
#7前編 自分の人生を生きると決めた日- 結婚記念日に離婚が成立-
前世療法で「内なる自分」と出会ってから、
僕を取り巻く現実は、まるで連続ドラマの一気見のように急激に変化し始めた。
前世療法が、現実を変えた
(#6 からのつづき)
前世療法で、内なる自分と出会った僕の現実は、急激に変化した。
副業ではじめたコンサルタントの仕事が、
ライター業の仕事を量も収入も上回るようになり、
ついにライター業をやめることになった。
同時に法人向けのコーチングの仕事もはじまり、
フリーの組織・人材コンサルタントとしての活動は確固たるもになっていった。
面白いほどに収入が増え、望んでいた案件が次々と舞い込んでくる。
まさに無双状態。
内面を変えるだけで、こんなに変化があるなんて。
前世療法は本当にすごい。
同時に以前から夢だった高級ホテルにも泊まった。
シャングリラ東京のスイートルーム。
以前は1泊1万円ですら躊躇したのに、
1泊25万円を超える部屋に、簡単に泊まれた。
人は使ったことがない額の金額を使うと、内面がさらに大きく変わるらしい。
その実験は本当だった。
高級ホテルでの体験が、さらに仕事へのモチベーションにつながり、
さらなる仕事の受注にもつながった。
いつしか収入は、会社員の収入の倍以上になっていた。
この無双状態はいつまでも続くものだと、僕は調子にのった。
すべては僕自身が内側の冒険をはじめ、自分の幸せを選び、自分自身を大切にしはじめた結果だった。
#6で「すぐに離婚を選ばなかった」僕が、それでも着実に変わっていた。
クリスマスの電話
その後もフリーのコンサルタントとして複数の案件を持つようになった。
ある大手上場企業のプロジェクトで僕の提案が評価され、
そのプロジェクトはその後2年も続くようになった。
ある日、僕の携帯に電話がかかってきた。
一緒にコンサルタントのチームで仕事をする営業担当者からだった。
「在人さん、うちの社員になるとかないですよね?」
「入社いただければ、現在よりよい条件でオファーをお出しします」
12月25日。
ちょうどその日はクリスマスだった。
ひょっとしたら、これは神様からのクリスマスプレゼントかもしれない。
そう考えた僕は、クリスマスのオファーを受けることにした。
またこの流れか
小さなコンサルティング会社の社員となった僕は、
HRコンサルティング事業の立ち上げを任された。
#6ではじまった霊能者稼業はそっちのけで、
直感よりもひたすらロジックとお金を重視する世界にどっぷりつかった。
半年程度で数千万円の売上になり、チームメンバーを複数抱えるまでになった。
そして僕はまた自分が超感覚を持つ人間だということを忘れていた。
ある日、フリーのコンサルタントの大先輩、荒木さんと出会った。
荒木さんは50代の大ベテラン。
日本で外資系コンサルティング会社が出資するファンドを立ち上げた人物だ。
ハゲタカファンドと呼ばれていた時代に、ファンドの日本法人の社長として活躍していた。
荒木さんはアメリカで就職して、セガの親会社であるCSKに入社。
CSK創業者の大川氏とも仕事していた。
アメリカでは、シリコンバレーに住み35歳から20年以上も社長をやっているプロ経営者でもある。
荒木さんと居酒屋で飲むことになり、飲みながら荒木さんの身の上話をきいた。
プライベートエクイティファンドで活躍し、シリコンバレーでは当時を席巻するIT企業にも出資した。
ペイパルの創業者のピーター・ティールや、ジェフ・ベゾスにも会ったらしい。
日本では40代で起業して赤坂で事務所を構えるまでに至った。
その後は2社目を起業していまはフリーのコンサルタントとして活躍している。
「そういえば、荒木さんの事務所はこの近くでしたよね?」
僕はハイボールを傾けながら荒木さんに尋ねた。
こんなすごいキャリアの人と一緒に仕事できるなんて!
内心、僕は舞い上がっていた。
「そうなんです。」
荒木さんはとても丁寧な人だ。目下の人にも敬語で話してくれる。
「実はこの近くに、豊川稲荷さんの分社がありましてね」
「事務所を探していたら、たまたま豊川稲荷さんをみつけまして、それでとんとん拍子で事務所を契約できたんです」
荒木さんは神妙な面持ちで、慎重に僕に語りかけてくれた。
現役のコンサルタントで、しかもシリコンバレー経験も、ファンド経験もある経営者が、何やら神様の話をしはじめた。
僕は荒木さんのイメージとのギャップに少し驚きを隠せなかった。
「荒木さんは信心深いんですね」
僕は自分自身が霊的な感覚を持っていることを隠したまま、
荒木さんに対して当たり障りのない相槌を打った。
「そうなんです。会社を経営していると、どうしてもどうにもならないときってありますよね」
「だから私は毎朝、神様にお祈りしているんですよ」
荒木さんはとても落ち着いたトーンで説明してくれた。
「それでもどうしても、どうにもならないときは、先生に頼みます」
荒木さんから突然、「先生」という言葉がでてきた。
先生・・なんだろう。荒木さんの先生って。
僕が少しきょとんとしていると、荒木さんは話をつづけた。
「経営者専属で、見えない力で解決してくれる人がいるんですよ。いわゆる霊能者さんですね」
霊能者きたー!
僕は普通に仕事の話をしていただけなのに、
なぜかまた急に神と霊能者の話が始まった。
完全にデジャブ。過去に経験した流れだ。
でも、こんなロジカルと金融バリバリの人が頼る霊能者さんてどんななんだろう。
僕は興味がわいた。
「荒木さん、よければ僕にその霊能者さんを紹介してくれませんか」
仕事の付き合いもあったので、僕はさっそくその経営者専属の霊能者である、亀山先生(仮称)を紹介してもらった。
「いいですよ。ここに電話してみてください。でも人をすごくみる人です。電話に出なければご縁がなかったと思ってください」
荒木さんの言葉に僕はドキドキした。
ー電話、つながるだろうか。
結婚記念日が終わりの日
翌朝さっそく出勤途中で、荒木さんから教えてもらった亀山先生の電話番号に電話をかけた。
10回ほどコール音がなり、留守番電話に切り替わった。
朝の8時45分。
少し早かったかもしれない。
一瞬僕はあきらめかけた。
「もしもし?どなた?」
その時、急に少ししゃがれた年配の女性の声がきこえてきた。
「あの、、亀山先生でしょうか?荒木さんのご紹介で」
僕は急に出てきたおばあちゃんの声に驚きながら、たどたどしく問いかけた。
「そうよ。あなたは?誰の紹介だって?」
すこしぶっきらぼうな話し方で亀山先生は僕に聞き返した。
「あ、はい。荒木さんのご紹介で。在人と申します」
「ああ、荒木さんね。元気にしてる?」
「はい、元気です」
「いまはね、コロナもあったから対面やってないの。電話でね。」
亀山先生は、空気を察したのか相談予約の日程調整を切り出した。
「わかりました!」
僕は少し緊張しながら返事をした。
「ちょっとまってちょうだい」
亀山先生の電話口から、何やらゴソゴソと、ノートを開くような音が聞こえてきた。
「今日は事務所にいない予定の日だったんだけど、たまたま物をとりにきてねぇ」
「ほんとは出ないつもりだったけど、なんか電話に出てしまったのよ」
まさか、なんてラッキーなんだ。これは何かの運命かもしれないとさえ僕は思った。
「じゃあ木曜日の17時ね。時間通り電話かけてきてちょうだい」
あっさりと予約がきまった。
これはなんとしてでも予定を調整せねば。
僕はすぐに木曜日の予定を調整して時間を確保した。
ーそして木曜日。
その日はとても天気がよい日だった。
僕は16時半ころから、お気に入りの皇居前の公園に行き、
噴水をながめながら17時を待つことにした。
ちょうど17時。亀山先生に電話をかけた。
「ああ、あなたね。で、なんの相談?」
今度は数コールで亀山先生がでた。
相変わらず亀山先生はぶっきらぼうに話す人だ。
「最近、仕事に満足しているものの、なんかパッとしない気がしまして」
僕は特に悩みはなかったが、もっと収入を得たいと思い仕事の質問をした。
「あなた、女性関係で悩んでいるわね。奥さん?別れたいの?」
一瞬、僕の呼吸が止まった。
亀山先生から完全にナナメウエの質問がかえってきた。
その質問は僕にとって図星だった。
ー仕事の質問をしたはずなのに・・、え、どうして、え、まってなんでわかるの?
荒木さんとの付き合いから、たまたま霊能者に電話しただけなのに、
完璧に言い当てられてしまい、僕はパニックになった。
「女性関係を解消しない限り、仕事もうまくいかないわよ。どうするのか決めなさい」
僕のパニックを察したのか、亀山先生は僕を諭すようにアドバイスをつづけた。
妻とはしばらく冷戦状態だった。
数年前に妻の不誠実がわかり、離婚すること自体は決まっていた。
でもその後、コロナに突入したことで離婚の話はうやむやになっていたのを僕自身も少し忘れかけていた。
「わかりました。別れます」
亀山先生に言われたからではなく、
僕自身が決めかねていた決断と向き合った結果だった。
そして、亀山先生に電話をしたその日は、
奇しくも前妻との結婚記念日だった。
「いきなり別れる話よりも、相手に選ばせたほうがスムーズにいくわよ。1週間ほど考える時間をあげなさい」
亀山先生は、まるで僕の未来が完璧に見えているかのように、確信をもって手順をアドバイスした。
よし、今日、話すしかない。
僕は覚悟を決めて放置していた「離婚」という問題を前に進めることにした。
一か月で、終わった
「これからもずっと僕を支えてくれるか、別れるかどちらか選らんでほしい。」
自分でも驚くほど冷静かつ落ち着いた気持ちで、
前妻と話し合った。
いつもはお互いに感情的になり、口論になってしまうのに、このときは違った。
1週間の期日を設けて、お互いに自分自身の気持ちをみつめることになった。
ある日僕は、いつもお世話になっている原宿の自然食レストラン「Mominoki House」で夜ごはんを食べていた。
Mominoki Houseのオーナーシェフである山田さんは、日本で玄米食を広めた人だ。
70代でありながら、いまも現役で厨房に立っている。
玄米ご飯の定食を食べ終わったあと、
気持ちを整理したい僕は山田さんに声をかけた。
「実は離婚することになりそうでして・・」
自分自身で決めたことではあったけど、
このときの僕は離婚=失敗という自分で貼ったレッテルが、重くのしかかっていた。
山田さんは一言、そうですか。と爽やかに頷き、
僕の目を見つめて諭すように語りかけてくれた。
「現代では3年で離婚する人が3割くらいいるそうです」
「12年も結婚生活が続いたなら、それは大成功です」
山田さんの瞳はとてもキラキラしていた。
玄米食を日本に広め、日本をより平和にしたい。
そんな信念を持ち、その信念を実現した山田さんの言葉が僕の背中を強く押してくれた。
僕は少し涙目になりながら、山田さんに御礼の言葉を伝えて店をあとにした。
そして1週間後、元妻の結論は別れを選ぶことだった。
数週間後、離婚届にサインして2人で区役所に書類を提出した。
終始、全く争うことなく円満にすべてが解決した。
結婚とは、役所に紙を1枚提出して、終わるときも紙を1枚提出するだけ。
そういうもんなんだろうか。
ほんの少しの疑問が僕の心に残った。
そして5年間、争い続けた離婚が、
なにかに導かれるかのように、
たった1か月で静かに成立した。
ひとつだけ確かだったのは、
自分の人生を生きると決めたとき、
何かが動き始めたことだった。
横浜へ
離婚後、フリーになった僕は約1年ほど迷走期間を過ごした。
これについては、後日パートナーシップをテーマにした回で詳しく紹介したい。
自分の人生を生きると決めた僕の人生は少しずつ好転していった。
仕事もより順調に進み、本音で語り合える友人が増えた。
もう一度、人生を取り戻そう。
そう考えた僕は、引っ越しを考え始めた。
そうだ、横浜にひっこそう。
横浜は社会人になりたてのころ、いつか住みたいと考えていた街だった。
そして社会人の時間を多く過ごした東京を離れることは、僕にとってまさに心機一転だった。
横浜で家を探してすぐに、最適な物件が見つかった。
新築分譲マンションで、駅近でありながら、
コロナ禍で売れ残った部屋。
すぐに見に行ってみた。
すると、営業担当者が今日決めるなら、10%以上割引しますとのこと。
さらに諸費用も負担してくれるとのことだった。
僕はその場で即決して横浜に新たな住まいを手に入れた。
初期費用はたったの10万円だけだった。
自分が幸せになれる決断をして、幸せな場所に住む。
そう決めただけでスルスルと人生は進展していった。
そしてこの横浜への引っ越しが、
さらなる大きな人生の波へと僕を導いていった。
次回予告
#7後編 かなのおばあちゃんが、枕元に現れた日