メインコンテンツへスキップ
見出し画像

【短編小説】花は咲かなかったし、だからこそ枯れることもなかった

     不器用だ。昨日もまたストックがあるのに調味料を買ってしまったし、冷凍ご飯を仕込むときに一膳よりも少ない量でラップするから、いざ食べる時に物足りない思いをする。そのくせ、すすぎ一回の洗濯用洗剤を使っても二回すすぐし「こすらずピカピカ」を謳っている浴槽用の洗剤でもしっかりこするくらいには疑り深い。最近では嫌いだったグリンピースを知らない間に克服できているのではないかと思って食べてみて、やっぱり嫌いだと再確認することにもなった。今日は、どうせ足りないのだからと夕飯に冷凍ごはんを二個解凍したけど、結局食べきれずにお弁当用に回すことになった。もはや自分のことも信用できない。
     一人で生きると決めてからもう数年経った。コロナ前は背中まであった髪を今ではバッサリと切って、肩につかないくらいの長さで維持している。髪を乾かす時間が半分以下になったおかげで読書の時間が増えた。図書館という職場柄、職務規定で派手な化粧やネイルは禁止されているけど、そもそもあまり興味がない。着飾ることや美しくなることに関してはあまり積極的になれないけど、清潔であることは意識している。どんなに疲れててもお風呂は欠かさないし、毎日の洗濯と出勤前の掃除も忘れない。今日もすすぎは二回だ。

    「会議中に人事から最低賃金が上がるって一報が入ってきて、事業部は悲鳴の嵐でしたよ。東京は今年一二二六円になるから、この館では今年採用した方も含めて十三人の雇用契約を十月に見直すことになりますね。一応、対象者にはその旨を周知しておいてください。三谷リーダーには、新しく結ぶ雇用契約に従って今後もシフト調整が必要になると思うので、いろいろお願いすると思います。いやぁ、最賃は毎年上がる見込みで○○市とは契約しているけど、想定より十三円も伸びちゃったからなぁ、本当に厳しいですよ。ハハッ」
     本社から毎週やってくる運営管理担当である澤田の、ほぼひと息で吐かれた言葉を聞きながら「十月、十三人」とメモを取る。自称陽キャで筋トレが趣味の澤田の鍛え上げられた上半身が暑苦しい。「想定より十三円」の部分はメモには残さなかった。どれだけ最低賃金が変わろうと月給制の契約社員である私やサブリーダーの給料は当然変わらないし、たとえ時給制であっても最低賃金を下回らない中堅スタッフの時給も変わらない。もう毎年のことになるけれど、サブリーダーや中堅スタッフたちの、怒り混じりの落胆の顔が脳裏に浮かんでくる。この業界における最低賃金の上昇は決してベースアップではない。彼女らの不満を受け止め宥めるのは国でも会社でもなく、ましてや澤田でもない。何の権限も持たない私なのだ。
     法的には非正規雇用であっても勤続年数を重ねていけば無期雇用の契約を結ぶことができる。ただ私の勤める市立の公共図書館は数年に一度ある入札によって業務委託を受ける業者が変わることがあるため、業者が変わってしまえばそれまでの契約となる。同じ図書館でまた働きたいのであれば、新しく業務委託を受けた会社に転職するしかない。実態として何年も同じ図書館に勤めていたとしても実際の勤続年数は業者が変わるたびリセットされるし、そもそも業者側で契約更新の回数を決めていたり雇用年数の上限が決められていたりすることも多いから、期待することすら許されない。無期雇用なんてあって無いようなものだ。
     既に諦念にまみれてしまっている私は、サブリーダーや中堅スタッフと同じ新鮮な熱量で怒ることは難しい。ただ澤田も本社勤務とはいえ、私と同じ契約社員である。契約社員というど真ん中の労働者でありながら経営者目線で最低賃金が上がると困ると語る彼に対して、さすがの私でも何をどう理解すればいいのか全くわからなかった。「十月、十三人」のメモに目を落としながら、そろそろお弁当にいれた冷凍の唐揚げが自然解凍された頃かな、などと考えていた。

    「一体いつになったら俺の読みたい本が入荷するんだ!」
     怒鳴りながらカウンター越しに私のことを睨みつけている年の頃七、八十くらいに見える男性は、確認したところ資料を他館から取り寄せるための予約しているわけでも、この館に所蔵するためのリクエストを出しているわけでもない。予約さえしてもらえれば、タイミングにもよるけど三日もあれば市内の大抵の資料は届く。男性は中央図書館にはある資料が、その次に大きいこの館に所蔵されないことに納得がいっていないらしい。どのような人生経験を積めばこのような不条理がまかり通ると思えるのだろうか。私は神妙な表情のまま、この男性のほのかに柔軟剤が香る一切のヨレがないポロシャツや、プレスのはっきりついたシワのないスラックスを見て、これらは誰が洗濯をしてアイロンまでかけているのだろうかなどと考えていた。
    「おたく、三谷さんっていうの? あんたじゃ話にならない。館長を出してくれ」
     おおよそ予想通りの言葉が続いたため、私は「承知しました。呼んでまいりますのでこのまま少々お待ちくださいませ」と一礼して事務所へと向かった。強めのご意見をお持ちの利用者対応には私たち民間業者のスタッフではなく、館長や正規職員の方を呼んでよいオペレーションになっている。幾分申し訳なさも感じつつ館長に代わらせてもらう。簡潔に報告し対応の交代を願い出ると、館長は「はいはい承知しました。すぐ行きますからね」とスーツのジャケットに袖を通した。
    「前はもっとサービスが良かったと思うがね」
    「おたくら、誰の税金でメシが食えてると思っているんだ」
    「何でもインターネットにしないで、年配の利用者にももっと優しくあるべきじゃないか? 超高齢社会なのは知ってるでしょ? 私は一市民として問題提起をしているんだ」
     言いたい放題の年配男性に対して、同じく年配の男性である館長が「はい、はい、そうですね、仰っていることわかります」と丁寧に応対している。でも決して難しい話をしているわけではない。基本的には男性の言っていることに相槌を打ち、こちらからあれこれ特別な提案をするわけでもなく、私も知っているようなことを説明しているだけだ。対応者が代わることで溜飲が下がる利用者もいるから、もちろん代わってもらったことは正解なのだろうしありがたいことなのだけれど、ただ丁寧に相槌を打っている館長と私の対応の違いは感じられない。「あんたじゃ話にならない」とは一体何なのだろう? 話になるか、ならないかをあんな一瞬で判断できるなんて、一体どんな研鑽を積んだらそうなれるのだろうか。
     この男性は言いたいことを言えたことである程度満足したらしく、納得して帰っていった。結局「あんたじゃ話にならない」のではなくて「あんたに話しても俺が納得しない」でしかなかった。
     あれだけ読みたいと言っていた本の予約はしていかなかった。

     全く柄ではないけれど、ときどき都心のカフェでも働いている。「私、店のオーナーと知り合いなんだけどさ、一緒にやらない? 三十代でも全然大丈夫らしいよ。ってかむしろ歓迎なんだってさ。郁恵ちゃんみたいな人を探しているらしいし、きっと即採用だよ」と知り合いが熱心に誘ってきた。知り合いの説明では、制服が特注のメイド服である、しかし「萌え」と言われるような客に媚びるような接客はしない、ある程度の知的水準の人を中心に求めており、知人やスカウトでなければ面接前に小論文を課すことが店の特徴だった。仕事内容は、店の開閉店作業と金銭管理、客へのドリンクや軽食の提供、そして対面での接客。誘ってきた知り合いが知的かどうかはさておき、熱心に誘われて断る理由も特に見つからなかったし、二十代の頃から使っているいくつかの家電の調子がおかしくなって物入りだったこともあり、半年前に一緒に面接を受けに行った。知り合いの言う通り、本が好きで司書の仕事をしているというだけで採用が決まり、ひと月に数回のペースで働くようになった。面接の際に最近は朝井リョウの小説が好きだという話をしたことから、ここでの私の名前は「りょう」になった。契約社員として働く図書館とは異なり、雇用ではなく業務委託という就労形態をとっている。どうやらこのような店の形態はコンセプトカフェと呼ばれるらしく、スタッフは業務委託契約なのが一般的だということだった。なんだか学生の頃にやっていた喫茶店チェーンのアルバイトとはずいぶん違うのだなと新鮮な驚きがあった。
     私のような地味な人間が華やかな店に貢献できる自信は全くなかったので、すぐ辞めようと思っていた。でも本名も年齢も客には非公表でよいのは気を遣わずに済むし、酒類の提供はあっても客から無理矢理酒を飲まされることもない。勤務中はたとえ「すごいですねー」「そうなんですねー」と言っているだけでも、時給換算では図書館にいるときよりもよい給料(業務委託の場合、正しくは報酬)が出るため、実際はなかなか辞め時を図れずにいる。良くも悪くも常に人手不足だから私のようなものでも辞めさせられることもなく現在に至っている。
     オーナーである女性は私よりも年下で、面倒見がよいのか心配性なのか、もう知っているような初歩的な指示を出したり、私の作業を何度も確認しに来たりした。いつまで経ってもまるで新人のような扱いだ。でもたしかに月に数回しか出ないような地味で気もそぞろなやつがいて、私がオーナーの立場だったらやっぱりそのように振舞うかもしれない。自己啓発的な本が好きなオーナーと私は読むジャンルは全く違うけれど、休憩中や閉店後に最近読んでいる本の話をすることがある。過去に一度だけだけど都内の書店巡りもご一緒させてもらった。私をここに誘った当の知り合いは一ヶ月で辞めて今はキャバクラで働いているらしく、いまや知り合いよりもオーナーの方が仲がいい。きっとオーナーとの関係が雇用であったなら、ここまで仲良くはなれなかったと思うから立場って不思議だ。
     クリエイターや経営者など、郊外の図書館にいるだけではなかなか出会えないような人を見られたり、実際そんな人と話せたりすることは予想外の面白さでもあったけど、こんな場所でメイド服を着ているというだけで見下してくる客は多い。「どんなことも俺の方がお前よりよく知っている。無知なお前に教えてやろう」と言わんばかりの彼らの聞きかじりや受け売りの、漫画同人誌よりも薄い話をありがたく聞かされているときは、こんなところで油を売る暇があったら新書の一冊でも買って読めばいいのになんて思う。
     相手の勘違いを誘うような接客をしていなくても、自分と他人の境界線の引き方を間違って勘違いを起こす客は一定数いて、地味を自称するような私に対してもプライベートで会いたいなどと誘ってくる。店からは客側にもメイド側にも店外に誘うことを禁止しているが、それだけを盾に断るのは難しい。そういった誘いに対して私はかなり気を遣ってお断りしているが、いつだって誘われた側が最大限気を遣わなければならないことに辟易としてしまう。はっきり断ることで、傷つけられたと逆恨みされて殺されたり店に殴りこまれたりしたくないし、やんわり断ることで曲解や勘違いをされて粘着されたりストーカーになられたりしても困る。相手のプライドを傷つけないように、でもしっかり線を引いて、それを守ってほしいという意図を伝えるために毎度言葉を尽くすのは骨が折れる。さて、男性はそんなプライドを全身に纏って一体自分の何を守りたいというのだろうか。纏ったプライドを剝いでいけばキャベツのように芯があるのかと思いきや、あるのはピーマンのように空虚な虚栄心だったりしないだろうか。この仕事を通じて、人のことを簡単に傷つけるのに自分だけは傷つきたくなくて、被害者意識だけは人一倍強い男がいかに多いかを知ることができた気がする。
     はっきりと誘われないまでも、態度や言動に「あわよくばこいつと――」という考えが滲み出ている客はとても多い。そんな態度が透けて見える客もやっぱり迷惑だが一線を越えてこないだけで幾分安心できてしまうのが情けない。
     そもそも彼らは本当に私たちに恋愛感情を持っているのだろうか。誰でもいいならマッチングアプリで事足りる。本当は、会えそうで会えない女と会えたら――あるいはヤれたらゴールのゲームをただただ攻略したいだけで、私たちのことなんか一ミリも考えていないんじゃないか。客側の勘違いを煽って、それに頼っている業界でもある。オーナーは何かと「健全なコンセプトカフェ業界にしたい」なんて言っているけれど、勘違いに頼らないことなんてできるのだろうか。
     そんなこんなを全部を相談しているわけではないけれど、困った客のあしらいについて相談を持ち掛ければ、オーナーは親身になって考えてくれる。詳しくは聞いていないもののオーナーが接客する側だった頃は、それはもういろいろ大変だったらしく、なかなか経営側に相談もできなかったと言っていた。
     つい先日、ついにオーナーは私を誘った客を含め何人かを出禁にした。「リーダー」なんて肩書きがあるものの公共図書館では決してできない決断を目の当たりにして、少しばかりうらめしい気持ちになった。

     この前の休日の昼、気まぐれにやっているマッチングアプリでマッチした男と焼肉に行った。マッチングアプリは数ある中の暇つぶしの一つだ。今日は読書でも美術館でもないな、今日は掃除とか家事がめんどくさいな、外に出て誰かと話したいけど平日いきなり誘える友達もさすがにいないな、というときに使っている。総じて満足度が低い暇つぶしになることが多いと鈍感な私もさすがに気付き始めており、そろそろやめてもいいかもしれないと思っている。まだそれに気づいていなかった頃の私は、よい食事の時間が過ごせるよう食事やお酒のシーンが印象的な小説の主人公にあやかって「大町月子」という名前でアプリに登録をした。やたら店の外で会いたがるカフェの客たちも客としてではなく、このアプリで月子とマッチすれば簡単に会えるのに。
     男はずっと肉ばかり食べていた。しっかり濃いタレの味とのバランスを取るかのように、カフェで男たちが話すようなどこか聞いたことのある薄味な話をしていて、私はそれを男が最初に注文したものの一切箸をつけないチョレギサラダを食べながら聞いていた。くだらない話ばかりでほとんど忘れてしまったけれど「いまだにモスキート音が聞こえる」と得意気に言っていたことだけは覚えている。終始言動の端々に「俺は女のことならよく知っている」という意識が滲み出ていて、食べもしないサラダを頼んだのも、そんな経験に基づくものなのだろう。仮にどれだけ女のことを知っていたとして、私に対しては私を知っていることでしか自慢になんてならないのに。それにきちんと自己紹介したはずだけど終始私の名前を間違えたままで、はじめこそ気になったけれどどうせそれも本名じゃないし、いちいち訂正するのも面倒だったのでそのまま聞いていた。結局また誰かと話したいと思っても誰かの話を聞くだけで時間は過ぎていった。
     焼肉のあと軽くお茶をして夕方前には別れた。ホテルにも誘われたが丁重にお断りした。

     気付いたら五年も使い続けているiPhone12のカメラロールには、いまだに消すことができない元彼との写真がある。といっても彼が映っている写真ではなく、一緒に行った熱海のホテルニューアカオから見た朝日が昇る海や、松江で一緒に飲んだ宍道湖の滋味深いしじみ汁や、六本木で一緒に見た私と同い年のアーティストのインスタレーションといった写真ばかりだ。
     二十五歳の時に出会って付き合ってからの六年間――始めこそ彼にはまだ奥さんがいて不倫からの交際開始だったけれど、彼はきちんと奥さんと別れて、私たちは結婚に向けて進んでいるはずだった。けれどコロナ禍によって式はおろか式場の見学もままならなくなり、結婚の予定はどんどん先延ばしになった。それなら籍だけでもという話も当然出てはいたけど、そうこうしているうちに私も彼も昇進や異動で仕事が忙しくなり、結局有耶無耶になって霧散してしまった。不倫の頃はすれ違いなんて当たり前だったのに、付き合って六年目のすれ違いは二人の間に許容できないズレを生みだしていたようだった。浮気や喧嘩など決定的な何かがあったわけではないけれど、私たちは結局別れることになった。
     元々居酒屋の店長だった彼は自他ともに認める本物の陽キャだった。それこそ太陽のように明るく朗らかで、誰とでもすぐ仲良くなるし、人望も行動力も人並み外れていた。絵にかいたような陽キャが絵にかいたような陰キャの私に惚れたこと自体が事件だった。
     彼から去った今、私の元に届く光は六等星のようなわずかなきらめきになった。でも六年経ってもなお温かさだけは残っている。友達からは「郁恵の大事な二十代を無駄にした罪は重い」と彼を責めるようなことをフォローのつもりで言ってくれるけど、彼と過ごした六年間は決して私の人生を台無しにするようなものではなかった。
     日本にもかつてはっきりとした四季があったと忘れないために、苦しい懐事情であっても旬の果物を季節に一度は口にするようにしている。とりわけ桃は好きなので今年の夏も買ったのだが、さわさわとした産毛があって、まるで赤子のようだと思った。一人で生きると決めたのに――少しだけ涙が出た。

     いつものことだけど改札は前の人がチャージ不足で詰まるし、バスは時間通りに来ないし着かない。スーパーのレジでは大体隣の列が先に空く。だからいつだって私の出発時間は早くなり、帰宅時間は遅くなる。これはきっと時間の無償提供なのだろう。きっとどんなところでも私は何かを無償提供させられている。無償提供を受けて世の中を動かしているのは、契約社員の契約回数を決めるような、大きい声で強めの意見を言うような、受け売りの自慢話をするような、女を攻略の対象としかみていないような、野菜を食べずに名前をずっと間違うような、自分のことを陽キャとか言っておきながらその実、誰も照らさないような人たちだ。

     今日も私は洗う。焼肉のにおいのついた服を、訳知り顔で吐き出される自慢話で汚れた髪を、理不尽にまみれた身体を。たっぷりの洗剤や石鹸で洗って、たくさんの水で押し流す。洗濯を回し、シャワーを浴びる。「りょう」でも「月子」でも「三谷郁恵」でも「私」ですらないただの有機物になって湯船に浸かる。
     水に流すのは、いつだって汚された側だ。たとえ私のことを汚さないでほしいと言ったところで「僕たちにはあなたを汚す権利があるんだ」と言わんばかりに毎日、たくさんの汚れがこの身には降りかかる。私は浴槽に浸かりながら少しだけ泣いた。泣いたら泣いたで「泣けば許されると思ってるんですか?」という声がどこかから聞こえたような気がした。浴槽から上がって湯船の栓を抜き、もう一度シャワーを浴びた。
     水に流した言葉たちは海へ流れて海底深くに澱となって沈殿し、溜まっていく。それはいつしか大きな大きな怪獣となって陸へ上がり、街という街を襲って人類をきれいに滅ぼしてくれる。神様の設計ミスなのか、はたまた綿密な計画なのか、人類は自ら生みだす怪物によって滅ぶ。私はたくさんのものを洗い流しながら、いつか人類を滅ぼす巨大な怪獣を育てている。あぁ私って、いつの間にか母になっていたんだな。いつか怪獣よ、母ごと人類を滅ぼしてくれますか。
     髪を乾かしてiPhoneを手に取りTwitter(X)を開く。私が全世界のうちの三百人くらいにむけてときどきつぶやくだけのツール。今夜は「泣けば許されると思って涙を流す人なんてきっといないよ」とだけつぶやいた。
     つぶやきも流れていく。さっきのつぶやきもあっというまにタイムラインの激流に流されていった。こういった言葉もいつか海底に流れついて怪獣の皮膚や歯や臓器になるのだろうか。なったらいいな。
     Twitter上で複数のアカウント同士で音声コミュニケーションができる「スペース」を、相互フォロワーさんが開いていた。タイトルは「無言でいいスペース」だった。無言でいい。ぶら下がったリプライ欄には「もし砂漠のような退屈の土地に花が咲いたとしたら、その花が枯れるまで一緒に話しましょう」とあった。
     iPhoneに有線イヤフォンを接続し、私はそのスペースに入った。軽く挨拶だけ済ませて、いい言葉も悪い言葉もない無言の時間を過ごした。
     たとえ無言でも誰かがマイクの先にいる、それだけで家事は進む。回し終わった洗濯物を取り出しハンガーを通したら、リビングにある部屋干し用のバーに一枚ずつ丁寧に皴を延ばしながら掛けていく。白ばかりの洗濯物が並んだ。
     一時間ほどスペースに入っていたけれど、ほとんど喋ることはなかった。花は咲かなかったし、だからこそ枯れることもなかった。
     アボカドを切る。今日は当たりのアボカドだった。人類の滅亡が一日延びた。

    おしまい

     
     
    悲しみは乗り越えない、共に生きていく。 つくっているZINE「汽水域」「te/co」のことも。

    あなたへのおすすめ