
素人がヌードデッサンをしたら、何処まで上手く描けるのか
4月某日、同じ大学の先輩から耳を疑う情報が飛び込んできた。
先輩:○○くん(自分)って美術の授業取ってるんだ。
自分:はい。取ってます。
絵うまくなりたいんで(笑)
先輩:あの授業、
ヌードデッサンやるから結構きついよね。
自分:そうですよね~、大変………え?
そんな情報は知らなかった。
いろいろ考えが交錯した。
まず思ったのは、
素人にヌードデッサンなんかやらせんな、
というもの。
そりゃあ歴が長い人にとっては有意義な時間を過ごせると思う。
ただ自分は素人だ。壊滅的に絵が下手である。
特に目の前の物体を描くことが苦手である。
授業スタートから一か月ちょいでヌードデッサン?早すぎるわ。
1年あっても足りん。
あと、男子大学生にヌードデッサンをやらせることは倫理的に大丈夫なのかという問い。
いろいろとまずいのではないだろか。
どんな状況でも常に頭を学術的な脳みそに保たなければならない。下心なんていう下劣なものは銀河の彼方へ捨て去るのは言わずもがなである。
まず、女性を描くのか男性を描くのかわからない。勿論書き方もわからない。右も左もわからない中で私はある企画を立てた。それは、
YouTubeの動画でどこまで素人の絵はうまくなるのか!
というもの。簡単に言うと、描画の一夜漬けだ。
有名な画家にぶん殴られそうだが、気張っていく。
どうせやるんだったら、失礼のないように美しく描きたいじゃない。
(あと、最低限のラインは超えないと単位がもらえない。)
参考にしたのは下記の動画。
動画によると、人体デッサンの練習において大切なのはとにかく手を動かすことらしい。ということでとにかく描いてみることに。


薄々気づいてはいる。これは無理ということに。
だが最後まで抗う。


少しずつではあるが人の形くらいは描けるようになった。影の描き方は最初から諦めている。とりあえず正確な描き方を頑張る。
そして、ヌードデッサン当日になった。
着いて早々イーゼルを組み立てたりしていく。本当は練り消しや木炭など専門道具があればよかったが、そんなもん使ってもうまくはなれないので鉛筆と消しゴムという初期装備で挑む。
モデルさんが来た。女性の方だ。
男性のほうが気兼ねなく描けるのになぁと心の中で思ってしまった。
今回の形式は数分間でさっとデッサンするのを繰り返すもの。当初一つのポーズを一枚の紙に書く感じだと思っていた。今回の形式だと影の描き方のことなど考えなくていいので嬉しかった。
さあ、いよいよ描いていく。
最初の二分間はモデルさんの体をじっくり観察して骨の出っ張り、筋肉の位置などを頭の中にインプットする時間。
モデルさんが服を脱ぐ。下着はさすがに着るだろと考えていたが躊躇なく裸体になったので「さすがプロだな」と思った。
モデルさんが台の上で回りながら様々なポーズをとる。自分は瞬き厳禁のような空気の中で観察する。とても罪悪感があるというか、こっちが恥ずかしいというか、とにかく気まずかった。ただ、こんな考えでせっかくの貴重な時間を無駄にしたくなかったし、何よりこんな思いは目の前のモデルさんに失礼だなと思い、気持ちを切り替えた。
ブログを執筆している者として失格かもしれないが、鉛筆の音、人の呼吸音、台がきしむ音など様々な要素が影響しあっている独特なあの空気は言葉では表せないと思う。
(もしくは表すのはナンセンスかも。)
ヌードデッサンは美術の基礎も基礎らしい。長い歴史があり、今も続いているこの基礎には、素人の自分が測れないほど深い”なにか”があった。
芸術の深淵に触れているようだった。
話は逸れるが、一応文学(文芸)も芸術の一種らしい。違いは、使うものが言葉か、画材かだけ。意外と私たちは芸術に気軽に触れているんだと思う。
話を戻す。最初は10分でざっと描いていく。
動画学習がここで効いてくる、はずだった。
全然描けねえ..…
散々描く際の工程やら形やらやったのに、手が動かない。事前に先生から「消しゴムはあまり使うな」と言われていたのに、とても使った。自分が座っていたとこだけ消しカスが大量に落ちていた。
理由は様々ある。
まず盲点だったのは、練習の時に正面図しか描いてなかったこと。自分の席の位置が描くときにやりやすいか否かはモデルさんがどっちを向くかによって変わる。その日の私の位置はモデルさんの側面であった。先生曰く、「一番やりにくい」位置らしい。ここで出鼻をくじかれた。
そして、モデルさんのポーズがアグレッシブでとにかく描きにくかった。「あんなにポーズがうまいモデルさんは初めて見た」と先生は言っていたけど、よくわからん。
あと描く紙がとても大きかった。練習のときは小さいクロッキー用紙に描いていたので、やりにくかったのもある。
最初は10分、次は5分、次は2分、ラスト1分とどんどん描く時間が短くなるにつれて絵も正確性を失っていく。(最初から汚い絵だったが)
気づけば動画で学んだやり方は忘れ、我流で無我夢中で描いていた。線を書き足しては消し、書き足しては消しの繰り返し。
人間が生み出す流線を見逃さず、
丁寧に、激しく、兎に角描いていった。
だがこの我流は意外にも効果があった。一枚一枚追うごとに徐々に形が取れるようになってきたのだ。やはり絵の上達方法は何度も繰り返しやることだと実感した。
そして最終的に自分が描いた絵の一部が↓


最初の絵なんか人間じゃなかったんですから。
2つ目の絵がラストに描いた絵だ。
モデルさんのラストポーズは
"静的だがどこか動きのある"ポーズだった。by先生
自分も描いていて、腰のひねりや体の重心がこれまでのポーズと違い本当に不思議だった。止まってるけど動いてる矛盾がそこにあった。
今見返すと、足の形が不自然だし、頭の部分も描けていない。
ただとにかく線を描いてるのは見て取れる。
継ぎ足し継ぎ足しでも、とにかく進むこの描き方はなにか人生の真理と共通しているような気がした。
私が一番驚いたのは、絵を描いた後に行われた講評会だ。自分は2枚目の写真の絵を講評してもらった。
先生からこんなことを言われた。
「この絵の女性は怒っている感じがします。誰が描くかによって絵の性格が変わるのがデッサンの面白いとこですね。」
この講評はまさに図星だった。最後の絵だったため、うまく描けない怒りをぶつけようと馬鹿みたいに線を描いていたのを覚えている。無意識にこの怒りが絵に表れていたかもしれない。
その時の環境や心境が絵に表れるのが、デッサンの面白いところかもしれない。
以上が自分が体験したヌードデッサン体験のドキュメントである。振り返って、自分は本当に貴重な経験をしたなと感じている。こんな機会はもう二度とないと思う。
このヌードデッサン体験の数日後、こんなXの投稿が話題になった。
ヌードデッサン会を開催するときには暗黙のルールがあります。
— ひろまや (@hiromaya_art) June 25, 2026
・参加者全員の名簿を残す
・参加者が多数にならないこと
・モデルがポーズ中は必ず施錠して密室にし、出入り禁止の張り紙をする
これらを守らないと”公然わいせつ”になります。… https://t.co/mR5nb4VzV5
非常にタイムリーな話題だったのでよく覚えている。ヌードデッサンのようなコンプラギリギリのことには、しっかり線引きが必要である。このような線引き(配慮)をしてでもこの文化が続いているのは、やはりヌードデッサンという行為に芸術の一であり全である”なにか”が詰まっているんだと感じた。