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〜 倫婊で歩く、叀の日本を巡る3日間のナラ旅 〜

プロロヌグ


車の䞭で、劻が蚀った。

「奈良よかったね。もう䞀床、奈良だけで行っおもいいよね」

家族3人で京郜奈良を旅した4月の修孊旅行の垰りこずだった。あの旅では京郜が䞭心で、奈良は終盀にに少し立ち寄った皋床だった。それでも、東倧寺の倧仏、法隆寺の倢殿、石舞台叀墳ず、駆け足で觊れた奈良は、思っおいた以䞊に印象深かった。

「そうだね、もう䞀床行こうか」

助手垭で僕もそう答えた。決断は早かった。気づけば1か月埌のゎヌルデンりィヌクに2泊3日の旅皋を組んでいた。

ちょうど嚘が1週間のベルリン短期留孊に旅立぀タむミングだった。子どもが生たれおから、倫婊2人でゆっくり旅をする機䌚はめっきり枛っおいた。嚘が日本にいない間、2人の時間が自然ず生たれた。そのこずが劙に嬉しかった。

4月末の倜11時半、自宅を出発した。深倜の高速はガランずしおいお、ヘッドラむトの光だけが先ぞ先ぞず䌞びおいく。90幎代に流行った二人がお気に入りのアシッドゞャズをかけおいるず、懐かしい曲がいく぀も流れおきた。劻が「これ、誰だっけ」ず蚀い、僕が即答する。そういう他愛のない䌚話が、深倜の車の䞭で劙に心地よい。

䌊勢長島SAで少しだけ仮眠をずった。シヌトを倒しお目を閉じるず、すぐに眠れた。

朝7時半、道の駅飛鳥に到着した。枋滞もなく、予定より早かった。駐車堎に車を止め、窓を開けるず、湿った朝の空気が入っおきた。空は薄曇りだったが、雚にはならなさそうだった。

「さお、行きたすか」

劻がそう蚀っお、地図アプリを開いた。叀代日本ぞの旅が、始たった。


Day 1 自転車で叀代飛鳥を巡る


レンタサむクルひたわりでオヌプンず同時に電動自転車を借りた。事前に調べおおいた200円OFFのクヌポンを䜿い、2台分の料金を払った。こういう小さな準備が旅をスムヌズにする。劻は「さすがだね、ちゃんず調べおきたんだ」ず蚀っお笑った。

飛鳥の道は平らで走りやすい。田んがず畑の間を瞫うように続く现い道を、2人で䞊んで挕いだ。芳光バスも修孊旅行の団䜓もいない。静かな朝の明日銙村を、電動アシストの力を借りながら軜快に進む。

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吉備姫王墓猿石
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欜明倩皇陵墓

最初に向かったのは吉備姫王墓、通称猿石だった。

朚立の奥にひっそりず4䜓の石像が䞊んでいる。「女・山王暩珟・僧・男」ず呌ばれるそれらは、どれも䞞みを垯びた䞍思議な顔をしおいる。吉備姫王ずは欜明倩皇の孫であり、倩智・倩歊倩皇の祖母にあたる人物だずいう。その墓所にこんな石像が眮かれおいるのはなぜなのか。説明を読んでも、よくわからない。わからないたた、しばらく眺めた。

「かわいいような、怖いような」ず、劻が蚀った。

「飛鳥の石造物っお、なんずいうか異囜情緒ある顔しおるよね」ず、僕は答えた。

隣りにある欜明倩皇陵墓は、党長140メヌトル、3段築成の前方埌円墳だ。宮内庁の管理䞋にあるため䞭には入れないが、呚囲を巡る立掟なお堀ず、こんもりず盛り䞊がった䞘の芏暡に圧倒される。1500幎前にこれだけの構造物を造った人間たちのこずを想像するず、時間の感芚がおかしくなる。

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キトラ叀墳

キトラ叀墳では、隣接する四神の通に立ち寄った。

キトラずいう名前は、亀ず虎が由来ずも、地名の北浊が転じたものずも蚀われおいる。叀墳時代末期に造られた䞊円䞋円墳で、内郚の石宀には四神ず倩文図が描かれおいた。四神の通はその壁画の解説ず保存の歎史を䞁寧に䌝える斜蚭で、明日銙村の本気が䌝わっおくる展瀺だった。

「こういう斜蚭をちゃんず䜜るんだね」ず、劻が蚀った。

「村の芏暡で考えたら盞圓な力の入れようだろうな」ず、僕は返した。

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高束塚叀墳
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高束塚叀墳の壁画通

高束塚叀墳の壁画通は地味だったが、発芋から保存に至るたでの困難な道のりに胞を打たれた。昭和50幎代に発芋された極圩色の壁画は、発掘埌の環境倉化によっおカビの被害を受け、壁画ごず石宀を解䜓しお修埩するずいう前代未聞の䜜業が行われた。携わった人々の執念ず劎苊が、展瀺の端々から滲み出おいた。

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鬌の雪隠
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俎たないた

鬌の雪隠ず俎板岩は、倧きな石が2぀、野原にごろりず転がっおいるような堎所だった。か぀おは叀墳の石宀だったものが露出したもので、「鬌が旅人を食べた埌に䜿った」ずいう埌付けの䌝説が名前の由来だずいう。しかしその巚石を前にするず、枡来人の石工集団がここにいたのだろうずいう想像が自然ず湧いおくる。技術を持った人間が、海を枡っおやっおきた。叀代の日本は、思っおいたよりずっず囜際的だったのではないかな。

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亀石

亀石は亀差点のそばに、䜕の前眮きもなくいた。

暪たわった亀のような圢の石が、穏やかな顔でこちらを芋おいる。䜕のために造られたのか、諞説あっお定たらないずいう。しかしその衚情には、䞍思議ず芋る者を萜ち着かせる力があった。「なんか、いいね」ず劻が蚀った。説明の぀かない良さずいうものが、䞖の䞭にはある。

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橘寺
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二面石

橘寺は聖埳倪子誕生の地ず䌝えられる寺だ。小ぶりな埡堂がいく぀も䞊ぶ境内は枅々しく、黒駒の像が凛々しく立っおいた。境内には二面石ずいう石造物があり、善の顔ず悪の顔が衚裏䞀䜓になっおいる。人間の䞭に善ず悪が共存するずいう仏教の教えを石で衚したものだずいう。その前に立っお、しばらく2人で黙っお眺めた。

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めんどやの昌膳

ランチはめんどやで日替わり昌膳をいただいた。䞉茪玠麺や柿の葉寿叞ずいった土地の名産もあるが、こうした地元野菜を䜿った玠朎な料理もたた味わい深い。芳光地の食事にありがちな掟手さがなく、䞁寧に䜜られおいた。劻ず向かい合っお、静かに食べた。窓の倖には、飛鳥の田園が広がっおいた。

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飛鳥宮跡

腹ごしらえしお、チャリ旅を再開。飛鳥宮跡に立ったのは午埌1時ごろだった。

䜕もない、ただの平らな土地だ。しかしここで倧化の改新が起きた。そう、いたの歎史の教科曞では、乙巳いっしの倉ず蚀うそうだ。聖埳倪子だっお、厩戞のず蚀う。教科曞だっお時代を経お倉わるもんだ。

聖埳倪子が掻躍し、蘇我氏が滅んだ。北を芋れば飛鳥寺、南を芋れば橘寺が芋える。この芖野の䞭に、日本の倜明けがあった。颚が吹くず、草がサワサワず揺れた。645幎だよな。語呂合わせで芚えた幎号が口を぀いた、苊笑。

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䞇葉文化通

酒船石・亀圢石造物に立ち寄っお、䞇葉文化通ぞ向かった。ボランティアの女性が䞇葉集の䞖界を䞁寧に案内しおくれた。倧䌎家持や額田王が詠んだ歌が、この土地の颚景ず結び぀いお初めお生きた蚀葉になる。無料でこれほどの展瀺を芋られるこずに、玠盎に驚いた。玠晎らしい斜蚭だ。

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飛鳥寺
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釈迊劂来坐像

飛鳥寺は蘇我氏の氏寺であり、日本最叀の寺だ。

本堂に入るず、3メヌトル近い釈迊劂来坐像がどっしりず座っおいた。飛鳥倧仏ず呌ばれるこの像は、609幎の造立ずされる。東倧寺の倧仏より140幎以䞊叀い。その前に立぀ず、奈良時代よりさらに遡った時間の深みぞず匕き蟌たれる感芚があった。

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蘇我入鹿の銖塚

境内の倖には蘇我入鹿の銖塚がある。乙巳の倉で䞭倧兄皇子に蚎たれた入鹿の銖が、飛鳥宮からここたで飛んできたずいう蚀い䌝えがある。歎史の教科曞に出おくる人物の痕跡が、こんな小さな石碑ずしお残っおいる。劻はその前でしばらく手を合わせおいた。

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岩屋山叀墳

飛鳥駅に戻るず、駅近くにひっそり叀墳があっお、階段を登った。なんずも無造䜜な状態で石宀が開け広げられおいる。䞭に入るず、暗くお冷んやりしおいる、被葬者は誰なんだろう 。

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カフェ゚トランゞェナラッド
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カフェ゚トランゞェナラッド

倕食はならたちのカフェ゚トランゞェナラッドぞ。たずは、2人の倧奜きなハヌトランドビヌルで也杯した。

「今日、すごく濃かったね」ず、劻が蚀った。

「飛鳥だけで1日かけお正解だった」ず、僕は満足気に頷いた。

地元の旬野菜のグリル、フィッシュ&チップス、倧和地鶏の倧葉ゞェノベヌれ、ピザナポレタヌナ。どれも矎味しかった。店内の雰囲気も良かった。

飛鳥で過ごした1日を振り返りながら、飲み盎しで泚文した奈良の玔米酒豊祝が、灯りに照らされおグラスの䞭で琥珀色に光っおいた。


Day 2 ならたちから斑鳩ぞ


2日目の朝は小雚だった。

ホテルで朝食を枈たせ、傘を差しおならたちを歩いた。元興寺たでは歩いお数分だった。拝芳料を払っお境内に入るず、しっずりず濡れた石畳が続いおいた。

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元興寺 極楜坊本堂
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元興寺 行基葺ぎょうぎぶきの叀瓊

元興寺はもずもず、飛鳥にある飛鳥寺だった。710幎の平城京遷郜ずずもに移築され、元興寺ずしお再出発したずいう。昚日蚪ねた飛鳥寺が、圢を倉えおここに生きおいる。蘇我氏が建お、蘇我氏が滅んだ埌も、寺だけが郜ずずもに移動しおきた。歎史の皮肉ずも、したたかさずも蚀える。

堂内には2歳ず16歳の聖埳倪子像が安眮されおいた。2歳の像は小さく䞞く、手を合わせお南無仏ず唱えたずいう姿を衚しおいる。その隣に16歳の像が凛ず立぀。同じ人物の、14幎の隔たり。人はこんなにも倉わるものか、ず思いながら2぀の像を亀互に芋た。

「倪子、ずっず登堎しおくるね」ず、劻が蚀った。

「飛鳥奈良は、聖埳倪子抜きには語れないっおこずだね」ず、僕は答えた。

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ならたちパン工房okage

元興寺を出るず、パンのいい匂いが路地から挂っおきた。匕き寄せられるように入ったのが、ならたちパン工房okageだった。おそらくご倫婊で切り盛りされおいるらしく、小さな店内に焌きたおのパンが䞊んでいた。鹿の角ずいうリンゎずクリヌムチヌズを緎り蟌んだハヌド系のパンを買った。倖はかりっず、䞭はしっずり。ならたちの朝に、こういう店があるこずが嬉しかった。

劻が「こういうお店、続いおほしいね」ず蚀った。芳光地の隙間に根を匵るように䜇んでいる小さな店ぞの、玠盎な応揎だず思った。劻は30代の頃、雑誌のラむタヌずしお、こうした個人店をよく取材しおいた。だからこその思いだろうな。

午前のうちに車で斑鳩ぞ向かった。

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藀ノ朚叀墳
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藀ノ朚叀墳 石棺

最初に、藀ノ朚叀墳を蚪れた。

近接する斑鳩文化財センタヌで予習をしおから、叀墳たで歩いた。6䞖玀埌半の円墳で、聖埳倪子ず時代が重なる。しかもこの叀墳は未盗掘で、石棺の䞭に2䜓の被葬者が玍められおいた。誰なのかは今もわかっおいない。敎備された円墳の前に立぀ず、その謎がかえっお想像力を刺激した。

「2人が入っおるっお、どういう関係なんだろう」ず、劻が蚀った。

「倫婊じゃないっお説もあるらしいよ」ず、取っお付けた知識で僕は答えた。

劻は少し考えおから「いたも昔もいろいろあるんだね」ず蚀った。

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レストラン若竹 ミンチカツ

ランチは法隆寺駅前の掋食屋、レストラン若竹ぞ。名物のミンチカツず竜田揚げを頌んだ。メンチではなくミンチず呌ぶのがこの店のこだわりらしい。衣はさくっず、䞭はじゅわっず。ザ・町の掋食屋ずいう䜇たいで、䜕の気取りもなく旚かった。芳光地のランチにありがちな割高感もない。劻は「ここ、たた来たい」ず笑いながら竜田揚げを平らげた。

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法茪寺
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法起寺

午埌からは法茪寺、法起寺ず歩いた。

法茪寺は山背倧兄王が父の聖埳倪子の病気快埩を願っお建おた寺だずいう。薬垫劂来や虚空蔵菩薩が間近に芋られる小さな堂内で、しばらく像ず向き合った。華やかさはないが、誰かの切実な祈りから生たれた寺の静けさが、萜ち着いた気持ちにさせおくれた。

法起寺ぞの道は田んがの䞭を通っおいた。歩くこず10分ほどで䞉重塔が芋えおきた。日本最叀の䞉重塔にしお囜宝。その呚囲にはツツゞが満開で、塔の叀い朚の色ず花の赀ず玫が鮮やかに察比しおいた。

「キレむだね」ず、劻が蚀った。

2人でしばらく立ったたた、その景色を眺めた。これからの季節は玫陜花が咲き、秋には秋桜が咲き乱れるず案内板に曞いおあった。季節を倉えおたた来たいず思った。

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法隆寺 南倧門
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䞭門ちゅうもんず金剛力士像
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倧講堂裏手から眺める五重塔

法隆寺に着いたのは午埌3時半だった。

前月に続いお、2床目の蚪問だった。なぜか それは、倢殿の秘仏・救䞖芳音くせかんのんの公開拝芳があるからだ。救䞖芳音は幎に2床、春ず秋の各1か月ほどだけ公開される。この時期に来たのは、それを芋るためだった。

倢殿の八角圢の堂の前に立ち、䞭に入った。薄暗い堂内の䞭倮に、救䞖芳音は立っおいた。

埮笑みを浮かべたような衚情ず、䜓に沿っお流れる倩衣。金色に茝く像は现く、どこか人間離れした優矎さを持っおいた。聖埳倪子の等身倧に造られたずも䌝えられるこの像は、長い間、絶察秘仏ずしお誰にも芋せおはならないずされおきた。明治時代にフェノロサが匷匕に開封するたで、䜕癟幎もの間、垃に巻かれたたた誰の目にも觊れなかった。

その像が、今、目の前にある。

クリスチャンである僕は、仏像に向かっお手を合わせるこずはしない。しかしこの像の前では、ただ芋るこずしかできなかった。芋るこずが、それ自䜓䞀぀の行為になるような気がした。劻も隣で黙っお立っおいた。堂内に他の参拝者の気配があっおも、その静けさは乱れなかった。

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奈良スタンド ダマトモダン

倕方のならたちに戻り、倖芳に匕き寄せられお入った店が奈良スタンド ダマトモダンだった。䜕屋さんかわからないたた扉を開けるず居酒屋だった。倧奜きなサッポロ赀星を頌み、明日の蚈画を話し合った。

「いよいよ明日、空海展があるね」ず、劻が蚀った。

「そうそう、なんずいっおもそれがメむンだからね」ず、僕は答えた。

赀星を飲みながら、翌日の地図を眺めた。唐招提寺、薬垫寺、平城宮跡、新薬垫寺、そしお奈良囜立博物通。最終日は空海で締めるず決めおいた。

ホテルに戻るず、1階のラむブラリヌカフェでしばらく仕事のメヌルをさばいた。平日に䌑みをずるず、どこかで時間を䜜っお凊理するしかない。それが珟実だ。しかしノヌトパ゜コンを閉じお゚レベヌタヌに乗ったずき、今倜の旚かった赀星ず明日の空海展のこずを同時に思っおいた。


Day 3 西ノ京から空海ぞ


最終日の朝は晎れおいた。

西ノ京駅そばの駐車堎に車を止め、最初に向かったのは唐招提寺だった。

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唐招提寺 金堂
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金堂・講堂・錓楌が䞊ぶ䞭心䌜藍

南倧門をくぐった瞬間、県前に金堂がどっしりず珟れた。䜙蚈なものが䜕もない。ただ、建物がそこにある。倩平時代の䌜藍がそのたた残るこの境内に立぀ず、奈良時代の空気をそのたた吞っおいるような錯芚を芚える。

金堂の䞭には盧舎那仏を䞭心に、千手芳音ず薬垫劂来を埓えた䞉尊が䞊ぶ。その圧倒的な倧きさず嚁圧感の前で、人は黙るしかない。講堂の坐像は修埩䜜業䞭だったが、宝物殿の鑑真和䞊坐像の前では思わず足が止たった。

鑑真は唐の高僧で、日本からの招きに応じお枡航を詊みたが、嵐や劚害に遭い、5床の倱敗を経お6床目にようやく来日を果たした。そのずき圌はすでに盲目だった。それでも来た。䜕がそこたで圌を動かしたのか。坐像の穏やかな衚情を芋ながら、鑑真の信仰の深さを思った。

「鑑真っお、すごい人だったんだね」ず、劻が蚀った。

「唐から日本に枡っおきた人だよ。叀代は人の埀来が今より盛んだったんじゃないかず思う」ず、僕は答えた。正倉院の宝物しかり、キトラ叀墳の壁画しかり。海を枡っお技術ず文化が行き来しおいた時代が、確かにあった。

唐招提寺から南ぞ歩くず薬垫寺だった。

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薬垫寺 東塔ずうずう
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薬垫寺 金堂
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薬垫寺 東院堂

興楜門から入り、最初に東院堂ぞ向かった。堂内に入るず、囜宝の聖芳䞖音菩薩が凛ず立っおいた。现面の顔、滑らかな䜓の線、四方を囲む四倩王ずの察比。これほど矎しい仏像をこれほど間近に芋られるこずに、拝芳料の意味を感じた。

薬垫寺ずいえば東塔だ。修埩工事の過皋をテレビで芋おいたから、现郚に至るたで思い入れがある。裳階ず呌ばれる食り屋根が亀互に重なるその姿は、遠くから芋るず六重塔のように芋えるが実は䞉重塔だ。工事を終えお甊ったその姿は、予想以䞊に癜く、枅々しかった。

「思っおたよりキレむだね」ず、劻が蚀った。

「修埩したばかりだからね。1300幎前もこの癜さだったんだよ」ず、僕は答えた。

金堂には薬垫劂来、日光菩薩、月光菩薩の薬垫䞉尊が鎮座しおいた。黒光りした像が䞊ぶ様は艶やかで、嚁厳に満ちおいた。

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蕎麊切りよしむら

昌食は2぀の寺の通り道にある蕎麊切りよしむらで十割蕎麊をいただいた。现くおもっちりした蕎麊に、パリッずしたかき揚げ。旅の終盀に、こういう䞀杯が沁みる。

平城宮跡歎史公園は、ずにかく広かった。

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平城宮 第䞀次倧極殿院
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平城宮跡歎史公園

平城京が郜垂で、平城宮は皇居にあたるず、来お初めおきちんず理解した。再建された第䞀次倧極殿院に足を螏み入れるず、気さくなボランティアの男性が話しかけおきた。平城宮の構造や儀匏に぀いお、身振り手振りを亀えながら䞁寧に教えおくれた。無料でこれほどの空間ず案内が提䟛されおいる。奈良ずいう土地の懐の深さを感じた。

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新薬垫寺 本堂
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新薬垫寺 境内の庭園ず池

新薬垫寺は、高畑の閑静な䜏宅街の奥にある小さな寺だった。しかし堂内に入るず、印象が䞀倉した。

円圢の土壇の䞭倮に薬垫劂来坐像が座り、その呚囲を十二神将がぐるりず取り囲んでいる。それぞれが異なる衚情ず歊噚を持ち、今にも動き出しそうな迫力で立っおいた。薬垫劂来の穏やかさず、十二神将の躍動感の察比が鮮烈だった。

「すごい、これは来た甲斐があった」ず劻が蚀った。

芳光ガむドで倧きく取り䞊げられるこずは少ないが、本物を知る人が繰り返し蚪れる堎所ずいうのがある。新薬垫寺は、間違いなくそういう堎所だった。

そしお、奈良囜立博物通ぞ。

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奈良囜立博物通
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奈良公園 浮芋堂
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浅茅ヶ原あさじがはらから眺める春日山

空海展が目圓おだった。

1か月前、東寺の立䜓曌荌矅の前で動けなくなったあの䜓隓の続きを、ここで確かめたかった。

展瀺宀に入るず、空海の生涯が幎代順に蟿れる構成になっおいた。唐に枡り、恵果和尚のもずで密教の党おを孊び、垰囜埌に高野山を開き、真蚀宗を確立するたでの軌跡。倥しい数の曌荌矅、仏像、経兞、曞が䞊んでいた。

僕がずりわけ立ち止たったのは、空海が唐で觊れたであろう文化の痕跡を瀺す展瀺だった。

唐の長安は圓時、䞖界最倧の囜際郜垂だった。゜グド人、ペルシャ人、むンド人、そしおネストリりス掟キリスト教である景教の信者たちが行き亀っおいた。空海はその郜垂の䞭で、密教だけでなく様々な思想や文化に觊れたはずだ。真蚀ずいう蚀葉、曌荌矅の構造、密教の儀瀌の䞭に、クリスチャンである僕はどうしおもキリスト教的なものの圱を感じおしたう。

それが正しいかどうかはわからない。しかし宗掟を超えお、真理を求めた人間の営みはどこかで぀ながっおいるのではないか。そんな思いが、展瀺を芋るうちにどんどん膚らんでいった。

劻に話すず「面癜いね、それ」ず蚀った。信仰の話を、こうしお旅先でできるこずが嬉しかった。

2時間では足りなかった。閉通時間が近づいお、ようやく展瀺宀を出た。倖に出るず、奈良公園の緑が倕方の光を受けおいた。

「来およかったね」ず、劻が蚀った。

「来およかった」ず、僕も蚀った。

倩理IC手前にあったバヌガヌキングで腹ごしらえをしお、そこから東名阪道に乗り、䞀路東京ぞ車を走らせた。

ハンドルを握りながら、この3日間を振り返っおいた。猿石の䞍思議な顔、キトラ叀墳の壁画、飛鳥宮跡に吹いた颚、救䞖芳音の埮笑み、空海展で膚らんだ問い。

叀代の日本は、今よりずっず囜際的だった。海を枡っお人が来お、技術が来お、思想が来た。そのこずを、遺跡ず仏像ず石造物が䜕も語らず、それでも確実に教えおくれた。

「たた来ようね」ず、劻が蚀った。

「たた来よう」ず、僕も蚀った。

垰り道は、どこにも立ち寄るこずなく、5時間半ノンストップで500キロを走り切った。

気持ちがたかぶっおいお眠くならなかった。家族の京郜に続いお、倫婊での奈良、倧いに満たされた。


゚ピロヌグ


この旅を終えお、䞀぀だけ心残りがある。

日皋があず䞀日あれば、奈良垂内を離れお少し足を䌞ばしたかった。山深い宀生寺、長谷寺。どちらも奈良を代衚する叀刹でありながら、今回は地図の䞊で眺めるだけで終わった。

宀生寺は、女人犁制だった高野山に察しお女性の参拝を受け入れおきた寺ずしお知られる。苔むした石段の先に五重塔が立぀、その光景を自分の目で芋おみたかった。

長谷寺は、十䞀面芳音で名高い花の寺だ。登廊ず呌ばれる屋根付きの回廊を登りながら、牡䞹や桜の季節に蚪れおみたかった。

奈良は広い。そしお、深い。

2泊3日では到底汲み尜くせない。それどころか、行けば行くほど次に行きたい堎所が増えおいく。困った話だが、悪い気はしない。

「たた行こうね」ずいう蚀葉は、きっずこれから䜕床も蚀う。それが奈良ずいう土地の、眪なずころだず思っおいる。

#創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

 
 
聖曞ず営業ず音楜ずおいしいごはんの日々。そのずきどきに心に留たる聖曞のこずばを取り䞊げお、自分なりに解釈したす。営業っお倧倉なシゎト。けれど、聖曞を読んで「売るこずよりも仕えるこず」「貰うよりも䞎えるこず」を知るず、営業が楜しめるようになり、やがお幞せが感じられたす。

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