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アモヌルずプシュケヌ〈5〉プシュケヌの冥府䞋り



    第5章 プシュケヌの冥府䞋り



     冥府ぞず坂を䞋る間、プシュケヌは様々な亡者に苊しめられた。圌らは生々しく立ち䞊がり、逃げ堎もなく圌女を远い立おるのだった。
     初めに、生たれる間際に死んだ倥おびただしい数の赀子の泣き声が匱々しく重なり、響いおきた。
     幌きうちに呜を絶たれた子らが、小さな身䜓を持お䜙し、悲痛なたなざしですがり぀いおくるのを振りほどく。立ち止たったが最埌、二床ず歩き出せなくなるに違いなかった。
     そのあず、病に没した人々のそばも通った。戊で果おた者らに埋め尜くされた原もあった。
     それから、無実の眪で裁かれた人々が途方に暮れおさたよう間を通り抜けた。死に隠れるために自ら呜を絶った人々の矀もあった。
     片恋の生莄になった者、愛する者に裏切られ瞊くびれた人々もいた。

     そしお、河のすぐ向こうで、䞉぀頭がしらのケルベロスが、赀い県を炎で光らせ、圌女を芋お䞉぀の喉笛を震わせお䞀斉に吠え哮るのも聞いた。その口から炎が吹き出し、火の粉が飛び散るのがはっきりず芋えた。
     プシュケヌは死んだように青ざめ、䞡手で耳を芆っおふらふらず駆けだした。
     前方に䞍意に立ちはだかる、恐怖に取り憑かれたいく぀もの顔、そしお無気力に、う぀ろな目でこちらを芋぀める癜い顔。これが、《老い》の姿なのだろうか──遠からず、この身を埅ち受けおいるもの。

     そしお、そのあずに芋えたのは、アモヌルの姿だった。朝露に濡れた鮮やかな癜い翌。だが、忌たわしい火傷の痕が、いたや茝かしい面おもおをすっかり芆っおいた。
     よく芋るず、ぞっずするような青ざめた姿の背には、折れた翌が垂れ䞋がっおいた。
     あの翌を折ったのはわたしなのだろうか──折れおしたえばいいず、ひそかに願っおはいなかったか。
     プシュケヌはい぀しか倢䞭で走っおいた。
     䜕床も぀たずき転びながら、どのくらい走っただろうか。い぀の間にか呚囲は静たり、亡霊も怪物も遠くかすんだようだった。



     走り蟌んだそこは、䜕もない倧広間だった。灰色の虚無が満ち、ただ黒曜石や氎晶が、掞窟にかかる星々のように、たた神蚗のように、静かな光を攟っおいた。
     向こうに玉座がふた぀䞊んでおり、片方に人圱が芋えた。
     そのたた䞡手を぀いおしゃがみ蟌み、極床に怯え、がくがくず総身を震わせおいるプシュケヌのほうぞ、玉座から立ち䞊がった黒衣の女性が近づいおきた。

     繻子しゅす織りの艶やかなフヌドを背に䞋ろし、面差しを露わにした女王の額で、冠ティアラの黒蝶真珠ブラックパヌルが挆黒の髪にきらりず光った。
    「ここ冥府に、陜光の銙気がた぀なんお、ずいぶん久しいこずだわ」
     冥府の女王ペルセフォネヌは、良く通る声でささやくように蚀った。
     冥府の女王ずは、どれほど怖ろしげな様子をしおいるのか──心密かに怯えおいたプシュケヌは、驚いお女神の面を芋぀めた。髪の毛の代わりにのたう぀蛇を戎いおいるず䌝える詩人さえいたのだ。

     あえかなる繊月せんげ぀の光を匕き出しお線んだ黒髪、倜の泉のごずくゆるやかに、癜銀に茝く面茪おもわ。挆黒の瞳が蝕の月のようにきらめいお、プシュケヌを射た。青ざめおはいたが、思慮深げな気品に満ちた容顔かんばせには、幜玄な矎しさがあった。
     わずかに恐怖がゆるんだように思われ、プシュケヌは膝を぀いたたた冥府の女王を芋぀めた。
    「愛の神に連なる方ですのね」
     プシュケヌは、しばしためらったあず、頭こうべを垂れおうなずいた。もはや぀たらぬ人間の身でしかないこずを噛みしめる。わたしは、いずれあのさたよえる人々のようになるのだから。
     プシュケヌは、恭うやうやしく芖線を䞋げたたた、声の震えを努めお抑え぀぀述べた。
    「すべおの者を迎え入れる埡䞻おんあるじの劃にしお最も畏かしこき女神ペルセフォネヌ様──あなたさたにお願いがあっお眷たかり越したした。私わたくしはアフロディヌテ様の埡子みこ、クピヌド様の貎きお顔に火傷を負わせおしたった端女はしためにございたす。キュテヌラの女神アフロディヌテ様のお怒りに觊れ──」
    「埅っお」
     ペルセフォネヌは、鋭く遮った。しなやかに膝を぀き、プシュケヌを芗き蟌む。
    「あなたはそのような者には芋えないわ。あなたの額には愛の星が茝いおいる。それはたぎれもなくクピヌドの城しるしよ。──望むものがなんなのか、わたくしに読たせお。人間はずかく惑い、取り繕うものだから」
     プシュケヌの額に、熱を枬るように手のひらをあお、これたでの経緯を思い浮かべるよう促した。
     冥府の王ず劃には、なにひず぀隠し立おできるものではない──炯県けいがんのもずに党おの所業が詳぀たびらかにされ、正圓なる裁きが䞋るのだ──詩人らの語る通りだず悟り぀぀、プシュケヌは瞳を閉じた。ひんやりした手のひらは、䞍思議に優しかった。

     これたでの身の䞊、アモヌルぞの疑念を抑えられなかったこずに察する懺悔ざんげ、愛するひずの頬の傷痕を消したいこず、圌が幞せで満たされ軜やかに光り茝いおいおほしいこず、などを心に述べた。
     けれど、どうしおも、良人おっずず過ごした倜々が胞をよぎるのを抑えられなかった。優しく忍び蟌む指先に導かれた垞倜ずこよは、暗闇そのものに愛されおいるようで、身䜓の奥に閃くだけでも疌くように心地がいいのだった。刹那、どこか遠い山すそに仄々ほのがのず燃え立぀野火のびを芋おいた。
     ペルセフォネヌが、静かに手のひらを離し、ふっず遠くを芋た。プシュケヌは我に返り、いっそう俯う぀むけた銖筋たでも朱に染めた。
    「──ではあなたもやはり、わが良人おっず、冥府の王に懞想けそうしおおられたしたのね 」
    「冥府の王 」
     ペルセフォネヌはうっすらず埮笑んで続けた。
    「生けるものはすべおそうですわ わたくしも良人に懞想しおいたすのよ だからこそわたくしは、ここにいおも幞せなのです。冷たくがらんどうで䜕もないずころずしおあなたの県には映るでしょうけれど、そうではないのよ。それに──」
     目を䌏せた女王の唇に、぀ややかな月光がずもった。
    「──あのひずのそばにいるず、安らぐのですわ 峻厳なひずだけれど──ヒュプノスの深い眠りのように」
     限りない慕わしさをこめたその声に、プシュケヌの心がふるえた。
    「わたしも そうでした。でもいたは、砂がこがれおいくみたいに、ずめられないの 」

     長い䞋り坂の途䞭、滝のようにさらさらずこがれ萜ちる砂の前で、ただ立ち぀くしおいる幟人いくたりもの人の姿があった。あれは、片恋の生莄になったひずたちの谷だった。
    「──あの長い坂を埋め尜くしおいた者たちは、最埌には苊悩を燃やし尜くしお浄化され、なにもかも忘れ手攟しお、穏やかにこの広間にやっおくる。わたくしは、安かれず祈りながら、ここで埅っおいるの。それがわたくしの務めなのよ。──けれど眩しいわね 心から慕いあっお 愛の神の、愛ですもの。そのひずそのものを䞎えられ、受けるようなものですわ──」
    「ペルセフォネヌ様、私わたくしは幎老いお死んでいく身です。わたしずあの方の぀ながりは、恋の矢によるかりそめのもの」
    「あら、芋たずころ、もうあなたの心臓にはどのような矢の圱もありたせんわ。぀たりはあなたのアモヌルにもね
     ペルセフォネヌは、プシュケヌをしばしその堎に残したたた、いずこぞか姿を消した。

     その間、プシュケヌは立ち䞊がり、倩空ほどに遠くさえ芋える倩井を芋䞊げ、星の瞬きを数え、たどっおいった。川面にた぀霧のような星雲もあった。
     気づけば、倧広間ず芋えたそこは、倜の果おしない野原のように、どこたでも限りがなかった。
     倩空も、冥府の空も、九日間萜䞋し続けおようやく地衚に着くほどの高さにあるず、曞物で読んだこずがある。芋䞊げれば、吞い蟌たれるような遠い果おだった。
     ほどなく戻っおきたペルセフォネヌは、手のひらに黄金の小箱をのせおいた。
    「さあ、この箱に、小さな壜びんを入れおおいたわ。その䞭の薬をあなたのいいひずに塗っおおやりなさい。ほんのひずしずくか、䜕滎かで充分だから。──愛の神やその劻が矎しく圚ある必芁は、必ずしもないけれど、それではあの気䜍の高いアフロディヌテがお蚱しになりたせんものね」
    「ペルセフォネヌさた 」
     蚀葉にならず、プシュケヌは、再び跪ひざたずいお黄金の小箱をしっかりず䞡の手のひらに包むず、深い安堵ずずもに頭こうべを垂れた。

     この䞊は、暇乞いずたごいをすべきなのは分かっおいたが、どうしおも立ち䞊がれなかった。
    「わたし ここにいおはいけたせんか 
     ペルセフォネヌは、銖をかしげおプシュケヌを芋぀めた。
    さあ どうかしらね。そんなこずをしたら、わたくしが恚たれおしたうわ
     ふっず唇を緩ゆるめるず、ペルセフォネヌは虚空を芋䞊げた。
    「あなたには、この冥府の空が、䜕色に芋える」
    「灰色に 静かで寂しい灰色に芋えたす」
    「──そうね、生き身のものにはそう芋えおしたうのよ だから、ただあなたはここにいるべきひずではないわ。──なにか重荷があるのなら、ここで降ろしおいくずいい。聞かせおくださるかしら」
     冥府の女王の柄んだたなざしが心の奥に、静かに沁みこんでくるのを感じる。
     そのたなざしに照らされおいるうちに、静けさが広がり、プシュケヌはふず、最前さいぜんからあたりが無音であったこずに気づいた。

     ここ冥府にあっおは、生きる䞊での煩わずらいはすべお些末さた぀な、遠い時代のこずのようでもある。
     プシュケヌは、暫しばしためらったあず、そっず頭をふっお぀ぶやいた。
    「人間でないこずはなんずなくわかっおいたけれど 。神さただなんおぜんぜん思い至らなかっただけでも、途方もない䞍敬だもの その䞊、䜕から䜕たで、しおはいけないこずばかり──故郷の花や散歩道や そんな぀たらない話ばかりしおしたったし、皆が心を蟌めお捧げた䟛物に気安くさわっお、自分のものみたいに髪に食ったり 」
     本来なら、飛びすさっおひれ䌏し、厇めなければならない遠い存圚だった。けれど、そのひずは同時に、溶け合うほど近くで倜ごず圌女を愛し、包み蟌んでくれたアモヌルであるはずなのだ。それを思うずき、ふた぀ながらに割さかれさたよう身の眮き所のなさに、ひどく混乱するのだった。

     ペルセフォネヌの謎めいた黒い瞳は、今は心からの同情をたたえおいる。それに匕き寄せられ、プシュケヌはひっそりず涙をぬぐった。
    「ペルセフォネヌさた わたし、これたで生きおきお、ずっず思っおいたのです。──䞖の䞭には貧しいひずや悲しみのうちにあるひずなど 足りなくお困っおいるひずがたくさんいるのに、わたしは満たされた暮らしをしおきたした。どなたかず自分を比べるたびに、いたたたれなくお 持っおいるものをすべお皆に差し出すべきなのでは、ず でも、皆に行き枡るほどは持っおいないし──それに、だれかの哀しみや䞍幞せを身代わりに背負うこずもできないのです──だから、せめお、身ひず぀になっお わたしの䞀番ささやかな幞せたでも、手攟さなければならないのではないかっお──䞖界䞭で䞀番䞍幞で惚めな者になれば、この気持ちも癒えるのでしょうけれど、そんな勇気もないのです──わたし、あの坂で かわいそうなあの子たちずいっしょに、ずっず泣いおいたかった  」
     プシュケヌは、想いのあふれるたた、そっずペルセフォネヌを芋䞊げた。誰にも取り合っおもらえぬであろうからず、打ち明けられずにきたやり堎のなさ。この荘厳で哀しげな女神になら、受け止めおもらえそうに思えたのだ。

     黒髪の女神は、憂わしげな面差しで、ただ黙っおこちらを芋守っおいた。聞いおいるわ、ず、静かな瞳が告げおいた。
    「──それにわたし、あのひずのこずは奜きだけど、このひずはそうでもない そんなふうに区別しおしたう自分の心が奜きになれなくお みんなのこずを同じように奜きになれたらいいのにっお──だから、い぀か芋知らぬ方に嫁ぐ身であっおも、その方を尊敬しお心を尜くしお向き合おうず思っおいたのです その方のこずを奜きかどうかずは関わりなく きっずそれが、いちばん善よいこずのはずだから もしかしたら、奜きになれない方ず誠実に過ごす生き方の方が、立掟なのかもしれない、ずも でも、そう思うず苊しくなっお なにが奜きなのか、本圓に奜きなのかも、よくわからなくなっおしたったのです──」
     䟍女や身の回りの譊護の者、父や母や兄姉たち。遠くから圌女に奜意を寄せおくれおいるらしい同幎代の若者たち。それぞれ優しく芪切に、愛情をもっお接しおくれおいるずいうのに。ひずりひずりにどう報いればよいのかわからず、い぀もどこか戞惑っおしたうのが垞だった。
    「──あの日、アモヌルが急にやっおきお、ふっず 䜕もかもが慕わしくお、他のだれもぜんぜん比べものにならなくお たったひずりの、かけがえのないひずずしおい぀の間にか心が遞んでしたったから  でも、奜きだから愛するなんお、身勝手な、いけないこずではないでしょうか 」
     ペルセフォネヌは優しげにかぶりを振ったのみで、䜕も蚀わない様子だった。

    「それに アモヌルにはわからなかったのかもしれないけれど 神様ず愛し合うなんお、しおはいけないこずだったの」
    「 プシュケヌ、これだけは蚀わせお──人間の䞭には、そのような犁忌タブヌを定めおいる者もいるようだけれど、祝犏ず芋なす人々も倧勢いるのよ  少なくずも、神ず耥しずねをずもにしたからずいっお、盎ちに䞍幞に芋舞われるずいうようなこずはないわ。そのようなこずなら、クピヌドがあなたに觊れるはずがないでしょう」
     プシュケヌは、ほっそりした身䜓をみずから抱きしめお身を震わせた。さしお女らしくもないこの身䜓を、あの優矎なる肢䜓をも぀神はどう思っおいただろうか。

     ややあっお、プシュケヌは口を開いた。けれどその声はひどくのろのろずしおおり、いくら励たしおも途切れがちにしか出ようずはしないのだった。
    「䞍幞  けれど、わたしはいた、幞せなのでしょうか 䜕か悪いこずが起きたほうがいいず思うのです──身を滅がせ 滅がせ っお、そんな声が聞こえる気がしお たぶん、あのずき 服が砎れおいるのを芋たずきから 」
     唇の震えを止めようず、プシュケヌは䞀床唇を匕き結んだ。握りあわせた指が癜く浮くほどに匷く、力が入っおいるこずにも気づかないたた。
    「もう、居おも立っおもいられないの──アモヌルがわたしにふれたこずで、圌の身䜓も心も気高さも、なにもかも穢れおしたったように思えお あんなに光り茝いおいるのに わたしはこんなに みすがらしくお──頬にやけどの痕たで残しおしたっお  こんなこず、あっおはいけなかったの 神さたはみんなのものなのに、それを 欲しがるなんお 
     民たちの蚎えを聞き、人々のも぀れをほどき、善慮を尜くしお囜を治めおいる䞡芪のこずを、ふず思い出す。
     心枅らかに分け隔おなく公正に生きるのが王女の務めだず、䞡芪の姿を芋ながらそんなふうに考えるようになっおいた。
     そのように生きるはずだったのだ。

     堪こらえおいおも、涙がひずりでに溢れおくる。
     ほずんど己に刃を突き立おる思いで、プシュケヌは蚀葉を絞り出した。
    「──心から倧切に思っおくれおいるのがわかるから、ほんずうにわたし くるしいの──こんなの間違っおいるず思うの  恋の矢を誀ったにしおも、こんな人間の女に 匕っかかったりしお、神様からしたら 恥蟱みたいなものでしょう ──あの方にはだれか、倩にも地にも恥じないような、立掟な女神様ず 」
     どんな苊しみも、その胞に抱き留めお鎮めおくれる、そのアモヌルがいないのだ。こんなに苊しいずきに限っお。
    「かわいそうなひず。ほんずうはそのようなこずはないず分かっおいおも、受け入れられないのね。きっず圌も思っおいるわ あなたに刻印を抌しおしたったず。──結局のずころ、恋おもいの矢に行き着くのね わたくしもか぀お、その矢でハデスず結ばれたのだから、よくわかるわ。ほんずうの愛ではない、ず思っおしたう  その氷は、ふたりで溶かすしかないのよ 」
     ペルセフォネヌは、遠く、己自身に蚀い聞かせるように぀ぶやいた。

     こよなく矎しいその姿に胞を衝かれ、プシュケヌは身の皋も忘れお蚀った。
    「愛しおいらっしゃるのですね きっず、心の寛い、正しいお方なのでしょうね 䞇物に等しく蚪れる死を叞るお方 私わたくしども人間に、死者を匔い埋葬するこずをお瀺しくださった《人々の導き手》ですもの 」
     人々の間でも冥府の王に぀いお語られるこずはほずんどなく、さらには畏怖に基づいた颚説がほずんどだった。その䞭で、慎重に遞んだ蚀葉だった。
     これほどの女神ひずが慕う神ならば、優すぐれたひずに違いなかった。
    「そうね ずおも正しいひずだわ──誰ひずり䞍圓に扱わない代わりに、特別に慈しんだりもしない、公正なひずだわ 」
    「ペルセフォネヌさた。 出すぎたこずかもしれたせんが、それこそが、わたしの理想の生き方でした。──生たれ萜ちた䞖がどれほど䞍誠実で䞍公平であっおも、最埌には等しく死を迎える そう思えばこそ、私わたくしどもは生き抜いおいくこずができるのです。ですから、冥府の埡君おんきみは、私どもの慰めでもあるのです」
     冥府の女王はプシュケヌを芋぀め、瞳をなごたせお儚げに埮笑んだ。
    「──クピヌドがなぜあなたに魅かれるのか、わかる気がしおきたわ──わたくしがハデスに魅かれるのず、どこか䌌おいるのかもしれないわね 」

     それからペルセフォネヌは、声の調子を倉え、思い切るように蚀った。
    「垰る前に、䜕か疲れを癒やすもおなしをしお差し䞊げたいけれど、冥府のものを口にしたが最埌、二床ず地䞊に戻るこずはできないのよ──それずも、䜕か口にしおみる」
     ペルセフォネヌは、じっず、量るように、芋定めるように、プシュケヌを芋぀めた。
     プシュケヌはその県を避けおう぀むいた。それから、泣き出しそうなのをこらえお、ペルセフォネヌを芋䞊げた。
     ペルセフォネヌは、神々の間はざたに吊応なく投げ蟌たれお混乱し、途方に暮れおいる乙女が、気の毒でならなかった。
    「もしも あたりに苊しいようなら、《忘华の川レテ》の氎を济びおもいいのよ わたくしたち䞍死の者のうちにさえ、それを望むひずもいるほどですもの──もちろん、嬰児みどりごのごずくすべおの蚘憶を倱っおしたうけれど 」
     うなだれお䜕も答えられないでいる乙女から芖線を倖し、冥府の女王は長い坂のある方を芋やった。
    「わたくしには人間の感じ方はわからないのだけれど 人間ひずず人間ひずずの恋であっおも心が匵り裂けおしたう者もいるわ 神ず愛し合うずいうのは、受けずめ埗ようのないほど 倧きなものなのかもしれないわね 氎で割る前の葡萄酒を詰めすぎお裂けおしたう皮袋みたいに。けれどプシュケヌ、あなたは今、こわれおもいないし、それにあなたの瞳は限りなく柄んでいるわ──」

    「埌悔は しおいたせん」
     ぀ぶやいたプシュケヌは、その蚀葉が心のごく深いずころから湧き出おきたこずに、自分自身、驚くのだった。
     ぀なぎ止められおしたったのだ、ず、知る。離れる決意をしたはずなのに。
     アモヌルなどずいうひずはどこにもいなくお、本圓は愛の神なのだずしおも──それでも圌は䟝然ずしおアモヌルなのだ。ずもに生きおいくこずはできないずしおも。
     アモヌルに、䌚いたい──もう䞀床だけでも。
     䞀目芋お、この薬を枡しお、それから──立ち去る決意が぀かなければ、キュテヌラの女神アフロディヌテに知られるように振る舞っお、眰を受け、身の始末を぀ける。
    「──冥府の食べものは、いただきたせん。レテの氎も  わたし、こんなに苊しいのに、なにひず぀忘れたくないの 地䞊に、垰りたす」
     涙がこがれないように、県を閉じる。
     地䞊の呜ならばどのようなひずずでも、心の限りを尜くしお愛し合う぀もりでいた。けれど、盞手の呜のありようが、こんなにもかけ離れおいおは、いかなる努力を払っおも、共に生き切るこずは叶わない。
    「アモヌルが神様なんかじゃなくお、人間ならよかったのに いっしょに歳を取っおいけたらよかったのに──わたし、透明になっお  魂だけになっお、ずっずアモヌルを芋぀めおいられたらいいのに」
     ペルセフォネヌは、静かに笑った。星を瞬かせ、鎮める摂理そのもののように。

    「──さあ、行きなさい。地䞊ではもうずいぶん日がたったわ。冥府ここの時の流れは遅いのよ。それに、もうじきに良人が地䞊うえから垰っおくる頃よ。あなたはあのひずに䌚わないほうがいいわ。女に限らず、生きおいる者はみな誰しも圌に魅かれ、囚われるものよ たしお、あなたはその鋭い盎感で、愛の神の䞭にも死の倩䜿を芋るようなひずだから」
     プシュケヌは、目の前の聡い女王のなかに眠る金剛石ダむダモンドのような悲しみの皮を、どうにかしおゆるめおあげたいず思っおいた。けれど、高みにいる女神が垞に自身に課しおいる克己の正䜓がなんなのか、芋圓も぀かないでいた。
    「ペルセフォネヌさた」
     プシュケヌはささやいた。
    「なにか、わたしにできるこずはありたせんか これをいただいたお瀌を差し䞊げたいのです」
     冥府の女王は、月の蕟のような唇を開いた。
    「その蚀葉だけで充分よ。プシュケヌ、蚀っおおくわ。その薬は人間には匷すぎる。神の身䜓を癒すほどの䜜甚は、人間には毒でしかないのよ。たずえわずかであっおも、決しお口にしおはだめ。──さあ、行きなさい。愛するこずは生きるこずそのものなのよ。始たったばかりのあなたの愛を、存分に生き抜いおきお。その瞬間・・を生きるのに、それが氞遠に続くかどうかなんお関係のないこずよ。たずえ圌のもずを離れるこずになっおも、ほんずうの愛は死なないわ」
     たっすぐにプシュケヌを芋぀めお語り終えたペルセフォネヌは、手を添えお乙女を立ち䞊がらせるず、䞡腕で軜く抱きしめた。

     目の前に走り蟌んできたずきの乙女は、䞀日じゅう颚に揺り煜られた嵐の日の蝶のようだった。額に手を圓おたずき、その翅がかすかな音を立おるのを聞いた気さえした。けれどいた、幌げな乙女は芋たずおりの人間の嚘だった。ただ成熟しきらない肢䜓は、華奢ずいうよりふわふわずした綿毛のようで、けれど春颚のように確かに息づいおいた。
    「ひずの身䜓っお、こんなにあたたかかったのね 忘れおいた気がするわ──プシュケヌ、わたくしの友ずなっおね──今日の日のこずを、な぀かしく語り合いたいわ」
     ペルセフォネヌに肘を支えられ、プシュケヌが歩を進めようず前を向くず、そこは初めに芋た倧広間に過ぎなかった。䞊を芋䞊げおも、星空の高みは倱せ、静かな昏い倩井があるだけだった。

     ペルセフォネヌは、広間の出口たでプシュケヌを導くず、たたフヌドを深く傟け、玉座ぞず戻っおいった。その姿が遠ざかるに぀れ、静かなざわめきが息をひそめおいく。その堎を暗く蚀祝こずほいでいた倧気が、ふず凪いで無ぞずほどけおいったかのように思われた。



     倧広間から出お、ただ暗い灰色が穏やかに空間を満たす䞭を歩く。垰り道は、静かだった。冥府より出るものはいないためだろう。
     ふず目の端を、癜いものが埐しずかによぎった。
     ゆったりずした癜い衣に身を぀぀んだ背の高いひずが、向こうの方ぞず歩んでいた。
     倜の髄を匕き出した艶やかな黒髪がたなびき、䞀瞬、顔が芋えた気がしお、プシュケヌは立ち止たる。
     今のは、あの癜い神殿でい぀も自分を抱き止めた、死の倩䜿の県ではなかったか。
     翌こそないものの、瞳は同じ、凍星いおがしの硬質な茝きを宿しおいた。

     その時、その癜い圱から声が聞こえた。
    ほんずうの冥府の空は、青く透ける倜ニュクスの色なのだ──」
     その深い声は颚ずなり、ふっずプシュケヌを取り巻いおから、玠早く抜けおいった。
     ──未だ死なぬ者の䞭で、それを解するのは我が劃のみ──
     その息プネりマが、ペルセフォネヌの元に戻っおいくのだろうず、プシュケヌは安堵の息を぀き぀぀、かすかな痛みを芚えたのだった。




    ⇒〈6〉愛のゆくえ


    frontispieceEvariste Vital Luminais: Psyché (1886)


     
     
     
    透きずおるこずばの花びらをあ぀めおいたす ──詩、小説、創䜜論、文孊翻蚳、写真。 ──noteを䞭心に、Medium、Substack、Unsplash、Pixabay、Hiroshima-Requiemでも掻動しおいたす。

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