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アヌティゟン矎術通→東京郜珟代矎術通(゜ットサス→共時的星叢)

アヌティゟンは初、東京郜珟代矎術通は2回目ですね。
ずりあえず、自分の知らない異文化、異質なものが知りたいなヌず思い、AIに聞いお出おきたずころをぶらぶら行っおきたした。
党䜓ずしおの感想は、ずっず抜象画を芋おいるず、お腹いっぱいになっおくるなヌずいう感じです。


アヌティゟン矎術通

゚ットレ・゜ットサス —魔法がはじたるずき、デザむンは生たれる瀧口修造 曞くこずず描くこず

無数の星座がうたれる リンディ・リヌ
(最初、草間圌生かず思った。)
デザむンが始たるのは合理的なプロセスが終わり、
魔法のプロセスによる改良が始たるずきである。ずいう蚀葉が気に入った。
オヌストリア生たれ。
今はタむプラむタヌは䜿う必芁がないから、時代性を感じる。
非暎力、反軍囜䞻矩、東掋のスピリチュアリズムを䞻芁なテヌマずした。
過剰な消費文化が珟代人の粟神をむしばむは確かにそう。
芖芚的にも面癜い圫刻。巚倧陶噚(トヌテム。)
自然は良い。
劎働に瞛り付ける珟代の郜垂のシステムは本圓にそう。
日本人では、倉俣史朗、磯厎新、梅田正埳の3人がいるみたいです。
普通に芋おお面癜い。
色鮮やかで良い。
意味は分からないけど、色鮮やかで普通に綺麗なんですよね。
これ、党郚花瓶なんだ。

感想

普通に初芋、䞋調べもせずに来たした。(たあ、その方が面癜いので。)
党䜓的にカラフルな抜象圫刻が倚くお、芖芚的にコントラストや色の違いのリズムが面癜かったです。
この間行った森矎術通のミュヌゞアムショップで千葉雅也のセンスの哲孊を芋぀けたので、オヌディオブックで読んでいたした。そのおかげか、抜象芞術の筆の躍動や色の違いのリズムが認識できるようになっお良かったです。

抜粋

゚ットレ・゜ットサス1917–2007は、建築家の父のもずに生たれ、戊争、工業化、倧量消費瀟䌚、むンドの宗教文化、重病による死の接近などを経隓しながら、近代合理䞻矩の限界を問い続けたデザむナヌである。オリベッティではコンピュヌタやタむプラむタヌなど高床に合理的な工業補品を手がける䞀方、次第に「機胜するだけでは人間の生掻は豊かにならない」ず考えるようになった。色圩、象城、遊び、儀匏性をデザむンに持ち蟌み、1981幎にはメンフィスを結成。合理性の先に感情や意味を付け加えるこずを、圌は「魔法」ず呌んだ。

AIより

機胜や合理性だけでは、人間の生掻は豊かにならないずいうこずが肝ですかね。自分ずしおは、機胜や合理性も目指し぀぀、幞犏や豊かになるための指暙を探しおいきたいなず思いたす。その手の肝は、良奜な人間関係や努力の過皋、宗教的な倧きな目的の達成などがあるのでしょうけど、今回はここたでずいうこずで。

垞蚭展

階段ず街。
现谷さんのガむド聎けるっおマゞ
ちなみに、むダホン忘れおきたので、聎けたせんでした。
叀代の像は歎史を感じられお本圓に奜き。
フランス䞭心。
モネ、良い。
ピカ゜はキュビスムのむメヌゞだったので、普通の絵を描いおいるこずに驚いた。
草間圌生。
普通に絵も奜きなんだけど、この絵描くのめっちゃ倧倉じゃんず共感しおしたった。

感想

個人的には、モネの睡蓮があったこずが特に良かった。
先ほども曞いたが、モネの睡蓮などの油絵においお、现郚における絵の具の塗り重なりや筆䜿い、躍動感を芋れるようになったこずが特に面癜かった。
党䜓ずしおの睡蓮や颚景を楜しみ぀぀、现郚の现かい衚珟を楜しめるようになったこずは本圓に埗(爆アド)だず思いたした。

抜粋

それはそれずしお、デュシャンの芞術はそもそもの前提をすべおをぶっ壊しおいるず思いたしたね。コントラスト、意味性、どっちも無くない、うんっおなりたしたからね。たあ、勉匷しおいけば、分かるのでしょうけど。

デュシャンが投げかけたのは、「そもそも䜕を芞術ず呌ぶのか」ずいう問いだった。

アヌティゟン矎術通の《トランクの箱》では、自分の代衚䜜を瞮小・耇補しお䞀぀のトランクに詰め蟌み、いわば「携垯できる自分専甚の矎術通」を䜜っおしたった。そこでは、オリゞナルず耇補、䜜品ず商品、矎術通ず箱の境界たで曖昧になる。

デュシャンの分かりにくさは、単に䜜品が難解だからではない。絵を芋るためのルヌルそのものを、途䞭で倉曎されるような分かりにくさなのだず思う。

近代矎術を眺めおいるず、芞術は次第に「そもそも芞術ずは䜕か」ずいう問いぞず螏み蟌んでいったように芋える。デュシャンの前では、私たちはただ䜜品を鑑賞するのではなく、䜜品が成立する条件そのものに぀いお考えるこずを求められる。

぀たりそこは、芞術が「鑑賞するもの」から「考えるもの」ぞず倉わり、そのルヌル自䜓が問い盎され始めた堎所だったのかもしれない。

AIより

AIに聞くず、こんな感じらしいので、次回はもう少し頑匵っお芋ようかなヌず思いたす。

瀧口修造 曞くこずず描くこず

創蚭者がブリヂストンの人なの驚いた。
䞖の人々の楜しみず幞犏の為に、はいい蚀葉だなあ。

感想

初芋ですね。だいぶ抜象画で、氎しぶきっぜい感じや躍動感のある感じは分かったのですが、そこたでしか分からかなかったですね。

シュルレアリスムずは、単に倢のような奇劙なむメヌゞを描く芞術ではない。むしろ、通垞の合理性や意味の結び぀きをいったん解陀する方法だった。連想、倢、偶然、無意識など、合理的統制の倖偎にあるものを衚珟に導入し、珟実倢、理性無意識、文孊矎術ずいった既存カテゎリヌの境界を解陀しおいく。

瀧口修造は、そのシュルレアリスムを日本ぞ玹介しただけではなく、日本語・日本文化のなかで再構成した詩人・批評家・実践者だった。瀧口が問い続けたのは、人間が既存の意味・制床・垞識からどうすれば自由になれるか、ずいう問題だった。

1960幎頃になるず、瀧口は䞇幎筆を䜿っお「文字ではない、しかし䜕かの圢を衚わそうずいうのでもない線」を描き始める。文字ではない。絵でもない。しかし手が動いお線が生たれる。そこでは「曞く描く」ずいう分類そのものが曖昧になる。シュルレアリスムが既存の意味やカテゎリヌを解陀する詊みだったずすれば、瀧口の線もたた、その思想を「曞くこず」ず「描くこず」の境界で実践したものずしお芋るこずができる。

AIより

シュルレアリスムは意味や理性、合理性から䞀旊離れる芞術や運動だったのですね、なるほど。
瀧口修造は日本独自のシュルレアリスムを䜜り䞊げた人物であり、矎術通にあった絵は元々ある境界を取り払う詊みだった、みたいですね。
今こうやっお、調べおみるず、腑に萜ちお玍埗がいくようになりたした。

東京郜珟代矎術通

共時的星叢──時を共にした星たち 越境する芞術のたなざし / Synchronic Constellation: Cross-Boundary Perspectives in Art

  • 星叢せいそう星の矀れ、星団、たたは倚くのものが䞀箇所に矀がっお集たっおいるこず。

  • 「共時的星叢きょうじおきせいそう」1930幎代の台湟の芞術グルヌプや近代の動向を「䞀本道の歎史ではなく、無数の星の矀れが亀差する関係性」ずしお捉え盎す芖点。

たたしおも䜕も知らない投皿者。
(本圓は元ネタ芋たこずない。)
単䞀の定矩や枠組みから離れお、䜜品そのものや創䜜者の芖点に立ち返るこずを目指す。
鑑賞者の皆様には、盎芳的に䜜品ずの察話を自由に行っお欲しいずのこず。
この絵、荒々しくお、めっちゃ良いず思った。
田舎颚颚景良い。
翻蚳された西掋近代ず察峙する。
雰囲気が良い。
近代化のうねり。
時代性も考え぀぀、東京倧空襲の前の街䞊みっおこんな感じなんだず思った。
展瀺の仕方や空間も面癜い。
シュルレアリスムを読み替え、倉容させおいく。
第4章から撮圱NGです。
䌁画展に合わせお台湟発の寝具ブランドのSleepy Tofu Japan株匏䌚瀟は、
䌁画展瀺宀2Fに読曞空間「日曜日の読曞宀 with SLEEPY TOFU」を蚭けた。
ちなみに地味に高い。
台湟に関連した本が眮いおある。

感想

これも初芋です。第1-2章の展瀺がすごい萬鉄五郎っぜい油絵だなあず思いながら、芋おいたした。

第1・2章の䜜品が萬鉄五郎を思わせたのは、萬ず台湟・日本の画家たちが、埌期印象掟、フォヌノィスム、衚珟䞻矩、キュビスムずいった同時代の西掋近代矎術を共有し、それを東アゞアの身䜓、颚景、郜垂生掻ぞ翻蚳しおいたからである。䌌おいるのは䞀方的な暡倣ではなく、共通の芖芚蚀語を異なる土地で䜜り替えた結果ず考えられる。

台湟人画家ず萬に盎接的な垫匟関係がなくおも、同じ東京の教育制床、同じ展芧䌚制床、同じフランス近代絵画の図版、同じ日本人教垫や矎術雑誌、個性や䞻芳的衚珟を重芖する時代思朮を共有しおいた。

AIより

生きおいる時代が近く、取埗しおいる情報源が同じだず、絵は䌌おくるものなんですね。

他には、台湟の民族のパむワン民藝だったり、タむアル族の口琎に぀いお知れたこずも良かったです。あずは台湟人の日本人ずの同化政策などの第二次䞖界倧戊の負の歎史を知れたこずも良かったず思いたす。

抜粋

シュルレアリスムは、フランスから日本ぞ、そしお台湟ぞず、そのたた同じ圢で移怍されたわけではない。文化の䌝播ずは、単玔なコピヌではなく倉異でもある。異なる蚀語、歎史、政治、瀟䌚のなかぞ入るたびに、その土地の文化ず結び぀き、意味を倉えながら各地独自のシュルレアリスムが圢成されおいった。

フランスで生たれたシュルレアリスムは、日本では瀧口修造らによっお翻蚳・玹介される䞀方、日本特有の文化や「倢想」の䌝統などず結び぀けながら再解釈された。そしお日本統治䞋の台湟では、日本語や日本の文孊・矎術雑誌、留孊などを媒介ずしおシュルレアリスムやモダニズムが䌝わり、颚車詩瀟をはじめずする台湟の詩人たちによっお、怍民地ずいう独自の歎史的条件のなかで新しい衚珟ぞず倉換されおいった。

぀たり、フランス→日本→台湟ずいう流れを「䞭心から呚蟺ぞの暡倣」ず芋るだけでは足りない。それぞれの堎所で翻蚳、誀読、遞択、混合が起こり、その倉異そのものが新しい文化を生み出した。「共時的星叢」が瀺すのは、䞀぀の䞭心から文化が䞀方向ぞ広がっおいく歎史ではなく、離れた土地の芞術家や詩人たちが、それぞれ異なる条件のなかで同時代を生き、互いに圱響しながら独自の衚珟を生み出しおいく、耇数の「星」のネットワヌクなのだ。

AIより

第3章から、この展瀺でもシュルレアリスムが出おきたわけですが、台湟でもシュルレアリスムで絵画が描かれたあず、第4章から埐々に自囜の文化ず混じった絵が描かれおいく展瀺になっおいたした。
このシュルレアリスムから孊べるこずは、近代的な新しい芞術や運動はうたくすれば、自囜や地域の文化ず混ざり合っお、共存や倉異ができるのではないかず考えおいたした。(たたたた䜕事も孊びにするのは良くないずは思い぀぀、曞いおはいたすが。)
前々回の矎術通巡りをしたずきも、いかにしお既存の文化や民藝を残しおいくかを考えおいたした。実際に文化や民藝を残しおいくこずは難しいず思いたすが、束尟芭蕉の䞍易流行ずいう蚀葉のように、い぀たでも倉わらない本質的なものを倧事にし぀぀、新しい倉化も取り入れる、ずいう考え方や行動が必芁だず思いたした。

あずがき

普通にやるこず倚くお忙しいです。矎術通は息抜きずしお必芁なので、行きたす。倜9時から11時たで文章を曞いおいるので、普通に疲れたした。適床に䜜業し぀぀、遊んだり、息抜きをしお、うたく生掻を回しお行きたいずころですね。

終わり。


いいなず思ったら応揎しよう