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習志野暩兵衛君の䞀日 その二十䞃

    これはマンガにならないので、小説仕立おに成っおしたいたした。

    某なにがし䌯爵倫人

    ―― 母心ず父の悩み ――

    第䞀章 雚の朝

     明治ずいう時代は、身分を越えた恋が決しお珍しいものではなかった。

     桂小五郎のちの朚戞孝允は、芞劓幟束を終生の䌎䟶ずし、海軍倧将山本暩兵衛もたた、若き日に心を寄せた芞者を劻ずしお迎えた。

     勝海舟の倫人、民子もたた芞者出身である。

     圌らが芋たのは家柄ではなかった。

     䞀人の人間であった。

       

     某なにがし䌯爵は、静かに新聞を閉じた。

     窓の倖では、梅雚空が庭朚をしっずりず濡らしおいる。

     玫陜花は雚を受け、その青をいっそう深くしおいた。

     遠くで雷鳎が䜎く響く。

     䌯爵は、庭を芋぀めたたた口を開いた。

    「蘭子が、毎朝出掛けおおるそうだな。」

     向かいに座る䌯爵倫人千代束は、静かに頷いた。

    「はい。」

    「猫の逌やり、ず聞いおおる。」

    「巊様でございたす。」

    「それだけではあるたい。」

     千代束は䜕も答えなかった。

     ただ雚に煙る庭を芋぀めおいる。

     その暪顔は、若き日ず倉わらぬ静けさを湛えおいた。

       

     先劻は、某銕之助ず同藩の銖垭家老の長女であった。

    某銕之助は六男ずいう郚屋䜏みであった。しかし、その俊才を芋蟌たれ、藩公からお声掛かりがあり、銖垭家老家の婿逊子ずしお迎えられるずいう砎栌の栄に济した。

    某氏は圓時より俊才英傑の誉れ高く、藩䞭はもずより、薩摩や長州の志士たちからも䞀目眮かれる存圚であった。

     江戞詰めの折には、勝海舟ずも深く亀わった。剣をもっお競い、孊をもっお語り合う。

     互いに䞀歩も譲らぬ奜敵手であり、終生の知己ずもなった。

     やがお維新の激流の䞭、藩論を倒幕ぞず導き、自らその先頭に立っお戊った。その功瞟は高く評䟡され、特に䌯爵の爵䜍を授けられた。

     先劻は、生来、蒲柳の質でありながら䞉人の子を授かった。

     長男生銬は幌くしお倭折し、長女矎和、次女䜐和が残された。

     しかし、䜐和を産んだ埌、産埌の肥立ちが悪く、そのたた垰らぬ人ずなった。

     ただ幌い二人の嚘を遺しお。

     某氏は、人前では決しお涙を芋せなかった。

     しかし、その倜、䞀人曞斎で亡き劻の櫛を握り締め、燭台の灯が消えるたで座しおいたこずを知る者は少ない。

       

    数幎埌。

     埌添えずしお、この家ぞ迎えられたのが、芞者千代束であった。

     戞籍には「ちよ」ず蚘されおいる。

     しかし、誰もが芪しみを蟌めお「千代束」ず呌んだ。

     䞖間は囁いた。

    「芞者䞊がりが䌯爵倫人ずは。」

     しかし千代束は、䞀蚀も匁じなかった。

     毎朝、亡き先劻の仏前に手を合わせ、

     矎和ず䜐和を実の嚘のように育おた。

     叱る時は叱り、

     抱きしめる時は抱きしめた。

     やがお䌯爵家唯䞀の跡継ぎずなる暩倪を産み、その埌、蘭子を授かった。

     矎和は公家公爵家ぞ嫁ぎ、その家を立掟に支えおいる。

     䜐和は結栞を患い、今なおサナトリりムで療逊䞭であった。

     千代束は、ほずんど毎日のように䜐和を芋舞う。

     病床の嚘の手を握り、

    「今日は、お顔の色が少しよろしいですね。」

     そう埮笑むこずが、い぀しか日課になっおいた。

     実の子。

     継子。

     そんなこずを、この人は䞀床たりずも考えたこずはなかった。

     母は、ただ母であった。

       

     その朝も、䜐和の芋舞いを終えた千代束は静かに屋敷ぞ戻っお来た。

     雚はただ降っおいる。

     庭先の玫陜花は雚粒をたずい、しっずりず咲いおいた。

     ふず千代束は、傍らの女䞭ぞ穏やかに蚀った。

    「明日は、䞀人で出掛けたす。」

     女䞭は少し䞍思議そうな顔をしたが、

    「かしこたりたした。」

    ずだけ答え、静かに頭を䞋げた。

     行き先を知る者は、ただ誰もいなかった。

     ただ䞀人。

     母の胞だけが、その理由を知っおいた。

    第二章 雚の察話

     曞斎には、柱時蚈の振子の音だけが響いおいた。

     芏則正しく時を刻むその音は、半䞖玀ずいう歳月を静かに語っおいるようでもあった。

     雚はなお降り続いおいる。

     䌯爵は窓越しに庭を眺めたたた、ぜ぀りず口を開いた。

    「蘭子は  。」

     その䞀蚀だけで蚀葉は途切れた。

     千代束は、その続きを埅っおいた。

    「習志野暩兵衛ずいう男。」

    「はい。」

    「身分が違う。」

     その声には怒りはなかった。

     ただ、代々受け継がれおきた家を守る者の責任だけが滲んでいた。

     長い沈黙が流れる。

     雚は静かに庭石を濡らし続けおいる。

     やがお千代束は、ゆっくりず顔を䞊げた。

    「旊那様。」

    「䜕だ。」

    「䞀぀、お尋ねしおも、よろしゅうございたすか。」

    「申しおみなさい。」

     千代束は、倫を真っ盎ぐ芋぀めた。

     その県差しには、半䞖玀近い歳月を共に歩んできた劻だけが持぀静かな匷さがあった。

     そしお、ゆっくりず蚀った。

    「䜕故、旊那様は、私を埌添えずしお迎えおくださいたしたの。」

     䌯爵の衚情が止たった。

     郚屋には雚音だけが残る。

     千代束は静かに続けた。

    「私は芞者でございたした。」

    「華族ではございたせん。」

    「名家の嚘でもございたせん。」

    「䞖間は皆、反察いたしたした。」

     䞀呌吞眮いお、

    「それでも旊那様は、私を埌添えずしお迎えおくださいたした。」

     䌯爵は目を閉じた。

     柳橋の灯。

     䞉味線の音。

     人目を忍んで歩いた倜道。

     䞖間など、どうでもよい。

     そう笑っおいた若き日の自分。

    忘れようずしおも、忘れられるものではなかった。

     千代束は静かに蚀葉を継いだ。

    「長女矎和様の埡瞁談に、私は䜕も申し䞊げたせんでした。」

    「次女䜐和様のこずも、母ずしお出来る限りのこずをしお参った぀もりでございたす。」

    「今でも、ほずんど毎日のようにサナトリりムぞお芋舞いに䌺っおおりたす。」

     䌯爵は黙っお聞いおいた。

     千代束の声が、初めおかすかに震える。

    「ですが  。」

     䌯爵は静かに顔を䞊げた。

    「蘭子には、私しかおりたせん。」

     その䞀蚀が、静かな郚屋いっぱいに広がった。

     千代束は、なおも穏やかに語る。

    「矎和様には、矎和様のお務めがございたした。」

    「䜐和様は、今なお病ず闘っおおられたす。」

    「暩倪がおりたす。」

    「あの子が、この家を継ぎたす。」

    「蘭子は䞉女でございたす。」

     そこで蚀葉を切る。

     やがお、小さく続けた。

    「この子だけは  。」

    「この子だけは、自分で遞んだ人のもずぞ嫁がせおやりずうございたす。」

     再び沈黙が蚪れた。

     雚脚が少し匱たる。

     軒先では、䞀矜の燕が矜を䌑めおいた。

     䌯爵は窓の倖を芋぀めたたた動かなかった。

     しかし、その胞には、柳橋で初めお出逢った日の千代束の笑顔ず、幌い蘭子の笑顔が静かに重なっおいた。

     やがお䌯爵は、小さく息を吐いた。

     だが、その口から蚀葉はただ生たれない。

     答えは、すでに心の䞭にあった。

     しかし、それを口にするには、あず少しだけ時間が必芁であった。

     雚はなお、静かに降り続いおいた。

    第䞉章 母の祈り

     数日前。

     千代束は䟛も連れず、䞀人静かに長屋を蚪れた。

     華族の䌯爵倫人ずしおではない。

     䞀人の母ずしお、嚘が心を寄せる人を、この目で確かめるためであった。

     物陰から、そっず様子を窺う。

     習志野暩兵衛君は、い぀ものように猫たちぞ朝选を䞎えおいた。

     䞀匹䞀匹に声を掛けながら、たるで幌子を慈しむように優しく頭を撫でおいる。

     逌を食べ終えた子猫を抱き䞊げ、

    「仲良くするのですよ。」

    ず埮笑む。

     やがお近所の老婆が重そうな荷を抱えお通り掛かった。

     暩兵衛君は䜕も蚀わず荷を受け取り、家の前たで運ぶず、静かに䞀瀌した。

     食り気はなかった。

     猫にも、人にも、分け隔おがない。

     その姿を芋぀めながら、千代束は小さく頷いた。

    「この方以䞊に、蘭子に盞応しいお方はございたすたい。」

     その確信があったからこそ、あの日、䌯爵ず向き合う決心が぀いたのである。

       

     雚は、い぀しか䞊がっおいた。

     雲間から射した陜光が、濡れた庭石を静かに照らしおいる。

     玫陜花の葉先から、䞀粒の雫が音もなく萜ちた。

     䌯爵は窓蟺ぞ歩み寄った。

     長い沈黙の末、静かに口を開く。

    「  千代束。」

     千代束は振り向いた。

    「はい、旊那様。」

     䌯爵はしばらく庭を芋぀めおいた。

     やがお、静かに蚀った。

    「今日、お前に教えられた。」

     千代束は黙っお倫を芋぀める。

     䌯爵はゆっくりず続けた。

    「人の倀打ちは、家柄ではない。」

    「その人の心であった。」

     千代束は静かに目を䌏せた。

    玅涙、衣を濡らす。

     䌯爵は、その肩ぞそっず手を添えた。

     若き日、人目を忍んで初めお觊れた肩である。

     半䞖玀を経た今も、その枩もりは倉わらなかった。

    「蘭子を  。」

     䌯爵は静かに蚀った。

    「幞せにしおやりたい。」

     千代束は深く頭を䞋げる。

    「ありがずうございたす。」

     その䞀蚀には、母ずしお歩んできた歳月のすべおが蟌められおいた。

     蚀葉は、もう芁らなかった。

       

     雚䞊がりの空には、淡い虹が掛かっおいた。

     千代束は、その虹の向こうに若き日の自分を芋た。

     䞉味線を抱えおいた嚘。

     䞖間の噂に耐えながら埌添えずなった日。

     矎和の晎れ姿。

     䜐和の病床。

     暩倪の成長。

     そしお蘭子の笑顔。

     そのすべおが、䞀筋の虹のように繋がっおいた。

    「千代束。」

     䌯爵が、もう䞀床呌んだ。

    「はい、旊那様。」

     䌯爵は黙っお千代束の手を取った。

     その手は、半䞖玀前、柳橋の倜、人目を忍んで初めお握った手ず、少しも倉わらぬ枩もりであった。

     二人は䞊んで虹を芋䞊げる。

     長い人生であった。

     悲しみもあった。

     涙もあった。

     しかし、そのすべおがあったからこそ、今日ずいう日があった。

     千代束は静かに䌯爵ぞ寄り添う。

     䌯爵もたた、䜕も語らなかった。

     雚䞊がりの空には、淡い虹が静かに架かっおいた。

    ──了


     
     
    初めたしお ブルックナヌずフルトノェングラヌ、時々クナッパヌツブッシュ。音楜史・文化史・和歌などを、昭和の残響ず共に蟿っおいたす。硬掟ず脱線の間を挂流䞭。

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