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第2話 『これっぽっちも良くないわい!』

    父は、昔から誰にでも心を開く。

    それだけは胸を張って言える。

    だから私は施設の面談で、毎回そこだけは力いっぱいアピールしてきた。

    誉められるところは、それしかない。

    その長所のお陰で、父は施設でも入所仲間に囲まれ、穏やかに過ごしている――その筈だった。

    ところが師走である。

    施設では、一時帰宅の話題が増える。

    正月に家へ帰れる人。

    帰れない人。

    それぞれに事情がある。

    そんなある日、施設から電話が鳴った。

    またやらかしたのか。

    恐る恐る電話に出る。

    「いつも父がお世話になっております。」

    施設長だった。

    「お父様の件で、お時間よろしいでしょうか。」

    時間はある。

    だが、『無い、と言え』と直感が囁く。

    あぁ、話が始まってしまった。

    「現在は落ち着いていらっしゃいます。お怪我もありません。」

    怪我はない。

    私は胸をなで下ろそうとした。

    「実は、非常口のガラスを割られました。」

    ガラス。

    まさか、弁償か。

    ガラスの値段が頭の中を駆け巡った。

    ――高い。

    私の顔が般若に変わった。

    ――頼む。

    網入りの大きいガラスではありませんように。

    施設長の話は続く。

    「問題は、その後なんです。」

    まだ、あるの?

    「入所者の皆さんを連れて脱走をしました。」

    父ならやりかねない。

    ――いや。

    あの身体だ。

    一縷の望みをもった。

    帰宅できず元気をなくしている入所者仲間を見て、父は我慢ならなくなったらしい。

    「正月だけでも、家に帰してやってくれないか。」

    職員へ何度も頼んだ。

    当然、無理なことである。

    すると、父は強行手段に打って出た。

    職員の目が届きづらい非常口に目を付け、

    四肢麻痺が残る身体で、テーブルを引き摺り、

    その角をガラスへ何度も打ちつけたのである。

    ――なるほど。

    いや、納得している場合ではない。

    施設は大騒ぎになった。

    気付けば、父の周りへ入所者の皆さんがわらわら集まってきたという。

    いつの間にかリーダーになっていた。

    父は声を張り上げた。

    「みんなで帰ろう!」

    いや、帰ってくるな。

    私は項垂れた。

    退所勧告だろう。

    「直ぐに弁償をさせてください。」

    床に頭がのめり込むほど平謝りした。

    施設長は逆に私を気遣ってくださった。

    「高額になりますので、本部とも相談して、負担を抑えられないか検討しています。」

    ありがたかった。

    本当にありがたかった。

    それでも私は全額の弁償をお願いした。

    退所勧告も不問となり、充分すぎるほど配慮をいただいたからだ。

    この父を預かってくださるだけで頭が上がらない。

    恥も外聞もあるものか。

    いや、とっくに捨てている。

    数日後。

    父に会いに行った。

    父は神妙な面持ちで、話の切り出しを窺っている。

    少しは懲りたか。

    私は笑いを堪える。

    父はやっと口を開く。

    「実はな、困ったことに物が壊れてしまってな。」

    物。壊れた。

    白々しい。

    吹き出しそうになった。

    「みんな、『正月に帰りたい』と言ってなぁ。」

    「帰れなくて元気をなくしていたんだ。」

    「だから帰してやりたくてな。」

    気持ちは分かる。

    「ガラスの扉が開かなかったから、割った。」

    さっぱり分からない。

    割ることはない。

    抜き足差し忍び足では駄目なのか。

    いや、分かってやりたくもない。

    父は真剣だ。

    「みんなを連れて警察で事情を話せば、家まで送ってくれると思ったんだ。」

    「駄目な時は、弁護士の所へ行って、みんなを助けてもらう段取りだった。」

    未遂で済み、恥が広がらないだけマシだった。

    そして、父は目に涙を浮かべて言った。

    「みんなが泣いて喜んでくれるんだ」

    「『よくぞやってくれた』と、拍手喝采してなぁ。」

    「みんなは、生きる元気をもらった、と言ってくれるんだよ。」

    父の涙はまだこぼれる。

    「帰してやれなかったことが心残りなんだ。」

    父は涙を拭ってから言った。

    「やって本当に良かった。」

    あぁ、私も泣けてくる。

    ――

    これっぽっちも良くないわい!

    父は最後に、思い出したように言い足した。

    「済まないが、弁償を頼むな。」

    涙も乾き、その表情は実に清々しい。

    父よ。

    次回は安い物を壊してくれ。

    第2話 了

     
     
    父が四肢麻痺になったことをきっかけに、家族の日々を綴っています。 父に奔走する兄妹。 次々と起こる出来事を、家族の目線から笑える物語にして、「父と兄妹の介護サバイバル」を書き続けています。

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