
【自然是老師】広い世界に出れば大概は些細なこと
〜自然の中で田畑の仕事をすると、ふと自然が語りかけてくることがあります。【自然是老師】ではそんな教えを記していきます。〜
※今回は虫を取り扱う内容ですので、虫が本当に苦手な方は読まないほうがいいです。
"コクゾウムシ"ってご存知でしょうか?
俗に言う"コメ食い虫"。
市販品のお米に入っていることはまずないですが、農家の方からお米を米袋で買ったりされた方は遭遇経験があるのではないでしょうか?
漢字で書くと"穀象虫"とのこと。
象みたいに鼻が長いからでしょうか?
こう見るとエヴァンゲリオンの使徒サキエルにも似てる気がしますね。
Wikipediaに「害虫」と載ってますが、コヤツがなかなか厄介なヤツなのです。
つがいで米袋に入ろうものなら、大量に繁殖し、米袋の中の米を台無しにしてしまいます。
先日も妻が「立て続けにコクゾウムシを見た。」と報告してきたので、これはまずい、と食品庫の中を見ると、米袋の中には大量のコクゾウムシが。
すぐに袋の口を閉じ、逃げないようにさらに大きなビニール袋の中に入れました。※ちなみにこのコクゾウムシ、翅(はね)こそないですが、めっちゃジャンプ力があるので、口を閉じてない袋からは簡単に出てしまいます。
しかもそのお米は昨年収穫した我が家米ではないですか!
3kgほどのお米のほとんどが侵食されていました。😢
スーパーで買えば現在2〜3千円。それでも高価と言われてますが、手作業で3kgのお米を収穫するというのは大変なことです。
袋に詰められた処分するしかないお米を見、そこに注ぎ込んだ時間と体力を思うと、悲しいやら、憎いやら。
「何のために自分は米作りをやってるんだ。」と、心が折れそうになりました。
このお米どうしようか?
ゴミ袋に詰めて捨てて、無きものにしてしまえばある意味では楽か?安部公房の小説「方舟さくら丸」で主人公が何でもシェルターの中の便器に流していたように。
でも、それは苦しい。お米の命を無駄にしてしまうこと。憎きコクゾウムシでさえ、無慈悲にその命を奪うのは気持ちのいいものではありません。
結果、お米は我が家の畑に撒くことにしました。
お米とコクゾウムシが入った米袋を詰めた袋を積んでいざ都市部の我が家から畑のある田園地域へ。
着いた我が家の畑は半分がジャングル状態。
この中に撒けば鳥たちが寄って畑が荒らされることもありません。
田んぼからも遠いので、まかり間違って残党が稲に悪さをすることもないでしょう。
私は米袋の口を開き、お米とコクゾウムシたちを一掴みし、茂みの中に撒き散らしました。
その時、広大な自然の中にある畑の中に立つ自分がとても小さなものに感じられ、さらに小さなコクゾウムシたちに対する憎みやおそれが消えていくように感じました。
こんなに小さなコクゾウムシたちが、マンションの一室にあっては不当に存在が大きくなるものだということが分かったのです。
これは、狭い環境にいれば人間の視野は狭くなり、取るに足らないものに執着し、自分自身で憎しみやおそれを不当に増幅させる、ということです。
コクゾウムシたちは食物が大量にある、極めて狭い環境に連れて行かれた結果、ああならざるしかなかったのです。
そもそも害虫というのも人間の定義で、限られたスペースに同じ種類の作物を育てるから被害を受けるのです。大自然の中に散らばっている限りでは、害虫と呼ばれる虫も害を及ぼしません。
広大な大地の上では私達は動く点であり、コクゾウムシはより小さな動く点です。宇宙から見ればさらに小さい点。
お米を撒く行為は、祈りのようにも感じられました。上記のWikipediaに「縄文土器にコクゾウムシが約500匹練り込まれており、これは豊作祈願のために意図的に混ぜていると見ている」との記述がありますが、縄文時代の人も同じような気持ちだったのでしょうか。あるいはサキエルのような造形をかわいいと思ったのかも。
畑に撒かれたお米は雨に打たれ、腐食し、分解されて土に還るでしょう。コクゾウムシたちは天敵にやられたりしながら適正な数に戻っていくのでしょう。
私ももっと広い世界に出ようと思いました。
ちなみに折れそうだった心は元に戻って今田植え中です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。