
書くことに自信がない理由
わたしには、姉と弟二人がいる。 姉は文章が上手。確かに詩で賞をもらったりしていた。 弟も上手で、よく書いたものを先生にも親にも褒められていた。文集に載ったり、何かに載ることが多かった。
わたしはといえば、載ることや褒められることなんてなくて。
むしろ「ほめられたい」「なにかに載りたい」なんて下心を持って書いたもんだから、誰に向けてのものだったのか、自分の本当のことすら書けなくなって、あの頃から素直に書くことを封印してしまっていたのだ。
『ほんとうのことを書く練習』の著者、土門蘭さんのことばを借りると、ずっと文章に「化粧」をさせていた。 かなり意識をしていた。これを読む親、先生、自分までもを監督官に置いて、自分の中の「書く子」を責め立てていた。
それゆえに、私にはずっと自信がなく。 「りんごちゃんは『おさんどん』※1が得意だからね、大丈夫」なんて言われて育てられた。 その上、祖母には「あんたは不細工だから将来整形しなさい」と言われたものだから、自信を持つ瞬間なんて、育つ過程で一度もなかった。
容姿の話になると文章の話からずれるので、今回は割愛しよう。
(※1:母の昔の言葉なので知らない人が多いかと思いますが、家事の意味で母は使っていたと思います。web辞書では「家で家族の世話を行う女性」「女中」などのようです)
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さて、こんなわたしが「書くこと」をしてみたいと思ったのは――。
さきほど述べたように、私は文章が下手とは言われないまでも、褒められたことは一度もなかった。 絵なんてどうでしょう。姉や弟はそれは絵が上手く、とっても褒められ、これまた賞をもらったりしていた。 家族の中では絵が下手な私の絵はネタにさえされており、今でこそ『絵心ない芸人』なんて感じで一つのコンテンツになっているが、私にとってはコンプレックスそのもので、あのテレビ番組すら心をちくちくとさせたものだった。
話がまたそれてしまったが、そんな私が書こうと思ったのは。
純粋に自分の中に、ずっと溜まっているものがあった気がしたから。
「褒められないと書いてはいけない」と思っていたが、あったこと、言われたこと、悲しかったこと、うれしかったこと、感情を言語にするのは自由なんじゃないかと、本当に最近気が付いたから。
悲しいんだけど、文を書くことでも絵を描くことでも褒められることがなかった私は、家事が上手だということでお見合いをさせられ。もちろんお見合い結婚が向いているわけもなく逃げ惑い、お見合い結婚はしなかった。
結果的に御曹司と結婚したわけでもなく、家事ができるからって(家事が)大好きなわけでもない。主婦になったって私が満たされるわけもなく、
大人になっても不満がたまって、コップからあふれて止まらなくなった。
自分の中の「書く人」がいよいよ「書きたい!」って泣きわめいた結果、
何かを書いてみようと思った。
わたしなんかに書けたので、普通の人だからこそ書けることがあると思うし、書いてみないとわからない世界がある気がする。
もしあなたの中にも、枠に押し込められて泣いている自分がいるなら。
一緒に、自分のための言葉を探してみませんか。
土門蘭先生の書籍、何度も読み返したい素敵な本でした。