
何かあれば終わらせ屋まで
半年だけ上司だった初見さんは、
距離の詰め方が雑だった。
「終わらせ屋って呼ばれてるらしいな」
常に予約過密なケータイショップでは、
それは褒められてる寄りの呼称だった。
ほぼ無限に質問が出てくるお婆さんも、
私の手にかかれば、時間通りにぴたりと帰る。
「おれのキャリアは終わらせないでくれよ」
どう返したらいいか分からなくて、曖昧に微笑む。
思えば、こういう小ボケは、
彼の数ある営業スキルの一つだった。
初見さんの接客スタイルは、
ちょうど私の反対だった。
関係のない雑談を積み上げて、
その壮大な無駄の中から、
営業成績に繋がりそうな手がかりを見つけ出す。
当時の我々はケータイだけでなく、
ネットも野菜も水も売っていた。
そういう混沌に、
彼はこの店の誰よりも適応しているように見えた。
ただ、1時間の枠の機種変更が、
平気で3時間になったりするだけで。
コンビと言うほどではないが、
補助に入る事が多かったと思う。
古いケータイを捨てにきたご婦人相手に、
既に45分。
山積みになって「その時」を待つ、
歴戦のガラケー達。まだ1台も進んでいない。
ちょうど手が空いたので間に入る。
「お話のところ失礼いたします。
こちら、私の方で回収作業させていただきます」
べとべとの背面カバーを手のひらでスライド、
膨らんだ電池パックに爪を引っかけて外し、
隠れていたSIMカードを摘出し、
トレーに並べていく。
接客という名の雑談に、
邪魔にならないくらいに混じりながら、
一連の作業をこなしていく。
最終的に、骨と皮だけになったガラケーは、
穴を空ける決まりになっていて、
これが少し音が出るから、その場を離れる。
「成約しそうだから、あと90分かな?」
道具を取りに行くついでに、
フロアを回している同僚に報告するのも忘れない。
便宜上、私たちはそれをギロチンと呼んでいた。
レバーを引いたら鉄の杭がせりだし、
少しの抵抗を伴って基盤を貫通する。
充電端子とカードの挿入口で、
ガシャン、ガシャン。
ダイヤルの5の部分に穴を空ける時には、
残っていた空気が抜けるのか、
「こひゅう」と言う音がする。
トレーに屍を並べて初見さんの傍らに届ける。
「さすが終わらせ屋」
と、極小の音量で、彼は言う。
休憩室では、派遣の女の子がお弁当を広げていた。
「腹立ちません?」
「なにが?」
「一人のせいでご飯遅くなるの、もう4時ですよ?」
そうかな、と自問して、
そうじゃないなと素直に思う。
「まあでもお腹空いてた方がごはん旨いから」
と良く分からない事を言いながら、
彼女の分もコーヒーを淹れる。
かつて彼女が座っているその席で、
初見さんはプロ野球名鑑をめくっていた。
「初見さんって野球見る人でしたっけ?」
「いんや、でも、話すときに要るなと思って」
思わずその顔をまじまじと見る。
どうやら小ボケで言ってるわけではないらしい。
「じゃあ私がプロフィール読み上げるんで、
初見さん誰か当ててください」
「いいけど…」
「1985年2月生まれ、高校時代はラグビーに打ち込み県大会ベストエイト、好きな食べ物はポムの木のオム…」
「それオレやないかい!」
大きな手で私の肩を小突く。
男子校のノリでけらけら笑う。
彼は新任の上司として、
順調に数字を積み上げていった。
そういう人ほど、下への当たりがきつくなる。
「おれが嫌われて数字がでるなら」
と、らしくもなく、朝礼で本音が溢れる。
輪になっている弊害で、女性陣が「自覚あるんだ」と目くばせしているのが分かった。
その頃にはもう、成績グラフの数センチの差が、
ぞっとするぐらいの隔たりになってしまっていた。
「私は、別に嫌ってないですけど、
数字は出しますよ?」
「え、私はってどゆこと?」
私にできるのは、初見さんの小ボケを、
みんなに分かるように拾ってあげる事。
そうする内に、他の男たちも小ボケを振ってくるようになり、終わらせ屋の他に、
みんなのつっこみ役も兼ねるようになっていた。
「おれの眼鏡知らへん?」
「頭にあるでしょ」
「なんかコンタクトの調子わるくて」
「それ、ペットボトルの蓋!」
こんな感じで、締め作業をしながら、
男子校のノリを楽しむのが日課になっていた。
私もそれを楽しんでいたのだと思う。
ある日、レジのお金を数えていたら、
初見さんがゆっくりとこちらに近づいてきた。
メガネはちゃんと掛けているし、
ジャケットの裏表も合っている。
ただ、顔は確実にボケている時の顔。
(ぜんぜん分からん…)
ここで聞いてしまったら、
築き上げたものが崩れてしまう気がして、
必死になって答えを探す。
耳を澄ませば、空調に混じって、
上がり下がりのある音階。
胸ポケットに入ったスマホから、極小の音量で、YOASOBIの「夜に駆ける」が流れている。
「そんなボケ方があるなんて!」
誰かが拍手をする。私もそれに続く。
なんだなんだと皆が集まってくる。
営業成績でトップになった時より、
嬉しそうな顔の初見さん。
たまたま残っていた派遣の女の子が、
一連の騒ぎを見て、「なんか怖い」という。
「怖いってなに。もしかしてオレらが君をボコボコにすると思ってんの?」
初見さんは、とても自然に、
越えるべきでないラインを越えた。
小ボケとして拾おうとしたけど、もう遅い。
既に仕様もないほど、深く刺さってしまっている。
細く整った眉が、蛭のようにのたうつ。
何かの決意を込めて、その下で瞳が燃えている。
沈黙によって、事実が凍って固形になっていく。
下手な事を言うと、巻き込まれるのが分かっていた。けど誰でも良いから、なにか言わないと。
彼女は小さな声で、
「お疲れ様です」とだけ言って走り去る。
その日に限って、
最後まで残っていたのは男どもばかり。
なんか怖いが、ほんとうに怖いになったのかも。
ぐらいの、浅い考察を誰が述べる。
胸ポケットから、まだ小さな旋律が流れている。
男たちだけに、それが聞こえている。
初見さんの予約枠が
「その他」で大きく塗りつぶされている。
「なんか偉い人来るらしいよ」
急に決まった面談は、
その日のスケジュールを容赦なく破壊していた。
みんな、お昼の予定が数時間遅い。
本業である終わらせ屋として、
着々と業務を進めていく。
「きのう阪神勝ちましたね」
と、少しだけ背伸びをしても、
けっきょく時間通りにピタリと終わる。
応対の合間に、裏に下がって水を飲む。
「車で支社へ連れてかれたって」
誰もが、尻尾を振りながら、
転がってきたものに飛びついていた。
「派遣元から本社に連絡があったらしくて」
休憩中に、普段は見ない就業規則を見たりするなどして、けっきょくは私もそれに加担する。
弊社は福利厚生の効いたディストピアみたいな所があって、ある日とつぜん人が消える。
だから、よくある事ではあったのだと思う。
男性陣には、なんとなく後ろめたい気持ちと、
どうせすぐ戻ってくるだろうという楽観が半分づつあって、一周して無関心を装うようになっていた。
その男性陣に、きちんと私も含まれている。
ときどき、共用PCで資料をつくる振りをして、
人事異動のファイルを覗く。
まだ退職者リストに名前がない事を確認して、
自分勝手に安心を得る日々。
ほぼ晩ごはんの時間に昼ごはんを食べる。
おそるおそるフロアを覗くと、
最後の一組を他のスタッフが接客していた。
先んじて、締め作業を進めていく。
がらんどうのバックヤードに、
ガラケーの山が積まれていた。
ものぐさな誰かが置きっぱなしにしたに違いない。
ほとんど自動的に、背面カバーを外していく。
耳を澄ましても、聞こえるのは空調の音だけ。
ガシャン、ガシャン。
と穴を二つ空け、
最後に「こひゅう」と空気が抜ける。
カバーの裏に残された、
色褪せたプリクラと目が合う。
はがそうとして、諦めた爪の痕。
この屍は、かつて誰かの心だったのだと思う。
ガシャン、ガシャン。
こひゅう。
ガシャン、ガシャン。
手が止まっているのに、
「ありがとうございました」の声で気付く。
みんながやがて戻ってくる。
だからそれまでに、いつもの顔に戻らないと。
私が終わらせているというのは、
錯覚みたいなものなのだ。
捨てると決めた誰かが居て、
たまたま私が穴を空けている。
送られた先ですら、粉砕されて、
溶かされるという終わりがある。
だからこれは、加担ではなく処理なのだと思おう。
こひゅう、と。
でもやっぱり、5に穴を空けるときだけ、
少しだけ息が止まる。
だんだん終わっていく終わり。
その一つの区切りを、誰かが担う。
「本当はチュチュアンナで働きたかったんです」
派遣の女の子は、辞める時にそう教えてくれた。
笑顔で「そーなん!」とだけ言って、
そこから言葉が続かない。
なにせあの日から一ヵ月も経っていないのだ。
どうせ辞めるならどうして?
をごくりと飲み込む。
今さらそれを言っても仕様がないし、
そもそも悪いのは彼女じゃない。
「一緒に働けて楽しかったです!」
後腐れのない笑顔。
たぶん、初見さんの事を、
もう恨んですらいないのだろう。
別に要らないとは思うのだけど、
終わらせ屋の称号は、
こっそり彼女に譲る事にした。
それから間もなく、
例のリストに初見さんの名前を見つけた。
理由欄の自主退職に、
カーソルを引っ張って、しばし待つ。
けっきょく最後まで彼から連絡は無かった。
なにか大きな力によって、
禁止されていたのかも知れないし、
連絡しない事を自分で選んだのかも知れない。
私にしたって、あの時出てこなかった言葉は、
けっきょく今なお出てきていない。
ならここが「終わり」でもいい。
今日からはもう、退職者リストを覗かなくてよい。
接し方でも売り方でも、
越えるべきでないラインを、
越えた者から消えていく。
男たちが多いのは、
きっと偶然ではないのだろうと思う。
退職理由の欄には、
相も変わらず、自主退職とだけ記される。
「チュチュアンナ」と、呟いてみる。
なんて素晴らしい理由なのだろう、と心から思う。
私の番になったら、何て言ってやろうか。
電気屋さんへ行ったのは、
新生活に備えてレンジを買い替えたかったからだ。
なのになぜか、光回線の見直しをする事になる。
ここも程よく狂っていていいなと思う。
懐かしさに絆されて見回せば、
遠くのケータイコーナーで、
暇そうにぼーっとしている初見さん。
衝動だけで口を開けても、
やはり言葉は出てこない。
私はきっと、
彼の中では終わった話の登場人物なのだろう。
ならもう、セリフは用意されてない方が自然だ。
だんだん終わっていく終わり。
どこかを終わりにする事もできるけど、
些細な事で、どうせまた始まる。
だから、という長い助走をつけて。
野暮だと思いつつも、背中を叩く。
彼の大きな口から、驚きの息が漏れる。