50代で気づいた。何者かになることの難しさ
50歳が近づいてきた頃のこと。
僕は、あるコミュニティに参加していて、そこに集まる人たちと交流する機会があった。
そこには実にさまざまな人がいた。
地元でコーヒーショップを経営している人。
イラストレーターとして活躍している人。
小さなサロンを営むスタイリスト。
福祉法人を運営している人。
カフェのオーナー。
足ツボのお店を経営している人。
演劇の演出家。
不動産投資家。
みんなそれぞれに、自分の肩書きを持っていた。
そして何より、自分の人生を生きているように見えた。
一方で僕は、会社員だった。
20数年間、同じ会社で働いてきた。
決して楽な道ではなかったし、自分なりに必死で頑張ってきたつもり。
けれど、その人たちと話しているうちに、色々なことを感じ思う様になった。
このまま定年を迎えたらどうなるのだろう。
会社を辞めたとき、僕には何が残るのだろう。
「会社員」という肩書きを外したら、僕は何者なのだろう。
そんなことを考えるようになった。
そして気づいた。
僕には、自分自身を表すものが何もない気がしたのだ。
だから木工を始めた。
正確に言えば、オルテガアーティストになろうと思った。
木が好きだったこともある。
ものづくりが好きだったこともある。
でも、それ以上に大きかったのは、
『何者かになりたい』
という気持ちだった。
これが自分だと言えるものが欲しかった。
作品を作り、
SNSに投稿し、
イベントに出展し、
少しだけど、たまにオーダーもいただけるようになった。
そんな活動を何年も続けてきた。
けれど現実は思っていたほど甘くなかった。
イベントに出ても、誰も立ち止まらない。
作品を見てもらえない。
最初は、
『まあ、こんなもんなんやろな。』
『そんな簡単にはいかへんよな。』
って思っていた。
続ければ変わる。
経験を積めば見てもらえるようになる。
そう信じていた。
でも数年経っても、大きく状況は変わらなかった。
相変わらず見られない。
相変わらず知られていない。
相変わらず結果も出ない。
そのたびに考える。
何が間違っているのだろう。
やり方なのか。
発信なのか。
作品なのか。
そもそも考え方が違うのか。
誰にも見られなくても、自分が好きな様にすればいい。
そんな言葉もよく聞く。
確かにその通りなのかもしれない。
でも本音を言えば、やっぱり見てもらいたいし
誰かに届いてほしい。
誰かの役に立ちたい。
誰かに必要とされたい。
そう思う。
だから苦しい。
今の僕は、毎日のようにそんなことばかりを考えている。
何をすればいいのか。
何を作ればいいのか。
何を発信すればいいのか。
どうすれば届くのか。
考えれば考えるほど手が止まり、制作も進まなくなる。
答えは見つからない。
何も解決していない。
ただ時間だけが過ぎていく。
そして気づけば、悶々とした日々を送っている。
何者かになることは、想像していたよりずっと難しい。
もしかすると、多くの人が人生のどこかで同じ壁にぶつかるのかもしれない。
会社員として生きてきた人も。
子育てを頑張ってきた人も。
定年が近づいてきた人も。
みんな心のどこかで問いかけている。
「肩書きを外した自分には、何が残るのだろう」と。
今の僕は、その答えをまだ持っていない。
けれど、ひとつだけ分かることがある。
こうして悩み続けていること自体が、まだ諦めていない証拠なんだと思う。
何者かになりたい。
その気持ちが消えない限り、僕はもう少しだけ歩いてみようと思う。