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ドキュメント・゚ッセむ自䞻補䜜本「私的Paris案内」ができるたで その2-1

    #創䜜倧賞2026 #オヌルカテゎリ郚門

     パックツアヌを利甚しフリヌタむムを自分なりに楜しんでいたが、やがお添乗員付きの制玄が倚いパックツアヌに私は䞍䟿さを感じるようになっおいた。そしお遞んだ、次なる旅のスタむルは・・・。
    耳慣れない固有名詞には原語を付けたした

    []飛行機ずホテルを自分で決める旅ぞ
     旅の党日に添乗員が付くパックツアヌの倚くは、たず垂内芳光から始たる。そしお翌日からオプショナルツアヌに参加すれば、たた添乗員ず䞀緒。このパタヌンで進む旅は添乗員に守られおいるずいう安心感がある。
     だが・・・私の堎合。ツアヌの䞭に必ずパリを入れおいたので、流石に同じ堎所の垂内芳光には参加しなくなった。添乗員に断りを入れ、予め蚈画しおいた堎所に行く。それでも団䜓行動による制玄ず時間的なロスは避けられなかった。
     やがお同じように考える旅人が増えおきたのだろう。今たでのパックツアヌに倉化が珟れた。䞀぀は出発ず到着のそれぞれの空枯に䞖話係が埅機しおいるパタヌン。抜かりなく飛行機に乗せおくれお、到着した空枯からホテルたで黙っおいおも届けおくれる。䞀旊ホテルに入れば、垰囜の日たで自由。䜕をしおも䜕凊ぞ行くのも思うたただ。その次に珟れたのは飛行機ずホテルがセットになっただけの栌安のツアヌ。飛行機ぞの搭乗から、空枯からホテルたでの移動。党お自分でやる。旅行瀟は航空料金ずホテル代をセットしお集客。団䜓扱いにしお利益を生むのだろう。䜙蚈な手間も省ける。
     このようなパックツアヌを利甚しお数幎間、私はパリだけを楜しむようになった。家族ずナヌロディズニヌぞ行ったり、職堎の先茩ず再びバルビゟンを蚪れたり。
     やがお自分で飛行機を抌さえた方がより安く旅ができる時代が到来する。(出発の時期や時間、座垭のステェむタスにより金額に倧きな差が出るが)ホテルも自分のスケゞュヌルに合わせた料金ず堎所を遞べば、安䞊がりで移動する時間の節玄にもなる。
     それ等を倧きく支えおくれたのはネットの発達だった。幞運なこずに職堎の䞊叞は新しいシステムに積極的な人物だった。いち早くパ゜コンが職堎に導入され、私はネット怜玢に慣れおいった。やがお自宅にもパ゜コンを眮き、ネット䞊に溢れる情報を駆䜿しお旅の党おを自分でカスタマむズするようになった。
     基本はホテルに泊たり、倧きな荷物を持たずに自由に歩くスタむル。フロントには必ず誰かがいお、時間埅機しおいおくれる。そしおフランス語しか喋らないフランス人が倚い䞭で(圓時の通貚はフラン。フランスがナヌロ圏になっおから、八癟屋のおじさんも英語を喋るようになったが)拙い英語でも通じる安心感があった。その添乗員抜きの、自分で飛行機の予玄をしおホテルを取った自由な旅の第䞀歩は、私の䞀冊目の自䞻制䜜本ずなった。

     幎月。圓時歳。初めお海倖に飛び出しおから玄幎が過ぎおいた。友人ず二人で週間の、パリを䞭心にした旅に出た。その時のスケゞュヌルから旅の実録たでを収めたファむルが手元にある。
     たず航空刞。ファむルの蚘録によるずネットで色々ず探した埌で、「旅の四季瀟」から買った。珟圚、この䌚瀟は存圚しないようだ遞んだのは䞀番安く、しかも効率的にパリに行けるチケット「AOMで行くパリフリヌ」。今だからこそ航空刞だけを販売する䌚瀟は珍しくない。だが栌安の航空刞には、それなりの理由がある。䞭継の郜垂でのトランゞットを経お、盎行䟿の倍以䞊の時間をかけおパリに着く。それを楜しむ䜙裕があるのならばいい。働いおいる身にはその時間が勿䜓なかった。
     AMO航空は成田空枯を時分に出発し、オルリヌ空枯に同日の時分到着。時差を時間ず考えるず、玄時間分でパリに着いおいる。埀埩で円。ANAやJALのチケットを遞ばなかったのは、おそらく高額だったからだろう。(フランス第二の倧きな航空䌚瀟だったAOM航空だが、数幎埌に日本から撀退。その埌倒産しおいる)

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    今ずなっおは幻のAOM航空
    共同運行䟿だったのか、航空刞にJAL

     次はホテル。私は月から準備を始めた。ホテルを決める基準は、立地ず宿泊料金。メトロ(地䞋鉄)の駅や地方ぞ行くこずを考えるずフランスの囜鉄SNCFの駅にも近くお䟿利であるこずが理想。料金は平均的であるこず。今でも高玚ホテルは自分には䞍向きであるず思っおいる。バスタブがあっお枅朔なベッドがあれば、それで充分。
     ホテルを玹介する色々なサむトがある䞭から、私が参考にしたのはHotels.com。そしお「Le Gardin des Plantes」ずいうパリの怍物園に近いホテルを遞んだ。SNCFのオステルリッツ駅Gare d’Austerlitzたでは埒歩圏内。料金も垌望通り。
     䜕故、この時に。Hotels.comで予玄をせずに自分でやろうずしたのか。今では党く芚えおいない。考えられるのは、なるべく費甚を抌さえたくお手数料ぬきでホテルを抌さえようずしたのだろうず蚀うこずず、初めおの手䜜りの旅。自分でやっおみようずいう意欲に燃えおいたのだろう。
     月にホテルぞ手玙を出し、向こうからの返事の日付は月日。ツむンベッドで泊フラン(圓時フラン円)。手玙には「残念ながら広い郚屋はないので、狭い郚屋になる」ずの泚意曞きが添えられおいた。私はすぐに了解の返事を送った。
    泚珟圚でもホテルは営業䞭。Hotels.comでの評䟡は.。圓時は぀星ホテルだったが、珟圚は぀星ホテル。朝食は有料で€。宿泊料は季節により倉動。 

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    党文、緑の手玙
    怍物園の近くだから

     理想的だず思える料金で航空刞ずホテルを抌さえお始たった自由旅。圓時のスケゞュヌルを以䞋に蚘しおみた。

     第日目矜田→パリ
          ホテルぞ盎行
     第日目パリ垂内
          シテ島(ノヌトルダム倧聖堂)
          サンルむ島
          レアヌル
          ムフタヌル垂堎通り
     第日目第日目ロワヌル河の叀城ぞ
          お城のホテルに宿泊
     第日目パリ垂内
          サンゞェルマンデプレ界隈
          パリ最叀の教䌚でコンサヌト
     第日目ノェルサむナ宮殿
     第日目モンマルトルの䞘
     第日目日目ノルマンディヌぞの旅
          枯町オンフルヌル
          Hosteller Le Chat(䞉぀星ホテル)
          に宿泊
          モン・サン=ミシェル行き
     第10日目フォンテヌヌブロヌぞ
          田舎のマルシェ
          フォンテヌヌブロヌ城
     第11日目凱旋門に昇る
          ポンピデュヌ・センタヌ
     第12日目ノォヌゞュ広堎
          初の䞉぀星レストラン
          サンポヌル村でアンティヌク
          オペラ・ガルニ゚でバレ゚     
     第13日目オルセヌ矎術通
          セヌヌ河遊芧船 
     第14日目パリ→矜田

     今、この時の旅の日皋を曞き出しおいお。若いず蚀うのは䜕お無謀なのだろうず思った。週間ずはいえ、パリを出る小旅行に回も出掛けおいる。ロワヌルの叀城、ベルサむナ、フォンテヌヌブロヌ等は過去に蚪れたこずもあり、慣れたもの。だが唯䞀、初めおのノルマンディヌ行きには様々な困難が埅ち受けおいた。そしお䞀緒に行かないかず声を掛けた友人。KDDIに勀めおおり、フランス語を話せるずいうこずだったが・・・。珟地での圌女は意倖にも、フランス語はもずより英語に関しおも無口な人だった。結局は自分の英語で乗りきった。盞圓錆びおはいたが、代の頃に束本亮先生のラゞオ英䌚話を聎いお耳で芚えた英語がずおも圹に立った。  
     蚈画ではノルマンディヌ行きず垰りのルヌトを倉えるこずにしおいたのに、うっかり埀埩切笊を買っおしたった。これは私のミス。そしお䞭継地のル・アヌブルで降り、オンフルヌルぞのバス停で愕然ずする。朝の時、時を逃すず、倕方の時たでバスがない。時間のロスを防ぐためにタクシヌで泊目のオンフルヌルに向かう。玄䞇円だった䞍満げだった友人が、翌日になっおスケゞュヌルの倉曎を蚀い出す。本来のスケゞュヌルではモン・サン=ミシェルぞ行く予定だった。圌女も玍埗しおいた筈なのにず思い぀぀、前日タクシヌを䜿うこずになったお詫びに了承。パリに戻った。(本の䞭に詳しくは曞かなかったが、圌女は教䌚でのクラッシクコンサヌトにすっかり魅了され、行きたかったらしい)スケゞュヌルの党おを自分で䜜成しお、圌女に了解だけを埗たのが倱敗の原因だったず思う。

     旅党䜓に関しおは、私自身の感觊ではの出来。本に仕䞊げるには充分だず思った。日本に戻っお、「さあ䜜るぞ」ず意気蟌んだ私だったが・・・。
     圓時は自費補䜜本を受けおくれる出版瀟が今ほどもなく。パ゜コンの怜玢で芋぀けたのが出版瀟「コスモの本」だった。打ち合わせは䜕回だったのか。倚くおも回ほどだったず思う。ラッキヌなこずに、担圓しおくれた線集者さんの口利きでカバヌむラストには胜収蛭子さんが描いおくれた。費甚は玄䞇円。出来䞊がった本を著者の分ずしお冊枡しおくれたず思う。この時の冊数は䞍確か。あたり蚘憶に残っおいない
     本が出来䞊がっお䞀幎が過ぎ。埅おど暮らせど、本の売り䞊げや圚庫等に぀いおは党く連絡が無かった。増刷に぀いおも同様。初めおだったからだろう。私自身も出版できた、それだけで嬉しかったのだず思う。埌日出版瀟ず連絡を取っおはみたが、担圓しおくれた線集の人は退職しおいた。出版埌の売り䞊げや販売に掛かった費甚等の明现は䞀切ナシ。䜕から䜕たで初めおの本䜜り。出版瀟ずは、こんな曖昧なやり方をするものなのかず、ただ呆れた蚘憶が匷く残った。そしお再び本を䜜る時には、しっかりず出版瀟を芋極めよう。そう思った。

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    1994幎12月9日 第䞀刷
    珟圚、ZINEや文孊フリマにお販売䞭です


     
     
    パリを䞭心に自由な個人旅行をしおいたす。ごく普通に、莅沢はしないけど奜きなものには目がない。そんな私ですが、ここではテヌマ毎に過去の蚘録をたずめおみたいず思っおいたす。

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