
文章を書くということ
幼いころから、本が好きだった。
本の中の世界に飛び込み、夢中になって文字を追いかける。学校の図書室や市の図書館にせっせと通い、常に本を抱え、頭の中では空想を繰り広げながら大人になった。
そんなふうに育ってきたものだから、就職活動で出版業界を志すのも自然な流れだったのだが、その狭き門にあえなく撃沈。私はまったく違う業界の会社に就職し、社会人となった。
とはいえ社会人になってからも、読書好きは健在だった。週末にはひとりで書店や古本屋を巡り、積読を増やす日々。
そんな私が「読むこと」だけではなく「書くこと」にも意識を向け始めたのは、社会人1年目が終わろうとしていた頃、美容室でのとある会話がきっかけだった。
初めて訪れた美容室だったのだが、とても居心地がよくて美容師さんとの話も弾む。
「趣味とかは何かある?」
「そうですねえ、本は昔からずっと好きですかね」
「いいねえ、何読むの?」
「うーん、エッセイとか小説が多いかもしれないです」「エッセイかあ、いいよね。自分で書いたりはしないの?」
、、え、自分で書く???
目から鱗だった。ずっと本は読む専門で、自分が書くなんてことは最初っから頭になかったからである。
だが、社会人として働き始めて約1年が経ち、「自分がしたかったことは本当にこういうことなのか」「何か少しでも動いてみた方がいいんじゃないか」ともやもやを抱いていたことも事実だった。
なるほどな、自分で書くっていう選択肢もあったんだなあ。そう思うと、「書く」ということにも少しずつ意識が向かうようになっていった。
何でもない日常の中でふと考えたことや、たまたま起こったちょっとだけ特別な出来事。忘れたくない誰かとの思い出や、記憶に残る古い思い出。
誰に共有するわけでもないし、文章もとっちらかっているけれど、そのときの気持ちをどうにか忘れまいと、少しずつ文章で残すようになった。
改めてふとこれまでの自分の人生を振り返ると、読むことと同じように、「書くこと」も常に私のすぐそばにあったのかもしれない。
学生時代、夏休み課題の読書感想文で学年代表の一人に選ばれ、少し恥ずかしくもあったが誇らしい気持ちになったこと。
大学受験のとき、担当教諭の熱烈な小論文指導にひいひい言いながらも、なんとか大学合格をつかんだこと(これは本当に先生に頭が上がらない、感謝!!)。
趣味で始めた読書と映画の記録アプリで、自分が書いた数行の感想にほんのちょっぴりだけど「いいね!」がついて、じわじわと嬉しくなったこと。
些細なことかもしれないけれど、どれもずっと覚えていたい、私の大切な思い出だった。
私はずっと、自分の気持ちを自分の文章で表現してみたかったのかもしれない。
昔から自分の気持ちを言葉で表現することが苦手で、テンポの良い会話についていくので精一杯な自分。
頭の中で常に自分一人の会話が繰り広げられていて、「あれこう話せばよかったなあ」「こういうふうに伝えた方がわかりやすかったかも」と反省会が止まらなくなる自分。
文章を書くというのは少し(いや、だいぶ)こそばゆいけれど、その分自分の感情とじっくり向き合うことができる。文章のまとまりの無さや表現力の乏しさにショックを受けることも多いが、そのときの自分の素直な感情がぎゅっと濃縮されていて、その文章を書いている過去の私をそっと肯定してあげられるような気がした。
誰の目にも届かないかもしれないし、なんの役にも立たないかもしれない。だけど私は私のために、気の向くままに文章を残してみたいと思う。