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0泊2日、二百年の旅

    朝の6時、名古屋・ささしまライブ。徐々に目覚めつつある街を、名古屋駅方面へ向かって歩く。
    夜行バスを降りたばかりの身体に、朝の日差しが少しずつ染み込んでくる。
    これから向かうのは、有松、関宿、そして桑名。いずれも東海道沿いに発展した町だ。
    五街道のうちもっともメジャーな東海道は、江戸と京都を結ぶ街道で、江戸時代には多くの旅人や商人が行き交った。現代でいえば、新幹線や高速道路のような存在だ。
    今回はそんな東海道の面影を追いながら、0泊2日の弾丸旅に出た。

    名鉄名古屋から電車に揺られて30分ほど。有松駅を降りて少し歩けば、江戸時代の面影を残す一筋の街道がふっと目の前に現れた。

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    有松の町並み

    朝の7時前はまだモーニングすら開いておらず、散歩をする地元の人を時折見かける程度の静けさである。朝の散歩、というか飼い主に抱っこされたままやたら鼻息の荒いトイプードルとすれ違った。

    有松は、江戸時代から続く「有松絞り」の産地として知られている。東海道を行き交う旅人たちが土産として買い求めたことで産業が発展し、今も往時を思わせる商家の町並みが残されている。

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    激シブなまこ壁

    私は、早朝の観光地を歩くのが好きだ。特に有松のように歴史的な町並みが残るような場所であれば、朝のしんと静まり返った空気のなかで建物を眺めながら散策するだけでも楽しい。まるで、この景色を独り占めしているような贅沢な気分になれるのだ。

    静かな町並みを何度か行き来して楽しんだあとは、近くの有松天満社にお参りをした。
    名鉄線の踏切の向こう、雑木林の入口に立派な鳥居が立っている。木々に囲まれた長い階段を上ると、学問の神様として知られる菅原道真を祀る社殿が姿を現した。
    木々の隙間から朝陽が差し込む。小鳥のさえずりが聞こえた。日常を離れ、こんな素敵な場所に出会えたことに感謝をしながら手を合わせた。

    有松から名古屋へ戻り、三重方面へ電車で移動する。
    四日市のあたりで車窓からスチームパンクを思わせる工場群が見えた。夜はさぞ美しい工場夜景が見れるんだろうなと想像しながらさらに電車に揺られ、亀山でJR東海からJR西日本に乗り換える。JRは会社をまたいでそのままSuicaで乗り越しすることはできないので要注意だ。私は過去に一度、静岡の沼津で見事「沼津トラップ」に引っかかって学習した。こうして合計2時間ほどで関駅にたどり着いた。

    駅から宿場町・関宿までは歩いてほんの数分。
    関宿は東海道五十三次の47番目の宿場町だ。約1.8kmにわたって古い町並みが続き、その規模は現存する東海道の宿場町の中で最大規模。実際に端から端まで歩いてみると、その長さに驚かされる。
    古い商家が並ぶ街道は視界の先まで続き、道中では良い雰囲気のカフェをたくさん見つけた。
    足を進めても、また同じように美しい町並みが現れる。

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    関宿の町並み

    以前、中山道最大規模の宿場町である奈良井宿にも訪れたことがあるが、関宿はその規模感でも見応えでも決して奈良井宿に引けを取らないと思う。
    中山道の奈良井宿が山あいの宿場町らしい落ち着きと渋さをまとっているとすれば、東海道の関宿から感じたのは明るさと華やかさだった。

    関宿の町並みは百六里庭にある眺関亭という場所から一望できた。どこまでも連なる瓦が、太陽の光を浴びて反射する。遠くには青葉が茂る山も見える。地上を歩いているだけでも十分圧巻なのだが、上から眺めるとそのスケール感がさらによくわかった。こんなふうに俯瞰できる素敵スポット、全宿場町で導入してほしい。

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    眺関亭からの眺め

    立派な虫籠窓、青空と黄色の壁のコントラストが美しい町家。

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    玄関の扉とタイルは昭和テイスト?

    建物をよく観察しながら歩いていると、時折、遊び心溢れる漆喰細工に出会える。

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    観光地を巡るというより、宿場町そのものの中に入り込んでしまったような感覚だ。二百年前の旅人たちも、きっと同じ景色を眺めながらこの道を歩いたのだろう。

    関宿を代表する旅籠の一つだった玉屋は、現在は歴史資料館として公開されている。建物の中には当時の旅道具や宿場町に関する資料が展示されており、当時の宿場町を知ることができる。
    特に印象に残ったのは二階の展示だ。畳の上には布団が敷かれ、お膳も並べられている。こういう展示に弱い。誰もいないはずなのに、ついさっきまで旅人たちが泊まっていたような気配を感じた。

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    旧玉屋

    4時間ほど関宿に浸ったあとは、桑名へ移動する。
    桑名は東海道五十三次の42番目の宿場町だ。熱田の宮宿との間には「七里の渡し」と呼ばれる海路があり、旅人たちは船に揺られながら伊勢湾を渡った。
    桑名は東海道における陸路と海路の結節点だったのである。
    関宿のように宿場町の町並みが大規模に残されているわけではない。しかし、七里の渡し跡や古い商家、寺社が点在し、東海道の歴史を今も町のあちこちに感じることができる。
    さらに、桑名の繁栄は近代以降にも受け継がれた。市内に残る六華苑は、実業家であり豪商として財を成した諸戸清六の邸宅だ。洋館は鹿鳴館の設計者として知られるあのジョサイア・コンドルが手掛けている。
    レトロ建築好きの私としては、もちろん見逃すわけにはいかない。

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    六華苑

    六華苑に入って和室側から洋館の玄関ホールのあたりを覗いた瞬間、なぜか駒場公園の旧前田家本邸を思い出した。建築史的には同じくコンドルが設計した旧岩崎邸なんかのほうが近いはずなのだが、洋館の玄関ホールの雰囲気と和館とのコントラストが、私には旧前田家本邸と重なって見えた。

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    和館から覗く洋館の玄関ホール
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    きっと職人泣かせの曲線美

    円形の塔部分の天井と階段の意匠が特に印象的だった。まるで建築資材を粘土のように自在に操りながら形を作り上げたかのようなフォルム。クイーン・アン様式の建築美を日本の邸宅に落とし込んでいる。
    他にも部屋の随所に和洋折衷の美しい意匠が見られた。素人目に見ても「一体何を食べたらこんな設計を思いつくんだ」と思った。
    和室から眺める庭園も絶景で、あっという間に時間が溶けた。

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    七里の渡し

    六華苑があるエリアから伊勢湾へ向かって歩くと、突如現れる七里の渡し。
    大鳥居のすぐ向こうには青い海が広がっている。ぱっと思い浮かんだのは、歌川広重の『東海道五十三次』で描かれた景色だ。
    浮世絵の中の世界は、どこか遠い過去の想像上の風景だと思ってしまう。だがこの景色の前に立つと、たしかに浮世絵の世界は現実のものだったのだと実感する。二百年近く前に広重が描いた世界と、今自分が見ている景色が地続きに感じられた。

    旅の締めくくりは、七里の渡しからほど近いところにある老舗「歌行燈」の本店でいただく夜ご飯。歌行燈という店名は、明治の文豪・泉鏡花の小説『歌行燈』にちなんでいるらしい。作中には、この店の前身である「志満や」といううどん屋が登場する。
    いわば聖地というわけだ。

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    歌行燈・本店

    選んだのは、蛤とうどん、天ぷらなどがセットになった大焼蛤御膳。

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    こういう固形燃料に火をつけるタイプの料理には妙にワクワクしてしまう。固形燃料があるだけで旅館に来た気分になれるのだから、我ながら安上がりである。
    貝が開いたかどうか確かめるように蓋をそっと開けてみると、ふわりと温かい湯気に包まれた。
    ふっくらぷりぷりの蛤は、噛むほどに貝の旨味が口いっぱいに広がる。桑名といえば蛤。江戸時代から旅人たちに親しまれ、焼き蛤や時雨蛤は桑名宿を代表する名物だった。東海道を行き交う人々も、この町で蛤を味わって旅の疲れを癒したのだと思うと感慨深い。

    こうして、夜は名古屋に戻り、あっという間の一日だった。夜行バスならば、宿泊せずとも朝から晩までめいっぱい旅を楽しめるのがいい。
    朝は有松で静かな町並みを歩き、昼は関宿で街道の歴史に触れ、夕方は桑名で海と出会う。 わずか一日の移動だったが、時間の流れとしては何百年も旅したような気分だった。
    江戸時代の旅人も、きっとこんなふうに町から町へと歩き、景色を眺め、人と出会い、そしてまた次の町へ向かったのだろう。
    現代でも東海道新幹線はドル箱路線、東名高速や名神高速には絶えず車が行き交う。形は変わっても、人や物の流れは今なお東海道に集まっている。
    そう考えると、この日歩いた道も単なる史跡ではない。
    今も昔も、東海道は日本の大動脈なのだ。

     
     

    びの

     
     
    エッセイ中心に書き散らかします。

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