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カフェに集う芸術家展 ベルト・モリゾとマネの結末♡②

    三菱一号館美術館開催中「カフェに集う画家たち展一印象派からゴッホ、ロートレック、ピカソまで」前回マネとベルト・モリゾをつつきましたが、なんかねぇ、ちょっとマネとモリゾの結末を見つけてしまったので先にそれを書かせて下さい。またかと思わないで。だって仕方がない一枚なんですよ。日本に来てるから知ってる人多いと思いますが、忘れてた一枚です。ちなみに前編となる①はこちら。

    マネとモリゾ、2人の結末♡

    この作品は展覧会には来ていません。リール美術館にオルセー美術館より寄託。

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    エドゥワール・マネ「扇を持つベルト・モリゾ」

    ベルト・モリゾはマネのお気に入りのモデルで1868年から74年まで15点以上モデルを務めているそうです。この作品は1874年の12月モリゾの結婚の前に結婚祝い的に描かれて、ベルト・モリゾはこの作品を最後にマネのモデルを務める事はありませんでした。新居にかの有名なルノワールの「猫を抱いたジュリー・マネの肖像」と並べて飾られていたそうです。
    いつものモリゾはこんな感じ。三菱一号館美術館の展覧会出品はなしです。

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    エドゥワール・マネ
    「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」」
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    エドゥワール・マネ「横たわるベルト・モリゾの肖像」

     絵のモデルなんてした事ないけど、こうしてじっくり目を見つめ合うってなかなかドキドキしますよね。そんな風に想う人を見つめる、そしてその人から見つめられる事はないから、そんなの考えただけで震えてしまいます。ベルト・モリゾなかなかですよね。尊敬からの〜だったんでしょうか、やっぱり。マネは毎回衣装など工夫していていてモリゾを被写体として気に入っていた事が伺えます。

    愛なのか愛じゃないのか

     それを踏まえての最後の作品です。最後の時はマネを見つめないんですね〜。この視線を外す感じはモリゾの意思だったように思います。結婚は複雑な感情があり、ある意味ケジメだった事が想像されます。最後はマネの目を見つめる事は出来なかったのかな。愛だったのか、結局そうなのか?
     私の結論としてはやっぱりこの2人にあるのは尊敬以上恋愛以下の熱い特別な師弟愛な気がします(個人の感想です)。モリゾはやっぱり結婚が不安だったのではないでしょうか?やっぱり家庭に入ると制作が出来なくなるかもしれない。このアトリエで過ごした刺激的な画家生活はもう過去のものになるのかも。そんな不安が頭をかすめ、そして消え。お姉さんと同じように私はこれからは描けなくなるのかもしれない。モリゾは最後までマネには画家として認められたくて、画家でいられなくなる未来を考えて不安になっている。マネについてはモリゾの母は交流を反対していた経緯もあるそうです。自らも不安な上に母も反対していたとしたら自分の選択について思い悩んでしまう。
     やっぱりこの作品を見て考えた上でマネの視線は冷静です。モリゾの不安を無かったことにせずそのまま写し込んでいる。マネには自信があったのかな、弟はモリゾを絶対に幸せにするという。
     この後のモリゾの描く作品は少し温かみが加わるように私には思えて。悲しい恋の末、妥協で結婚なんてこの後のモリゾの作品からは感じられない。結婚して柔らかになるモリゾの筆致こそその証拠な気がします。
     このマネのモリゾ最後のモデル作品にはモリゾのマリッジブルーが描き込まれている、そんな気がする。そう想うとマネ、良いやつです。ウージューヌがそんな奴ではない事はなんとなくわかるでしょう。資産家の家柄だから生活に困る事はないし。モリゾの今後をマネなりに心配してたからこその祝いの気持ちだった。のかな?あいつなら絶対幸せにしてくれる、おめでとう、的な。ちょっと〜なんかエモい。だったらわざわざおんなじ事回を分けて書かなくて良いんですが、だって素敵だったから。仕方ないよねぇ。
     ん〜やっぱりマネ、カッコイイ〜。ねぇ、カッコいいよねぇ。前回触れた黒服対決の2作品は三菱一号館美術館の展覧会で見られます。熱い視線の絡み合う刺激的な2人の師弟愛的友情を是非見てみて下さい。

    1886年のゴッホ パリの友情

    もう一つ

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    フィンセント・ファン・ゴッホ
    「モンマルトルの風車」1886年

    ゴッホがパリ時代に描いた以前1886年について前に触れましたが、その時触れたモンマルトルのムーラン・ド・ラ・ギャレットを描いた別バージョンが来ていた。

    こっちのがよりパリのオシャレな街角感があって私は好きなのですがどうでしょう?木々と葉の感じがオーナメントみたいで可愛いです。
     ゴッホは友人関係に恵まれず、一方的な付き合いが多いですよね。結局アルルの画家の共同体構想は成功しませんでしたし。ところが、書簡の少ないこのパリ時代ゴッホにはちゃんと付き合って交流した友人がいたのです。それはトゥールーズ・ロートレックその人。ロートレックについてはゴッホより11歳年下でパリのサン・ジェルマン・デ・プレにあるエコール・デ・ボザール(似た名前の佐藤雅彦さんのキャラクター🐒が昔ありましたね、どうでもいい)というフェルナン・コルモンのアトリエで出会ったそうです。1887年の夏オランダに休暇で帰っているテオ宛の手紙にロートレックとベルナールらとタンブランという画廊で展覧会を開催している。同じ頃ロートレックもゴッホの肖像画を描いています。同展にも来ていたロートレックの「ルイ16世風の椅子のリフレイン」という作品の中の後方の髭に帽子の人物はゴッホだという最近の研究もあるそう。ロートレックは1890年のブリュッセルの展覧会でゴッホが批判された折、庇っているそうでロートレックのゴッホへの尊敬と友情を感じさせるものがあります。ロートレックは貴族の家ながら14歳の時骨折し脚の発育が止まり胴体は大人、足だけ子どものまま大人になりました。身体的な病気のため差別されたりもしていたらしい。そんなロートレックはゴッホを慕っていたんだな。アルルを勧めたのもロートレックだったそうだ。
    ただ、ゴッホの手紙にはさほどロートレック出て来ないんですよね。ロートレックのある種戯画的誇張表現がゴッホにはハマらなかったのかもしれないですね。芸術表現での方向性、目指す美が全く違うから共同体にも誘いはしなかった。仲良くても馴れ合いで制作はしない。基本絵を描く事を中心に生きているゴッホらしい価値観が見える気がして面白い。人恋しく寂しくても、そばにいてくれれば誰でも良い訳ではない、1人でいれるゴッホはやっぱり強いですよね。うん、なんかイイ。

    不安を強さに

    ゴッホもモリゾも不安を抱えて生きてましたよね。人はみんなそう、と言いたい所ですが結婚していた時に私には不安はありませんでした。ただのお母さんだった私。日々与えられた業務を必死でこなすだけのたんたんとした毎日だった。世の中お母さんがみんなそんなだなんて思ってない、私がそんな風に生きてるだけの人間だっただけ。既に夫の事は諦めていた期間は長いですがそれでもまさか離婚されてしまうなんて思わなかったから、先が不安なんて気持ち全くなかった。そういう意味では感謝している。
     でも不安はなかったけど、このまま年取って夫が退職してずっと家にいるようになったと想像するとたまらない気持ちになった。やっぱり今の方が楽しいから不思議なものです。今の生活は不安だらけです。先なんか全然見えません。頑張って1人で生きていこうっていつも思ってるけど、なんか辛くなる時もある。でも、それがなんかちょっとした言葉ひとつで勇気をもらえることもある。
     モリゾの不安、ゴッホの不安、それはそれぞれが一生懸命に目指す方向へ向かって生きているからなんだなぁと思うから、その不安な心がガラス細工のように繊細で壊れやすくそして美しいように思ってしまう。
     ベルト・モリゾのあの強い視線に本当の所何が込められていたのかは当人同士でしかわからない。モリゾの美しい強い視線を描き続けたマネは最後にモリゾの等身大の不安を描いた。包み込むような愛と友情で花束の代わりに一枚の作品にそれを込めた。
     不安を抱えながら自分の道を進み続けるモリゾだから視線がつよいのか、眼差しが美しいのか。
    そうか、一生懸命だから不安なんだ、人生って。

     モデルの方ってすごいですよね。私そんな絵のモデルで画家を見つめるなんて変な感情なくても恥ずかしい気がします。大好きな人の舞台に行って、明るい時間にビジュアル写真撮りに行ったんです。そしたら待ち合わせの人混みの中になんだか似てる人がいて、それだけで震えてしまった。もちろん当然別人です。あの震えを思うとマネとモリゾの師弟愛的友情の視線の応酬はちょっと刺激的だなと思ってしまった。

    参考文献

    ①大ゴッホ展 夜のカフェテラス図録 2026年
    ②“カフェ“ に集う芸術家 印象派からゴッホ、ロートレック、ピカソまで展2026図録
    ③マネとモダンパリ展2010図録

     
     
    美術のエッセイ書いてます。誇り高くヤーレンズを応援しています⭐︎⭐︎⭐︎ 演劇も好き。野田秀樹・ケラリーノ・サンドロヴィッチ・小林賢太郎

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