
【短編小説】帰り道、地下鉄を嗅ぐ
会社の外に出ると雨が降っていた。
水滴が傘の葉脈を通り、地面に落ちていく。
そんな水滴の軌道を眺めつつ、男は夜の道を歩いていた。
8:10pm、加藤の顔にはクマがあった。
まだまだ仕事は残っている。今日は持ち帰って家でやることにした。
家に帰ったところで家族はいない。
薄暗い部屋だけがある。
強いていうならガジュマルを育てている。
機械的な水やりを毎朝行うルーティン、
ただそれだけ。
加藤の目の前にコンビニの明かりが見えた。
今は繁忙期の為、手軽にコンビニの飯を食らうのが日課になっている。最近はグレープフルーツジュースを欠かさず買っている。子供の頃は苦くてすっぱくて飲めなかったけど、大人になったことで舌も成長したみたいだ。
駐車場には赤く「満」の文字が光る。
加藤の革のカバンは年季が入っていた。
カバンには傷や革の剥がれが散見される。
だが汚れもなく立派なものだった。
そのカバンは加藤が通った人生を
静かに物語っていた。
今夜はやけにのどが渇いた。
近くの屋根の下に入り、
コンビニの袋から例のジュースを取り出す。
イラストのグレープフルーツが
今日の月の代わりである。
雨雲の奥に隠れた今日の月は
本来満月であったはずだ。
残念に思いつつもこの雨も風流であると
自分をごまかした。
じめついた空気を味わいつつ、ようやくバス停までたどり着いた。黒い傘はまだ閉じれない。停留所の屋根まで列がある。
ここには傘によるソーシャルディスタンスが生まれた。雨が擬似的コロナ禍のコロナウイルスの役割を果たしていた。
バスに乗る。
夜ということもあって座席に座ることができた。
ここで加藤は朝のことを思い出した。
朝のバスはいつも満員でずっと立っているので足が痛くなる。今日は雨の為、いつもより満員度合いが酷かった。おまけに車内では高校生がずっと喋っており、イヤホンを通り抜けて響いた声が非常に不愉快であった。多分周りの大人もそう思っていたことだろう。我々はただ我慢した。ただじっと。
本当は注意した方が良かったかもしれないし、
というかしたかった。
でもできなかった。今の社会が自分の喉を締めた。面倒くさい世の中になったものだと誰かに吐き出したかったが、誰も居なかった。心にこの愚痴をしまい、青春の副作用だと無理くり自分をカバーした。
大人になることは本音と建前のシーソーゲームなのか。自分を騙し、相手を敬う、それの繰り返し。
たまにはあの高校生のように自分を敬ってやりたいものだ。
加藤は雨で曇ったガラスに文字を書く。
まるで子どものように何も考えずに。
ガラスに雨が当たり、鈍い音が指先から伝わる。
心臓の鼓動と雨が同期した。
いつの間にか眠りについていたらしい。
使う地下鉄のバス停で目を覚まし、焦った。
急いでバスを降り、地下へと潜る。
加藤は懐かしいことを思い出した。
子どもの頃は地下鉄の匂いが好きだった。
あの特有の匂いが何故か好きだった。
大人になってもう気にしなくなっていた自分に
気づいた。
加藤は地下鉄の匂いを嗅ぐ。
鼻から肺へと空気を入れる。
今日は若干だがあの香りがした。
雨が過去を誘う。
どっちつかずの男は地下鉄に乗り、社会に戻った。
今回は初めて小説を書いてみました。
抽象的と具体的の間、小説と詩の間を目指して執筆しました。
今後はもっと長編もできたらいいなと思います。
この小説の振り返りを次回にでもやるつもりです。