
現場監督の海外見聞録|第36話・モスクワで天才の音楽をただで聴いた話
モスクワの五つ星ホテルのひとつ、メトロポールホテルで会議があった。 五つ星というだけあって、内装は「ここで迷子になっても文句は言えない」レベルの豪華さ。
しかも近代的に改装されているので、古びた雰囲気はゼロ。 むしろ私のスーツのほうが歴史を感じさせるくらいだ。
会議のあと、ホテル内を見学していると、ロビーで三重奏が始まった。 バイオリン、ビオラ、チェロ。 これがまた素晴らしい。
聞けば、ボリショイ劇場のオーケストラ所属の腕利き3人組らしい。
「え、そんな人たちがロビーで演奏してるの?」
と驚いたが、どうやら彼らも生活が懸かっているらしい。 超一流でも副業が必要とは、ロシアの現実はなかなかシビアだ。
■ ロシア式ミュージカルの“衝撃”
ちょうど近くの劇場で、ミュージカル「ノートルダム・ド・パリ」を上演していた。 ロンドンのウエストエンドで観ていたので、
「まあ似たような感じだろう」
と軽い気持ちで観に行った。
しかし、見事に裏切られた。
歌手はロシア人だが歌はオリジナル通りフランス語。 しかし歌い方はミュージカルというより、ほぼオペラ。
声量は素晴らしいのだが、ウエストエンドの歌い方に慣れた耳には、どうにも違和感が残る。
「オペラだけじゃ食べていけないから、ミュージカルにも進出してるのかな…」
と、勝手に切ない想像をしてしまった。
■ ボリショイ劇場の“現実”
とはいえ、ボリショイ劇場のオペラが不人気かというと、そんなことはない。 ロシア人にとって安くはない入場料にもかかわらず、いつも満員。
ただし劇場の内装はかなり傷んでいて、
「このままじゃ観客より建物のほうが先に倒れそうだ」
と言われるほど。
ほどなくして長期改修に入った。
■ 治安の悪さと“緊張感のある街”
当時のモスクワは治安が悪く、過激派によるテロも時々起こっていた。 私がミュージカルを観た劇場の近くでも、別の劇場で占拠事件があり、多くの犠牲者が出た。
ロシアの何らかの記念日には、必ず暴動がうわさされ、危ないのでアパートにこもり外に出ないように、と言う注意がなされ、実際に小競り合いが街のあちこちで起こっていた。
街中でも小さい暴力沙汰は日常茶飯事。 外を歩けば警察の職務質問はほぼセット。
日本人と中央アジア人はロシアの警官から見ると区別がつかないらしく、良く職務質問で呼び止められた。
私は地下鉄に乗るとき、服装も態度も“現地人っぽさ”を意識していたので、現地人と間違えられたのだ。
というのは、外国人とわかると、スキンヘッドの不良にカツアゲされると聞いていたからだ。
地下鉄の駅からアパートに帰り着くまでは、なるべく目立たないように、 うつむき気味で足早に歩いた。
そして部屋にたどり着き、一人になった瞬間にようやく「ふぅ」と息をつくのだった。
■ 次回は第37話“ボリショイサーカスに出演”
次は、モスクワの冬の楽しみ 世界的サーカスの迫力と、私が舞台に上がった“まさかの瞬間” のお話です。