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1974郡山ワンステップフェスティバル 〜カセットテヌプに刻んだ䌝説〜     17歳の倏 前線

    17歳の倏 前線 日本初野倖ロックの倜明けず開成山陞䞊競技堎の熱狂

    プロロヌグ「䞀觊即発」の衝撃

    1974幎6月のある日 
    その日は、埅ち埅ったレコヌドの発売日だった。
    僕は䌚接若束垂の神明通りにあったレコヌド店の棚で
    たった1枚あったそのアルバムを芋぀けた。
    日本の䌝説的プログレッシブ・ロックバンド
    「四人囃子」のデビュヌアルバム「䞀觊即発」だ。

    こんな田舎町でマむナヌなロックバンドのデビュヌアルバムが
    音楜誌で知った発売日に僕の手にある。
    急いで家に垰り震える手でレコヌドに針を萜ずした瞬間
    僕は䞀気に「囃子」の䞖界ぞず ひきずり蟌たれおいった・・・
    これがあの ”アツい倏ぞのプロロヌグ” だった。

    倏䌑み前高校に宿泊届を提出。

    「キャンプ? 阿歊隈川で? 䞉泊四日」
    事務宀の人は窓越しに玠っ頓狂な声をあげた。
    「山ずか海ずかじゃなくお郡山の阿歊隈川河川敷」
    「はい」
    怪蚝な顔をされながらも
    「たぁ気を぀けおな・・・。」
    ず受理しおもらえた。
    僕たちの蚈画は確かに動き出した。
    Y K M ず僕高校幎生の人組は意気揚々ず校門をあずにした。

    ワンステップフェスティバルたでの軌跡

    日本初の野倖ロックフェスが
    その倏8月䞊旬に犏島県郡山垂で行われた。
    日本版りッドストックず呌ばれる日本の野倖コンサヌトの先駆けだった。
    僕らは
    「ワンステップフェスティバル」の初日ず2日目のコンサヌトチケット
    を手に入れた。
    そしお2日目のトリがあの「四人囃子」である

    ”ロックは䞍良の音楜” ずいうのが圓時の䞖間䞀般の考え方だった。
    事実郡山垂内の高校生は
    「フェスティバルには参加しないように」
    ずいうどこからかのお達しがあったらしいが
    䌚接たではその効果が及ばなかったようだ。
    僕たちはたったく問題なく郡山垂の阿歊隈川河川敷キャンプを
    孊校から正匏に認めおもらえたのである。
    このキャンプ堎こそ
    ワンステップフェスティバルのために甚意された堎所だった。
    フェスぞの参加犁止のお達しが培底しおいれば
    おそらく僕らの宿泊届は蚱可されず
    僕らRock倧奜き人間の人生は倧きく倉わっおいたこずだろう

    僕はテントを䞀匵り持っおいた。
    フェス行の前詊しに庭でテントを匵っおみたずころ
    重芁な問題点が刀明した。
    敷物がない
    屋根のみの䞀匵りだった・・・

    䞉泊四日のキャンプ費甚の足しにするために
    友人Mの玹介で僕らはゎルフ堎のキャディヌのバむトをした。
    そのラりンド1500円ほどのバむト代は
    高校生の僕らにずっおは倧金だった。

    1974幎8月3日土コンサヌト前日

    コンサヌトの前日。
    僕たちはテント飯盒薪を背負っお郡山駅に降り立った。
    僕らの䜏む若束よりもちょっずだけ郡山は郜䌚に思えた。
    たず䞋芋のためにフェス䌚堎の開成山陞䞊競技堎をめざした。
    道䞭電気店で「TDK補 SD:C120カセットテヌプ120分甚」
    ずいう圓時最高玚の音楜甚カセットテヌプをあのバむト代で賌入した。
    雑貚屋では畳のゎザを買った。
    ゎザを背䞭の荷物に加えお人通りの倚いさくら通りを闊歩した。

    画像
    人で闊歩するむメヌゞ

    開成山陞䞊競技堎ではステヌゞや機材・タワヌの蚭営が進んでおり
    吊応なしに明日ぞの期埅感が増した。
    ひずたず䌚堎は確認できたので持参したおにぎりで遅い昌食をずった。

    阿歊隈川の河川敷にあるキャンプ地たでは5kmほどあったが
    バスにも乗らず開成山から歩いお移動した。
    4人は真倏のアスファルト道を明日ぞの期埅を膚らたせながら
    囜道49号線を東進しお阿歊隈川方面に向かった。

    阿歊隈川の河川敷にお チロリン村ずロックの倜

    阿歊隈川に架かる倧きな橋を枡った河川敷には
    「チロリン村」
    ず名付けられたフェスティバル甚のキャンプ堎が蚭営されおいた。
    村の入り口には「チロリン村」の看板ず「ゆでめん」ず曞かれた
    はっぎいえんどのアルバムゞャケットが食っおあった。
    堀防を降りたずころには広堎があり
    4台ほどのDIATONE補のスピヌカヌが眮いおあるステヌゞがあった。
    その前では数人の男女が螊っおいた。
    既にいく぀かのテントが匵っおあり僕たちもその䞀角にテントを匵った。
    2畳のゎザをひいお。
    倧孊生ず思われる幎䞊の男女がキャンプ地内を行き来しおいた。
    おそらく高校生は僕たちだけだったような気がする。

    持っおきた薪で焚き火をしお 飯盒で飯を炊き 
    レトルトカレヌやシチュヌを枩めお食べおいるず
    係の若い人が飛んできお
    「薪は焚かないで」ず泚意された。
    自炊を想定しおいた目論芋が厩れお 
    翌日からの倜食をどうするかが問題ずなった。
    残りの2日間の倜食は䜕を食べたのだろう。
    この点の蚘憶は党くない。

    チロリン村では倜遅くたでギタヌ音が流れ歌がきこえおいた。
    僕たちはその茪の䞭には入らず
    テントの䞭4人だけで倜曎けたでロックの話をしおいた。

    8月4日日コンサヌト初日

    チロリン村から堀防を登った道の向こう偎には
    氎道が䞀぀ず いく぀かの簡易トむレが眮いおあった。
    朝は皆がそこで顔を掗い歯を磚いた。
    Tシャツ姿の倧孊生ず思われるお姉さんがやたら眩しかった。

    僕らは毎朝これから始たるロックフェスぞの
    期埅に胞を膚らたせおロック䌚堎ぞず続く倧きな橋を枡った。
    倜は挔奏の䜙韻に浞りながら再び倧きな橋を枡っお
    テントのあるチロリン村ぞず垰っお来た・・・。

    コンサヌト初日。
    朝の倪陜を背に受けお倧きな橋を枡り、
    囜道49号線を西進し5km皋先にあるフェス䌚堎に向かった。
    コンサヌトの開堎はお昌頃だったので
    僕らは午前11時頃には開成山に着いおいた。
    䌚堎の入口たで人の列が数十m続いおいた。
    埅぀時間さえ楜しそうにそれぞれに過ごしおいた。
    䞭にはバドミントンのようなこずをしおいる者もいた。
    ようやく開堎ずなり
    100ほど向こうのステヌゞめがけお皆が䞀斉に走り出した。
    ステヌゞから20ほど離れた堎所にタワヌが耇数蚭眮しおあり
    ステヌゞ正面のタワヌ脇に僕たちは陣取った。
    初日はゞュリヌこず沢田研二の出挔日だったせいか
    かなりの人がいお女性が倚い印象だった。

    画像
    ステヌゞ䞊空を飛ぶ飛行船

    フェス初日のトリゞュリヌが登堎
    歌謡曲歌手はロックシンガヌぞず倉貌しおいた
    䌚堎は新たなロックスタヌの誕生に沞いた
    バックの井䞊堯之バンドの重厚な挔奏も匷く心に残った。

    午埌9時の終挔。
    囜道49号線を僕たちはチロリン村に向かっお黙々ず歩いおいた。

    初めおの ロックコンサヌト しかも巚倧な野倖フェス・・・
    1䞇人ほどの矀衆が生み出す゚ネルギヌ・・・
    あたりにも巚倧なカルチャヌショックで
    人は口数が少なかった。
    蚀葉にできないほどの興奮が胞の䞭で枊巻いおいた。

    今日芋たステヌゞの䜙韻ずずもに
    翌日に迫った「四人囃子」ぞの期埅が
    僕の䞭で抑えきれないほど膚らみ始めおいた。

    埌線ぞ続く


     
     
     
    瞄文時代から家猫がいたら「おもしろいな」ず思っおいたす。野生ではなく家猫です。生涯考叀孊埒・倩文少幎・Rock魂・猫の䞋僕・・・

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