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Photo by55danyl

54歳の恋愛。香港のあの朝から10年後の恋の話

    今から約10年前の2014年2月の寒い朝。

    私は、香港の狭い路地裏のお店で田中クンと朝がゆを食べていた。

    2泊3日でフラっと訪れた香港。

    きっかけは、田中クンからの突然のLINEだった。

    「美伊さん、お元気ですか?突然LINEでねえさんがあがってきたので!」

    このLINEがきっかけで、当時失恋したてで憔悴しきっていた私は

    「気晴らしに香港にでも行くか!」ということで田中クンを訪ねて香港に行った。

    「美伊さん、明日の出発前に朝がゆ一緒に食べませんか?」

    日本に帰る前日、「せっかく香港に来たんだから」ということで朝がゆのお店に連れて行ってくれた。

    「何時の飛行機でしたっけ?」

    「11時発かな?」

    「じゃ、全然間に合いますよね。」

    朝起きたての田中クンはスウェットにダウンジャケット、髪も寝起きのままというラフすぎるスタイルだったが、もともと素地がいいからそれもまたサマになっている。

    「さて、そろそろ行くわ。いろいろありがとう。いい気晴らしになったわ。」

    「いやいや。何のおかまいもできずで。空港まで一人で大丈夫ですよね?」

    「もちろん。大丈夫よ。じゃ、またね。」

    タイムズスクエアで握手を交わし、私たちはそれぞれの方向に歩きだした。


    田中クンは、当時勤めていた会社の後輩。
    私よりも13歳年下なので、今年で42歳になる。

    30歳で香港支社に赴任し、約10年。
    彼はキビシイ環境の中で現地の日系企業担当として働いていた。

    日本で一緒に仕事をしていたとき、彼はまだ20代半ば。
    ただのかわいらしい後輩だった。

    甘いマスクに似合わない逞しい体躯の彼は、必然的に新入女子社員のあこがれの的となり、なにやらいろんなウワサも耳にしてはいたが、「田中クンだからね、いいんじゃない?」と、なんだか許されてしまう専売特許を持っている人だった。

    「~episode1」突然の再会

    香港旅行から約10年。
    この10年間、一度も田中クンのことを思い出したりしたことはなかった。

    「美伊ねえさん、お久しぶりです。田中です!お元気ですか?
    僕、香港から帰国して日本に帰ってきてるんですよ!」

    田中クンからの突然のLINEが来たのは昨年の夏の終わり。

    人気者の田中クンの帰国のウワサはたちまち広がり、
    当時一緒に仕事をしていたなつかしい仲間達との飲み会が、幾度となく行われていたみたいだ。

    12月。

    「美伊ねえさん、こんばんは~!明日の夜って空いてますか?ごはんでも行きませんか?」

    なんだか疲れた金曜日だった。
    早めにベッドに入った私。
    田中クンからのLINEに気づいたのは翌朝の7時。

    別に他に用事もないし、ライティングの仕事も納品したし、まあ、いっか。

    「今日の夜空いてますよ~!行きましょ!」と返信。

    18時少し前にお店に着いた私。

    ほどなくして、田中クンが入ってきた。

    全然変わってない「おとこまえやないか!」

    「美伊さん!お久しぶりです!全然お変わりなくで!」

    10年ぶりに握手を交わした。

    香港のタイムズスクエアの握手から10年。

    12月の寒い空気にさらされた田中クンの手はひんやりと冷たかったが
    その大きな手で、私をあたたかく包み込んでくれた。

    私のカラダの芯の部分で、不思議な感覚を覚えてしまったのかもしれない。

    「~episode2」優しく抱かれる

    田中クンと私は、イタリアンで昔話に花が咲いた。

    日本に帰ってきたのは結婚かな?と私は会う前から思っていた。

    結婚するために?という私の問いに対し、
    田中クンは

    「結婚してたんですけどね、1年であっさり終了って感じかな?」

    と。

    その時の私には、全く衝撃もなにもなくただ単に
    昔の職場の後輩男子が離婚した、という客観的な事実でしか捉えられず、興味すら沸いてこなかった。

    美伊ねえさんは結婚とか興味ないんですか?
    彼氏とか、今は?

    田中クンからふいにこんな質問を投げかけられた。

    結婚?したいな。って思う。

    あれ?

    今まで全くそんなこと思わなかったのに。

    彼氏は?

    最近別れちゃった。

    そんな会話を何時間続けただろう。

    それなりに酔いも手伝っていたのか私たちの「物理的な距離」は縮まっていた。

    2件目のBar。
    田中クンのその長い手は、私のチェアの背もたれにあった。

    マスターのハイボールは本当においしい。
    丁寧に角を削り取った氷。
    丁寧にソーダを注いてくれる。

    やさしいハイボールに私たちはふんわり酔っていた。

    でもまだ、私は田中クンは
    「前職で一緒に働いていた後輩」だった。

    終電の時間は?

    23時30分です。

    これ飲んだら帰らなきゃね。

    田中クンとの会話が、まったり楽しくて

    気づけば24時。

    ごめんなさい。ついつい話してしまって。
    タクシーで帰れる?
    家まで30分くらいだから大丈夫だよね?

    はい。大丈夫!
    美伊さん、マンションまで送りますよ。

    12月の夜は寒い。
    寒がりの二人は身を寄せ合いながら歩いた。

    送ってくれてありがとうね。と私。

    田中クンはその長い手で
    私をそっと包み込んだ。
    暖かくて優しい。

    あの、、
    えと、、
    タクシーで帰れる?

    田中クンはそれには答えず
    私にそっとキスをした。

    帰らない。

    かわいいね。美伊さん。

    私は、
    彼に抱かれた。

    いや、

    私たちは
    暖かく優しく抱き合った。

    「~episode3」追いかけている

    朝のぼんやりした光に自然に目覚めた私。
    少しの気だるさと澄み渡った青空は対照的だった。

    おはよう。
    田中クンが起きた。

    おはよう。

    美伊ちゃん、寝れた?

    ・・ちゃん?
    心の中であれ?と思ったけれどそのまま会話を続ける。

    うん。よく寝たよ。
    田中クン、体温高いよね。湯たんぽみたい。

    ふふ、と田中クンが笑った。

    僕から「俺」
    美伊さんから「美伊ちゃん」

    なんだろな、、、でも気持ち的には嬉しいのが正直なところ。

    田中クンさあ、、、
    なんだかさ、、
    もう、これからは彼氏とだけエッチをしようと思ってるのよね。
    こういうの、中途半端で嫌な思いしてきたしさ。

    私の気持ちは、まだこの時点では「後輩の田中クン」だ。

    そうなん?
    そうやってさ、白黒はっきりつけなくってもいいんじゃない?
    彼氏だからする、彼氏じゃないからしない、とかさ。

    心がチクっとした。

    またか、、と
    私の心の声が私に忠告をしているよう。

    田中クンはルイボスティーのゆっくり飲み、
    私はいつものようにコーヒーを飲む。

    天気いいね。

    ベランダに出た私の横にそっと寄り添う田中クン。

    日曜日の大通りは、車が少ない。
    立ち並ぶオフィスビルもしんとしている。
    平日の喧騒がうそのよう。

    眠い・・・

    そろそろ帰ろうかな?
    そういうと田中クンは
    長い手を大きく広げ
    やさしく長めに私をハグし
    そして、とってもやさしくキスをした。

    私は、さっき心の奥でチクっとした痛みを感じながら
    田中クンの優しさに集中しようとしていたみたい。

    玄関まで見送り、扉が閉まったあと、
    また心がチクっとした。
    笑顔が消えたのはこの先を予言していたのか。

    残っていたコーヒーを飲み
    田中クンが使ったマグカップをシンクに置いた。

    私はまどろみながら、確実に寂しい思いを抱えながら
    また眠りについた。

    「~episode4」一瞬ときめく

    ミイちゃん、今日はありがとう!
    めちゃ楽しかった。
    また会いましょね。

    田中クンからのLINEに気づいたのは
    夕方だった。
    かなり眠っていたよう。

    オンナの「カン」は当たる。
    世の中を席巻するAIですら、
    オンナの「カン」の領域には及ばないと、
    とある学者が説いていたのを思い出した。

    私も楽しかったよ♡
    また会おうね。

    版でついたような返信をしたけれど、
    僅かな期待と、
    この「オンナのカン」が
    外れてくれることを祈りながら。

    田中クン、年末年始って予定どお?

    年末は予定が詰まってるから、年始にする?
    ミイちゃん、〇日とかどお?

    あれ?
    具体的に日にち指定。とココロオドル。
    どっかのWebサイトに
    「具体的な日にち指定があれば脈アリのサイン!」
    とか書いてあったけど。

    そんなことを鵜呑みにするわけないやろ。

    〇日OK!

    じゃ、楽しみにしてる。

    多分、多分・・・
    今回もまた、同じパターンになる。
    心のどこかで確信を持っている。
    でも、、今回は、、なんだかいつもと違う。

    私、もしかして、この人と結婚したいとか
    思ってる?

    そんなことが叶いもしないことなんか
    分かってるのにね。

    50代 ウエディングドレス おすすめ

    スマホで検索しながら、
    ひととき夢にひたる。

    やっぱし、マーメードラインがいいよね。
    レースは控えめのほうがいいわ。

    いいよね。
    勝手に妄想してるだけだもの。
    我ながら、イタい女だと思いながら。

    気づけば外はどっぷり日が暮れていた。
    冬の一日の終わりは早い。

    そうこうしている間に、

    2024年も暮れていくんだ。

    「~episode5」彼が離れていくかも

    2025年が明けた。

    みいちゃん、明けましておめでとう。
    今年もよろしくね!

    田中クン、あけましておめでとう!
    こちらこそ、よろしく!
    今年は素敵な年にしたいな、と思っています。

    みいちゃん、大丈夫。
    今年はきっと、そうなるから。

    断言してきた田中クン。

    みいちゃん、
    4日のお店どうする?行きたいとこある?

    とりあえず、どっか空いてるでしょ?と私。

    約束通り、19時に駅前に行くと田中クンがこっちを見て軽く手を振っていた。

    やっぱし、おとこまえは
    いっつも、おとこまえやな。

    1月4日。
    営業しているお店はいつもの半分くらい。

    ここにしよっか。

    と、田中クンと二人でお店に入った。

    店内は家庭的な雰囲気で、手ごろなお料理がおいしい。

    ハイボールをおいしそうに飲む田中クン。

    わたしは、ビールをゆっくり飲んだ。

    なんか、ほっこりするね。
    家にいるみたい。

    唐揚げを美味しそうに食べながら、
    田中クンが、ふっとつぶやいた。

    田中クン、
    サラリーマン辞めてやりたいことでもあるの?

    そう。

    田中クンは、10年間香港で仕事して、出世して、結果を残して、そして離婚もした。

    人生一度きりなんだな、って思ってさ。

    夢だったBarを経営したいと思ってる。
    小さなBarを一人で。
    やりたいように、自分のお店を作りたい。

    田中クンが、Barのカウンターに立っている姿は容易の想像できる。
    人が向こうから集まってくる田中クン。
    きっとたくさんの人に愛される場所になるんだろうな。

    なんだかふいに寂しくなった。

    Barの話を聞いて、
    田中クンは確実に私から離れていってしまうんだろうと、なんだか分からない確信を覚えた。

    ピッタリやね。
    田中クンらしい。

    きっとうまくいくよ。

    きっと。

    精一杯のエールを送った。

    この日からだろうか。

    私の気持ちがざわつき始めたのは。

    「~episode6」彼との距離が遠くなる

    田中クンと年明けに会ってから2週間が過ぎた。

    みいちゃん、元気?
    〇〇さんがイベントでお店出すらしくって、よかったらどお?
    他のメンバーも行くらしいよ。

    生憎その日は、仕事だったので「残念ながら」と返信。
    そして、
    田中クン、週末空いてる?飲みに行こうよ。

    そだね。
    久々会いたいし、てかさ。
    みいちゃんの手料理が食べたい。

    身体の関係から始まる。
    彼氏彼女でもない関係。
    店でなく部屋デート+手料理。

    もう、都合のいい女方向にまっしぐらやん。

    2月初旬の極寒の週末。
    田中クンは、私の部屋に遊びに来てくれた。
    ハイボールやらを詰め込んだコンビニの袋を持つ田中クンの手は、冷たくて。
    思わず、寒かったでしょ?と私は彼の手を包み込んだ。

    あったかいね。
    みいちゃんって。

    私の手料理が想像以上に美味しかったらしく、感動している田中クン。

    お店、どう?物件は見つかった?

    おかげ様で!4月の半ば。オープン予定だよ。

    私の誕生日月だね。

    え?いつ?

    4月20日。

    お祝いしてよ!お店で。
    明るく提案してみると、

    そうしよ!!任せて!

    といって、スマホに予定を入れている。

    誕生日のお祝い、俺に全部まかせて。
    今日から誕生日まで一切、この話は聞かないで。全部俺がするから。

    期待していいのか、素直に喜べばいいのか。
    はたまた、集客のネタなのか?

    素直によろこべない私は一体何なんだろう?

    ありがとう!嬉しい。
    まじで楽しみにしてるから!

    その夜の田中クンは、とりわけ優しく、力強かった。
    香港で朝粥を一緒に食べていた頃の30代の若かりし田中クンとはまた違う。

    オトナの男の色気と余裕と包容力に満ち溢れ、そして官能的だった。

    翌朝。

    これから4月OPENまで本格的に忙しくなるなあ。。

    ふと田中クンが口にする。

    そうだよね。

    寂しいというより、しょうがないよね、と。

    お店づくり、頑張ってね。

    やさしく、やさしくハグをして、
    田中クンは帰っていった。

    その日を境に、田中クンからの連絡は、
    途絶えた。

    10年前の2月の香港も、そして2025年の大阪も。

    同じような寒い日が続いた2月だった。

    「~episode7」新しいパパって何?

    あれからぷっつりと田中クンからの連絡は途絶えた。
    お店の準備で忙しくしているんだろうことは、容易に想像できる。

    田中クンは、自分の目標が定まると一気に集中する。
    そして、それを必ず形にする人だ。

    私は、SNSが苦手だ。
    人の生活ぶり、プライベート、そして過去が分かる。
    知らなくていいことは知らなくていい。
    こわいんだ。

    でも。

    ふと、彼の名前で検索してしまった。

    インスタのアカウントを持っていなくても一部だけ閲覧できるらしい。

    田中クンのアカウントがあった。
    こわごわクリックしてみた。

    3年前の投稿だ。

    結婚式の写真。
    どうやら、東京に住む大親友の結婚式に香港から駆け付けたようだ。
    メッセージ欄には、彼の友達からいろんなメッセージが飛び交っている。

    お互いにニックネームで会話しているので、男女の区別も関係性もイマイチわからない。

    田中クンは最終的には東京に住みたいと言っているようだ。
    3年前は。

    「東京移住、待ってるよ!」
    「みんな楽しみにしてるから、早く東京に来いよ!」

    また、心がチクっとした。

    そしてさらに、女性の友達のメッセージに目が留まった。

    「●●も(彼女の息子)新しいパパに会えるの楽しみみたい!」

    新しいパパ?
    東京移住?
    みんな待ってる?
    息子が新しいパパに会えるのを待ってる?

    もう、私のココロは混乱してる。

    離婚した後、新しい婚約者がいたの?
    シングルマザーの人?
    田中クン、パパになるの?
    東京いっちゃうの?

    どれくらいだろう?
    呆然としてしまった。
    頭がかなり混乱してる。

    新しいパパ。待ってるから。

    この言葉が、私の頭の中を数時間ぐるぐる回っていた。

    もう一度、そのインスタのメッセージを読むと田中クンからの返信が読めるみたいだ。
    そっと、クリックしてみる。

    ・・・・・・・。

    とんだ私の誤解だった。

    新しいパパは、田中クンではなかった。

    一瞬安堵したけれど、私は愕然とした。

    こんな投稿に、一喜一憂している自分に。

    田中クンとのこの関係はキケンだ。

    やっぱり私は恋ができない女なんだ。

    「~episode8」決意したのに・・

    あれから約2ヵ月間。
    私は心を静かにしながらずっと仕事に集中していた。
    寂しいといえば寂しいけれど、こんなもんかな、という気持ちもあった。
    だって、私は恋愛しないほうがいい女だって結論つけたもん。

    あ~、、、
    3月下旬に田中クンから、グランドopenの告知LINEが送られてきた。

    もう、連絡がないほうが楽なのにーとかとか思ってしまったが。。

    4月15日。

    ついにオープンするみたいだ。

    店内の写真は、前に見せてもらった改装前の空間を忘れさせるほど、清潔感のある優しい雰囲気のお店に変わっていた。

    ついにopenするんやね!
    おめでとう!

    うん!!
    頑張った。
    ここからが勝負なんだけれどね。

    ぼちぼち頑張ればいいんじゃない?

    この2ヵ月、必死だった。
    みいちゃんに会いにいく時間もなくって。
    まだまだ最終作業をしなくちゃなんやけど、
    夜とか時間あったら、お店見にこない?

    また時間があればいくね。

    2ヵ月前のインスタのことと、
    この2ヵ月という時間が幾分私を冷静にさせていた。

    やりとりは、さくっと終わらせ、「今日の夕食は何にしようかな?」と考えながらスーパーに買い物に出かけた。

    私は、料理をしている時間が好きだ。
    お酒を飲み、音楽を聴きながら静かな時間が流れる。
    気持がフラットになる。
    スライサーを使わず、丁寧ににんじんを細切りにしたり。
    ぶんぶんチョッパーを使わず、玉ねぎのみじん切りをしたり。

    田中クン、夜な夜な一人で作業してるんだろうな。
    お腹すいてるんだろうな。
    食事、どうしてるんだろう?

    また、こんな余計なことを考えてしまっている私がいる。

    田中クンさ、夜さ、作業してるときってお腹すかない?

    めっちゃお腹すくけど。。。いつも牛丼とかうどんとか、その辺で食べて帰ってる。。

    あの、、差し入れでもしようか?

    嬉しい!!ありがたい!!
    〇日とか、〇日とか、みいちゃん予定どお??

    あ~、、、、
    インスタで懲りたのに。。
    自分は恋愛はやめようと思ったのに。。

    田中クンの大好きな、豚のしょうが焼きをメインに、卵焼き、ホウレンソウのおひたしやら、なんやらかんやら詰め込んで、田中クンのお店にお弁当を届けにいった。
    電車に乗ってる10分が、とても長く感じた。

    お店の入口に到着してしまった。
    おそるおそる扉をひらくと、ふわっとした空気を感じた。

    みいちゃん!!
    田中クンはすこし疲れた様子だったが、なんだか懐かしそうに私を見ていた。

    これまで何度も感じたこころの「チクリ」を忘れて、彼の頑張りに純粋に感動した。

    これ、全部自分ひとりで改装したの?

    うん、居ぬきだったから掃除が大変だったけどDIYみたく楽しめたよ。

    これ、差し入れ、お弁当。。。持ってきた。

    え?お弁当?まじで?
    嬉しすぎる。
    ありがとう。本当に。

    カウンターにお弁当を並べ、田中クンと並んで座り、私はコンビニで買ってきたハイボールを飲みながら、他愛もないおしゃべりをしていた。

    田中クンは、よほどお腹がすいていたのか、私のお弁当が本当においしかったようで、あっという間にお弁当箱がカラになった。

    毎日食べたい。これ。みいちゃん。

    ありがと。そういってもらえてよかった。嬉しい。

    2時間ほどおしゃべりして、電車のあるうちに帰ろうと席を立ったとき、
    目の前に立つ田中クンは、何にも言わずぎゅっと私を抱きしめた。

    大丈夫かな?俺。。。

    え?

    大丈夫かな、これから。。。

    田中クンは、ずっと私を抱きしめながら不安そうにつぶやいている。
    こんな彼を見るのは初めてだった。

    不安なん?

    うん。

    大きな背中をポンポンとたたき、

    田中クンは大丈夫、大丈夫!
    きっとうまくいくから。
    あかんかったら、あかんかった時やん?
    今から心配してどうすんの?!
    命取られるわけじゃあるまいしさ!

    いつも私が見つめている田中クンの背中は、
    大きくて、広くて、頼もしい。

    でも、その夜の田中クンはとってもちいさな背中で
    とっても不安げで、とっても健気だった。

    田中クンは、なかなか離れようとしない。

    大丈夫やから!
    こんなふうに自分一人の力でここまで作ってきたやんか!
    私、感動したもん。

    そういうと、なんだか、こっちが泣けてきた。

    何で、私、泣いてるんやろ?

    2ヵ月前、あれだけ決心したのに。
    また、元に戻ってしまったではないか。

    ゆらゆら行ったりきたり。

    23時30分。

    最寄り駅についた時、
    外は、春の夜特有の冷たい雨が降っていた。

    持っていたショールを頭から被り、マンションまで
    走って帰った。

    「~episode9」誕生日partyは無かった

    春の日の早朝。

    すでに外は明るく、ビルの向こうの空は朝陽にぼんやり照らされている。

    ベランダに出てみると、空気はまだひんやりとしているが、グリーンは蒼々と元気よく育っている。

    春・・・やね。

    静かに週末がはじまろうとしている。

    昨晩、仕事で疲れ切ってかなり早めにベッドに入った私は、今朝は4時には目覚めていた。

    極寒の2月のはじめに、みいちゃんの誕生日は俺が企画するから、今日から当日まで何も触れないでよ!

    と言われて、2ヵ月。

    あれから、二人の間で私の誕生日の話に及ぶことはなかった。
    極秘にしているのか?
    完全に忘れているのか?

    この2拓しかない。

    友人が少ないとはいえ、ちょこちょこと小さな誕生日のお誘いは受けていたが、、、すべて断っていた。

    多分忘れてるだろうな。

    このカンは、絶対に当たると確信していた。

    4月15日。
    田中クンのお店がopenする日だ。

    いよいよ今日からやね。
    頑張ってね。

    ここまできたら、なるようにしかならないよね。。。

    きっとうまくいく!大丈夫。
    私がいるから大丈夫。

    なら、安心。
    わかった。頑張る!!!

    openの日は、きっとたくさんの人が田中クンのお店に訪れるだろう。
    20年間勤めていた会社の仲間、高校・大学の友人、そして香港でともに戦った仕事仲間。
    田中クンがたくさんの人に囲まれ、お祝いされている姿が目に浮かぶ。

    私は、躊躇してしまう。
    私と田中クンの共通の知り合いもたくさん来店するだろう。
    10年ぶりに会い、互いに近況報告をするのがおっくうだと感じてしまう。

    結局私は田中クンのお店に行かなかった。
    どうしても、勇気が出なかったんだ。

    何が怖いんだろう?

    openしてから、田中クンからは何も連絡はなかった。
    私の誕生日はどうなるんだろう?と不安。

    すると、誕生日の前日に、田中クンからLINE通知が来た。
    前職の仲間たち、総勢40人のグループLINEに招待されていた。

    え?
    もしかして??

    と、ココロオドル、私。

    再度通知が来た。

    みなさん!こんにちは!
    イベントのお知らせです!

    この度、〇〇さんがなんと、本を出されました!!
    刊行のお祝いイベントをお店で開催しますので
    ぜひぜひ、懐かしい仲間との時間を楽しみながら
    〇〇さんを応援しましょう~~~★

    日程は、5月〇日・・・

    え?
    なにこれ?

    さーーーっと気持ちが覚めてしまった。

    田中クンに対する気持ちに余裕がなかったこと。
    嫌われてはいけない、、と無理をしていたこと。
    気に入られようとイイ女と思われることだけ考えていたこと。
    そして、恋愛しすぎていたこと。

    すべての気持ちが一瞬にして消え去ってしまったと同時に解放感が私を包む。

    翌朝20日。日曜日。
    私は、55歳になった。

    ふとスマホにLINE通知が。

    みいちゃん、お誕生日おめでとう💖
    ステキな1年になりますように。お祈りしています。
    また、お誕生日は改めてお祝いさせてね。
    これからも、またいろいろ力貸してね。

    田中クンからだ。

    お祝いメッセージありがとう💖
    お店頑張ってね。

    私のこころは、静かに、静かに、落ち着いていた。

    「~last episode」手のひらから消えたぬくもり


    昨夜は深酒した。理由は明確。
    ボトルキープのウイスキーを無理してでも
    カラにしたかったから。


    美伊ちゃんに会いたいっていう人が今お店にいるんだけど
    来ない?

    田中クンから2ヵ月ぶりに突然LINEがきた。

    お弁当箱をまだ預けていたのと、「みい♡」と書いたボトルが棚にあることで、なんとなく田中クンとつながっているのが気になっていたので、好都合のLINEだった。

    「誰かな?楽しみだね。仕事が終わったらいくね」


    今日であのボトルをカラにして棚から消し去ってしまおう。
    預けていたお弁当箱も早く回収したかった。

    なつかしい後輩との15年ぶりの再会。
    かわいらしい笑顔は健在だ。
    しばし思い出話を楽しみ、「明日早いから」と彼女は終電で帰っていった。


    田中クンは相変わらず、素敵だ。
    彼の夢は大きくて、そしてだんだんと私から遠ざかる。
    お店もかなり繁盛していて、さすがの人脈に圧倒される。

    定期的に開催される、コラボイベント。
    皆、彼と仕事をするのが楽しいし、彼のためならと人が動く。

    友達のいない私からは想像できない。

    午前1時。

    店の中は、田中クンと私だけになった。

    ボトルがついにカラになった瞬間、なんだか身体から力が抜けたよう。

    カウンターから出てきた田中クンは、後ろから私を抱きしめていた。

    いつもより、酔いが回っている私は、記憶が断片的だったが
    キスをした後に、

    「相変わらずモテ男ね。彼女できた?」と悪ふざけの質問をしたのを覚えている。

    「できるわけないやん。毎日こんな生活だし。仕事ばっか。」


    彼から、返してもらったお弁当箱を、キッチンカウンターの引き出しにしまった。

    お帰りなさい。

    これで、もう終わりなんだと自分に言い聞かせつつ、寂しくもあり。
    でも、大丈夫。

    いつものように時間が寂しさを薄めてくれると分かっているから。

    スマホの背中には彼のお店のロゴシールが貼られていた。

    見るたびに思い出すよね。

    黒と白のシンプルなデザインのロゴシールを
    長く伸ばしたネイルで、スマホからそっと剥がした。

    それっきり、彼とは全く連絡を取らなくなった。
    もう、彼は違う景色を見ているんだ。

    いつまでも、キラキラと輝き続けるであろう彼。

    私は、私の人生を誇りに思いながら1日、1日を生きていこうと思う。

    私らしく。
    私のやり方で。
    たおやかな人生を。

    10年前、
    香港のタイムズスクエアで交わした握手。
    その時の彼の手の温もりは、
    私の手のひらから、
    そっと、消えた。

                   ~the end~

     
     

    美伊

     
     
    1970年生まれ。50代半ば過ぎのトリプルワーカー。同世代だけじゃなく、若い人たちにも、人生の有り様を伝えたい。趣味はお料理、お酒。1人飲み。長く転職支援の仕事を通じて沢山の人の生き様に触れた。美しく歳を重ねていきたい。美伊は亡き愛猫の名。

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