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私が私を信じられなくなるとき

    加々本裕樹

     誰も見ていない夜、ベッドに横たわりながらふと考える。
     「私って本当に大丈夫なのだろうか」
     昼間は堂々と笑っていたはずなのに、静けさの中で自分の声が響くと、途端にその笑顔は剥がれてしまう。
     そうして心の奥底に沈むのは「私が私を信じられない」という感覚だ。

     他人を信じることより、自分を信じることの方が難しい。
     周囲には「すごいね」と言われても、自分では「そんなことない」と打ち消してしまう。努力を重ねても「これで足りるのだろうか」と不安になる。うまくいったときほど「次は失敗するのでは」と怯える。

     まるで自分という存在そのものを、ずっと疑っているようだ。

     この感覚には名前がついている。
     心理学では「インポスター症候群」と呼ばれる。成功している人ほど「自分の成果は運や偶然にすぎない」と思い込み、自分の能力を認められない。
     女性は特にこの傾向が強いとされる。
     社会から「ちゃんと」「しっかり」と求められ続ける中で、完璧でなければならないという幻想に囚われやすいからだ。

     けれど、よく考えてみてほしい。
     自分を信じられないのは、むしろ自分に真剣だからではないだろうか。
     手を抜かず、失敗を恐れ、他人に迷惑をかけないように気を配る。そんな誠実さがあるからこそ、常に「私は大丈夫か」と自分を問い続けてしまう。自分を信じられない夜は、実は自分に向き合っている証拠でもあるのだ。

     では、どうすれば少しでも自分を信じられるようになるのか。

     大きな奇跡は必要ない。むしろ小さな積み重ねが鍵になる。
     朝きちんと起きられた、今日も仕事に向かった、友人に一言「ありがとう」と言えた――そんな当たり前のことを、心の中で数えてみる。
     自分を信じるとは、派手な成功を誇ることではなく、日々の小さな証拠を集めることなのだ。

     もうひとつ大切なのは「信じられない自分を責めない」ことだ。
     誰もが時に揺れる。自信満々に見える人だって、心の裏側では同じように自分を疑っている。
     揺れるたびに「私だけ弱い」と思い込む必要はない。むしろその揺らぎこそが、人間らしさの証であり、成長のきっかけになる。

     私が私を信じられなくなるとき、私たちは孤独を感じる。
     けれど実際は、その感覚を共有している人が無数にいる。
     だからこそ、誰かの「私も同じだよ」という一言に救われるのだろう。信じられない夜を過ごすことは、決して無駄ではない。その夜を経て、少しずつ私たちは自分と仲直りしていく。

     本当の幸せは、数字では測れない。

     「信じられるかどうか」をフォロワー数や成果の数字で決める必要はない。心の奥に積み重ねた小さな証拠、そして揺れる自分を受け入れる勇気。その二つを抱きしめられたとき、私たちはほんの少し、自分を信じられるようになるのだろう。


    前回の #数字では測れないシリーズ は…

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