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Photo byodapeth

バイバイ、デミオ。──レッカー車でドナドナされた愛車が教えてくれた中年女の現在地

    車をレッカー移動されたこと、ありますか?

    わたしは、あります。
    正確にはつい先日、そちら側の人間になったばかり。
    レッカー車に積まれる愛車をなすすべなく見守る中年女、人生でまだまだ経験してないことってあるね…の気持ち。

    それは5月のよく晴れた土曜日。
    ほんの少しの修理だと思っていたら、そのまま二度と乗れなくなった愛車デミオ。
    その日が、わたしが愛車を運転した最後の日となってしまった。

    わたしとデミオ

    人間には2種類ある。
    モノと会話する人間と、しない人間だ。
    わたしは前者。圧倒的に、前者。
    わたしは周囲のモノたちと、お喋りしながら長いこと共に生きている。
    アクセサリーも家電も本も、庭の植物だって話し相手だ。
    当然のように、車も。

    わたしの車遍歴において、デミオは3代目。
    デミオ…今で言うMAZDA2だけれど、わたしが購入した時はデミオだった。
    だからわたしの車はMAZDA2じゃなくてデミオ。

    2代目までは大きめのMT車に乗っていたけれど、子どもの就学を控えた時期に迎える3代目は、運転そのものを楽しんでみたかった。
    かわいいサイズでドカンと行ける、そんな小型のMT車という時点である程度選択肢が絞られる。
    その中から夫と相談して決めたのがデミオだった。

    我が家にやってきたデミオは、小型車だけどかわいらしいというよりは、頼れる雰囲気があった。ルックスで言うと顔正面の真っ赤なラインがお気に入り。
    走らせても、それはそれは軽やか。加速時のヨッコラショ感が全然なくて、軽快。
    わたしは特に高速道路の運転が大好きだった。
    あっという間に6速まで入ってスムーズに合流し、無理なく流れに乗れる。最高オブ最高。
    ほとんどが仕事で必要にかられて使用した高速道路だけれど、デミオのおかげで良いリフレッシュの時間にもなっていた。
    でも、デミオを語ろうとして過去の画像を探すと、殆ど残っていないことに気づく。
    もっと日常のデミオを形に残しておけば良かった。
    カメラロールを辿りながら今とても後悔している。

    デミオとわたしの関係で言うと、派手な思い出があるわけじゃない。
    基本的には子どもと離れる時間も増えてきたし、凪の期間が多い時期だった。
    けれど、運転しながら泣いたことは何度かあるし、逆に機嫌よく歌っていたこともある。
    凪の期間のなかのさざ波を、わたしはデミオと潜り抜けてきた。
    デミオはどんな時もその走りでわたしの気分を引き上げて、そばにいてくれた。
    あと数年乗って、子どものファーストカーとして天寿を全うしてもらおうなんて青写真を描いていた。

    ちょっと、甘かった。

    デミオ、ドナドナ…そして優しい人たち

    あの日。
    よく晴れた土曜日。

    本屋さんの用事を済ませた帰り道のこと。
    いつもなら歩いて行ける距離のスーパーで済ませるところなのに、その日はなぜか、夫と「車だし、あっちの大型スーパーに寄って帰ろうか」という話になった。

    本当に、ただの気まぐれだった。
    でも、そのたまたま選んだスーパーの駐車場で、デミオは突然動かなくなった。

    いやいやいやいや、嘘でしょ…

    故障した愛車を前に右往左往するわたしたちを、車の中から眺めながら走り去る人たちは表情さまざま。
    気の毒そうな顔だったり、怪訝そうな顔だったり、迷惑そうな顔だったり。
    実を言うとわたし、レッカー移動になる車って整備不良とかがあるんじゃないのかなとか思っていた。

    自分の身に起きてわかる。
    そうでもない。そうでもないのよ。

    慌ててディーラーさんに電話をかけるわたし。
    電話をしながらリモート操作のような形で言われるがままに車内のボタンを押してみたりするも、だめ。
    電話口のスタッフさんも粘ってくれたのだけれど、復旧せず。
    「レッカーでウチまで運んでもらいましょう」
    と、その彼が決断する。
    わたしはディーラーさん経由で保険に入っているため、そのまま保険屋さんに連絡してもらえることになった。

    この駐車場にレッカー車が来るということか、とようやく気付き、慌ててスーパーに駆け込み、アルバイトさんのような若いお兄さんに事情を説明した。
    品出しをしていたら、いきなり顔をこわばらせた中年女に
    「あの、あの、駐車場で車が…!」
    と突撃されたお兄さん。びっくりしただろうな。驚かせてごめんよ。
    その彼がベテランスタッフさんに繋いでくれて、その後お店からわらわらとメンズの店員さんたちが出てきてくれた。先ほどのお兄さんもいた。皆さんありがとう。
    皆さんはちょっと興味があっただけかもしれない。
    それでもこちらからしたら話しかけてもらうだけで、車の心配をしてもらえるだけで元気がでるのだ。

    車の状態を見てくれた店員さんもいた。
    その申し出に
    「えっ、ケガでもさせたら申し訳ないから無理しないでください」
    と、わたしが慌てて言うと、彼の上司らしきベテランさんが
    「あ、この人ね、詳しいから大丈夫」
    と後押ししてくれたので、お言葉に甘えた。
    あれやこれやと見てくれたのだけれど、すぐに直る感触ではなさそうとのこと。
    その後、皆さんがレッカー車に載せやすい位置まで車を人力で動かしてくださる。
    これは夫とわたしだけでは決してできなかったことなので、本当に本当にありがたかった。今思い出しても感謝の気持ちで泣いてしまいそう。

    レッカー屋さんが到着し、まずはその運転手さん自身もデミオの復旧を試みる。
    それでもデミオは動かない。
    レッカー車の荷台に引っ張られて行く硬直したわたしのデミオを見守りながら、頭の中で
    「これって、ドナドナ…?」
    とぼんやり考えていた。荷馬車がゴトゴトするアレだ。
    突然の事態に朦朧としながらも、そのシチュエーションをどこか冷静に眺めるわたしもいたみたい。
    今振り返ると、頬が緩む。少しだけ。

    この日、ディーラーさんも、スーパーの店員さんたちも、その後連絡をくれた保険屋さんも、そしてデミオを迎えに来てくれたレッカー屋さんも。
    今回お世話になった皆さんが優しくしてくれたから、わたしは運転も車も嫌いにならないまま、今ここにいられる。
    優しさが、中年女を救った。

    突然の余命宣告

    デミオを運んでもらった後、わたしたちもディーラーさんで話を聞いた。
    電話口であれやこれやと教えてくれた声の主と対面。
    頼れそうな技術さんだった。
    「好きな車なので通常の修理で直るなら乗り続けたいんですけど、どうでしょう?」
    「まずは見てみないことにはなんとも…」
    「そうですよね…」
    「直りそうなら修理でいいですか?」
    「新しい車買えちゃうくらいの見積もりだと困るから、今はなんとも…」
    「ですよねえ…」
    というような出口のないやりとりを繰り返し、その日は代車を借りて帰宅した。
    技術さんはわたしを絶望させないよう、でも過度な期待もさせないよう、慎重に言葉を選んでくれていたと思う。
    ただ、わたしはその時、なぜか言っていた。
    「よっぽどの時は遠慮なく言ってください」
    …なにか予感があったわけじゃないのだけれど。これを言ったことは妙に記憶に残っている。

    わたしの元にその技術さんから連絡が入ったのは週明けだった。
    「想定の額を超える修理になりそうです。修理というか、一部を丸ごと取り替えます」
    ああ~…
    それってわたしの中ではかなりの「よっぽど」だよ…
    夫に相談すると、彼としては既に買い替えに心が傾いていた。
    そして、わたし自身も。
    週末に借りた代車は軽自動車。ごくごくシンプルな車だった。
    2WD、ターボなし、もちろんMTでもない。
    それでも、困らなかったのだ。
    寂しいけれど、困らなかった。

    もちろん運転の楽しさや快適さはわたしのデミオには敵わない。
    けれど、主に送迎で使用する車として考えた時、これから5年後、10年後のわたしが運転することを考えた時、じゅうぶん足りた。
    わたしは、ドライで少し残酷な現実に気づいてしまった。
    運転に楽しさや快適さを求めることが、今のわたしの最優先ではなくなっているということに。

    わたしたちはデミオを手放すことに決めた。

    夫の仕事が終わるのを待って、ディーラーさんに向かう。
    週末にお世話になった技術さんから、状況を示す画像と一緒に症状の説明を聞く。
    説明を全て聞いたうえで、夫が
    「これは車の状態として厳しいと思うので、買い替えます」
    そう技術さんに告げた。
    技術さんは、少し考えていたけれど、頷いた。そして、
    「奥さまの長く乗りたいという気持ち、本当によくわかります。ご家庭に車が複数台あって、例えば今回は修理して、今後また壊れたりしても、直す間は別の車を使うから大丈夫、という状況であれば、私としても『何度でも修理しますから、長く乗ってくださいね』と言いたい。しかしそうではないので、買い替えがきっと良いのだと思います」
    と言ってくれた。
    技術さんのその言葉を聞いて、ああ、本当にこのデミオとお別れするしかないんだと、わたしは思い知らされた。
    だってわたしにその乗り方はできない。
    運転は好きだけど、デミオは好きだけど、我が家に車は1台で足りてしまうんだもの。

    わたしたちはその場でタブレットを操り、次の車を決めた。

    今までの車の買い替えは、わたし自身がそのタイミングを決断できた。
    買い替えという結論を出し、満を持して新車を決めて、乗っていた車とお別れするということ、新車との新しい生活が始まることについて心の準備ができた。

    今回はそのプロセスが全部まとめて猛スピードで押し寄せてきて、いつもなら半年くらいの期間をかける作業を数日で終えてしまった。
    だからなのかどうしても、現実に気持ちが追いついてこない。

    新しい車を待ちながらも、さよならの途中。

    次の車は現在の我が家のありかたにふさわしい、正解の車だと頭ではわかってる。
    新車が来たら「わたしたちの暮らしに不足ない」と改めて実感するだろうとも思ってる。きっと愛着も湧く。
    でも、純粋に新車を待ち焦がれる自分に辿り着けない。
    月が変わり新たな代車としてMAZDA2がやって来た。
    MTかそうでないかの違いはあるけれど、デミオの後継だもの、似ている。
    似ているけれど、やはりこれはわたしのデミオじゃない。
    運転中、左手がシフトレバーを握る必要は、もうないのだ。
    鼻歌を歌いながらギアチェンジしていたデミオはもういない。
    日々代車を運転するわたしの中のわたしが、まだまだあのデミオに乗りたかった、と泣いている。

    ヨッコラショとかドカンと行けるとか、車への適切な褒め言葉の語彙をよく知らない素人なので変な表現なのかもしれないけれど、わたしはわたしのデミオが好きだった。
    気持ち良いステアリングフィール、軽やかな加速、走行中の安定感。
    全てがわたしの好みだった。

    わたしのデミオは「わたしが心から操縦を楽しめる車」だった。
    あと少しだけ、この感傷に浸りながら代車のハンドルを握らせてほしい。
    そうすれば少しずつ、中年女も前を向ける。

    バイバイ、デミオ。

    決して数は多くないわたしの車遍歴のなかでの話だけれど、君はきっと一番楽しくお喋りした車だね。
    大好きだったよ。


     
     
    モノクローム縞子(しまこ)|どんな日常も余すところなく料理する中年女。好奇心で生きてる。特別なできごとも平凡な毎日も、大好物。日々のエッセイから感想文まで、だいたいなんでもnoteになります。そんなnoteは毎週水曜日と月末に更新。ご感想・ご連絡はDMまたは質問箱へ。

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