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Photo bymitch_mitchel

覚悟して開いた経本が、日曜学校だった

    疲れたああ。疲労に対して達成感がない疲れだ。

    私は本家の娘だ。今はもうそんな時代ではないけれど。

    私が育った頃には、まだ明確に「トップオブザトップ」という空気が親族間に流れていた。

    そして、わが実家は女性が仕切る家だった。こっそりと。

    だから法事の時なぞは、子どもながらに裏方を仕切る伯母の姿を観察していた。伯母もまた、「かつての本家の娘」である。

    だから……法事そのものはどうってことない。

    でも自分の裁量で回せない法事は、ちょっとかなり疲れる。


    今日は初盆の法要だった。夫の家と私の実家の宗派は同じである。大きな違いはないと思っていたのだが。

    数ヶ月前に「初盆をするから食事を用意する」と聞いた時には、「は?それ何?」と固まってしまった。

    初盆って、白い灯籠持ってお墓に行って手を合わせ、親族だったら家に寄り仏壇に手を合わせる…だけだよね。

    お茶菓子くらいは用意しておくけど、食事はないでしょう。それ法事じゃん。


    ここは山口県だ。安芸門徒の習慣を持ち込む訳にはいかねえ。大人しく従い、粛々と私のできる準備を整えた。


    さて本日、いよいよお勤めが始まる。

    「皆さんが揃っているので、一緒に唱えましょう。140ページを開いて」という言葉で、開いたページに絶句した。

    嘘でしょ。このためにわざわざお寺に集まったのか。


    そこにあったのは、私が日曜学校で唱えていた「らいはいのうた」だ。えっと正信偈は?仏説阿弥陀経とは言わないけどさ。

    50年ぶりに唱えたよ。

    「阿弥陀ほとけを拝まずや やすけき国にかのほとけ♪」

    私、小学生の時に暗記したんだよね。
    これ。稚児舞で。


     
     
     
    山口県在住ライター|広島市出身|人と地域の思いを取材しています。記憶が未来へ受け継がれる、その瞬間を言葉にしたい。目に見えない思いや時間を言葉で記録しています。|周南市市民ライター|社会福祉士|日本アドラー心理学会会員|絵本・児童文学研究センター36期|マーブルスクール6期卒

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