朝の創世記 / ミント
朝の洗面所で、歯磨きチューブをひねる。
この時間、人はだいたい世界に対して無防備だ。
だからこそ、自動的読字で「ロイヤルハーブミント」を認識し、どのあたりが「ロイヤル」なのかなぁと、なんとなくぼーっと考えてみたりもする。

そもそもミントという植物は名前にだらしがなくて、ハッカ属は交雑が容易で分類が難しいと、農研機構も認めている。
例えば、モヒートに使うから「モヒートミント」。学名は Mentha × villosa と Mentha nemorosa のあいだを行ったり来たり。イエルバ・ブエナやキューバミントという呼び方もある。

オレンジミントとベルガモットミントとオーデコロンミントは、同じ植物を指していることもあるらしい。
植物の世界で、名前はカクテルのように入り混じっているのだ。

そのカクテルを、歯磨き粉がさらにシェイクする。
「メディカルハーブミント」。医療と薬草とハッカを三段重ねにして、体に良さげな気配を漂わす。
「シルキーフローラルミント」。なんと質感まで包括した、お花とミントのクロスオーバーである。絹の手触りを歯茎に求めた、おそらく人類史上初の試みだ。
「ブルーリフレッシュミント」に至っては、色と気分とミントの多次元構造。
「ドリーミーラベンダーミント」は、夢見心地がという精神状態までフレーバー化しており、「スプラッシュシトラスミント」にいたっては、もはや水しぶきの音だ。
花王のピュオーラは、ついに香味名を「クリスタルソーダ」とした。ソーダはまぁいいとしても、問題はクリスタルだ。鉱物を嗅いだり舐めたりは、なかなかできる経験ではない。
サンスターのOra² Feelsともなると「キンモクセイアールグレイ」、「スパークリングバジルマンダリン」と、もはやミントの枠を打ち破って、広く植物を寄せ集めにかかっている。
歯磨き粉売り場は、気づけば世界の香り博覧会である。
念のため言っておくと、これらはデタラメなネーミングではなく、
業界大手の花王は1200種類以上の香料原料を使い、香りの印象やイメージまでデータベース化して調香しているという。
業界大手のライオンも、各香味に「ラグジュアリー」「元気」といった気分の設計を添えているらしい。
たんなる「言ったもん勝ち」ではなく、はじめに言葉があった。あとからそれらしい〝感じ〟を創造する。光あれ、である。

思うに、プランターも庭の垣根も飛び越えてはびこっていくミントは、植物の域をもとっくに抜け出しているのではないだろうか。
雑草から香草へ、ツールへ、気分へ……ミントの深化の果ては「エデン」なのかもしれませんね。
……などと、まだ覚めやらぬ頭でなんとなく思いながら、歯を磨き終えて、口をゆすぐ。鏡の中には、ロイヤルでもエレガントでもない寝ぐせ頭の冴えない、見慣れた顔がある。それでも口の中だけは、絹のような花園で、青い夢を見ながら、結晶の炭酸が弾けている。

ミントは、まるでサイエンスフィクションかファンタジーポエムだ。
洗面所の蛍光灯の下で、現実と妄想の境目が、ひんやりと溶けていく。
やれやれ、それでは本日も仕事に向かうか……。
