
娘の枕元にニンニクを置いた妻

娘が生まれて、一週間ほど経ったころ。
妻と娘が、産婦人科から退院する日が来た。
私は朝から少し緊張していた。
病院へ迎えに行く準備をしながら、何度も部屋を確認した。
ベビーベッドは大丈夫か。
おむつは足りているか。
ミルクの準備はできているか。
今日から、この家に赤ちゃんが来る。
そう思うだけで、いつもの部屋が少し違って見えた。
そんなとき、妻から連絡が来た。
「ニンニクを買ってきて」
ニンニク。
私は少し不思議に思った。
退院したばかりの妻が、元気になるために食べるのだろうか。
ベトナムでは、出産後の女性がニンニクを食べる習慣でもあるのだろうか。
それとも、家に帰ったら何かベトナム料理を作るつもりなのだろうか。
日本人の私にとって、ニンニクは料理の材料だった。
炒め物に入れるもの。
スープに入れるもの。
元気を出したいときに食べるもの。
だから私は、病院へ向かう途中でスーパーに寄り、ニンニクを買った。
産婦人科に着くと、妻は小さな娘を抱いて待っていた。
娘はまだ、本当に小さかった。
布に包まれて、目を閉じて、静かに眠っていた。
泣き声も、手の動きも、すべてが小さくて、私はその存在をどう扱えばいいのか、まだよく分かっていなかった。
妻と娘を車に乗せ、三人で家に帰った。
家に着くと、妻は娘をベビーベッドにそっと寝かせた。
私は、買ってきたニンニクを台所に置こうとした。
でも妻は、それを手に取った。
料理に使うのかと思った。
しかし、妻は包丁を出さなかった。
まな板も出さなかった。
鍋もフライパンも出さなかった。
妻はニンニクをひとつ手に取ると、そのまま娘の枕元の近くに、そっと置いた。
私は思わず聞いた。
「それ、何に使うの?」
妻は当たり前のように言った。
「赤ちゃんを守るため」
赤ちゃんを守るため。
私は少し驚いた。
ニンニクを食べるのではない。
料理に使うのでもない。
赤ちゃんの枕元に、そのまま置く。
妻に聞くと、ベトナムでは、赤ちゃんがまだ小さいころ、ニンニクをそばに置くことがあるらしい。
ニンニクの強い匂いで、悪いものを赤ちゃんに近づけない。
そういう魔除けの意味が込められているという。
日本で育った私には、少し不思議な感覚だった。
私は、ベビーベッドの中で眠る娘を見た。
その横には、ころんと置かれたニンニクがあった。
日本人の私には、それは料理の材料に見えた。
でも妻にとっては、お守りだった。
迷信だから笑うとか、科学的ではないから否定するとか、そういう空気ではなかった。
妻の表情は、とても真剣だった。
そこにあったのは、ただひとつだった。
生まれたばかりの娘を、守りたい。
その気持ちだった。
娘が生まれて一週間。
まだ父親になったばかりの私は、赤ちゃんの守り方にも、国によって少し違う形があるのだと知った。
台所ではなく、娘の枕元に置かれたニンニク。
食べるためではなく、守るために。
その強い匂いで、悪いものを遠ざけるために。
それは、ベトナムのカルチャーであり、妻が娘を大切に思う気持ちの形でもあった。