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看護師だって泣きたくなる夜がある。私が日常を取り戻すためにかける、一本の電話の話。


    看護師は、患者さんの死も『業務』として割り切っているのか?

    “生”と“死”が隣り合わせにない日常を過ごしている方からすれば、そんな疑問を抱くのは自然なことかもしれません。実際、病棟でケアにあたっている際に、ふと患者さんから「誰かが亡くなったら、やっぱり悲しいものなの?」と聞かれることもあります。

    ​結論からお伝えするなら
    やはり、悲しいです。
    それでも、看護師をしていると、“死”は日常の中で必然的に起こります。


    とある勤務日、父と同世代の患者さんがお亡くなりになりました。彼には、まだ学生のお子さんが二人いらっしゃり、ご家族の関係性が良かったのか、彼の元には誰かしらが毎日のように面会に訪れます。辛い闘病生活のなか、いつもは生気のない彼の瞳は、家族の姿を映すと、パッと花が咲くような笑顔になり光が宿ります。夕陽が差し込む病室、そこに重なる穏やかな笑い声は、病院という無機質な空間を溶かし、家族団欒への温かさへと塗り替えていました。けれど、ご家族が帰られた後、静かな病室で、彼は私に、ポツリと本音をこぼしたことがありました。「大事な時期なのに、俺にこんなにお金を使わせて。時間まで奪って……。あいつらに迷惑ばかりかけて、本当に申し訳ない…。」絞り出すように言葉を紡ぐ声を聞き、骨張った背中をさすりながら、私は父の姿と重ね、一緒に涙した日のことを今でも鮮明に覚えています。

    そんな彼が旅立たれ、ご家族が人目もはばからず病室で涙を流し、彼のことを呼ぶ姿は、仕事だと割り切れない部分もありました。


    ​目の前でひとつの命が静かに幕を閉じる瞬間。それは何度経験しても、決して“慣れる”ことなどはありません。胸の奥からせり上がる辛さ、やるせなさ、悲しさ……。そこには、言葉では片付けられないほど複雑な感情が渦巻いています。たとえご逝去された患者さんが私にとっての家族や知人ではなかったとしても、看護師として毎日その方と関わり、人柄に触れ、人生の断片を共有させていただく。そうして積み重ねた時間があるからこそ、お別れは等しく、ずしりと胸に響くのです。
    そして私にも、皆さんと同じように大切な家族がいます。育ててくれた両親、共に歩んできたきょうだい、苦楽を共にする夫、宝物のような子どもたち。そして笑い合える友人や同僚。ケアにあたりながら、どうしても、目の前の患者さんにその姿を重ねてしまう瞬間があります。


    仕事を終え、病院を後にした帰り道。夜の静寂に包まれながら、私はふと、父に電話をかけてみました。「どうした?」スマホの向こうから聞こえてくる、少しすっとんきょんで、拍子抜けするほど明るい父の声。その“いつも通り”の響きに触れた瞬間、張り詰めていた心の糸がふっと緩み、思わず笑みがこぼれました。

    ​誰かの最期を見届けるたび、私はこうして、今まだ繋がっている“生”の温かさを確かめずにはいられません。その温もりに触れて、深い安堵に包まれる。そうしてようやく、私はまた明日も、誰かの“生”に誠実に寄り添うために、前を向いて歩き出せるのです。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     

    Minoru

     
     
    minoru|副業迷子の看護師ママ 30代|3児の母(年中双子♂+2歳下♀) ​【発信テーマ】 ・看護師について ・3人育児のライフハック ・在宅スキルゲットへの奮闘記 励みになるので 気軽なスキ・フォロー嬉しいです🥰

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