
気づけば“選ばされる自由”に従っていた話【前編】ナッジ理論
きっと今日も、あなたは何かを「選んだ」はずです。
帰りの電車でどのアプリを開くか
晩ごはんは外食にしようか、自炊にしようか
どれも自分で決めたと思います
でもその選択、本当に“自分の意思”でしたか?
いやいや、自分に決まってるじゃん!
「ナッジ理論」というのを知ってから、私はふとした瞬間に
自分自身の決断を疑うようになったんですw
「もしかして私、選ばされてたんじゃない?」って
でも、それが悪いことかというと…そうとも限らないんですよね~
人って、自分で納得しないと動かない
だから「やりたくなる」ようにうまい具合いに仕掛けがある方が自然に動けるんです
今回は「選ばされる自由」というちょっと不思議なテーマを通して、
人の行動をやさしく後押しする仕組みについて、お話してみたいと思います
人はなぜ「やりたくなる」のか?
たとえば、何かを「やらなきゃ」と思っているけど、なかなか実行できていない…
そんな時、ある一言をきっかけに「やってみようかな」と思えたことってありませんか?
私はよくありますw
数分前までは面倒くさくて仕方なかったのに、ある情報や言葉を目にした瞬間、急にやる気になる!
これは、行動の裏側にある“感情”そのものが動いたから
ナッジ理論では、この“行動のスイッチ”を強制せず、そっと押す設計をテーマにしています
「やりたい」と思ったときには、もう仕掛けられていたのかも…
でも、それって「自分で決めた感覚」を残しながら動けるということなんですよね、きっと
誰かに命令されるより、心地イイし、後悔もしにくい
こんな感じで始めた行動って案外続くんですよね~
階段を登りたくなる“あの仕掛け”の正体
「健康のために階段を使いましょう」
駅やビルでよく見かけるポスターですが、
正直、なかなか心は動かないですよね💦
疲れてるし、ノールックでエスカレーターに乗ってるw
でも、こんな表示がある階段があったら、ちょっと気になります
「この階段をのぼると、おにぎり1個分のカロリー消費」
え? それって、ちょっとやってみたくなりませんか?
「何キロカロリー」より「おにぎり1個分」の方が、具体的でわかりやすいし、
「自分の生活に直結する小さなゴール」を感じるんですよね
これがまさに、ナッジ!
誰にも「階段を使え」なんて強制されてない
でも「自分でのぼってみようかな」と思ってしまう(単純な性格w)
もうひとつ、こんな事例もあります
階段をのぼると、ピアノの鍵盤のように音が鳴る仕掛け
子供も大人も、思わず階段を使いたくなっちゃいます
「なんか楽しそう、ちょっとやってみたいな」って気持ちが、行動を引き出す
これも、強制じゃなく、「やりたくなる仕掛け」で人の行動を変える例なんですよね。
「選ばされる自由」とは何か?
「選ばされる自由」──なんだか矛盾しているようにも聞こえます
でも、さっきの階段の例を思い出すと
階段を使うか、エスカレーターに乗るか。選択肢はちゃんとあったはず
誰かに命令されたわけじゃないのに、
なぜか「階段のぼろうかな」と思えたのは、
その気持ちを後押しする“ちょっとした仕掛け”があったからなんですよね
つまり、「自分で選んだ」と思ってるけど、
実は“選びたくなるように”設計された環境に影響されている。
「私が決めたつもりだったけど、うまく誘導されてたかも…?」
そう気づくとちょっとドキッとしますが、
ナッジの面白いところは、そこに不快感がないこと
むしろ、「自分で選べた」という納得感があるんですよねw
選択する自由は確かにある、けど
「つい選びたくなるように」そっと背中を「ポンっ」軽く押してあげる
この絶妙なバランスが、「選ばされる自由」なんだなー、と思います
次回の【後編】では、
このナッジの考え方がマーケティングや人との関係性にどう活かせるのか、
「やさしく人を動かす」設計についてお話していきます。
お楽しみに!
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