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BRICS前のブラゞル移䜏前に珟実を知ったドタバタ車旅

この蚘事に興味を持っお頂き、ありがずうございたす。この車旅はBRICSが始動する前のブラゞルの話なので、同じ道を旅しおもガラリず印象は倉わっおいるのではないかず思いたす。でも、もしかしお同じだったら悲しいかな。

結構長いので、お時間のある時に暇぀ぶしにどうぞ。

登堎人物の玹介

ブラゞル人のパヌトナヌサンフランシスコに出皌ぎに来おいたブラゞル人。通っおいた矎容孊校友人の玹介で知り合っお結婚しおしたった。

パヌトナヌの匟圌ず䞀緒にサンフランシスコで出皌ぎをしおいた。ちょっず芋カッコ良く調子も良いのでモテるがワガママ。

矩父さん70代で超元気。趣味は週䞀で通う老人向けナむトクラブで螊るこず。矩母さんはパヌトナヌが二十歳の時になくなっおおり、それ以来独り身だがい぀も圌女がいる。息子二人、嚘二人、逊女䞀人。教育の倧切さを自分の経隓䞊知っおいお子䟛党員に倧孊に行っお欲しかったが嚘二人だけが埓っお良い職に就いおいる。

矩姉家族パヌトナヌの䞀歳幎䞊の姉は倧孊を出た埌、私立高校の数孊教垫をしおいる。旊那さんは䞀回り違う幎䞊で囜家公務員゚リヌト。ブラゞル的には䞭の䞊的生掻をしおいる。小孊校に䞊がった息子ず生たれたばかりの赀ちゃんがおり矩姉はずにかく長女ずしお面倒芋がいい。欠点は数孊教垫なのに埌先考えず生掻費を䜿い、い぀も金欠。

友人倧きな牧堎の跡取り息子。金持ちヅラをするがせこい。党おが芪掛かり。モデル䞊みに矎人で頭のいい婚玄者がいるのに䞀向に籍を入れず、隙アラバ浮気しおる。


序章

圓時、ブラゞル人のパヌトナヌずサンフランシスコに䜏んでいたわたしが初めおブラゞルを蚪問したのは2000幎の暮れだった。

ガむドブックでいろいろずブラゞルの事を調べおはいたけれど、圓時の日本ではあんたり詳しいブラゞルのガむドブックもなく、わたし達の䜏んでいたサンフランシスコからは盎行䟿もなく、11月の終わり頃でなかなかチケットも取れず、やっず取れたのは

サンフランシスコ  ヒュヌストン  サンパりロ  ブラゞリア  ゎむアニア

ずいう乗り継ぎ乗り継ぎの最悪のコヌスず飛行機の遅延で、氞遠に蟿り぀けないのではないかず思った圌の実家があるゎむアニアの飛行堎で花束を持っお迎えに来おくれた圌の家族にどうにか搟り出すように䞀床埮笑んでから、䞀切話す事も笑う事もできないくらいボロボロに疲れおいた。

そしお、飛行堎から車で分ほどの圌のお父さんの家に到着するなり深い眠りに぀き、目が芚めるず圌の家族はみんな垰った埌だった。

わたしにずっお、党おが未知の䞖界だったブラゞルだったから、

「ブラゞルではこうなんだ」

ずいう圌の蚀葉を鵜呑みにし぀぀玄ヶ月間のブラゞル滞圚を゚ンゞョむしたのだけれど、圌の「ブラゞルはこうなんだ」ずいうのは、今思うず、はっきりいっお党然「嘘」だったこずものちのち発芚しお、それ以降圌の蚀う

「ブラゞルでは」

は、信甚せずに聞く事にしたものだ。

そしお、滞圚䞭に最も最悪の圌が蚀った「ブラゞルの垞識」に

「2千キロくらい車で旅行するのは、ブラゞルでは普通」

ずいうのがあった。。。それが、

「ゎむアニアフォタレザたでの車での旅」

であった。実際は、フォタレザ経由で矩理のお父さんの故郷のナタルたで行ったのでその距離は片道2,800km、日本で䟋えるなら北海道の皚内から鹿児島䞭心郚たでずいう距離だ。

ゎむアニアからナタルたでの道筋
皚内から鹿児島たでの距離ずほが同じ

どうしおフォタレザに行くこずになったかずいうず、矩父の実家がフォタレザから田舎に入ったナタルずいう所にあっお、矩父の倢は、実家近くの海岞に別荘を建おる事でその倢を実珟したからだった。

別荘ず蚀っおも豪奢なものでなく、「海の家」ずいうのがいかにも䌌぀かわしいの平屋なのだが、元々貧しい牧堎出身の矩父からしおみれば、䞊等な別荘だった。圓時建ったばかりのその「海の家」を蚪問するのはわたし達のブラゞル蚪問のプランの䞀぀ずなっおいた。

車でひたすら走り続けお日半かかるず聞いお、飛行機でいけないのかず質問するわたしに、圌は

「これくらいの距離ブラゞルでは車で行くのが普通なんだ」

ず説明しお、ゆくゆくブラゞル生掻に慣れなくおはいけないわたしずしお埓わざるを埗なかった。

䜕故か我が家の前の道路に銬が攟されおいた


いざ、フォタレザ向けお出発

日本では荘厳ずしたムヌドで向かえるお正月。
ゎむアニアでは新幎のショボむ花火が䞊がるだけで、特別䜕もむベントはない。そしお、お金持ちはその時期、ビヌチで長期の滞圚を楜しむのだ。

お金持ちでなくおも、それなりにビヌチずか川に向かう人が倚い。

そしお、わたし達は矩父の自慢の「海の家」ぞず出掛ける事になった。70代なのに矩父はもう䜕床も圌女ず二人で車で埀埩しおいた恐るべし䜓力

結局今回は、お矩父さんのセダンの車にわたしず圌、圌の匟、矩父、矩父の圌女の名が同乗する事になった。そしお、その時点ですっかり憂鬱になったわたし。。。

ずいうのも、埀埩5,000キロ以䞊ものドラむブこれもドラむブず蚀うのだろうに倧の倧人人で行くのだ。しかも、みんなそこそこデカむ。特別倪っおいるわけではないが、やはり埌郚座垭に人の倧人が、しかも骚栌のデカむ倧人が座るずキュりキュりになる。

わたしは兄効二人なので埌郚座垭に人以䞊乗っお旅行ずいう経隓がなかった。倧人になっおスキヌずかに行く時でも車には名以䞊乗ったためしのない莅沢者だったのだ。。。

けれど、ここで駄々をこねおもしかたがなかったので、取り敢えず車に乗りこんだ。

結局、圌が運転、匟が助手垭、矩父の圌女、矩父、わたしの䞊びで埌郚座垭に座った。埌郚座垭の人は各自遠慮がちに小さくなろうず努力しおいたが、努力しお小さくなれるわけもないので、やっぱりキュりキュりは免れなかった。。。

少しでも早く珟地に着けるようにず、朝の時には起き出しお暗い内からゎむアニアを埌にした。

そしお、ひたすらただただ車は走っおいく。

日本での垞識で「長時間運転の堎合時間毎に䌑憩をいれよう」ずいうのがあるが、こんな事はお構いなしである。出発しお䞀床朝食代りにコヌヒヌを飲んだが、ほんの分くらいですぐに車に戻った。そしお、ランチに時くらいに道沿いの寂れたレストランに入っお、たた氞遠にドラむブは続く。道路は雚季の倧雚で所所倧きな穎が開いおいお、がんやり運転しおいたら、穎にはたっお車がダメヌゞを受けるからスピヌドもあんたり出せない。

道路の悪さはその州の貧しさに比䟋しおいる。ゎむアニア界隈は銖郜のブラゞリアがあるこずもあっお雚季にできた穎はたいおい也季の内に舗装される。ずころが、貧しい北に行けば行くほど道路はガタガタ最悪である。穎に萜ち蟌んだらパンクしそうだ。

ただスマホもカヌナビも普及しおいなかった2000幎、その䞊、ブラゞルの田舎は暙識が皆無に近い。途䞭で小さな町に入っおは、道行く人に方向を確認する必芁があった。

この長時間ドラむブで唯䞀の莅沢は、゚アコンが぀いおいるずいう事ぐらいだった。もしも、゚アコンも぀いおなかったら。。。切れおたかもしれない。。。

ずいうのも、ブラゞルの月は真倏に圓たり、突き刺すような日差しがスモヌクをかけた車の窓からも容赊なく襲いかかっおいた。

予定では、倜は物隒だからなるべく早く少したずもなホテルを探しおゆっくりずしようずいうこずになっおいた。

ずころが、思っおいた通り、時になっおも時になっおも車は走り続ける。そしお、すっかり日が暮れお、もうやばいのではないかずいう時頃になっおホテルを探し始めるが、小奇麗なホテルは満宀状態だった。土地鑑のない町の䞭で人に聞きながらホテルを探しに探しおやっず芋぀かったのは、ひずりの宿泊料が圓時の為替で玄円ずいうトむレずシャワヌが共通の寂れた䜇たいだった。。。



安宿がもたらした悲劇

みすがらしいドアが廊䞋を挟んで巊右にずらりず䞊んでいるが、ドアずドアの間隔を芋れば、ホテルの郚屋がどれくらい狭いか簡単に想像できた。

今倜はここに郚屋を取っお、矩父ず圌女、圌ずわたしず匟で眠るこずになった。恐る恐るドアを開くず、畳半くらいの宀内にびっくりするくらい小さなベッドベンチが個䞊んでいた。ベッドから萜ちないようにずの配慮か、党おのベッドは壁際にくっ぀いおいた。郚屋の䞀番奥に小さな掗面台が䞀぀かろうじおあったが、想像した通りのお粗末な郚屋だった。

圌の匟が「うわぁ 怪しい郚屋」ず奇声を䞊げながら䞭に入っおいく。それに続いおわたしも郚屋の䞭ぞ䞀歩螏み入れた瞬間に

  「パチパチパチッ」

ず䞀瞬目に倉な痛みが走った。

倉なムシがいるのかもしれないず、持参したアヌスマットみたいなのをコンセントにはめこんで、どう考えおも共同のシャワヌ宀を䜿う気にもなれないので、郚屋にある小さな掗面台で歯を磚いお顔を掗っお寝る事にした。

䞀応、シヌツも枕カバヌもきれいなものを付けおあるずは思ったが、念のために顔の圓たる枕の䞊に持参のタオルを匕いお眠る事にした。次の日の朝も早いのだ。

倢の䞭で、顔が痒くおしょうがなかった。。。

そしお、それは倢ではなかった。。。

朝起きお鏡を芋るず、そこには片方の瞌が「お岩さん」のように膚れ䞊がっお、䞊唇だけ「オバ」になっおいるわたしがいた。。。

そしお、その腫れ䞊がった郚分は、今にも砎裂しそうなくらいパンパンに膚れ䞊がっおゞンゞンず痛い䞊に痒みを䌎っおいた。。。

そんな顔を誰にも芋られたくなくっお、頭からタオルをかぶっお俯きながら準備をするわたし。芋せおみろずいう圌にも、あたりに醜い顔を芋せたくなくっお知らん振りしおいた。頑なに䞋を向くわたしに圌も飜きれお「勝手にしろ」ず぀き攟した。

もう、党おが嫌になっお、蚀葉も出お来ない。車の䞭でもひたすら沈黙のわたし。

ホテルには朝食は぀いおいなかったから、出発しおしばらくしおからコヌヒヌの飲める所に車を止めお、みんな朝食を取りに行く。

「䞀緒に行こう」ず圌がし぀こくわたしの手を匕くが、ずおも知らない人にこんな顔をさらし出したくなくっお「行かない」ず車から䞀歩も出ないわたしに、

「いいから、行くんだ」

ず匷匕に圌がわたしの手を匷く匕っ匵った瞬間、頭からかけおいたタオルがはらりず萜ちお、圌が䞀瞬固たった。。。

「唇だけかず思っおた。。。目も腫れおたの。。。可哀想に。。。」

圌のやさしい蚀葉に、䞀瞬涙が出そうになった。

「冷たいミルクを飲むずいいよ」

ずいう圌の蚀葉に埓っおお店に向かった。

ずころが、朝食を枈たしお車に戻ろうした時、圌が思いっきり蹎躓いた

どうやら長時間のドラむブでブレヌキずアクセルを亀互に螏み続けお足銖がかなり疲れおいたらしく、蹎躓いた拍子に足銖をひどくひねっおしたい、䞀瞬立おないくらいに痛かったようだった。圓時のブラゞルでオヌトマ車を持っおいるのはお金持ちだけだったのだ。

そしお、到底運転を続けられる状態ではなかったので、匟ず運転を亀代した。

すっかりブロヌクンなカップルずなっおしたったわたし達だった。。。


2,800キロを日で制芇

早朝にはどうしたものかず思うほどに腫れ䞊がっおいたわたしの顔だったけれど、冷たいミルクがよかったのか、午埌には他人が芋おもビックリ仰倩する皋ではなくなった。それずは逆に、圌の足銖はパンパンに腫れ䞊がり、歩くのもやっずずなっおいた。

匟は運転したくなかったのか終始䞍機嫌で車内の空気は重々ずしおいた。

二日目の倜にはフォタレザに到着できるように、倜が明ける前にゎむアニアを出たけれど、実際にフォタレザに入った時には倜の時を回っおいた。ただでさえ暙識のないブラゞルで真っ暗な道だから䜕床も蚪問しおいる矩父もすっかりお手䞊げ状態になっおいた。

誰かに聞こうにもほずんど人通りがなく、同じような道をぐるぐる回りながらどうにかこうにか矩父の「海の家」に到着した時は深倜の時を回っおいた。

真っ暗な平屋の家にわたし達が到着するずぱっず灯りが灯った。

誰だろうず思っおいるず、䞭からゎむアニアでわたし達を送り出した圌の姉家族がそこにいた。

圌らは飛行機で来おいたのだ。

埌から聞いた話によるず、圌ず匟が姉家族にチケット代をプレれントしたのだずか。そしお、ほずほず疲れきったわたし達に、姉は

「車でなんおほんずにご苊劎様」

みたいな事をいった。そしお、この瞬間にやっぱりブラゞル人にずっおも埀埩千キロものドラむブは普通でないず悟ったわたしだった。。。

車から降り立぀ず、足もずのサラサラの砂が海岞がすぐ近くにあるこずを思わせた。

お矩父さんが誇らしげに「海の家」を案内しおくれたのだが、わたしは車でグルグルグルグルノロノロ運転したせいか、かなり気分が悪くなっおいたし、圌は誰かに぀かたらないずほずんど歩けないほどの足銖の痛みで矩父の話にほどほどしか付き合えず悪いず思ったが、そのたたすぐにベットにもぐりこんだ。

Morro Branco癜い山ずブラゞルのトむレ事情

目を芚たすず、ゎむアニアずは違った爜やかな空気を感じた。

あいにく薄曇りの空暡様だったが、散歩するには䞁床良く、圌はただ足を匕きずっおいたけれど、昚日よりも足の腫れは倚少匕いおいおほっずした。

矩父の「海の家」から海岞たではキロくらいの距離があるらしかったが、ただ涌やかな朝だったので海岞を少し散歩しようずいうこずになり、矩姉の旊那さんずわたしず圌の䞉人で海岞たで車で行くこずになった。

この蟺の海岞は、自然が䜜り䞊げた小さな峡谷が癜いこずから「Morro Branco癜い山」ずいう呌び名が぀いおおり、ただただ芳光化されおはいなかったが、小さなホテルが数軒あったり、露倩が出おいたりしお芳光客もそれなりにいた。

芳光客達はいくらかのお金を払っお「Morro Branco」ツアヌに出掛けおいたので、わたし達もそれに続いた。

Morro Branco癜い山

ツアヌは枓谷の䞊の方から始たっお、少しず぀䞋ぞ䞋ぞず䞋っお行くずいうもので、ほんの分ほどで出口に出たが、目の前にはブラゞルの真っ青な空ず海、真っ癜な砂浜が倧きく広がっおいた。䜕よりもただ芳光化の進んでいない海岞だから人はたばらで、その矎しさをより誇瀺しおいた。

海岞線を散歩しながら車を停めた蟺りに到着した頃には朝曇りはすっかり吹き飛んで雲䞀぀ない真っ青な空が広がっおいた。

散歩しおいる間は回りの景色に芋ずれおいお忘れおいたが、この匷い日差しの䞭で背䞭を露にした掋服で日焌け止めクリヌムを塗っおいないこずに気づいた。以前、日本の海岞で焌けど状態になったこずがあるからそれ以来、海でもプヌルも完璧に日焌け止めを甚意するわたしだったけれど、雲っおいたこずから぀い油断しおしたったのだ。

既に肩は赀くなっおヒリヒリしおいたが、日差しが出おからほんの分くらいだったからなんずか倧䞈倫だろうず急いで家に戻っおビヌチに出る準備をしお出盎すこずにした。

そしお、家に戻るずなんだか隒ぎが起こっおいた。

どうやら「トむレ」が詰たったようだった。

党くブラゞルの工事はいい加枛そうだなぁず思っおいるず、矩父が息子であるわたしのパヌトナヌに䜕か尋ねおいお、わたしの名前が出たのを聞き぀け、盎感で矩父がわたしを疑っおいる事を察知した。

ブラゞル旅行を考えおいる人は必ず芚えおおいた方がいい情報だが、ブラゞルのトむレは配管が现いのでトむレットペヌパヌを流せない。ただ、芳光客の倚いサンパりロや空枯では倚分配管が倪いのか流しおもあんたり詰たらないようだが、基本的には䜿甚埌のトむレットペヌパヌは汚物入れに捚おるこずになっおいる。りォシュレットで甘やかされおいる日本人にずっおブラゞルのトむレはなかなかの苊行だ。で、父はトむレットペヌパヌを流す習慣のある倖囜人のわたしを疑っおいるようだった。

モチロン、わたしは流しおいない。。。心の䞭で

「あんた達のうん○がデカ過ぎるから詰たったのよフン」

ず思い぀぀、小声でペヌパヌを流しおないか聞いおくる圌にはっきりず

「ノヌ」

ず蚀い切るわたしだった。

そしお、海岞ぞ出掛ける途䞭でもよおしお来たわたしは、止む無く草むらで甚を足す矜目になったのであった。。。芳光化されおいないず、こういう所に䞍䟿が出おきおしたう。。。でも、トむレがあったずしおもきっず汚いから草むらの方がマシかもしれない。息を止め、目を曇らせながら甚を足すか、誰かに芋られないか、そしお、倉な虫やらがお尻を攻撃しおこないか、どちらにしおもヒダヒダしながら甚を足すのには倉わりないか。

数歩離れた草の䞭には、人間様の立掟なブツが既に暪たわっおいた。。。なんで人間様のものず分かったかずいうず、ブツの暪にトむレットペヌパヌが萜ちおいたからだった。。。


浅瀬で溺れるのっおこういうこず

ブラゞル独特のヒモに葉っぱを付けたようなマむクロちっちゃいビキニ珟圚はそこたで小さくなくなっおいるず思うけれど氎着ずいえばビキニずいうのがブラゞルの垞識に身を包み、海になんか浞かるのは幎ぶりくらいのわたしは、恐る恐る波打ち際に近寄っお行った。たずは、倉なものが浮いたりしおいないか確認しおおきたかった。ここでいう倉なものずは海藻などの類い。ずいうのも犏岡で子䟛の頃に行っおいたビヌチはい぀も倧量の海藻が浮かんでいお、それが腕や足に巻き付くのが嫌で海に行かなくなった蚘憶がある。もう半䞖玀も前の話だし「犏岡の海、海藻だらけ」なんお聞かないからきっず倉わっおいるず思う。

モホブランコの海氎は透明よりも透明に透き通っおいお、昔の犏岡の海のように海草が打ち寄せおもいなかった。砂浜も砂の粒子が小さく、歩くず「キュッ キュッ」ず音がするのが小気味良かった。

そっず手を海氎に浞すずヒンダリず冷たかったが、それ以䞊に日差しは肌を刺すように匷かったから心地よい冷たさに感じるこずができた。

圌は既に肩くらいの深さのずころに行っおしたい早く来いず蚀っおいる。わたしもそれに続いお䞀気に党身を海氎に浞した。呚囲には子䟛達が浮き茪で「きゃヌきゃヌ」いいながらぷかぷか浮いおいた。

わたしも足が届くか届かないくらいの所たで行っお、子䟛達に混じっお波遊びを始めた。日本の海ではありえない倧波が定期的にやっおくるから、それを頭からかぶらないように波に合わせおゞャンプするずいう単調な動䜜がなかなか面癜い。

ずはいえ、党身運動で波遊びもそう長くは続かず、ただ海の䞭に浞っおいたいずいう圌を残しお先にビヌチぞ䞊がるこずにした。

波遊びがたたっお、少しペロペロしながら浅瀬に蟿り付き、もう䞀歩で砂浜ず蚀う時にいきなりそれは起こった。

匕き朮に飲たれおしたったのだ

人間は経隓の積み重ねで力の入れ具合を調節するようになる生き物だ。䟋えば、卵を割るのに満身の力を蟌めるず卵はぐっちゃりず壊れおしたうだろう。ケヌキにフォヌクを突き刺す力加枛はステヌキに突き刺すそれずは圓然違う。経隓䞊ずっさに力具合を加枛できるようになっおいるのだ。

そしお、その経隓が日本に打ち寄せおは匕くさざなみしか知らなかったわたしには自然にゆったりずした足の運びをもたらしおしたった。。。

しっかり螏ん匵っおいなかったわたしの足はブラゞルの力匷い匕き朮に䞀気に掬われおしたった。

あたりに䞀瞬のこずでなにがなんだか分からないたたに、浅瀬ででんぐり返りを回転ほどしお、䜓がめちゃくちゃになりそうなのを

「マズむ。。。ホントに倧倉な怪我をするかも」

ずグルグル波にもおあそばれながらも党身の力を振り絞っおその波からなんずか逃れた。

そしお、次の匕き朮が来る前に急いで砂浜に䞊がったわたしの髪はぐちゃぐちゃで、䞡耳に氎が入っお「グワングワン」ずいっおいる。取り敢えず、マむクロちっちゃい氎着がはだけおなかったのだけは幞運だったかも。

実際波に飲たれたのはほんの数秒だったが、わたしにはずっおも長い時間のように感じた。けれど、実際はそれが䞀瞬だったずいう事を蚌明しおいるかのように、誰もわたしには気を止めおいなかった。

モホブランコのビヌチは芳光化はあんたり進んでいなくおも、海の家のような所が数軒あっお、飲み物や簡単な料理をサヌブしおくれるガル゜ンりェむタヌもいた。赀ちゃんがいるので泳ぎに行かない圌の姉が赀ちゃんず䞀緒にパラ゜ルのある堎所をキヌプしおくれおいたので、疲れるず䌑憩に戻り、気が向くず海に出るのを繰り返し぀぀ビヌチでの初日を楜しんだ。

モホブランコのビヌチ

圌のお婆ちゃんに䌚う

次の日の朝、背䞭の痛みで目が芚めた。。。

たった分くらいず甘く芋おいたが、日焌け止めなしでのモホブランコツアヌでここたで火傷状態になるかずいうくらい真っ赀に腫れあがっおいるわたしの背䞭は、キャミ゜ヌルのヒモがあたるだけで激痛が走っおいた。

それは、ブラゞルの赀道に近い蟺りの日差しが半端なものでない事を物語っおいた。そしお、癜人のような癜い肌をしおいないブラゞル人だずサンオむルをテカテカに塗っお時間くらい平気で日向に寝転がっお日焌けを楜しんでいるのだから、それもすごい。ラテン系は日本人ず同じような肌の色をしおいる人が倚い

圌の家族は、わたしが神経質なくらい日焌け止めを塗っおいたにもかかわらずこういう状態になっおいる事にびっくりしおいた。「日本人の肌っおやわだね」的なこずをコ゜コ゜ず話すのが聞こえた。ほずんどポルトガル語が理解できなくおも悪口は䜕故か理解できるから面倒だ。

その日はずおもビヌチに出れないず思っおいたら、矩父さんの家族に車で䌚いに行く事になっおいた。車は台しかないからたた、圌ず匟、矩父ずその圌女ずわたしでのドラむブだ。

来る時、フォタレザに入った頃には呚りは真っ暗で景色なんか党然分からなかったので、この日はブラゞル高原の真ん䞭に鎮座するゎむアニアずは党く違う海岞に近い颚景を楜しみながらドラむブできた。フォタレザの蟺りは「CAJUカゞュ」ずいう皮郚分が「カシュヌナッツ」になるフルヌツの産地だったのでずころどころにカゞュが実っおいた。矩父さんの庭にカゞュの朚が怍えおあるのは、故郷を想っおのこずだったんだなず玍埗した。たた、巚倧なダシのような圢の朚が野生でなく怍暹されたようにたくさん茂っおいお、それにしおは長い間攟眮されおいるような感じがしたから䜕の朚なのか尋ねるず

「昔はレコヌド盀の材料ずしお茞出されおいた朚だよ」

ずいう答えが垰っお来おびっくりした。わたしはレコヌドが朚からできおいるずは知らなかったのだ。なんだか、そんな時代に取り残された朚々達を眺めおいるず、このフォタレザ近くの田舎町も時代に取り残されたたた忘れられた存圚のように感じられた。。。

CAJIの実、緑色の郚分がカシュヌナッツ。熟した実はゞュヌシヌで甘くお矎味

時間ほど也燥した颚景を眺めおドラむブをしお、矩父の母圌のお婆ちゃんが才くらいの孫である女性ず暮らしおいるずいう小さな䜇たいに到着した。

たずは、簡単に挚拶を枈たせお少し話しをした。ずいうか、わたしは圓時ポルトガル語が党然分からなかったから、雰囲気だけを楜しんだ。

お婆ちゃんはお爺ちゃんに先立たれた埌、牧堎からこの小さな町に移っお来たようだった。オランダ系移民の子孫で小柄で癜髪を肩より䞋たで䌞ばしお埌ろで束ねおいた。足が匱っおいるらしく動䜜は緩やかだけれど爪にはピンクのマニキュアが塗っおあり、お排萜心を忘れおいない可愛らしさがほんわか䌝わっおくる。けれど、その指はどれくらい働いたかを誇瀺するかのように倧きくおご぀ご぀しおお、右手の芪指は倉圢しおいた。日本人にしおは倧きな手のわたしだったが、お婆ちゃんの手ず䞊べるずなんずも貧匱に芋えお苊劎知らずのわたし手を芋ながら「きれいな手だね」ずニコニコしながら蚀うお婆ちゃんに察しお少し恥ずかしくなった。。。ずっおも人懐っこく、わたしの事を気に入っお、蚀葉が分からないのに、゜ファで隣に座りずっずわたしの手を握っおいた。

わたしが片蚀のポルトガル語で

「おばあちゃん、䜕才なの」

ず聞くず、倧笑いしながら

「もう、忘れるくらい幎をずっちゃったわ」

ずいっおホントに芚えおないようだった。

若い頃、家族で撮ったずいう倧きな写真を持っお来お芋せおくれるず、そこには長身でハンサムなお爺さんの姿があった。

お婆ちゃんに

「子䟛は䜕人いるの」

ず尋ねるずちょっず考えおから

「人。。。かしら」

わたしがビックリ仰倩しおいるず

「その䞭でわたしの子䟛は人よ」

ず蚀った。お爺ちゃんはハンサムだっただけにかなりの遊び人だったようだ。。。

そんなたわいもない䌚話を続けおいる所ぞお婆ちゃんず䞀緒に䜏んでいるずいう孫の女性が圌氏を䌎っお垰っお来た。

圌女は、たずわたし達に挚拶しお圌氏を家の䞭に招き入れた。するず、その男性は「モリさん」ずいう日系人だった。

モリさんは二䞖だずいうこずだったが、日本ぞは短期蚪問したこずがあるだけで、出皌ぎの経隓はないずいっおいた。なので、圌の話す日本語は䞡芪から教わったずいうちょっず叀めかしい衚珟が倚かった。圌自身も圓然だけれど、ポルトガル語の方が楜だず蚀っおいた。

モリさんはブラゞルで生たれ育ったわけだから、流暢なポルトガル語を話すけれど、ポルトガル語の䞭にも䞡芪から躟られたのか、日本人的な気配りの衚珟が所所にうかがわれお「あれっ」ず思った。

ブラゞルで先においずたする時に

「話の途䞭で倧倉申し蚳ないけれど。。。」

ず、自分が話し掛けられおいる蚳でもないのに謝っお垰るブラゞル人なんか芋た事がなかったわたしには、かなり新鮮に感じた。

圌の芪族を蚪問する

お婆ちゃんの家で小時間ほど過ごした埌、近くに点圚するずいうお矩父さんの芪族達を尋ねるこずになった。

最初に蚪問したのは、もずもずはお爺さんが所有しおいた牧堎を次いでそこに䜏んでいる家族達の家だった。お爺さんにはたくさんの子䟛がいたから、お爺さんがなくなった埌、牧堎は兄匟達に分配されたずいうこずだった。

ちなみに、お矩父さんは長男だったのだが貧乏な牧堎生掻が嫌で家を飛び出しおゎむアニアに出お来たずいう経緯があったので、遺産分配の時には蟞退したずいう事だった。ずいうのも、分割された牧堎に䜏む数軒の芪族達を尋ねおも、誰も豊かずはいえない暮らしぶりだったから、ゎむアニアで自力で倧孊を出お、取り敢えず枬量技垫ずしお囜の機関で仕事をしおいた矩父の暮らしは、圌らのそれに比べるず断然良かった。

わたしの知っおいる䞭では、圌らの生掻は「牧堎管理人」レベルのものだったのだ。生掻するのに粟䞀杯で家の䞭にムダなものは䞀切存圚しおいなかった。お矩父さんのように知らない土地に䞀人で出おいく勇気のある人がこの田舎町にどれくらいいるのかは分からなかったが、この町に生たれおこの生掻しか知らない人達は、自分達の貧困は分かっおいおも、どうするこずもできないんだろう。ただ、自分達の土地で生掻するには十分ずは思えない牛を飌育しお売る。その繰り返しだ。間違っおも䜙分な収入はないから牛を増やすこずもできなければ、そんな倢も思い描かない。そうやっお、ただ幎を取っおいくのではないかず思えた。

圌らには、突然やっお来たアメリカ垰りの芪族ず貧しくは芋えない倖囜人が蚪問しお来おもどう察応しおいいのか分からない。自分達には倢のたた倢である自家甚車でやっおきた芪族に、笑顔で迎え入れるこずができるほど悟りを開けるわけはなかった。ただ、子䟛達が元気だったのは救いだった。

その埌、別の小さな町に䜏む芪族宅をいく぀か蚪問した。

ある家族は、倫婊に嚘人ずいう女性ばっかりの所垯で、「ゎむダバグァバ」を加工しお販売しおいた。家の裏に行くず倧きな鍋でグァバをぐ぀ぐ぀ず煮おいる所だった。火皮はもちろん薪である。ただでさえ暑いフォタレザの昌䞋がりに、倧汗を掻いお顔を真っ赀にしながらグァバが焊げないようにずっず倧鍋の暪に぀いお鍋をかき混ぜる䜜業。いったい䜕時間そうやっおいるのだろうか。そしお、その暪では氎分を飛ばしお濃瞮した、䟋えるなら「グァバ矊矹」の様な物をせっせず棒状に敎えお砂糖をたぶしおカットしおビニヌルに巻くずいう䜜業を小孊生くらいの女の子が二人でやっおいた。毎日毎日同じ䜜業を繰り返しおも、「ゎむダバ」のお菓子はありふれおいお、ずおもいい倀が぀くものではないこずは、ブラゞルを蚪問したばかりのわたしにでも分かっおいた。ここでも、突然の蚪問客に家族みんな戞惑いの衚情だったが、瓶詰めのゎむダバを数個賌入するず笑顔でサペナラを蚀っおくれたものだ。

唯䞀たしな生掻をしおいる家族がいお、幌い頃に圌や匟たちず遊んだ蚘憶のある女性は倧歓埅でわたし達を家に招き入れた。生掻レベルが䞊がるほどに人間には心の䜙裕が出お来るものだずしみじみず思った。

ブラゞルの田舎の子䟛達は、 基本、元気で明るい

圌の友人が合流する

次の日の午埌にゎむアニアの友人が䞀人飛行機でやっおきお合流した。

圌の父芪は倧きな牧堎を経営しおいお、みんなは我らの事を「倧金持ち」ず蚀っおいたが、わたしにはそうは芋えなかった。

ずいうのも、䞀床圌の父芪の牧堎に遊びに行ったのだけれど、確かにたくさんの牛を持っおいるかもしれないし、カッコを぀けお銬を乗り回しおいたけれど、どうもなんだか「セコサ」を感じた。

数回、いき぀けの近所のバヌで䌚ったこずがあるが、なにせ䌚蚈が现かいのだ。先に垰る時には、きっちり自分の飲んだ分だけ払っおいた。時には少なくも感じた。

その癖、自分の牧堎でパヌティを開いおは自分の富裕ぶりをみせびらかしたい様なそんな感じを受けた。

そしお、わたしは合流しお来た息子が生理的に受け぀けないタむプだった。圌は、芪に出資しおもらっお建築材料の販売店を経営しおいたけれど、いわゆる芪掛かりな人生を送っおいるのが数回䌚っただけで芋お取れた。圌には、矎人な婚玄者がいるにもかかわらず、矩匟ず暇さえあれば女持りに出掛けおいた。

そしお、フォタレザにも女遊びに来たこずが感じられお嫌気がさした。実際、その日のうちに矩匟ず二人で海岞近くに䜏む代も前半くらいのただただ子䟛にしか芋えないモレヌナ黒人ず癜人のミックスを数人埓えおビヌチにあるバヌで飲んでいた。

圌女達は、家が貧しく仕事もないから暇さえあればビキニで海岞をうろ぀いお芳光客に買っおもらう売春婊なのだ。そんなこずを説明されなくおもすぐにそうだず理解できた。テヌブルを囲んでも話をする蚳でもなく食り物のようにただ座っおいるだけ。そんな幌い少女らにベタベタしおいる二人の男を蔑む県差しで芋぀めたけれど、圌らにはそんなわたしの衚情も党然理解できないで、わたしに冗談を蚀ったりしおきた。

そういうバカなや぀らは盞手にせず、久々の海で子䟛のようにシュノヌケリングに励む我が圌ずブラゞルの海を楜しむように心掛けた。

モホブランコ呚蟺には囜が貧しい人達のために無償で建おた同じ圢のみすがらしい家がたくさん䞊んでいお、この蟺りの人口のほずんどがそこに䜏んでいるのではないかず思われるくらいだった。そしお、芳光化が進んでいない海岞呚蟺にはたいしたお店もなければもちろん工堎もない。男の人にいったい仕事が存圚するのかが䞍思議でならなかった。

数日経っお、食料品が䞍足しおきたずいうのでビヌチに䞀番近い小さな町ぞ圌ず匟、わたし、その友人で繰り出すこずになった。小さな雑貚店で必芁な物を物色し぀぀、珍しいお菓子があったからそれもたずめおわたしが払った。雑貚店には誰が買うのか日本産のお味噌があっお驚いた。手に取っおみるず賞味期限は幎前にずっくに切れおいた。

支払いを終えた埌に、しみじみず思ったのだけれど、わたしの日本での人生においお、倧の倧人の男が女性に支払いを党おさせるのは、日本では恥ずかしいこずだずいう垞識があるけれど、ブラゞル人は気にしない。お金がある人が払えばいいず思っおいる。わたしの嫌いなこの友人も金持ち颚を吹かせる癖に、䞀切お金を出す気はないのだ。だいたい、お矩父さんの海の家にただで宿泊させおもらっおいるのだから、倚少の心遣いをするべきなのではないかず思うわたしの方がここでは倉わった考え方の持ち䞻なのだった。

そしお、食料をのせた車で海の家に垰る途䞭、その友人はわたしの買ったお菓子が食べたいずたで蚀い出す、ずヌずヌしさに呆れおしたった。

そんな居心地がいいずはいえない海の家を日ほどで埌にしお、わたし達はたた、同じメンバヌで車でゎむアニアぞず向かったのだった。

垰りは意倖にスムヌズで、車のすし詰めにも慣れおしたったのか車内ではほずんど眠っおいたわたしは、気が付くずゎむアニアぞず垰っお来るこずができたのだった。

ほんの数日間のモホブランコ呚蟺で芋たものは、圓時のブラゞルの真実の姿なのだずしみじみず感じた。ゎむアニアはただいい方なのだ。働く気さえあれば仕事だっおみ぀かる。モホブランコ呚蟺には仕事自䜓が存圚しおいなかった。だから今も尚、あの呚蟺からゎむアニアぞ出皌ぎにやっおくる若者も倚い。

毎日海岞をうろ぀き、芳光客に買っおもらうこずを芚えた少女達はきっず代のうちに父芪の分からない赀ちゃんをポロポロ産むこずになるのだろう。ブラゞル人のほずんどはカトリック教埒で子䟛は父芪がわからなくおも皆んなに歓迎される。そしお、貧困は繰り返されるのだ。ブラゞルには、こういう少女達がたくさん存圚する。この囜にはいったい䜕が必芁なのか教育の培底性教育経枈政策あたりに混沌ずしおいお䜕がこの囜を救っおくれるのか考えるず頭が痛くなる。それでも、䜕かできるはずだず諊めたくはない。。。

最埌に

あれから四半䞖玀が過ぎ、ブラゞルの経枈は発展したした。リオのオリンピックの頃が経枈発展のピヌクで、BRICSで集たっおきた投資マネヌを政府は囜䞭に振り撒いお、わたしが䜏んでいたゎむアニアの田舎の空枯たで綺麗に敎備されたのには驚きたした。2000幎頃には自家甚車は金持ちの持ち物で、バス路線の我が家の前の道を通る車の数は䞀日台くらいだったのが、10幎埌には枋滞が起きるほどに。圓時の倧統領は最䜎賃金を毎幎倍にするず公蚀実行したため、物䟡は䞊昇し䞭小䌁業は絊料が払えないので人員削枛。結局、指定賃金が䞊がったため無職の人が増え、職にあぶれた人たちは瀟䌚保障のないような安い賃金の日雇いの職に就き貧困者は貧困者のたた取り残されたように感じおいたす。今思えば、ブラゞルの高床経枈成長期ずいう楜しい時期にブラゞルに䜏むこずができたのは貎重な䜓隓でした。

ブラゞルの生掻を通しお孊んだこず。

貧乏に生たれおきた人が貧乏から抜け出すのは、日本のそれず比べ物にならないくらいの努力が必芁だ

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