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強引にマイウェイ

    前書き

    人間はさまざまな境遇の中で、さまざまな思いを描きながら生きていく。同じ親から生まれ、同じ家庭に育った姉妹でも、それは例外ではない。

    家族の中に一人でも上手に生きる能力を持った人がいると、その人がその家庭の中心人物となって皆を引っ張っていく。男であれ女であれ、リーダーシップを取れる者がいると、生活は豊かではなくても、その家庭は比較的平和である。

    そんな存在感のある姉を持った私は、いつか彼女を追い越したいという、できるはずもない期待を抱きながら生き続けてきた。子供の頃から常に彼女が目標であり、いつの日もライバル意識を燃やしてきた。ある時は笑い、ある時は励まし合い、そしてある時は真剣にぶつかり合ってきた。

    彼女を尊敬する自分がありながら、彼女に感化されるのが私は好きではない。なのに、すっかり彼女の支配下に首まで浸かって過ごしてきた。平成元年12月、彼女の結婚を機に、ほんの一部、強引にマイウェイを綴った。

    一

    昭和27年生まれの姉は現在174センチの長身で、かなり「でかい女」だ。小学校で背の順に並ぶのが、私は嫌いだった。前から2、3番目をうろうろしていたからだ。姉はいつも一番後ろで、私たちチビを見下ろしていたような気がする。

    彼女はよく勉強をして真面目だったので、私の勉強嫌いの暴れん坊が目立ってしまって、いつもいつも比較されている私は少しまいっていた。二人の共通点といえば、かけっこが速かった事ぐらいだ。共に運動会では、いつもカッコ良くリレーの選手だった。しかし、彼女はそのまたアンカーで、学校や近所でも評判の華やかなスターだった。

    私たち姉妹は顔も似ていないと思う。何しろ大きさが全部違う。彼女は、背も鼻も高い、目も大きく美しく輝き、バストもかなり豊かで足もうんと長い。スタイルが抜群で、ファッションモデルにスカウトされた経験も豊かである。それに引きかえ私は背も鼻も低く貧弱で、目も糸のように細く、探さないと無いくらいだ。

    私は中学から器械体操を試みたが、一度も花を咲かせたことはない。小さな大会での入賞はいくつかあったけれど、国体へも行かれなかったミソッカスだ。私は高校2年の春、平均台の練習中に足を踏み外して落下した。そんなことは日常茶飯事だが、平均台をまたいだまま落ちたらどうなるか想像していただきたい。紛れもなく私は平均台に処女を捧げたのだ。地獄のような体験である。悲しい青春を送ったものだ。

    想像するに、姉は明治大学のジミーに処女を捧げたのではないだろうか。だとすれば、この差がなんとも耐えがたい気がした。明治大学のジミーというのは、ジェームス・ディーンそっくりな彼氏を、姉と私が勝手につけた愛称でそう呼んでいたものだ。かっこよくて、誰もがぼーっと見つめてしまうような人だった。

    ある時、神宮のプールに水泳の試合を見に行った。こんなたくさんの男性を目の当たりにしたのは、生まれて初めてのことだった気がする。しかも水着姿でセミヌードだ。唖然とした。姉は自分が水泳界で生きているものだから、男性のセミヌードなど全く気にならないし、自分も平気でパッパと水着で走り回る。平気でなかったら水泳部は務まらないだろう。

    その競泳の試合ではやたら恥ずかしくて、試合の内容なんて全く記憶にない。でも、試合が終わってからワイワイおしゃべりしたのはよく覚えている。更衣室の前で大勢の選手がたむろしていた。「でかい女」は、「これ、うちのチビ」と私を皆に紹介する。いつもそうだ。私は犬ではないし、決してチビじゃない。「自分がでかすぎるくせに」と、私は舌打ちする。その中に、目の引っ込んだ大阪弁のおかしな人がいて、みんなを笑わせていた。この更衣室でのワイワイは、当時うぶだった私にとって刺激的だった。例えば、その大阪弁の彼が話していたエピソードだ。

    彼は当時、学生寮で生活していた。寮で先輩に勧められるがままに、ウイスキーのボトルを一本空けたことがあったそうだ。サントリーレッドだったという。もともとお酒は弱い方で、ぐでんぐでんに酔っ払って天地がひっくり返ったらしい。急性のアルコール中毒だ。救急車で運ばれなかったのが不思議なくらいだったという。

    そして、どこをどう通って行ったか覚えていないけれど、トイレに駆け込んで大量に血便が出てしまった。そこで彼は「俺は女やったんか」と真剣に思ったという。彼は自分の前にちゃんと「一物」があるかどうかを探って確かめた。ほっとする暇もなく、吐いて吐いて、また血便の繰り返しだった。便器を抱えてしばらく動けなくなってしまい、意識のないまま友人にベッドに運んでもらったらしいが、朝起きてみるとそこは汚物の海であったという。関西弁独特の「まんがな」「でんがな」スピーチで上手にみんなを笑わせていた。彼はきっと大学を卒業したら、真っしぐらにお笑いの道に進むんだろうなーと思った。

    その年のインカレ(日本学生水泳選手権)は、代々木のオリンピックプールで行われた。その頃、どうもジミーと姉の仲はしっくりいってなかったようだ。私はブレストの100メートルに出場する、あの「でかい女」の応援に行った。

    ふと客席の入り口を見ると、ジミーが可愛らしい女の子と立ち話をしているではないか。姉とは正反対の、小柄でおとなしそうな子だ。仲睦まじく会話している。私はそっと近寄って、嫌みたらしい目で「こ・ん・に・ち・は」と声をかけてみた。ジミーはバツが悪そうに赤面していた。

    こちゃあ、姉は振られる・・・と確信した。二、三日後、姉は豪快に泣いていた。「でかい女」の泣き方は、すこぶる派手だった。

    二

    彼女は大学を卒業して、大手商社の繊維課に勤め、バリバリ仕事をこなし、どんどん自分に自信をつけていった。「でかい女」がもっとでかくなった気がした。しかし、ちゃんと恋もするし、我が家の苦しい家計を助け、文句のつけようがない。

    だけどある日、姉が発熱した。五月病かもしれない。油汗をかいて「うー、うー」とうなり声を上げ、ハァハァ、ゼィゼィ苦しんでいる。普段のかっこいい姉の見る影もない。父も母も仕事で留守だ。

    家族の一員であるテツも、心配そうに姉のそばにくっついている。テツはまだ目が開かないうちに我が家へやってきた犬で、とても利口だ。父が「戦争ごっこ」をテツに教えた。バンバンとピストルで撃つ真似をすると、しばらく戦って、そのうちに力尽きてゴローンと転がって、死んだふりをする。「大きい声は?」と言うと、本当に大きい声でワンと吠える。そして「内緒話は?」と言うと、声にならない小さな声でワンとやる。これは私が教えこんだ技である。

    そのテツも、苦しんでいる姉の様子をじっと見つめている。かわいいもんだ。私もだんだん心配になってきた。

    「ねえ、大丈夫?」と声をかけてみるけれど、返事がない。
    「熱は測ったの?」
    「……」
    「熱はかったの?ってばぁ」
    「ウーン・・・」今にも死にそうだ。
    「何度?」
    「な、など・・・」
    「えーっ?37度?たぁーいした事なーいじゃん!」

    おったまげた。デカイ女は大袈裟だ。急に力が抜けた。

    そういえば、昔から大袈裟だった。私が彼女の足をうっかり踏んづけてしまったら、もう大変な騒ぎ。とにかくオーバーリアクションで、「痛いな、もぅー、 気をつけてよーっ!」と、足をさも痛そうに擦る。彼女が私の足を踏んづけた時は「あ、ゴメン。そんな所に足出してるから…」と言って、スッーと通り過ぎていく。私は22.5センチの足で、体重は46キロである。彼女は24.5センチの足で、体重は53キロぐらいだろうか、どちらが痛いかは、言うまでもない。

    「37度」ぐらいの熱で危篤状態になってもおかしくないのだ。実際、バカを見た。かわいそうに、テツはまだ知らずに馬鹿を見ている。2日ほどうなされ続いただろうか。そしてまた、バリバリのキャリアウーマンに戻っていった。

    今度は私が39度8分の熱を出して寝込んだ。飛んできた姉の一言が、「しっかりしなさいよ!そんなことじゃ社会人になれないわよ!」であった。私は布団の中で、静かに静かに熱の下がるのを待った。負けてたまるか!

    三

    姉が車の免許を取った。自分で働いて車も買った。トヨタのスプリンタークーペだ。身体がでかいので、車が小さく見えた。姉は運動神経も、頭も飛びっきり良い、なのに何故か、未だに左右の区別がつかない。

    初心者マークの車に乗せてもらうのは、うんと勇気がいる。私が「次の信号を右だよ」と言う。「分かっているわよ」とすまして左に曲がってしまうのが彼女である。「右だってば…」の私の声に、姉はキョトンとしている。私が黙って様子を伺っていると、しばらく走ってから「ウヒャーッヒャッ・・・」と髪を振り乱して大笑いするのだ。まさにこの人は美しき怪物だ。

    私もいよいよ社会に出て、直ぐに車の免許を取得した。そして姉の車を我が物顔で乗り回していた。姉は電車で職場に通い、私は車で通勤した。毎日乗った。いろんな経験をしているから、姉よりは名ドライバーと自負している。

    特に車庫入れは、姉より上手い。姉は普通に走行していても左右の区別がつかない所、バックでの車庫入れは大のニガテで、ハンドルとタイヤの相関関係が全く分かっていないようだ。毎日の車庫入れはそりゃー大変で、それこそ切り返しの連続である。それに比べて私は百発百中、それは見事なものである。

    ある時、彼女の車庫入れを家の中から見ていて、そのあまりの不憫さに「ねえねえ、私が入れようか?」と言った時には、「妹ごときに」と言わんばかりに顔を引きつらせ、頑として運転席から降りようとしなかった。仕方なく私が誘導係に回り、「右オーライ、左に切って・・・」と手招きを交え姉に声をかけたその途端!「ガリ・ガリガリッッ……バキッ」 ついにやってしまった。家の垣根はもう悲惨なもの。
    「だから左に切ってって言ったじゃない!」と私がそう言うと、姉は一言も言わず、すごすごと家の中へ消えていった。その形相たるや・・・。家に入った姉は、私に腹を立てているのだろうか、はたまた自分の運転の未熟さに自分自身で腹を立てているのだろうか、とにかくご機嫌が悪い。

    彼女は「自分自身」を信じて疑わない。自分を信じきっている。何しろつい最近まで、ライオンのメスがトラだと信じきっていたのだから…。「トラってライオンのメスじゃなかったのー?」と彼女が言った時の父親は、何とも言えない情けない、がっくりした顔をして、しばらく立ち直れないでいた。

    四

    でかい女の人気はすごいもので、会社でも一目置かれていたようだ。彼女と個人的に付き合いたくてアピールする男性が何人もいた。月に一度は花束を抱えて帰ってくる豪華版だ。自宅にもしょっちゅうデラックスなプレゼントが送られてくる。いいなと横目で見る。

    高価な装飾品をくれる人、洋服を買ってくれる人、毎日電話をかけてくる人、それがみんな別人だというから信じられない。プレゼントされた200万もする毛皮を盗まれたことがあった。でもすぐ代わりのもっと高級な毛皮をプレゼントされた。すごいの一言しかなかった。本人の気に入らない人からもいただくことがある。くれた人には申し訳ないと思いながら、すかさず私がそのおこぼれを頂戴する。何しろ私には到底買えない品物ばかりだ。

    彼らは一生懸命彼女に接近し、まめにできる限りのサービス精神を発揮するのだけれど、かわいそうに大半は姉に適当にあしらわれてしまうらしい。しかし、でかい女は失恋で泣くこともある。百年の恋も冷めてしまうかのように、豪快に泣く。それを見るたびに私は「絶対に男ごときで泣くもんか」と思う。

    いつ頃からだろう。彼女は「結婚はしない」というようになった。私が「後ろがつかえてるんだから早く結婚してくれなくちゃ」というと、「先に行けば」という具合だった。そして私は結婚した。しかし2年後には1歳になったばかりの息子U太を連れて出戻ってしまった。男ごときで泣いたのは他ならぬ私だった。またでかい女の下で生きていかなければならないのかと思うと気絶しそうだ。

    母が定年になるまで、私は実家で家事手伝いをすることになった。寝たきりの大きいばあばがいるので、どこへも出かけられない。大きいばあばは自分の部屋で転がって、大腿骨を骨折して以来寝ついてしまったのだ。しかし病気ではないので元気だ。いつおむつを汚すかわからないし、いつ呼び鈴で呼ばれるかわからないので外出ができない。

    大きいばあばが呼び鈴をして私を呼んだとき、すぐに階段を駆け上がっていかないと烈火のごとく怒り出す。私は86歳のできるおばあさんとよく喧嘩をする。それが元気の秘訣だ。枕元にあるタイルを投げつけてきたこともある。とても86歳のできるおばあさんとは思えないファイトである。寝たきりではあるけれど、手は動くし頭はしっかりしていて何でもよくわかる。だからなおさら退屈で寂しいらしく、何も用がなくても何度も呼び鈴を押す。ひどい時には1日中呼び鈴が鳴っている。

    用が済んで私が階段を降りる、その途中でもう次の呼び鈴が鳴るのだ。暑い、寒い、窓開けて、窓閉めて、窓を半分開けて、窓から虫が入った、背中をかいて、向きを変えて、もう一度反対向きにして、お腹が痛い、苦しい、お腹を揉んで、お腹が空いた、足が痛い、薬を塗って、うんちが出た、肩を揉んで、お水をちょうだい、お水をこぼした、テレビをつけて、テレビの音を大きくして、チャンネルを変えて、着替えたい、髪の毛を切って、お母さんはまだ帰らないか、U太くんはどこにいる、電話をかけたい、爪を切っての繰り返しである。一度に言ってほしい。あまり何回も鳴るので知らんふりをしているとピンコンピンコンピンコンピンコンピンコンピンコンと私が行くまで鳴らしている。よくまあ指が動くなと感心する。

    大仕事と言えばやはり、おむつの取り替えである。硬い便の時は慣れればそれほどでもないが、お腹の具合が悪い時は大変だ。特に大きいばあばは便秘症で一度にたくさんするからなおさらである。

    その日も私は呼び鈴で呼ばれいつものようにおむつを取り替えようと、寝巻きを開いた。ぎょっとした。おむつから大量に軟便が漏れてしまっている。ああもうどうしよう。寝巻きまでべっとりだ。目が痛くなるほどの臭いだ。「おばあちゃん、ずいぶんいっぱい出たね」ははははと言いながら生唾を飲んだ。軟便だというと、自分の体調を心配してまた大変だから、いいウンチだよと嘘を言う。どうやったらこれ以上周りを汚さずに着替えられるだろうかと立ちすくんでしまった。やるっきゃないのだ。

    そして大きな黒いゴミ袋をたくさん用意して、大きいばあばのお尻の下に広げた。バケツにお湯を汲み、ボロ切れをたくさん絞った。汚物を捨てるゴミ袋もなるべく近くに置いたし、消毒液も脱脂綿も近くに置いた。これでよし、戦闘開始である。紙おむつに手をかけて粘着テープをはがした。おむつに溜まっている軟便が見えた。すごい量だ。こぼれないようにそーっとそーっと。大きいばあばはちょっと顔をしかめた。足を痛がっている。わー、動かないで! ダメだー。悲しくも私の努力は実らず、あれよあれよとそれはこぼれていった。ついに私の顔にまで跳ね返ってきた。そして寝巻きもドロドロになってしまうし、背中の方まで汚れていて、見るとシーツにもいっぱいくっついていた。この際だ、寝間着もシーツもどうでもいい、捨ててしまえ・・。とにかく風邪をひかないうちに終わらせなくては・・・。ベッドによじ登ったり、「大きいばあば」を跨いだりして、1時間半ほど格闘して奮闘して、やっとすっきり片付いた。あー、腰がおかしくなった。そして私もシャワーを浴びて爽やかになり、大の字になって大きく大きく深呼吸をした。

    夜、でかい女が私に「あんた、ネックレスどうしたの?」と尋ねた。私は自分で自分の首を確かめた。あっ・・・、でかい女からもらったダイヤのネックレスが無いっ。あちこち見回しても見つからない。やな予感がした。私は「大きいばあば」の部屋へ飛んで行って探した。あったー・・・よかったー・・・アレ? 鎖しかない・・・。石が無い・・・ダイヤが無いっ。目を畳やベッドに擦り寄せて探した。・・・きっと美しきダイヤは・・・うんちにまみれてしまったのだ。でかい女に告白した。「探しなさいよ」と言われた。弱った。彼女にもらったダイヤ・・・。私の肩はいつになく垂れ下がった。あぁー、とてもとても自分では買えないダイヤ・・・。

    「別にいいわよ、もうあんたにあげたものだから。私のものじゃないから。でもせっかくあげたのに、どうしてそんなにおっちょこちょいなの?」彼女の目は軽蔑の眼差しのようだったけれど、どうしてももう一度あの黒いゴミ袋を開いて中を探してみる気にはなれなかった。

    「何も家の中にいるだけなのに、そんなネックレスしなくてもよかったのに」と彼女は言った。そうかもしれない。そのダイヤで気持ちが豊かだったのに、それもなくしてしまった。でも今、あのダイヤモンドはどこのどのダイヤよりも美しく輝いている・・・と信じよう。

    五

    私もようやく仕事に慣れてきた頃、突然、でかい女は家を出て行った。とんだハプニングに、我が家は大騒ぎである。でかい女は愛する人の家に潜り込んだ。我が家にとってまさに一大事だ。

    なぜなら、様々な男性がプロポーズしようが「私は結婚なんてしない」と言っていた彼女だからだ。キャリアウーマンをしていて、今まで縁談というものにはガンとして乗らなかった「でかい女」である。その上、結婚式も挙げぬうちにさっさと相手の家にちゃっかり収まってしまったのだから、なおさらである。

    しかも、別居しているというものの、相手はまだ離婚が成立していない男性なのである。驚きがいくつも重なった。昔気質の父は、青くなったり赤くなったりして激怒している。両親と「でかい女」との間にいる私は、あっちを立てればこっちが立たずで誠に困り果てた。家で何があったわけではないのだから、ちゃんと両親に挨拶ぐらいしてからでも遅くないと思う。だが、そこは恋する女の盲目なところで致し方ない。

    今まで両親は世間に「娘の育て方を間違えたのでは」と言われていたらしい。なぜなら、娘二人が「出戻り」と「行かず後家」だったからだ。半分は私の責任である。もう半分の汚名が解消されるのだから、快く認めてあげればいいのにと思ったりした。

    最近、私が仕事から帰るとまず、「今日、姉ちゃんに会った?」「電話あった?」「何か言ってた?」「どうするつもり?」と雨のごとく両親の言葉が降ってくる。その分、私への文句は少し減ったような気がする。そのうち、仕方なく母が折れて父をなだめるのだが「あの野郎、あんチクショウ」の連発で話にならない。私にはどうすることもできなかった。

    それから何日かして、二人は揃って家にやってきた。しかも、「でかい女」が「こんにちは」と、まるで他人の家にでも来たかのように入ってきた。これは父と凄まじい言い争いになるぞ・・・と予測していたのだが、何のことはない。父は「今日は難しい話は抜きにして・・・」と、楽しく夕食会を開催してしまった。一体全体どうなっているのだろう?この親にしてこの「でかい女」ありではないか?と思った。そして夜遅く、彼女はすまして「じゃあまたね、お邪魔しました」と、あの野郎とさっさと帰ってしまった。逃げ足のうまさには脱帽だ。二人が帰った後、また父の「あの野郎、あんチクショウ」が始まるのである。

    父は、自分を飛び越えて、知らない所でどんどん話が運ばれてしまうことに寂しさを感じているはずだ。ひがむわけではないが、やっぱり姉は何やっても両親には許されるようだ。

    六

    姉は私の上司である目の引っ込んだ大阪弁にパーティーの司会進行を依頼した。目の引っ込んだ大阪弁は披露宴の司会を20回も経験するプロ顔負けの腕を持っている。

    そんなある日、目の引っ込んだ大阪弁がわざわざ姉のいない我が家へやってきた。大阪弁が自分で作ったパーティーの企画を一つ一つ両親の了解を取りながら説明していく。そこで突然父は何を思ったか。

    父「パーティーだけで式はやらないんですか」と大阪弁に聞いたのだ。 私は呆気に取られ、母は慌てた。
    大阪弁「いや、私は披露宴の司会頼まれただけです。さかいにそこまでは」 大阪弁と標準語が入り混じっている。
    父「私は何も聞かされてないもんで」おでこが熱くなった。

    確かに父が大阪弁に聞くのは的が外れていたかもしれない。が・・・、でかい女がいろんな順序を間違えなければ、父がこんなに恥をかくことはなかったのである。でかい女が大雑把な性格であることを忘れていた父である。まさに「でかい女」は全て「強引に、マイウェイ」なのである。

    新郎側の父親が他界しているため、両家の代表として父に挨拶をしてほしいと大阪弁に言われたのだが、筋が違うと父は断った。私としては、パーティーでの父のスピーチを聞きたい気がしていた。今日の父と大阪弁は、何ともぎこちない会話の行ったり来たりであった。そのおかげで、上司である大阪弁からは「お前が当人と両親の話し合いを取り持ちなさい」と叱られてしまった。なんで私がいつもこういう目に遭うのかと憤りを感じる。

    その後、当人同士が改めて話し合い、挙式を執り行うことにしたらしい。招待状も業者から届き、パーティーの席順も決まった。幸せな慌ただしさの中、やっと招待状の封筒詰め作業に突入した。

    あとは出来上がった招待状を投函するだけだと思いきや、大変なことが判明した。出欠確認の大切な返信用ハガキに切手を貼るのを忘れたまま、封をしてしまったことに気づいたのだ。

    200通以上の封筒には、ご丁寧に「寿」入りの扇形のシールまで貼られてしまっており、とても剥がすことはできない。仕方なくこの不手際はホテル側のミスということにさせてもらい、別便でホテル名義のお詫び状を作って、そこに切手を同封することにした。

    これで少なくとも出席者からの苦情は出ないだろう。だが、今度はこの詫び文を発送するための肝心な切手や封筒がない。夜も更けていて、文房具店や郵便局が開いている時間ではないと知りつつ、でかい女の部下であるM子と私は、切手と封筒を求めて神保町界隈を走り回った。

    やっとコンビニエンスストアを見つけたが、200人分も用意できず、二人はまた走った。切手と封筒を求めて二人は走った。

    何軒か回って、やっと200人分を買い揃えた。一時間くらいかかっただろうか。事務所に走って戻ると、でかい女がいきなり言った。

    「もう発送は明日にした。ご苦労さん。ああ、お腹すいた。何か食べに行こう」

    M子と私は無言のまま、その場にへたり込んだ。息を切らすM子の顔は、驚きと疲れと空腹とで青白く、口は半開きになってしまっていた。一体何のために、誰のために、二人はあんなに走ったのだろう。「今日中に」と言うから私たちは……。ああ、悔しい。

    私は久々に走って息が苦しかったせいかもしれないが、あっけらかんとしている彼女の首を絞めてやりたいと思った。

    まあ、この日に食べたしゃぶしゃぶの味が別格だったので、許してやろうと思った。それがあるから、あのでかい女を憎めないのかもしれない。空腹のままでは、彼女にはついていけそうにない。

    そこがでかい女の卒のないところであり、たくましいところだ。両親が彼女に頼るのも無理はない。

    七

    大阪弁は事務所に泊まり込んで、自作のパーティー台本を手に司会の練習をした。彼もまた、どうして「でかい女」のために徹夜ができるのだろうか?結局、父もでかい女の説得に負けて、花嫁の父としてスピーチをさせられることになった。

    母が階段から落ちて足首を捻挫した。ナスのように紫色に腫れ上がってしまい、「明日、足袋が履けない、どうしよう」と嘆いている。

    「でかい女」は式の前日、突然私とM子に二次会のセッティングと幹事を依頼した。これでもか、これでもかと何か言いつけられて、M子と私の夜はでかい女のためだけにあるように思えた。

    そして大安吉日の今日。晴れて「でかい女」は一流ホテルでクリスマスツリーのようなドレスを身にまとい、200名の祝福を全身で浴びたのである。父のスピーチに感動した。母のスリッパ姿がひどく気の毒だった。私は「もう一度結婚式をしたいなあ」なんて密かに思った。そして当の「でかい女」は、二次会のカラオケでなんと・・・『ろくでなし』を歌った。ああ・・・、そういえば新郎の離婚がまだなのでは・・・?

     
     
    こてまり ししゃもです。 姉のこと、家族のこと、犬のこと——昭和の日々を、くすっと笑える形で綴っています。 書くことは昔からの夢でした。気楽に読んでいただけたら嬉しいです。 現在70歳を過ぎたおばあさんのページです。 創作大賞2026・エッセイ部門に挑戦中。

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