ってお出かけする事がありますね。

     鉄郎が1人になり事件発生のお膳立ては整いました。そして期待通り物売りがやってくるのです。ホテルの窓越しに卵を売りにきた人物を見つけ、鉄郎は怪しむ様子もなく部屋へ入れてしまいます。

     それにしてもこの少年には、初めて会う人への先入観がない事に驚きます。銀河鉄道999全体を見てみても、初めから相手に自分の印象を押し付けている事はほとんどありません。あえていうと真理子の蛍で出会ったフライヤさんを貧乏だと思いお金をあげるところくらいだと思います。しかもその後で鉄郎はこの行為を大いに反省しています。
     鉄郎自身はといえば完全に差別される側で育ってきています。それでもなお人を第一印象だけで判断しないのは松本氏の信条が込められているのだと思ってしまいます。

     話がそれましたが、卵を売りにきた人物はホロホロと名乗ります。そして部屋に入れた後、身の上話を聞く事になります。
     家畜を飼って暮らしている事、お金を貯めて隣の星に働きに行った恋人を迎えに行く事。
     しかし恋人の話になると少し様子が変わってくるのです。
    「とてもきれいな人かい?」
    「もちろん」
    「やさしいかい?」
    「・・・」
     そしてホロホロは言うのです。
    「いつかあの人は帰って来るよ 俺が一生懸命働いていれば・・」
     あまり円満な別れ方ではなかったのでしょう。

     鉄郎は部屋に入ってもボロボロのマントを取らないホロホロに脱がないかと勧めます。マントを取っても驚かないかと、念を押すホロホロに風呂嫌いはお互い様だよと無邪気に答えます。
     しかしホロホロの本当の姿に、これまでいろいろな経験を積み重ねてきた鉄郎も驚きを隠せません。

     その時メーテルが帰ってきます。メーテルはホロホロが危険人物だと知っており、出て行くように伝えます。
    「これはとてもめんどうなことなのよ鉄郎・・」
     メーテルの言葉からホロホロの危険度が伺えます。あからさまな悪い人には対応のしようがありますが、めんどうくさい人となるとうつ手がない事もありますね。

     そして夕食の時、鉄郎はホロホロの恋人に会うのです。しかも金持ちの男連れで、ホロホロの事をさんざんバカにするのでした。
    「ホロホロは私をしあわせにできない男・・」
     つまり甲斐性がないということです。男はこれを言われるのが一番辛い事ですよね。

     鉄郎はたまらず夜ホテルを抜け出してホロホロの家を訪ねます。そして恋人が帰って来ていると伝えるのです。
     あの状況を見ても会えばなんとかなるかもと思っているところは鉄郎もまだ子供なんだなと思ってしまいます。
     しかしそれを聞いたホロホロの答えは意外なものでした。
    「ああそのことかい わかってたよ とっくになにもかもね・・」

     そしてホロホロは1人になってからの事を話し始めます。最初は骨も肉も付いていたのが、彼女に裏切られるたびに体を失っていった事。そして今では骨もなくなったがらんどうの骸骨になってしまった事。

     機械の体とも違うようですが、このホロホロの身に起きた不思議な現象については最後まで説明はありません。
     辛い事があると胸に穴が空くという言い方をしますがホロホロはそれをリアルで表現しているのです。ほんとに辛い事があった人をみても外見ではわかりません。でもホロホロの容姿はそれを誰もがわかるように描いているのです。顔は笑っていても心はホロホロのような人はまわりにもいるのかも知れません。

     ここからはホロホロの狂気の部分が描かれます。

     今まで裏切られるたびにうさ晴らしにたくさんの人を殺してきた事を白状して、その後鉄郎を気絶させます。そして鉄郎の靴を履いて行き、とうとう恋人を殺してしまうのです。

     鉄郎はホロホロによってホテルに運ばれていたのですが犯行現場には鉄郎の足跡がついています。つまりホロホロは殺人の罪を鉄郎になすりつけるため生かしておいたのです。
     ただ999の乗客なので列車に乗ってしまえば例の治外法権が発動され逃げる事は可能です。
     あなたは永久に殺人の指名手配犯人と言うメーテルに鉄郎は次のように答えます。
     「いいよ‼︎ここで犯人よばわりされたって‼︎ホロホロの胸に1本でも新しい骨が生えるならぼくは殺人犯にでもなってやるよ‼︎」

     鉄郎はいい事をしようと思ってもいないでしょう。ただホロホロの身の上を聞いて素直に同情したのだと思います。
     しかしその行動でホロホロは自分の罪の深さと、自らの人生が取り返しのつかない事に気づいて、後悔するのです。

    「ありがとう鉄郎 もっと早く血や肉のあるうちにおまえと会えたら・・もう手おくれなんだよ おそかったんだよ何もかも・・」(中略)

     裏切られた事が一度もないという人は少ないでしょう。そんな時他の何かを恨んでしまうのは仕方のない事かもしれません。
     そしてその恨みが自分の骨すらなくなるほどの事であったらどう考えればいいのでしょう。現代はまだホロホロのような人を生み出さない社会にはなっていないようです。

    7巻 第3話 社会の歯車と言われて

    「ウラトレスのネジの山」
    停車駅 ウラトレス

     この物語は、仕事に疲れた時、自分がちっぽけに思えた時に読んでほしいエピソードです。

     今回のエピソードでは大量のネジが描かれます。これだけの量描くのはたいへんだと思うのですが、これはあきらかに松本氏がネジを描くのを楽しんでいるのだと思います。むしろネジを大量に書きたいのでこのエピソードを考えたんでしょうね。

     工業地帯として発展しているウラトレスで999号も整備を行うようです。銀河超特急の整備を行うなんて、技術的にもかなり高いことがわかります。
     雰囲気は以前の停車駅だった「マスプロン」と同じく日本の町工場の雰囲気です。
     しかしこの星は少々ネジを作りすぎてしまったようです。町のいたるところにネジのボタ山がそびえ、雨にはネジがまざり、ひどい時には雨風とともに窓ガラスを割ってしまうのです。

     そして鉄郎とメーテルが泊まっていたホテルがまさにその被害を受けるのでした。くずれたボタ山がホテルを押しつぶし鉄郎はネジの中に埋もれ気を失ってしまいます。

     気が付くと鉄郎は女性が暮らすおんぼろの家に救助されていました。

    「あなたは旅行者ね ネジなれしてないから」

     女性はラセンと名乗ります。きっとネジの「螺旋」からきているのでしょう。鉄郎はこの星になぜこんなにネジがあるか質問します。

    「ネジを造らなきゃ生きてゆけないからよ 私たちの造ったネジはあちこちいたる所で役にたっているわ 私自身も人間の文明を支える一本のネジのつもりよ」

     社会の歯車という言い方がありますが、この表現を使うときはあまりいい意味には使われません。しかしラセンさんの言葉は歯車とネジの違いはあれど自分の仕事への誇りのようなものが感じられるのです。ネジを造ることが生きるためには仕方がないとは思いつつ、この前向きな意識はどこからくるのでしょうか。

     ここで鉄郎はパスの入ったカバンがなくなっている事に気が付きます。機械の体を手に入れるためにはパスが必要だという鉄郎と、そんなことはやめてここで暮らそうというラセンの会話を一部省略しつつご紹介します。

    「機械の体にみいられた機械の体の亡者さんなの」
    「おまえなんかにわかってたまるかっ」
    「何がわからないっていうの?いいこと自分に理解できる事はね他人にも理解できるってことよ」

     この会話をどうとらえるべきか、松本氏は何を伝えたかったのか、理解するためにも読み進めたいと思います。

     そう言いつつもラセンさんはカバンを探すために外へ出るのでした。それを知った鉄郎も探しに行こうとするのですが、隣の住人にもうすぐ雨が降るからやめろと言われます。
     あのネジまじりの雨です。それを聞いて鉄郎はラセンさんが心配になりドアを傘代わりに外へ探しに行きました。

     ほどなく雨が降り始めそれはどんどん激しくなります。鉄郎が命の危険を感じたその時、ラセンさんを見つけました。
    「早く部屋へ帰んなさい!!私は大丈夫よっ」

     そういうとラセンさんは服を脱ぐように皮膚を剥がしました。すると中から機械の体があらわれます。しかも全身ネジ止めされたほとんどロボットといってもいい機械の体です。

     「自分が機械の体のくせになんでぼくを機械の体にとりつかれた亡者なんていったんだ?」

     鉄郎の疑問はもっともです。999の物語全体を通して機械の体に否定的な人は多く登場しますし、そのたびに鉄郎は自分の信念が揺らぐのを感じていたはずです。しかしラセンさんの意見はいままでの否定的なものとも少し違うようです。

     「私もこうなる前は鉄郎と同じ気持ちだったからね 自分の造ったネジで自分の外板を止めるようになってごらん もっとよくわかるから 私は私の造るネジが宇宙のどこかで大事な役にたっている事を信じて永久にネジを造り続けるのさ 鉄郎だってなんかの役をさせられている一本のネジみたいなもんかも知れないものね」

     ほんとはもっと長いんですが省略しました。誰しも自分は特別だと思いたいものです。自分が個性のない量産型だと知るのはつらい事でしょう。「ネジ」や「歯車」になると思うとあまりいい気持ちにはなれないのは当然だと思います。しかしそのような「ひとつの部品」がとても大切なのだと気がついた時、少し世の中の見方が変わるのかもしれません。

     旅立つ999号の中で鉄郎はラセンさんの事をメーテルに話します。

    「ぼくはラセンさんがなんだか好きになったよ」

     鉄郎の素直な言葉がすてきですね。


    終わりに

     いくつかのエピソードを挙げて考察してみました。

     かつて、ただ銀河を駆ける列車に胸を躍らせていたあの頃。大人になった今、なぜこれほど胸にせまってくるのか。それは松本零士氏が描いた星々の中に、あまりにもリアルな「私たちの姿」が映し出されているからです。

     鉄郎の無鉄砲で真っ直ぐな瞳は、かつて誰もが持っていたはずの純粋な心。メーテルの哀愁を帯びた微笑みは、過ぎ去った時間への郷愁。999は、私たちの心の中にある「忘れかけていたもの」を拾い集めるための銀河巡礼の旅なのかもしれません。

     何度読み返しても、新しい発見がある。大人になっても、鉄郎から教わることがある。時代が変わっても、この作品は輝きを放ち、決して古くなることはないでしょう。


     
     

    アキ

     
     
    東京都のはじの方在住、映画と読書が趣味です。 読んで頂きありがとうございます

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