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アメリカの䌚瀟で、英語力より先に評䟡されたもの

    アメリカの電話のベルは、せわしない音がする。
    鳎るたびに、僕の肩は跳ねた。

    䜓を䌞ばすふりをしお、たわりを芋枡す。
    誰か出ろ、出ろ、出ろ。
    䞉回目たでは、呜什圢。

    出おくれ、たのむ。
    四回目は、お祈り圢。

    䞀぀息を吐く。
    五回目は、あきらめお受話噚を握る。
    圓時の僕に残された猶予は、あず九十日。
    この囜に居られるかどうかが、そこで決たる。

    倖囜人は雇えない

    僕が最初に勀めたのは、二十人ほどのアメリカの枬量事務所だった。

    きっかけはバンド仲間だった。
    圓時、卒業を控えた僕の就職掻動は、難航しおいた。
    僕の専攻は、航空宇宙工孊。
    ロケットや飛行機の蚭蚈や䜜り方を孊ぶ孊問だ。

    父は、ダメダメな姿しか芋たこずがないが、もずもず飛行機の敎備士だった。倜孊で倧孊に通い、就職した小さな敎備䌚瀟がたたたた倧手に買収され、フラむト゚ンゞニアになっお空を飛んでいた。
    今はもう、コンピュヌタヌに取っお代わられた職皮だ。

    あの父が空なら、僕は宇宙だ。いやNASAだ。

    そんな単玔な発想から遞んだ専攻だった。本圓のこずを蚀うず、パむロットや航空管制官を目指そうずした時期もあった。目が悪くお、早々に諊めた。
    いや、そもそも目じゃなくお、脳のシワの方かもしれないけれど。

    乗れないなら、䜜ればいい。

    安盎だ。

    越えようずしたその空を、9.11が倉えた。

    飛行機は、あの日から「乗り物」ずいう定矩を曞き換えた。
    そしお僕が孊んできたロケットは、ミサむルず同じ軌道蚈算を䜿う。
    それは぀たり、僕の知識が、囜の守るべき技術の偎に入ったずいうこずだった。壁は、倖囜人の僕の前にだけ、いきなりそびえ立った。

    アメリカの倧孊には、卒論の代わりにこんなプロゞェクトがある。四幎生がチヌムを組み、地元の航空関係の䌁業から䞎えられた課題に取り組み、最埌はその䌁業でプレれンをする。日本ず違い、これが就掻だ。

    倧孊を卒業すれば、専攻した分野に限り、孊生ビザの延長で働くこずもできる。9.11からすでに四幎。だが、䌁業担圓者ず仲良くなっおも、倖囜人ず䌝えるず、そこで扉は閉たった。

    五瀟、問い合わせた。五瀟ずも、同じ答えだった。

    レゞュメは受け取れない。
    倖囜人は雇えない。

    英語力䞍足でも、成瞟䞍足でもない。パスポヌトの色で、扉が閉たる。
    努力の倖偎で決たっおしたうこずが、この䞖界にはあるこずを知った。

    就職が決たったアメリカ人の友人でさえ、楜ではなかった。バックグラりンドチェックずいう審査があり、本人の犯眪歎はもちろん、家族の犯眪歎たで培底的に調べられる。すべお終わるたで半幎、長い人だず䞀幎。それたでは研究資料に䞀切觊れられず、机の䞋で手を組み、ただ無事を祈るしかないずいう。

    アメリカ人で、それだ。
    僕の心は、そこで折れかけた。

    もう、諊めるか。

    図曞通をセカンドハりスず呌べるようになった英語力も、この状況では、ただの前提条件だった。英語が話せる人間なんお、この囜には掃いお捚おるほどいる。圓たり前だ。ここはアメリカなのだから。

    ずは蚀っおも、日本䌁業も圓時は冷たかった。クォヌタヌ制の卒業は六月。
    四月入瀟に間に合わない僕は煙たがられた。囜際電話の向こうの人事担圓者の声は、より遠く感じた。

    ぀くづく自分のタむミングの悪さに、苊笑いする。

    僕の呚りにいた日本人の友人は、早々に芋切りを぀けお垰囜しおいた。
    残ったのは、僕ずもう䞀人ぐらい。

    ただ単に意地になっおいただけかもしれないが、あきらめたくなかった。

    あごひげサンタずカヌネル

    卒業しお二ヶ月が経っおいた。仕送りもそろそろ底を぀きそうだ。
    そんなこずを考えながら、僕は緎習スタゞオに向かった。

    二幎ほど前から、僕はなぜかバンドをやっおいる。たたに友人が出挔するラむブに顔を出し、䞭叀で買った䞀県レフのカメラで撮っおいた。

    「ドラム叩ける人がいないんだよね」

    断れないたた、二幎が経っおいた。南カリフォルニアはパンク・ロックの発祥の地だ。

    「ズッ・チャ・ズズッ・チャ。これをひたすら繰り返すだけだ、それがパンクだ」ず教えられた。

    そんなわけない、ずは蚀えなかった。
    蚀えないたた、い぀の間にかお叀のドラムセットを譲っおもらい、
    シンバルの数が増えおいた。

    スタゞオは節玄のため、別のバンドずシェアしおいた。䞀緒にラむブをしたり、呑みに行ったり、バヌベキュヌをしたり。その日はたたたた、緎習が入れ替わるタむミングで顔を合わせた。

    䞖間話皋床に、アメリカに残るのは倧倉そうだよ、ずこがした。
    するず、返っおきたのは同情ではなかった。

    「CADはできるか うちの䌚瀟で探しおるぞ」

    聞けば、圌はその䌚瀟のマネヌゞャヌらしい。

    埅お埅お埅お。

    顔を芆い尜くす長いあごひげ。酔っぱらうず目が据わっお、呚りに奢りたくる性栌。ふくよかなお腹。
    僕の知っおいる圌は、マネヌゞャヌずいうより、週末にタダ酒を振る舞うサンタクロヌスだった。

    嬉しさより、怪しさが先に来た。

    どんな䌚瀟だ

    枬量事務所だずいう。倧孊でCADの授業は取っおいた。コンピュヌタヌを䜿っお図面を匕く。成瞟も悪くなかった。でも、それを「歊噚」だず思ったこずは䞀床もなかった。゚ンゞニアの䞖界では、CADは読み曞きず同じ、できお圓たり前のものに芋えおいたからだ。

    音楜の瞁が、仕事の瞁になった。人生は、どこで䜕が繋がるか分からない。ズッ・チャ・ズズッ・チャを二幎繰り返した先に、
    あごひげサンタがHo・Ho・Hoずプレれントを持っおきおくれた。

    垰るずすぐに、酔いも芚める前に、レゞュメをサンタに送った。
    パンク・ロックな人生だ。倚分。

    面接は、いきなり瀟長だった。

    小さな䌚瀟だから、圓たり前ずいえば圓たり前か。
    オフィスは空枯近くの平屋の䞀角。
    飛行機やロケットを蚭蚈するはずだった僕は、
    飛行機の音が空に響く堎所で、
    地面を枬る仕事の面接を受けおいた。

    人生ずはそんなものかず、口元が少し緩む。

    通された瀟長宀には、ペットの絵が食っおあった。
    癜髪で、髭はないが、半ズボンにアロハにサンダル。
    カリフォルニア颚のカヌネル・サンダヌスだ。
    僕は密かに、圌をカヌネルず呌ぶこずにした。

    カヌネルは僕の簡単な経歎を聞くず、曞類をぜんずデスクに眮いお蚀った。

    「明日から来れるか」

    「はい」

    話を聞いおから考えようず思っおいたが、考えるより先に口が答えおいた。
    郚屋を出お駐車堎に向かうず、ちょうど飛行機の着陞音が空を芆った。
    その音が心地よく聞こえた。

    垰りの車の䞭では、お気に入りのゞェむ゜ン・ムラヌズを口ずさんでいた。

    だが、浮かれおいられたのは、その日の倜たでだった。

    僕の孊生ビザは、あず十ヶ月で効力を倱う。
    働き続けるにはワヌキングビザが芁る。
    そしお申請には、僕にずっおは莫倧な金額がかかる。
    䌚瀟がスポンサヌになっおくれるこずが倧前提だ。
    結果を出しお、䌚瀟ず亀枉しお、手続きにかかる時間から逆算するず、
    猶予は九十日。

    あず九十日で、この䌚瀟に「こい぀を雇い続けたい」ず思わせなければならない。

    昚日たで孊生だった僕に突き付けられた、それが珟実だった。

    カレンダヌに小さく印を぀けた。

    砂時蚈は、もうひっくり返っおいた。
    䞭はカリフォルニアのビヌチず同じ、癜くサラサラの砂で、
    萜ちるのが、速く感じられた。

    電話くらい取らなくおどうする

    翌朝、蚀われた通りに出瀟した。

    オフィスは、倩井の高い倉庫のような建物だった。仕切りの䜎いブヌスが䞊び、壁䞀面に倧きな図面が貌られおいた。みな、思い思いにブヌスを食っおいた。
    入ったすぐ奥では、誰かが、い぀淹れたかわからないコヌヒヌポットから、
    どす黒いコヌヒヌを泚いでいた。
    昔のルヌムメむトの淹れるLavazzaが、ふず恋しくなった。

    カヌネルが僕を連れお回り、䞀人ひずりに玹介しおくれた。
    出瀟しおいる党員分の名前ず握手。䞉人目あたりから、
    名前は右から巊に流れおいった。

    芋知った顔もあった。
    あのあごひげサンタは、個宀を䞎えられたマネヌゞャヌだった。
    バヌで酔っぱらっお奢りたくっおいた男が、しかめ面で画面ず向き合っおいる。ギタヌを匟く手が、マりスを握ったたた止たっおいた。

    そのバンドでドラムを叩いおいた男もいた。
    珟堎の枬量担圓だった。
    なんのこずはない、バンドの同窓䌚みたいな䌚瀟だった。
    それでも、僕はホッずした。

    僕の同僚も濃かった。
    ヒッピヌの代衚栌のようなむケメンさわやかむラストレヌタヌ。
    メキシコ系のちょび髭ヒップホッパヌ。
    二人は同幎代で、すぐに意気投合した。

    服装は自由で、僕も短パンにサンダル、Tシャツで働けた。
    カリフォルニアだった。

    ただ、アゞア人は、僕䞀人だった。

    䞎えられた垭に座る。真新しい画面に、自分の名前のアカりント。
    孊生ではない自分が、そこにいた。

    初日から、党力で取り組んだ。

    ひず぀だけ、うれしい発芋があった。
    珟堎から集たる地面のデヌタは、衛星ず亀信しお座暙ず玐づけられおいる。

    僕の仕事も、宇宙ず繋がっおいた。
    画面に広がる無数の点が、銀河の星に芋えた。

    ただ、どうしおも奜きになれないものも䞀぀あった。

    電話だ。

    察面なら、衚情や身振りでなんずかなる。聞き返すこずもできる。図面を指差すこずだっおできる。でも受話噚の向こうには、声しかない。早口だし、耳が远い付かない。

    小さい䌚瀟だから、倖線は党郚の垭で鳎る。普段は出なくおもいい。でも僕は、五回鳎っお誰も出なければ取る、ず自分で決めおいた。新入りで、倖囜人で、ビザを埅぀身だ。電話くらい取らなくおどうする。四回目たでは祈り、五回目で芚悟を決める。それが僕のルヌルだった。

    「What's up」ず気心の知れたクラむアントなら、ただいい。問題は、発泚元の倧手の担圓者や、せっかちな担圓者だ。受話噚の向こうから、舌打ちが聞こえおきそうだった。聞き返すたびに、空気が䞀床ず぀冷えおいく。

    ベルが鳎る。

    䞀回、二回、䞉回。「出ろ、出ろ、出ろヌ」ず心の䞭でけしかける。

    四回。誰か出おくれ、ず祈る。

    祈りながら、カレンダヌの印を思い出す。

    九十日。

    五回目。信仰心を捚おお、受話噚を握る。

    僕は目の前の仕事を、必死でこなした。分からないこずがあれば、すぐに聞いた。そこにプラむドの入る䜙地はない。今の僕には、分かったふりをしおいる時間がなかった。

    みんな快く教えおくれた。
    手を止めお、図面を広げお、時には僕のモニタヌの前たで来お。

    補図チヌムが珟堎に出るこずは、普段はないらしい。
    でも僕は、早く仕事を芚えたくお、自分から頌んで垯同させおもらった。
    ヘルメットを被り、ベストを着るず背筋が䌞びた。

    「䌌合っおいるじゃないか」

    責任者は筋肉隆々の腕にびっしりタトゥヌが入っおいお、い぀もサングラスをかけお目を光らせおいる。
    芋た目ずは裏腹に、僕がメキシコ料理に目がないこずを知っおからずっず優しくしおくれおいた。

    小さな䌚瀟の、いいずころが詰たっおいた。

    ただ、聞いおたわるうちに、あるこずに気付いた。

    自分の領域を䞀歩でも出るず、答えは決たっお同じだった。

    「それは俺の仕事じゃないから、分からないな」

    悪気はない。冷たいわけでもない。
    責任の範囲がはっきりしおいる、アメリカらしい割り切りだ。
    枬量の専門家がいお、図面の専門家がいお、蚈算の専門家がいる。
    それぞれが、それぞれの持ち堎を守っおいる。
    塀の内偎は完璧に。塀の倖偎は、知らない。

    専門家は、いる。

    ただ、繋ぐ人がいない。

    僕は盎感的に、もったいない、ず思った。

    小さいころから、僕は片付けが苊手だ。
    そしお頭の䞭も同じだ。
    分類する。敎理する。倧事なのはわかっおいる。
    でも、考え始めるず頭が少し混乱する。
    それよりも䞀緒にたずめお考えおしたうのが楜だった。
    枬量、図面、蚈算を分ける必芁があるずは思えなかった。

    コンピュヌタヌは僕の英語を笑わなかった

    僕の仕事は、珟堎が集めた枬量デヌタや法埋甚語で曞かれた土地の暩利を集めお、図面䞊にプロットするこずだった。

    やっおみお、すぐに気付いた。デヌタの入力方法が、人によっおバラバラなのだ。フォヌマットも、名前の付け方も、保存堎所も。
    カリフォルニアの自由な気質ず同じぐらい、
    みんながみんな、自由に衚珟しおいた。

    前工皋の癖を、埌工皋で䞀぀䞀぀手䜜業で盎しおいく。
    補図チヌムの誰もそれを疑問に思っおいない。
    ずっずそうやっおきたからだ。

    英語では敵わない。電話では肩が跳ねる。

    でも、これなら。

    僕は仕事の合間に、党䜓の流れを玙に曞き出しおみた。
    誰が、䜕を、どの圢匏で䜜り、誰に枡しおいるのか。
    矢印だらけになった玙を俯瞰しおみるず、滞りは面癜いほどはっきり芋えた。みんなが「俺の仕事じゃない」ず蚀う、塀ず塀の間。
    そこにデヌタが散乱しお、補図チヌムが圓たり前のように拟い集めおいた。

    デヌタが生たれるのは、珟堎だ。
    僕は珟堎責任者ずブリトヌを食べながら話をしおみた。

    珟堎で入力するデヌタ圢匏を統䞀できないか。
    圌は少し困った顔をした。
    そんなこずは、この䞖界で十幎やっおいるが誰にも蚀われたこずがないず。

    「ただ、あの入力はめんどくさいんだよ」
    「楜になるのか」

    なる。実はマニュアルも䜜ったし、入力端末にもむンストヌルできるから、盎感的に䜿える。僕はブリトヌを飛ばしながら必死に説明した。

    「お前は倧孊を出おいる。それだけでリスペクトだ」
    「ブリトヌも奜きだしな」
    そう蚀っお圌は頷いた。

    僕は䞀緒に珟堎に出お、やっお芋せた。

    「今たで䞀から手で打っおいたのが、銬鹿らしくなるな」
    ず圌は豪快に笑った。

    英語が通じるこずより、䜕倍も嬉しかった。

    デヌタが綺麗になるず、できるこずが劇的に増える予感がした。
    むンタヌネットで調べながら、簡単なプログラムを曞き始めた。
    統䞀されたデヌタをチェックしお揃え、皮別ごずに線で぀なぐものだ。

    名付けお「AutoDraw」。

    安盎だ。だができたら革呜だ。倚分。

    プログラミングは専門倖だったが、幞い、コンピュヌタヌは僕の曞く英語を笑わなかった。間違えれば、冷培に゚ラヌを返しおくるが、それは真っ赀に染たったラむティングの課題で慣れおいた。
    機械が盞手な分、気が楜だ。

    盎せばいい。䜕床でも。

    倜、アパヌトに垰っおからも考え続けた。
    アむデアを曞き留め、次の日、たた次の日ず改善を重ねた。

    気付けば、電話のベルにびくびくしおいた時間が、コヌドのこずを考える時間に眮き換わっおいた。

    動いた瞬間のこずは、今でも芚えおいる。画面の䞭で、手䜜業なら䞀日かけおいた凊理が、数秒で終わった。僕は思わず呚りを芋回した。誰も芋おいなかった。少し残念だったが、革呜ずはそういうものらしい。倚分。

    改良を重ねるず、二週間かかっおいた仕事が、䞉日で終わるようになった。

    最初に気付いたのは、あごひげサンタだ。
    僕が図面を匕くず圌に提出するこずになっおいたからだ。
    「どうなっおいる これ昚日の珟堎デヌタだろ 早すぎないか」ず、
    矢継ぎ早に質問しながら、僕のモニタヌを芗き蟌んできた。
    同僚たちも、なんだなんだず垭の呚りに集たっおきた。

    しばらくしお、瀟長に呌ばれた。

    ペットの郚屋だ。

    郚屋に入るず、カヌネルは怅子の背にもたれたたた、単刀盎入に聞いおきた。今日も、アロハだった。

    「䜕が起こったんだ」

    目は笑っおいた。
    僕は自分のノヌトパ゜コンを持ち蟌んで、目の前でプログラムを走らせた。
    バラバラのデヌタが、線で぀ながり、みるみる敎列しおいき、建物ず土地の圢が浮かび䞊がった。

    僕にはそれが、星座にも芋えた。
    宇宙は自分で芋぀ければいい。

    拙い英語で、身振り手振りで、必死に仕組みを説明した。電話ずは違い、䞍思議ず蚀葉は出おきた。画面が、僕の代わりに喋っおくれおいたからだず思う。

    カヌネルはしばらく画面を眺めお、それから僕を芋た。

    「すごいな」

    その堎で、絊料が30䞊がった。

    そしお、こう蚀っおくれた。

    「俺に䜕かできるこずはないか」

    ビザのスポンサヌの件をたくし立おた。

    郚屋を出た埌、僕はトむレの個宀で䞀人、声を殺しおガッツポヌズをした。

    家たでの垰り道、車の䞭で気付いた。

    僕は英語力で評䟡されたのではなかった。
    あれだけ死ぬほど勉匷しお、倢にたで出おきた英語は、面接の日から䞀床も耒められおいない。
    むしろ、英語から逃げた先で拟ったもので、評䟡された。

    英語以倖の歊噚を䜜らないず、この囜では生き残れない。

    蚀い換えれば、歊噚さえあれば、英語が拙くおも、垭は甚意される。

    カレンダヌの印は、ただ過ぎおいなかった。僕は初めお、印の先の日付を、少しだけ楜しみに思えた。

    評䟡ずクビは同じテヌブルで決たる

    その頃の䌚瀟は倧手䌁業ずの契玄が決たったばかりで、
    人手が足りず、どんどん人を雇っおいた。

    僕の䜜ったAutoDrawをもっおしおも捌くのが倧倉だった。

    ある日、僕よりかなり幎䞊の男性が入っおきた。僕は圌の教育係のようなものになった。数ヶ月前たで「明日から来れるか」ず蚀われおいた偎の僕が、である。人生は、どこで立堎が入れ替わるか分からない。

    ただ、圌は芚えが悪かった。

    䜕回教えおも、メモを取らない。同じずころで、同じように間違える。
    正盎に蚀えば、やる気も感じられなかった。
    若造に、英語の拙いアゞア人に教わるこずなどない。
    蚀葉の端々から、そう蚀われおいる気もした。

    それでも僕は根気よく教え続けようずした。ほんの少し前の自分が、みんなに教えおもらっおいたからだ。手を止めお、図面を広げお、モニタヌの前たで来お。あの借りを、僕は圌に返しおいる぀もりだった。

    䞉ヶ月ほど経った、ある日のこずだった。

    朝、い぀も通り圌に挚拶をしお、仕事を始めた。昌はい぀も通り、倖ぞ食べに行った。サルサのきいたカリフォルニアブリトヌが売りの店だ。䞡手で抱えおかぶり぀く。いい昌だった。

    戻るず、圌が垭にいなかった。

    圌のブヌスは、僕の真埌ろだ。進捗を確認しようず芗き蟌んでも、いない。䌚議宀にも、䌑憩宀にもいない。䞍思議に思っおいるず、䞊叞に呌ばれた。

    「圌はクビにしたよ」

    え

    聞けば、ちょうど今朝、カヌネルずマネヌゞャヌたちのミヌティングで決たったらしい。あのあごひげも、その郚屋にいたのだろうか。僕が圌ず挚拶を亀わした、あの埌に。

    圌のブヌスには、荷物がそのたた残っおいた。マグカップも、家族の写真も。決定したら、コンピュヌタヌには䞀切觊らせない。だから、ずりあえず本人だけ倖に出す。荷物は、埌から郵送するそうだ。

    「君のプログラムもあるしね」

    僕はお昌に食べたブリトヌの味を、もう䞀床飲み蟌んだ。

    その日の午埌、真埌ろのブヌスは、ずっず静かだった。振り返っおも、誰もいない。たるで最初からいなかったかのように、い぀も通りの電話ずキヌボヌドの音だけが静かに響いおいた。

    マグカップだけが、眮いおいかれた朝の続きを埅っおいた。
    それもい぀の間にか総務の人が来お、乱暎に段ボヌルに詰め蟌んでいった。

    30の昇絊ずビザの玄束は、確かに嬉しかった。でも、それは「守られる」ずいう意味ではなかったのだず、空っぜのブヌスが教えおくれた。

    評䟡ずクビは、同じテヌブルの䞊で決たる。

    同じ郚屋で。
    もしかしたら、同じ口調で。

    あずで「90-Day Review」ずいう蚀葉を知った。
    僕が勝手に匕いたカレンダヌの印は、実はこの囜の残酷なシステムそのものだったのだ。

    今朝の圌ず、九十日前の僕の間に、線なんお匕かれおいない。
    そこにバンドの぀ながりが入る䜙地もない。

    そんな䞍安を芋透かすように、電話のベルが鳎った。

    肩は跳ねた。僕は、二回目で受話噚を取った。

    小切手の重さ

    ビザの申請には、カヌネルも䞀緒に来おくれた。

    匁護士事務所の応接宀。難しい曞類の説明が続く䞭、申請料の話になった。八千ドル。読み䞊げられた金額に、僕は背䞭に汗をかきながら
    そっずカヌネルの方を䞋からのぞいた。

    カヌネルは胞ポケットから小切手垳を出すず、その堎で、さらっず曞いた。

    さらっず、である。

    僕が新聞配達の奚孊金で買った、ボロボロのアメ車より高い金額を、アロハの男は、家賃を払うかのように曞いた。
    駐車堎に戻るず、圓時ただ珍しかったレクサスの隣で、カヌネルが
    手を差し出しおきた。

    「これからも頌むよ」

    その手の倧きさず力匷さに僕は圧倒されながら、お瀌を䌝えた。
    この小切手の重さを、忘れないでいようず思った。

    そしお数ヶ月埌、ビザは承認された。

    間に合った。

    カレンダヌの印を、そっず消した。
    砂時蚈も消えおいた。

    でも、あの空っぜのブヌスを知っおしたった僕は、もう知っおいた。
    砂時蚈は消えたのではない。ただ、芋えなくなっただけだ。
    この囜で働くすべおの人の机の䞊で、音もなく萜ち続けおいる。
    だから僕は、次の歊噚を探し始めた。

    英語の向こう偎

    あれから随分経った。

    今は日本で、英語や留孊に関わる仕事をしおいる。
    「どうやったら英語力が䌞びたすか」ず聞かれるこずも倚い。
    もちろん、真剣に答える。死ぬほど勉匷した身ずしお。
    ずいっおも、䌝えられるのは心構えぐらいだけれど。

    でも、心の䞭では、あの空っぜのブヌスずペットの郚屋を思い出す。

    僕が最初にもらった評䟡は、発音でも、語圙力でも、TOEFLの点数でもなかった。

    バラバラなものを眺めお、もったいない、ず思ったこず。

    繋ぐ人がいないなら、自分が繋いでみようずしたこず。

    僕の䞭で、英語は「歊噚」から「乗り物」に曞き換わった。

    英語力より先に評䟡されたもの。

    それは倚分、英語の向こう偎を芋ようずする目だった。

    今でも、それだけは䌝え続けたいず思っおいる。



     
     
    留孊ず英語の向こう偎を、ナヌモアで案内する囜際教育ナビゲヌタヌ。 🗜米囜倧卒→アメリカ䌁業→日系→公益財団→倖資系。人生の玄3割は海倖暮らし。 留孊する人ず、送り出す家族を応揎しおいたす。 人生はだいたい間が悪い。でも、人には恵たれおきた。 ゚ッセむ「僕のぬか床」発酵䞭。

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