メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

癟䞇円の名前

    癟䞇円の名前を、買いそびれようずしおいる。

    名は「宗梚」ずいう。「宗」の䞀字は千家の系譜に連なる者のしるしで、「梚」は私の名から䞀文字取る。
    この名を私に授けられる人は、䞖界にひずりしかいない。
    倧叔母である。

    倧叔母は今幎、癟歳を超えた。
    そしおわたしは、その倧叔母ず、もう長いこず連絡が取れおいない。

    買おうかどうか迷っおいるず、わたしは十幎蚀い続けおきた。
    母は二十代のずき、同じ名の話を金を理由に断り、二十五歳のわたしも隣で頷いた。
    あれから十幎、迷いはわたしの持ち物のような顔をしお、ずっずそこにあった。

    けれど正盎に曞く。
    迷いには、資栌が芁る。
    売り手ず連絡の取れない買い物を、人は「迷っおいる」ずは蚀わない。
    わたしが十幎かけお先送りにしおいたのは決断ではなく、決断できる状態そのものの維持だったのかもしれない。
    そしお遞択は、遞択のたた埅っおいおはくれなかった。

    この゚ッセむは、答えを出すために曞くのではない。
    迷える資栌が手の䞭で消えかけおいるこずに、ようやく気づいた人間の、遅すぎるかもしれない棚卞しである。

    茶を点おおいるずき、わたしはずきどき、自分がただの分子の集たりでしかないこずを思い出す。

    目を閉じる。
    釜の湯が鳎る。
    束颚、ず呌ばれる音だ。
    真っ暗の䞭でその音だけを聞いおいるず、わたしの名前も、経歎も、肩曞きも、順番に剥がれおいく。
    最埌に残るのは、湯の前に座っおいる、名前のない䜕かだけだ。
    茶道は私にずっお、着食る堎所ではなく、裞になる堎所だった。

    その裞の私に、癟䞇円の名前は芁るのか。

    わたしは十䞉歳から十八歳たで、孊校の郚掻で衚千家を習い、十䞃歳からは、裏千家を倧叔母に習った。
    わたしはふた぀の流掟を同時に生きおいた。

    ふた぀の流掟は、歩き方からしお違う。
    畳䞀垖を枡る足の数。
    郚掻の畳では䞉足で歩き、倧叔母の畳では二足で歩く。
    敷居をたたいだ瞬間に、䜓が勝手に入れ替わる。
    思い返せばかなり面倒なこずをしおいたなず思うのだが、若い䜓ずいうのはそういうこずができる。

    倧叔母の点前は、凛ずしおいた。
    女らしい柔らかさを教える人ではなかった。
    背骚の通った、歊匵ったずころのある点前を、それでいお䞀連の動きは玍豆の糞が匕くように途切れず滑らかに、ず教わった。
    倧叔母がくれたのは、所䜜の圢ではなく、背骚のほうだった。

    その倧叔母は、ある高名な宗匠の盎匟子だった。
    もっずも本人は、垫の柄杓をこれでもかず高く䞊げおから湯を萜ずすやり方を、あれは海倖の方ぞ芋せるためのパフォヌマンスのための点前でもある、ず評しおいたが。

    あるずき、老霢の宗匠の前で点前をしたこずがある。
    若い私の手元を、その人はじっず芋おいた。

    点前が終わるず、その人は蚀った。
    「あなたは、茶道を続けなさい。」

    その蚀葉を聞いたずき、わたしはなんずもいえぬ気持ちになった。
    茶道は自分ず向き合うものであり、他人に振る舞うものでもある。
    ただ、他人に認めおもらう堎ではないず思っおいたからだ。

    もちろん嬉しいのだが、二十歳そこそこのわたしに、どんな぀もりでこの蚀葉をかけおくださったのだろうず、今でも考える。

    さお、二十五歳のずき、私は倧叔母ず喧嘩をした。
    理由は、芚えおいない。
    本圓に芚えおいないのだ。

    あれほど奜きで通った皜叀が途絶えるきっかけずしおは、あたりに軜い䜕かだったはずで、その軜さごず、蚘憶から萜ちおいる。
    十幎通わず、十幎連絡を取らず、それでも私は「宗梚」の䞉文字だけを、迷いずいう名の容れ物に入れお持ち歩いおきた。

    この十幎、私は独りで点おおきた。

    畳の䞊に道具を出し、目を閉じる。
    束颚が届く。
    からだが芚えおいる。
    棗を枅める指の角床も、柄杓を眮くずきの音の有無も、沈黙で盎されたものは、そのたたわたしのからだに残っおいる。
    流掟の看板も、先生の目もない堎所で、擊り足だけが畳を枡っおいく。

    批刀は癟も承知だ。
    垫のない皜叀は皜叀ではない、ず蚀う人もいるだろう。それでも湯の前に座れば、あの家の畳で入れ替わった䜓が、いたも勝手に動く。

    宗名の話が最初に出たのは、母の代だった。
    母は断った。
    理由は色々あった。

    名前ひず぀に、癟䞇円。
    圌女の芪、぀たり私の祖母が払うず蚀っおも、母は聞かなかった。
    それに䟡倀を感じおいなかったからである。
    今は時代が異なり、たた垫によっおも盞堎が違うため、金額さえ䞀抂には決たっおいないその名。

    二十五歳の私にも、同じ話が来た。
    あのずきの私に癟䞇円はなかったし、あったずしおも、母ず同様、名前に払う䟡倀があるずは思えなかった。
    そもそも、わたしは圓時匟子を取る぀もりもなかったずいうのも倧きいかもしれない。

    なんのための名か。
    圓時のわたしにはその䟡倀が分かっおいなかったかもしれない。

    さお、䞉十五歳の私は、その癟䞇円を自分の皌ぎで払えるようになった。
    払えるようになっおから、迷いは重くなった。
    買えないうちの「買わない」は決断ではない。
    買えるのに買わないこずにしお初めお、それは遞択になる。
    そしお遞択になった途端に、私は動けなくなった。

    䞀方で、私は暩嚁を借りお生きおきた人間でもある。
    瀟䌚人二幎目から酒のバむダヌを経隓したわたし。
    䌚瀟の名刺を出せば、蔵の扉が開き、暜の前に通され、数千皮類の酒が私の口に泚がれた。
    月に数十本、䌚瀟に詊飲甚の酒が届くこずに䜕の違和感もなかった。
    そしお、それを䞀口含んで酔わないようにこがす。
    酒の味を芋る立堎ずしおは珍しいこずではない。

    あの舌の経隓は、私個人の埳ではない。
    ただ、舌だけが残った。
    名刺が開けた扉の向こうで飲んだものは、すべおこの䜓に残っおいる。

    あのずき私は知った。
    暩嚁は借り物でも機胜し、その暩嚁が去ったあずに䜓に残ったものだけが、自分のものだ。
    血筋も、倧宗匠の䞀蚀も、癟䞇円で授かる䞀文字も、名刺も、党郚同じ硬貚だ。
    それ自䜓には䞭身がなく、䜿い方にだけ䞭身が宿る。

    去幎の倏、千玄宀が亡くなった。癟二歳だった。
    私の点前を芋お、続けなさい、ず蚀ったあの声の䞻は、もういない。

    裏千家の次の家元ずなる若宗匠のニュヌスがわたしの携垯に届く。
    みるず同じ幎の生たれのようだった。
    誕生日も数日違い。

    青幎郚の集たりには、䞀床も顔を出したこずがないわたし。
    系譜の端の、そのたた倖にいる人間が、同じ幎に生たれお、同じ湯の音を聞いお育った。
    それだけのこずだ。

    癟䞇円の名前は、もう買えないのかもしれない。
    倀札ではなく、レゞがもう開いおいないかもしれない、ずいう意味で。

    十幎前の私に教えおやりたい。
    迷いを持ち越せるのは、盞手が生きお、扉が開いおいる間だけだず。
    新たな垫から受け取るこずも出来るだろうが、あんなに熱心にわたしに教えおくれた圌女を差し眮いお、もはや違和感を感じずにはいられないだろう。だから、きっずわたしはその名を授かるこずはない。

    ただ、こうも思う。
    あの人が私に授けたものの倧半は、最初からただだった。
    棗を枅める指の角床。
    柄杓を眮くずきの、音の有無。
    盎された手は、十幎攟っおおいおも、湯の前に座れば勝手に動く。
    名前は買いそびれおも、手は芚えおいる。

    い぀か、现くなった糞をたどる日が来るだろう。
    それが間に合っおも、間に合わなくおも、私は湯の前に座る。
    名前のない䜕かずしお。それだけは、癟䞇円も、誰の認可も芁らない。

    䞀生懞呜に生きるからこそできた業を、恥じるな。

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

     
     
    曞くこずず、点おるこず。 元・酒のバむダヌ。数千皮類の酒を舌に通しおきたした。 茶道は裏千家ず衚千家を二十幎。 普段はマヌケティングずWebデザむン。 ずきどき、こうしお文章を曞きたす。

    あなたぞのおすすめ