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エッセイ|苦しみもまた…

    昔のことを思い出すとき、
    わたしは幸福だけを美しく記憶しているわけではない。
    苦しみもまた、どこか特別なものとして記憶している。

    「あの頃は良かった」
    と懐かしむことがある一方で、

    「あの出来事があったから苦しかった」
    「あの人のせいで苦しかった」
    と思うことがある。

    けれど、その理解はどこまで確かなのだろう。

    幸福と同じように、
    苦しみもまた単独の原因から生まれたわけではないはずだ。

    若さゆえの未熟さ。
    知識の不足。
    人付き合いの拙さ。
    体調、経済状況、社会的立場、将来への不安。

    そうした数えきれないほどの条件の結びつきの中で、たしかに
    苦しみは存在していた。

    けれどわたしは、
    「幸福は戻らない」という無常には絶望を感じるのに、
    「苦しみは戻らない」という無常には、あまり目を向けてこなかった。
    幸福が再現不可能なら、苦しみもまた再現不可能なはずなのに。

    だから、あの頃の苦しみが再び訪れるのではないかという恐れは、
    どこかで生まれた影のようなものなのかもしれない。

    もちろん似た状況は起こるだろう。
    似た感情も湧くだろう。
    けれど、それは「あの苦しみ」そのものではない。
    あのときを支えていた条件は、もうどこにも存在していない。

    無常は残酷な法則ではなく、救いなのかもしれない。
    この瞬間もまた、過去にはなかった新しい条件が集まり、
    わたしの時間をつくっている。

    そう思えた途端、肩の力が少しだけ抜けた。
    小さな幸福が生まれた。



     
     

    辺留

     
     
    家父長制について知りたくて、本を読むうちに「交差性」の概念を知る。情報量に圧倒されながらも学び中。本を読むこと、植物を育てることが好きです。スマナサーラ長老の本を読んだり、YouTubeの法話を聴くのも楽しみ。 読んだ本の紹介と育てている植物を中心に投稿します。

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